現在――二〇二一年 十二月二十二日 水曜日②

 フードと鳩マスクで頭と顔を、ゆったりとしたドレスとマントで体つきが隠されている。赤ずきんは手袋もしている。衣装の上からだと、老若男女のちがいすら識別できない。

 だが、杏奈にはわかる。こいつは女だ。赤ずきんの正体は、女子寮の寮生。杏奈の友人か知人、そこまではわかっていた。

 問題は、それが誰なのか? だった。


 絶体絶命まで追いつめられると、生存本能が人生最高レベルで頭を回しはじめるらしい。抱えきれないほどの緊張と恐怖、心臓の鼓動も不規則な加速をつづけている。いつ心停止してもおかしくない状況下で、思考だけが冴え渡り、走馬灯のように記憶がめぐってゆく。


 きっと過去に手がかりがある。

 鳩の顔の赤ずきんの正体を突き止めるための手がかりが。

 やつの正体さえわかれば、状況打破のアイディアだって思いつくかもしれない。


 物置代わりの地下展示室には元寮生が使っていた工具類がずっと捨て置かれたままになっていた。ハサミやドライバーなんかが、たくさん。武器にできそう、と思いかけて、杏奈は考えをあらためた。武器にはできるだろうけど、どれもこれもスレッジハンマー持ちと戦えるような代物じゃない。

 助けが来なければ、最終的には物理的な戦闘に突入するのはさけられそうにないが、そうなる前にできることがまだあるはずだ。


 考えること。それがいま、杏奈にできる最善のこと。

「だから考えろよ!」

 折れそうな心を支えるために、わざと声に出して言ってみた。凍えそうな気持ちを奮い立たせた。思考の熱で頭が焼ききれるまで考えろ! 

「だいたい、なんでわたしがこんなやつに狙われないといけないわけ?」

 根本的な疑問が口をついて出る。しかし、実を言うと、鳩の顔の赤ずきんに命を狙われそうな心当たりならあった。


 二ヵ月前の十月二十二日、金曜日。

 たぶん、この日だ。この日から、すべてがはじまった。


 杏奈は教養学部ジャーナリズム学科に籍を置いている。単位の取得は順調で、来年にはちゃんと四年生になれるだろう。

 四年時に同学科では卒業論文を書くか、取材した内容をまとめたルポルタージュのような卒業制作を提出する。いずれは祖父のようなノンフィクション作家になりたい。ずっとそれが目標の杏奈は、もちろん論文ではなく卒業制作を選ぶつもりだ。


 取材と執筆を余裕を持って行うためには三年時からはじめたほうがいい。ゼミの教授からそうアドバイスされていた。その助言を聞く前から杏奈も同じことを考えていたから、卒業制作の題材として過去の事件――ぬまじょだいがくだいよんじょりょうで八年前に起こった事件を調べようとしたのだ。後日、氷沼紅子のルビーリングについても調べはじめたのだが、たぶんそのどちらか、あるいは両方が原因だろう。こうなってしまった原因――。

 二ヵ月前の十月二十二日、金曜日。

 だからまずは、その日のことから思い出さないと――。

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