闇色からオレンジ

桐中 いつり

第1話 闇色からオレンジ(1)

三十代の頃、預かり屋という仕事をしていたことがある。文字通りモノを預かる仕事だった。ただし、まっとうなモノじゃない。いわくつきのお金、違法薬物、小型武器、機密文書……。


これらは当時、彼氏だと思っていた雅也まさやが運んで来た。

 

雅也とは通勤途中のコンビニで知り合った。何度も遭遇するようになって、声をかけられた。


背が高くて爽やかな印象。三つ年下で明るくて笑顔が素敵な人。


私の本業は派遣で、アイスの箱詰めや検品をしていた。毎日、工場とアパートを往復する面白くもない日々。アイスが好きなわけじゃない。町外れの工場の、冷凍室の作業は人気がないから。私みたいな取り柄のない人間には敬遠される仕事しか残っていなかった。


そんな日常に差し込んできたキラキラするもの。それが雅也だった。

私は夢中になった。

雅也の仕事は大手WEB系企業のSEだった。副業でモノを預かる仕事をしていて、雅也が預かれない時に持っていてもらえないかと頼まれたのが最初だった。

 

一ヶ月に一、二度、フラっとやって来て「これ、預かってくれない?」と、ニコニコしながら品物を差し出す。預けに来た日は夕食を共にして泊まって帰り、二、三日すると引き取りに来る。

「ありがとう。愛理あいりのおかげで僕の仕事は順調だよ」


あの時、私に感謝してくれる人は雅也しかいなかった。嬉しい。もっと喜ばせたい。あの笑顔がもう一度見たい。そんな理由で問いただすこともせずに言われるまま預かり続けた。


ある日、玄関ドアを開けると黒いスーツを着た見上げるほどの大男が立っていた。

「あんたが預かり屋?」

サングラスの奥の瞳が、こいつで大丈夫なのかと訝しんでいる。そんな名前で呼ばれたことのなかった私は思わず「え?」と聞き返した。


大男は、チッと舌打ちすると「遠藤雅也を知ってるか?」と質問を変えた。イラついているようだった。

「もちろん、知ってます」

怖くなった私は雅也の名前にすがるように力強く頷いた。大男はふっと肩の力を抜くと水色のスーツケースを部屋の中に上げた。

「預かってくれ。時期が来たら取りに来る」

大男が去ると私は急いで雅也に連絡した。

「ごめん。出張から帰ったら僕が取りに行くよ。だから何があっても守ってね。お土産買って帰るから」

いつもの可愛げたっぷりな調子で話すと、私がまだ話し足りないにもかかわらず電話は切れた。かけ直してもつながることはなかった。


いつも三日以内には取りに来るのに、今回は一週間も来なかった。スーツケースの中身が何なのか、開けなくてもわかった。だんだん臭いが強くなってきて、隙間から液体が滲み出てくるから床に新聞紙を敷いて、ゴミ袋を何枚も被せて消臭剤を置いて、もう我慢できないと思った頃に、やっと取りに来た。


真冬だったから良かったものの、夏場ならアパートの住人に通報されていたかもしれない。さすがにやめたいと思った。こんな犯罪めいたこと。いや、れっきとした犯罪だ。雅也も一緒にやめればいい。


「さっきから何を言ってんだよ」

雅也は怒って私を殴った。予想外だった。怖くなって泣いて謝った。

「あっ、ごめん。僕の方こそごめんね。酷いことをして。愛理がいなくなったら僕はやっていけないよ。やめるなんて言わないで。お願い。ほら、報酬」

普段は一万円なのに、この時は三万円を渡された。優しい雅也に戻っていた。

「今日はプレゼントを持ってきたんだ。いつもお世話になっているお礼」

ラベンダー色のバッグだった。雅也は私に似合う色は紫だと言って、時々、紫色の小物を贈ってくれる。それまで私は自分に似合う色がわからなかったから、いつも黒を身につけていた。


その後、殴られることはなかったが、怒らせたら雅也が私から離れていってしまうと思うと不安だった。


私がいなければやっていけないと言ってくれたじゃない。あの人には私が必要なんだから頑張らなきゃ。


この思考が良くないと気づいたのはだいぶ後だった。 


共依存に陥っていた。

雅也は誰かに頼らなければ預かり屋ができない。私は誰かに頼ってもらうのが嬉しい。その誰かが好きな人なら尚更だ。


たとえ犯罪でも期待に応えることができれば感謝される。役に立っている。だから付き合ってもらえる。


雅也を手放したくなかった。


 

 



 

 

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