四
小学二年生の時に、両親が離婚した。
理由は大分後になって聞かされたが、父のモラハラが原因だったという。
まだ幼かった私には分からなかったが、母は随分と苦労していたらしい。父との関係がギスギスしたものになっていると私に悟られないように。父の矛先が私に向かないように。
必死に子供である私を庇いつつ、こつこつとモラハラの証拠を揃え、離婚に踏み切った。本当に大変な思いをしたが、あの頃の経験があったからこそ、今の強い私がある。
母は時折、そう言って微笑む。
事実として、そうなのだと思う。母は、強かだ。離婚後、すぐに精神を病んだ父が自殺し、父の親族から酷い罵詈雑言を浴びせられて、養育費が支給されなくなっても、私を女手一つで立派に育ててくれているのだから。私は今年で十四歳になるが、今まで、何ひとつ不自由をしたことが……。
不自由。そう、不自由はしていない。でも……。
スマホの画面の中で自動再生されている動画の、チキンソテーを頬張る私を見つめる。先程よりも、リツイートといいねが少し増えていた。
……母はきっと、世間に対して、自分を強く見せなければならないと、私は今とびきりに幸せだとアピールしなければならないという、強迫観念に取り憑かれているのだ。
だからきっと、Twitterであんな立ち振る舞いをしているのだ。幸せな日常生活を世間に切り売りし、ニュースアカウントに対する引用リツイートで世相を斬ることで、自己を確立しているのだ。強く、賢い、シングルマザーという自己を。
だが、それはそれ、これはこれである。
その自己の確立の為に、私を利用するのはやめてほしい。
別に、これといった実害はない。誹謗中傷を受けたことなど、一度も無い。
だが、街を歩いている時に、急に知らない人から声を掛けられたり、カメラを向けられたり、指を差されたりするのは嫌で嫌でたまらない。学校で、「ねえ、このこみつって、もしかして綾ちゃん?」とか、「お母さんと仲良いんだね」とか、「すごーい、有名人じゃん」とか、半笑いで言われるのも。
私は、知らない人に自分の日常を見られたくない。あれこれと、家の中でのことを詮索されたくない。私という存在を、世間に消費されたくないのだ。
私の知らないどこかの誰かが私を一方的に見ていると思うと、この子はどういう人間なのだろうと勝手にあれこれ詮索しているかと思うと、吐き気がする。
その旨を、母にきちんと伝えたこともあった。
あれは、小学六年生の時のことだ。その頃から、私はぼんやりと気が付き始めていた。母が、私との日常を世間に切り売りすることによって、自己を確立しているということを。
そんなある日、私の身体は初潮を迎えた。
母はそれを、世間に売ろうとしたのだ。
私は、泣いて嫌がった。それまでは、別に何とも思わなかった。流行りの歌に乗せたダンスを踊ることも、日常でのささやかな失敗を切り取られることも、構わなかった。
でも、初潮を迎えたことだけは、決して世間に売られたくなかった。なぜか、それだけは、それをやってしまったら、私の中の大切な何かが持って行かれてしまうような気がしたのだ。
だが――結局、母の説得を受けたことによって、私が初潮を迎えたことは、世間に売られてしまった。食卓に並べられた赤飯を前に俯いてぎこちなく微笑む私の写真と、「とうとうこみつにお月様が訪れました!おめでとう!」という、母のコメントと共に。
「綾、分かるでしょう?泣くようなことじゃないの。お祝いするべきことなんだよ?だから、みんなにもお祝いしてもらおう?ね?せっかく大人になったんだから」
そう言いながら、私の頬を優しく撫でる母の笑顔が忘れられない。
それを機に、私は母に逆らうことを諦めた。
私は、徹していればいいのだ。母が自己を確立する為の装置として。
こみつ、というコンテンツと化していればいいのだ。
ふと、ベッドのヘッドボードに置いてあるぬいぐるみが目に付いた。
記憶にある限りで、最古の誕生日プレゼント。色々な服に着せ替えができる、可愛いうさぎのぬいぐるみ。
そう、私はあれと一緒だ。私があのぬいぐるみの服をたまに着せ変えて楽しむのと同じことだ。自我を持たないぬいぐるみが、私の趣味を何も言わずに受け入れるように、私も黙って母の言う事を聞いていればいいのだ。
と、その時、
——―コン、コン
不意に、ノックの音と、
「綾、入ってもいい?」
という、母の声がした。
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