そして友だちになった ――鳩の顔の赤ずきん――

キャスバル

プロローグ 現在

現在――二〇二一年 十二月二十二日 水曜日①

 赤ずきんは鳩の顔をしていた。


 赤黒い血液のような色合いのフードをかぶり、同じ色のゆったりとした長そでのドレスと、大きなマントで着飾った姿は、どこからどう見ても赤ずきんだろう。手袋だけが黒かった。そして、フードのなかの顔の部分が鳩だ。ものすごく気味が悪い。


 気味が悪いだけならまだしも、鳩の顔の赤ずきんは大型のハンマー――スレッジハンマーまでお持ちだからたちも悪い。ハンマーヘッドが金属製ののやつだ。


 さっき追いかけられたとき、柄の長いハンマーを構えて走る赤ずきんの、あざやかなドレスとマントのすそが、するするとわずかに床をこすっていた。

 赤ずきんのフードの下の鳩の目も、やけに赤い。そんなバケモノじみた赤ずきんに追いかけられて逃げこんだ先は、物置代わりの展示室だった。


 大学三年生、二十一歳のあんは、スマホで時刻をたしかめた。

 十八時三十七分。

 ここは杏奈が暮らす女子寮の地下フロア。この地下だけリノベーションされていない。築年数相応に古びていた。

 地下展示室は平面図で見ると、横に長い長方形だ。広さは、ゆうに小学校の教室ふたつぶんはあるだろう。


 展示室の、東西南北の四面ある壁のうち、横幅のせまい東西の二面――長方形の図面にたとえるなら辺の短いほうの二面が、黒と灰色の縦縞模様になっていた。

 縦縞模様が描かれたその二面のうちの片方――東側の壁に展示室のドアがある。天井と床はコンクリートの打ちっぱなしだ。

 辺の長いほうの南北の壁もコンクリートの打ちっぱなしだった。


 南北の二面には、造りつけの壁面ショーケースが並び、磨きぬかれたガラス扉が照明の光を照り返している。女子寮がぬまべにの別荘だったころは、宝石コレクションが展示されていた特注品のショーケースだが、それもいまとなっては寮生たちが退去する際に不要になった物や、誰かの忘れ物を放りこんでおくための〝物置〟に成り下がって久しい。


 バッグに化粧品、ゲーム機など、様々な物が乱雑につめこまれた壁面ショーケースのガラス扉に、息せき切って膝に両手を突く杏奈が映りこんでいた。

 セミロングの黒髪が乱れている。汗がにじむ頬全体が真っ青で、ひどい顔。

 毛糸のほつれたニットの上に、カーキ色のマウンテンジャケット。色の薄いデニムのパンツをはき、靴はスニーカー。身長は一五八センチで、やせ気味だ。そんな杏奈の姿が、ガラス扉に映りこんでいる。

 ボロ雑巾のような本当にひどい顔だが、仕方がない。


 スレッジハンマー持ちの赤ずきんから必死に走って逃げてきた。内側から鍵をかけたあとはバリケードもこしらえて、もうへとへと。幅一メートル半ほどのキャスター付きショーケースが六つ、ソファ型ベンチも一脚加えて、ドアの前に即席の防壁を作ったのだ。


 展示室のドアはアンティークなデザインで、中央に磨りガラスの四角い小窓がある。かつては宝石を蒐集していた部屋だけあって、ドアはどっしりと分厚くて頑丈だが、しょせんは木製だ。三十秒ほど前から、鳩の顔の赤ずきんに盛大にぶったたかれていた。たぶん、あのスレッジハンマーで。ドン、ドン、ドンッ……と死のカウントダウンよろしく、一定のリズムでドアをたたく破壊音の合間に、ピシッと木材が割れる嫌な音も何度か耳にしている。


 展示室のドアは内開きだ。ドアの鍵はすでに赤ずきんによって解錠されていたが、バリケードが邪魔でひらかない。

 赤ずきんは明らかにドアのはしっこのほう、上下ふたつある蝶番に狙いを定めてハンマーをふり下ろしている。小窓はせいぜい顔ひとつぶんの大きさで、どうせ壊しても通りぬけられないので、かえって無事だった。狙うなら、たしかに蝶番だろう。蝶番が破壊されてドアを外されたら、バリケードは押しのけられるか、乗りこえられる。もしくは壊されるかして、杏奈まではもう目の前。そうなるのは時間の問題だった。


 スレッジハンマーの連打でたわむそのドアの他に、展示室の出入り口は見当たらない。

 展示室がある女子寮の地下は、スマホの電波も圏外だ。

 ドアの近くに、高さ一メートル弱の引き出し付きの台がすえられていた。その台の上に、固定電話。杏奈はこの固定電話で助けを呼ぶために展示室まで逃げてきたというのに、あろうことかコードが引き抜かれている。


「最悪……。ありえないんですけど!」

 悪態をつきながら、杏奈は目を皿にして、電話機のコードを探した。

 どこにもない。引き出しはもちろん床下にも、本当にどこにもない。

 コードがあるとしたら、赤ずきんの衣装のポケットのなかかな……? 

 杏奈が固定電話で助けを呼ぶであろうことを、赤ずきんは事前に見抜いていたのだ。だから、コードはあらかじめ引き抜かれていた。そうにちがいない。


 再三再四、ハンマーでドアを殴打する重低音が工事現場の騒音さながらに響いている。死のカウントダウンが反響する展示室は、いま密室で、逃げ場がなく、スマホは圏外。固定電話はつながらず、助けも呼べないそんな絶望が、杏奈の臓器をきりきりと締めあげていく。


 ギギッとバリケードが一、二センチほど動いた。ドアにうっすら隙間ができる。ほんのわずかなその隙間に、ぬうっっっと赤ずきんの顔の一部が現れた。

 鳩の顔の赤ずきん――。

 赤い目に、じぃぃっと見つめられて息を呑んだ杏奈は、おもわず尻餅をつきそうだ。


 バリケードを押して、ドアを閉めようか? 

 杏奈は汗で湿った首を横にふった。

 向こうの武器がスレッジハンマーだけとはかぎらない。ナイフぐらい隠し持っているかもしれない。それを投げつけられて急所にでも刺さったら今日が杏奈の命日になる。

 物を投げられても当てられないように、杏奈は小走りに部屋のすみまで移動した。


 これから、どうする? 

 赤ずきんが、ふたたびドアをたたきはじめた。

 そもそも、こいつは何者なの? どこの誰? 

 八年前に死んだ女子大生の幽霊が本当にいたってこと? まさか……。幽霊ではないとしたら、コスプレかな? 赤い目の鳩の顔も、かぶり物? 

 もしそうなら、赤ずきんの正体は――。

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