第八章 現在――豹変

1 どっち? 

 若葉が……佐絵さんの共犯者!? 杏奈の頭のなかが真っ白になる。なぜ若葉が――。


「いいかげんにしろ!」と怒鳴った若葉の頬に、にわかにしゅがそそがれていく。「こんなときにふざけるなよ、オカルト! なんでわたしが――」


「わたしは大真面目です。佐絵さんはどうされます? 寝返ってくれますか?」


 返答を求めるモナカの眼差しが、ぜんたる表情の佐絵に投げかけられた。眼球を微かに泳がせただけで、佐絵は答えない。手が疲れてきたのか、掲げていたスレッジハンマーをモナカの頭上からそらして、だらりと垂らした。


「……だんまりですか。では仕方がありません。わたしのほうからまず若葉さんの件について説明いたします。あなた方が潔く罪を認めてくだされば手間が省けるのに」


 モナカが不平をもらすと、佐絵は視線をそらした。若葉は舌打ちする。杏奈は冷静に情報を処理しきれないでいる。頭のなかが依然としてホワイトボードさながらに真っ白だ。


「わかった。そこまで言うなら説明して。ぎぬだけどさ」

 若葉は表情こそ険しいが、モナカの話を聞くつもりはあるようだ。


「では言います。この不穏な状況からして、佐絵さんが杏奈さんに危害を加えようとしたのは自明の理です。しかし、佐絵さんには誤算があった」


 モナカは廊下に打ち捨てられた展示室の扉と、砕かれたバリケードのざんがいを指さした。


「派手にやったものです。当初の予定では、佐絵さんはひそかに杏奈さんを襲うつもりだった。ですよね?」


 佐絵は視線をそらしたまま答えない。


「杏奈さんは若葉さんと一緒に展示室でルビーリングを探していた。けれども途中で」

「ストップ、ストップ」若葉がさえぎった。「なんでモナカがそのことを知ってるの?」

「盗み聞きしましたから。管理事務室での杏奈さんと若葉さんの会話を」

「は!? 盗み聞きって――」

「杏奈さんには謝罪しました。若葉さんにも謝ります。ごめんなさい。しかし、いま俎上に載せるべき話題ではありません。批判なら、あとで受け付けます」


 若葉はまたしても舌打ちしたが、それ以上の抗議はしなかった。


「ルビーリング探しの途中で杏奈さんはひとりになった。孤立したそのタイミングで佐絵さんが展示室に忍びこみ、杏奈さんを殺害する計画だったのでしょう。ところが展示室に忍びこむ前に、なんからの事情で杏奈さんが部屋から出てきてしまった」


 明日には寮から出ていく。若葉が不在のうちにモナカにお別れの挨拶をすませておこうと思って、展示室から出たのだ。そしたら、赤ずきんに出くわした。


「佐絵さんにとって杏奈さんのこの行動は誤算だった。廊下でスレッジハンマーを持った鳩マスクの赤ずきんなんぞ見かけたら、杏奈さんでなくてもみんな逃げるでしょう。杏奈さんは固定電話のある展示室に逃げこんだ。バリケードも作った」


「その固定電話だけど、コードがないの。引き抜かれてて、どこにもなくて」

 杏奈がモナカに報告する。教えておいたほうがいいと思ったのだ。


「でしょうね」

 モナカはきっちりと予測していたようだ。


「佐絵さんが展示室に速やかに侵入できなかった場合、ほぼ確実に固定電話で警察に通報される。そのような事態に陥ることがないよう、コードはあらかじめ引き抜いて隠しておいた。あまりにも早くコードを隠してしまうと、管理員さんの巡回でバレてしまう。したがって、管理員さんの退勤後にコードは隠されたはずです」


 だと思う。杏奈が赤ずきんでもそうするだろう。


「すでに述べましたが、佐絵さんが鳩マスクをかぶって赤ずきんの衣装を身につけているは、杏奈さんを殺しそこねた場合を想定してのこと。鳩マスクに赤ずきんのコスプレなら、返り血が佐絵さんにかかるのを防ぐこともできますしね」


 佐絵は視線をそらしたままだ。いま、どんな気持ちでこの話を聞いているんだろう? 


「よく準備された計画のようです。ここまでやるのなら、。杏奈さんを襲っているところを邪魔者に目撃されたら二対一の状況になるのだから。どちらか片方に逃げられたら通報されます。ゆえに、絶対に、邪魔者が来ないようにしないといけない。邪魔者というのは、むろん、わたしのことです」


 モナカが自分の顔を指さした。


「佐絵さんが杏奈さんを襲うタイミングで、このモナカが地下に下りてくる。そんな事態もありえます。しかし、その可能性をかぎりなくゼロにすることならできる。。あなたがね」


 モナカが今度は若葉を指さした。若葉がなにか言いかけたが、モナカのほうが先だ。


。適当な言いわけを用意して。でしょう?」


 モナカの推理力は本物だ。だけど……だけど若葉は、高校のころからの友だちで……。

 杏奈が震える目で若葉を見た。モナカのごとことなど真に受けるな! そう言いたげに、若葉は激しく頭を左右にふっている。


 どっち? どっちだ!? モナカと若葉、どっちを信じればいい……!? 


「展示室を出た若葉さんは、いったん佐絵さんと合流して最終確認を行ったはずです。コスプレをした佐絵さんが杏奈さんを襲う、若葉さんはこのわたしモナカを足止めしておく――そのような確認をね。確認作業を終えると、ふたりは別々に行動しはじめた。赤ずきんの衣装に着替えた佐絵さんは、図らずも杏奈さんと廊下で出くわしてしまった。立てこもられ、いきなりばなをくじかれた格好です」


 佐絵がそらしていた視線をやっとモナカに向けた。なにも答えはしないが。


「同時刻、若葉さんはわたしの部屋を訪ねていた。訪問の理由はいくらでもでっち上げることができます。若葉さんは最近、わたしにきつかった。モナカに謝ろうと思ってとかどうとか、なんでもいいんですよ、理由なんてね。

 このとき若葉さんは、さぞかし焦ったことでしょう。部屋にいると信じきっていた〝引きこもりのオカルトちゃん〟が、呼びかけてもてんで反応しないのだから。わたしはそのとき、書斎にいましたからね。台座のミニチュアの謎解きをやっていたのです」


 モナカが書斎と直通の隠し部屋へと下りてきてほどなく、若葉も同じルートで地下へと下りてきた。


 若葉は元管理人の住戸の鍵がなくなっていたのを見たと言っていた。それは本当のことかもしれない。同住戸の各部屋を見て回るなか、書斎で隠し通路を発見したという。それも本当のことかもしれない。


 元管理人の住戸の鍵を借りた人物が展示室と地下倉庫の鍵も持っているかも――若葉はそんなことも言っていた。モナカの話に嘘がないのなら、これに関しては事実を述べていなかったことになる。若葉はモナカを捜していた。地下に下りてこないように、足止めするために。モナカのその話が本当なら――。


「杏奈! 杏奈ッ!!」

 ごうした若葉が、。杏奈もそうする。びっくりした。自分でも気づかぬうちに若葉から距離を取ってモナカのほうへと歩み寄っていたからだ。


「嘘でしょ! 友だちなのに……信じてくれないの?」

「それはおかどちがいの批判です。杏奈さんの行動は正しいのです」

 モナカがよこやりを入れる。「自分を殺そうとするような友だちを誰が信じるでしょうか」

「うるさい! 杏奈!」


 杏奈は両手で頭を抱えた。わからない。若葉とは高校のころからの付き合いだ。友だちだ。親友だと思っているけれど、本当にどっちを信じたら……。


「さてと、ここまでの話を聞いておわかりになりましたね」

 モナカが佐絵を一瞥した。

「あえて傲慢な言い方をします。あなた方が考えた企みなど、わたしにはお見通しです。そんなわたしが助言しているのです。若葉さんを裏切れと。決心はつきましたか?」


 佐絵は相変わらず無言だったが、モナカのことをみするような目つきになっていた。


「わたしの想像を申しあげます。佐絵さんと若葉さんは対等な共犯関係にはない。。当たっていますよね?」

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