スプラッターシュナイダー

猫パンチ三世

スプラッターシュナイダー

「待て……! 待ってくれ!」


「無理だ……もう止められない……!」


「ひっ……!」


 雨の降る街の片隅で、殺意にまみれた凶刃が一人の男の体を切り裂いた。

 道には鮮やかな赤が広がり、ぐにゃぐにゃとした臓器が肉屋の見本のようにぶちまけられた。

 雨の中でもむせ返るような血と死の臭い。

 男を切り裂いた病人は、雨に打たれながら歪んだ笑みを浮かべていた。



 少女は喫茶店の片隅にある席に、一人で座っていた。

 黒い長髪を後ろで綺麗にまとめ、学校の制服を崩す事無く着ている姿はいかにも優等生といった具合だ。


 そんな彼女の表情は晴れない。

 目元にはうっすらとだが確かに不健康そうなクマがあり、背中も気持ち丸まっているように見える。

 彼女は喫茶店の店員が、ついつい鳴らしてしまった食器の大きな音に必要以上に体を震わせた。


 喫茶店の入り口の鈴が、カラカラと乾いた音を出した。

 カツカツという革靴が地面を叩く音が聞こえる、それは少女の後ろで止まった。


山岸恵やまぎしめぐみさんですか?」


 低い男の声だった、抑揚のない感情がほとんど感じられない、もっと言えば生きているかどうかも分からない声だった。


 恵が振り返ると、そこには黒いスーツを着た男が立っていた。

 背は180センチほど、髪は色を抜いたような白髪で彼女の目をひいた。

 だが何よりも恵が印象に残ったのは、男の目だった。


 男の目はガラスのようだった、景色や光を反射するだけでその実なに一つ見ていないような、無機質さを感じさせる目。

 男はそのガラス玉のような目で、恵の方を見ていた。


「どうも、私が今回の事件を担当する特殊疾病対策局所属、空野道之からのみちゆきです」



 20××年2月17日東京都××区にて殺人事件発生。

 被害者は山岸文江やまぎしふみえ(43)。

 山岸翔太やまぎししょうた(46)。

 第一発見者は二人の娘である山岸恵(17)、20時37分帰宅時に発見。


 二人の遺体は損壊が激しく、妻の文江は首から下が、夫の翔太に至っては全身が完全に切り刻まれ、数百にも及ぶ肉塊となってリビングに散乱していた。

 入り口の扉は凄まじい力で開けられたらしく、鍵と扉の留め具が破壊されていた。


「……とまあ、事件の概要はこれでよろしいですかね」


「はい……間違いありません」


 書類の確認を終え、道之は書類を机の上に置いた。

 恵にとっては、あの吐き気のする悪夢を再び思い起こさなければならない辛い時間だったが、道之はそんな事は知った事ではないと言わんばかりに書類を読み上げたのだった。


「あの……すいません」


「何か質問ですか?」


「両親は……お父さんとお母さんは一体誰に? あんな……惨い……」


 そこまで言って恵は口元を抑えた、あの赤黒い地獄を思い出した彼女の食道を朝食が駆け上がってきた。

 そしてそれと同時に、その目からはボロボロと涙が零れる。

 年頃の少女が両親を同時に失ったのだ、無理も無い。


「お父さんもお母さんも誰かに恨まれるような人じゃなかった! 優しくて……立派な人だった!」


「落ち着いてください、人が見ていますよ」


 喫茶店にちらほらいる客は、訝し気な視線を二人の座るテーブルに向けている。

 他の飲食店よりも静かな喫茶店では、彼女の声は余計に響いてしまっていたのだ。


「ごめんなさい……」


「まあ無理もないでしょう、ご両親を同時に亡くされたのですから」


 同情の言葉のようなものを吐きながらも、道之の表情は動かない。

 彼は胸元から折りたたまれた一枚の紙を取り出し、彼女の前に置いた。


「はっきりと申し上げます。あなたのご両親を殺した犯人及び動機はすでに掴んでいます。ですがそれを聞くためにはこちらの書類にサインを」


 恵は一も二も無く書類を受け取り、自分の名前を書いた。


「迅速な決断ありがとうございます。まずはあなたのご両親がなぜ殺されたのか、その説明をします」


「お願いします」


「簡単に言いますと、運が悪かった。この一言に尽きます」


「……は?」


 彼女は言葉を失った。

 なにか納得のできるような、いや両親を殺されてそこにどんな理由があったとしても納得などできるわけはないが、それでも何か理由があれば指の先くらいは今回の事件を受け入れられたかもしれない。

 だが目の前の感情を感じさせない人形のような男は、事もあろうに運が悪かったと言った。


 それは数ある理由の中で、一番納得できない理由だった。


「運が……悪かった?」


「ええ、そうとしか言えません。あなたのお父さん、お母さん共に人に恨まれるような人間ではありませんでしたからね。是非とも誇りに思ってください。今回の犯人はたまたまあなたの家を襲った、ただそれだけなんですよ」


「え……? は? ちょ……ちょっと待ってください、それだけって……そんな……そんなふざけた理由で!?」


「受け入れられないのも理解できます、ですが仕方ありません。相手は病人ですから」


「……病人?」


「アルコスという言葉を知っていますか?」


「いえ……」


「後天性理性崩壊症候群(AcquiredReasonCollapseSyndrome)通称アルコス、人間には本来理性があります。例えばあなたが誰かにひどい仕打ちを受けたとしましょう、あなたはその人間を殺しますか?」


「そんな事……するわけないじゃないですか」


「理性ある普通の人間ならそうでしょう。例えどれだけ頭にきたとしても、相手を殺した事により受ける罰や周囲からの蔑みの視線、それによって潰える未来を想像すれば人は人を殺さない。だがアルコスを発症した人間は別です、理性が崩壊した彼らはそういった事を考えない、ほとんどが思うがままに周りの人間を傷つけはじめる」


「そんな病気があったなんて……」


「病気じゃなければ、人なんて殺しませんから」



 二人は喫茶店を出て、ある場所に向かって歩き出した。

 

「さて……歩きながらで申し訳ありませんが、もう二、三確認してもいいですか?」


「なんですか?」


「山岸さんは、自分を殺した犯人を知りたいですか?」


「はい」


「なるほど、ではその犯人の死を望みますか?」


「……はい」


「でしょうね、では最後の質問です。犯人の死を、その目で見たいですか?」


「え?」


 恵は立ち止まると、隣にいた道之の顔を見た。

 

「アルコスを発症した人間は、正確には人間ではありません。この病気は治療法が無く、一度発症すればただ周りに害を及ぼすだけの存在になる。発症時点で『害獣』となり『駆除』の対象となります」


「じゃあ裁判とかは……」


「ありませんよ、発見しだい即殺が基本です。そして彼らを殺す事、それが私の仕事なんですよ」


 

 二人は歩き続けて、ある公園に来ていた。

 そこは恵の家の近くにある、彼女が幼い頃よく遊んでいた公園だった。


 すでに時刻は15時を過ぎている、夕日に照らされた公園には彼ら以外に人影は見えなかった。


「ここ、よく両親と遊んだ場所でした。二人とも優しくて、楽しくて、いつもより時間がずっと速く進むような感覚を今でも覚えてます」


 道之は、黙って話を聞いていた。

 口を挟む事無く、だが全く興味が無いようでもない、ほどよい距離感で話を聞いていた。


「でももうあの二人に会えない、話す事も触れる事もできない、私たちの家族の時間は……あの日で止まって……」


 言葉が聞こえなくなり、代わりに押し殺したような嗚咽が聞こえてきた。

 手の甲を涙で濡らしながら、彼女はスカートを二度と取れないシワが付くほど握りしめていた。


「……犯人を殺してやりたい、お父さんとお母さんをあんな風に殺した犯人を私がこの手で……!」


「山岸さん、あまりそういうできない事を口にしないほうがいい」


「できない!? 目の前に自分の家族を殺した犯人がいて、相手を殺せるだけの力と理由さえあれば誰だってそう思うはずでしょう!?」


 恵の目には怒りと悲しみ、虚しさ、突然の喪失そして自分の無力さが織り交ざった色と涙が浮かぶ。

 自分の大切な人間を無惨に殺されれば、誰でも犯人への復讐を考えるはずだ。


 ましてや彼女はまだ子供だ、そういった思いが溢れるのも致し方ない事だった。


「そうですね、復讐したい殺してやりたい。そう考えるのは至極当然でしょう、でもあなた方はに行ってはいけないし、行けない」


「人を殺す覚悟が無いって事ですか?」


「人を殺す事に覚悟なんていりませんよ、必要なのは身に余るおぞましい本能と少ない知性、欠けた倫理観だけ。だから無理なんですよ、いつだってそういう連中に殺されるのはあなた達のような理性と本能のバランスが取れていて、知性があり、しっかりとした倫理観を持った人間なのですから。それに……」


「それに?」


「アルコス……つまり今回の事件の犯人を前にして、普通の人間にできる事はありませんから」


「それってどういう……?」


 恵が言葉を言いかけた時、公園内に一人の男が入って来た。

 薄青色の作業服を着た、四十代くらいの小太りの男がニコニコと笑いながらこちらへ歩いてくる。


「お出ましですか」


「あの人は? 空野さんのお知り合いですか?」


「あれは望月洋平もちづきようへい……元ですが」


「元……?」


 道之は立ち上がり、恵の前に立つ。


「そこから動かないでくださいね、死にますから」


 言葉の意味をまだ呑み込めない恵を見て、洋平はニコニコと笑う。


「こんにちは、ええっと山岸恵さんだよね?」


「そうです……けど」


「ああそうですか、そうですか。よかったよかったたたたたたたたた」


 普通の人間のように喋っていた洋平の様子が、突然おかしくなった。

 目がギョロギョロとあさっての方に向き、体が震え出す。


 そして肉と皮が裂ける音を立てながら、首が脊髄と共に飛び出し、両腕の肉がぼとりと地面に落ちた。

 剥き出しになった両腕の骨は白い刃となり、刀身は血と脂でぬたぬたと光っていた。


「ひっ……」


「あれがアルコスを発症した人間の姿です、先ほどまでは普通の人間に擬態していたんですよ」


「あれがお父さんと……お母さんを?」


「そうです、そしてあれを狩るのが私の仕事」


 道之は、右腕の袖を肩までたくし上げた。

 彼の右腕には、銀色の薄い鎧のような物が装着されている。


「さて、山岸さん。改めてお聞きします、あなたはあれの死を見たいですか?」


「何言ってるんですか!? あんな化け物……勝てるわけない! 早く逃げないと!」


「山岸さん、を気にする必要はありません。あなたはただ、心のままに答えればいい」


 恵の脳内は、異形の襲来による恐怖、両親を殺した相手に対する怒りと殺意、その他多くの感情による濁流で真っ白になった。

 白く、透き通るような頭の中で、ただ一つ真っ黒な文字が浮かぶ。


「あれを……殺してください」


 なにもかもを捨てた、自分の中にある嘘偽りの無い感情。

 短く、混ざり気の無い言葉は道之の元へと届いた。


「了解しました」


 道之は首元にかけていた鍵を外し、右腕の鎧の鍵穴へ差し込んだ。

 カチリと音を立てて、肩から順々に錠が外れていく。

 

 ー理性維持薬液の供給を停止。

 ー罪状拘束具アガートラム一番から五番を解放。

 ー空野道之の罪状完全開放。


「すぐに終わります、少々お待ちください」


 銀色の鎧、いや拘束具が鈍い音を立てて地面に落ちる。

 道之の腕は、赤黒く醜い色をしていた。


 目の前の洋平のように、メキメキと音を立てて腕が蠢き一本の白い刃を造りだした。

 

「おおお、お前えええは誰だれ?」


 洋平のすでに消えかかっている記憶をなぞって出た濁った言葉が、それの口から漏れだす。

 白い刃を構えた道之は、それの姿を真っ直ぐに捉える。


「ただの病人ですよ、あなたと同じね」


 彼の刃は、静かに強く、そして何よりも鋭く振るわれた。



「今回は本当にお世話になりました」


 恵は駅のホームで、深々と道之に向かって頭を下げた。

 あの公園の一件から一週間、恵は親戚のいる地方へ向かうために新幹線を道之と一緒に待っていた。


「行き先は東北ですか、ずいぶんと遠くまで行くことになってしまいましたね」


「仕方ありません。でもここは私が生まれて育った場所ですから、いつかまた今よりも心の整理がついたら戻ってきます」


「そうですか。それから今回の件ですが……」


「もういいですって、必要な事だったって理解しましたから」


 望月洋平の駆除後、道之は恵に謝罪した。

 彼は彼女に話していない事があったのだ。


 それは彼女が囮だったという事だ。

 アルコスを発症した人間は、殺した相手の血液を摂取し、その血と近しい者を襲う傾向にある。

 今回のケースでは、山岸夫妻を殺した望月が次に狙うのはまず間違いなく娘の恵だった。


 そのため望月を誘い出すためには、彼女の協力が最も効果的だったのだ。


「それに空野さんは、お父さんとお母さんの仇を取ってくれました。それだけでもう十分です」


 道之は深く頭を下げると、真っ直ぐに恵を見た。


「山岸さん、あなたは運が悪かった。そしてこれからも多くの理不尽や、両親がいない事に対するいわれのない悪意に晒される事もあるでしょう。ですがあなたはあれの死を見届け、私に真っ直ぐに思いを伝えた」


 恵もまた、静かに彼の言葉を聞く。


「それは並大抵の事ではありません、だからあなたはきっと真っ直ぐ生きていける。生きて生きて、幸せになる事、それがあの理不尽に対する最大の復讐になる事でしょう。どうか心安らかに、あなたの人生を生きてください」


 恵の目に溜まった涙は、今にも零れ落ちそうだった。

 彼女はそれが零れる前に、ハンカチで目元を拭う。


「ありがとう……ございました」


 濡れた温かな言葉を残し、恵は旅立っていった。

 彼女のこれからの人生は、恐らく辛く苦しいものになるだろう。

 だが彼女はそれを乗り越えるための強さを、このやり取りの間にしっかりと得ていた。


 ホームに残った道之は、右腕を軽くさする。

 恵はけっきょく彼に腕の事を聞かなかった、それは彼女の優しさであると同時に無意識下での拒絶だった。

 これ以上アルコスに関わりたくないという、静かな拒絶だった。


 道之の携帯が、ポケットの中で震える。


「はい、空野です」


『被害者の見送りは終わったか?』


「はい」


『そうか、これで山岸家の件は終了だな』


「次の被害者の元へ向かいます」


『ああ、そうしろ。お前は人の為に死ぬまで働いて、やっと地獄行きってところだからなこの化け物野郎』


 吐き捨てるように呟き、電話は切れた。

 自信に向けられた罵倒の言葉を、道之はただ淡々と受け入れていた。


 彼は静かに歩き出す、己の罪と向き合うために、誰かのために死ぬために。


 特殊疾病対策局、アルコスの調査・駆除を行う機関。

 そこに所属するアルコス発症者の駆除を担当する人間たち、アルコスを発症しつつも、自我を失わずその力を己が物として行使する存在。


 罪を背負いながら罪を狩る者、不治の病を患った罪人かんじゃ

 人は彼らを、軽蔑と畏怖を込めてシュナイダー(罹患者)と呼ぶ。 

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