今日の滅び

くろかわ

ふっ

「はい、というわけで次の話!」

 そうして灯火がまた一つ吹き消され、部屋は次第に闇と一体化していく。和室の畳を怪しく照らし揺らめく蝋燭の炎が、僅かな煙と油臭さを残して消された。


 部屋は大広間ではあるが飾り気や床の間などない簡素な和室そのもので、夜の深い時刻にもかかわらず布団などは一切敷かれていない。

 そこに居る面々に共通点は見当たらない。弱冠程度の女性から中老を越えた男性、中にはまだ高校生のような少年さえ車座になっている。


 深山に佇む旅館の一室には、怪談好きが昂じて噺を蒐集している者たちが集まっている。

 そんな中開催されているのは勿論、百物語だ。めいめいが話を一つ終える毎に蝋燭を吹き消して、百本の灯りが消えた時に起こる怪異を期待する。一種の祭りであり、祈りであり、そして祈りであるということは呪いでもある。

 怪異が来ると言い伝えられ、祀り祝ぎ形よあれと呼び出すもの。


「でもそれ、本当なんすか?」

 参加者の一人が問う。疑問の声を上げたのは若い男性のようだが、ほとんど真っ暗闇になってしまった部屋の中では誰が誰だかもう解らない。

「前にやった時は、話の長いやつがいてね。九十話くらい話したところで朝ごはんに呼ばれたよ」

 応えるのは問うた男性の倍ほどの齢を重ねた、同じく男性だろうか。

 くすりと笑い声が、残り少ない蝋燭を揺らした。誰が声を上げ、誰が吐息を吐いたのかも曖昧だ。

 もやもやとした暗がりの中ではっきりとしたものは何もない。


「おばけなんているわけないじゃない。実話怪談なんて、詠み人が誰だかわからないからこそ盛りに盛った話をしても許される、そんなジャンルよ?」

「身も蓋もないねぇ」

「ま、あともうちょいだ。やっちまいましょ。これでさっきのみたいに夜が開けたらそれこそ笑い話になっちまう」

 そうね、そうだね、よーし、など同意の声が幾つもあがる。

 声だけが谺する。

 世界は闇に閉ざされている。


 確かなものは蝋燭に灯っている炎だけ。



「それじゃ、次オレがいきます。これは友達が友達から聞いた話なんだけど、」

「フレンドオブフレンドってやつだね」

「アが抜けてますよ」

「はいはい、話の腰を折らないの」


「これは友達が友達から聞いた話なんだけど、とある山のトンネルに、近隣のタクシーは絶対行ってくれないってのがあって。それは何故かというと、電話ボックス……今どき電話ボックスだよ? があって、それでそこに女がいっつもいるんだって。冬だろうと構わず真っ白なワンピース着てて、人が来るのを待ってるんだって。でね、友達は全然知らずにタクシーの運転手に『このトンネル抜けて隣の県までできるだけ早く行ってください』って頼んだんだって。そしたら運転手がすっごい嫌な顔したんだ。直前まですっごく人当たりのいい人で、運転も安全第一って感じで安心して乗ってられたらしい。ルートの指示も全部はいはいって聞いてくれてたのよ。でも、そのトンネル抜けてって言った瞬間、急に危ないから迂回したいって大声で言い返してきたんだって。で、どうにか運転手はその道を頑なに通らないルートを提案するんだけど、友達の友達としてはそんなこと知ったことじゃないわけ。だから、怒って早くしろーって喧嘩になっちゃったのよ。しかも、そのトンネルに向かう山の中。最悪でしょ。でも、運転手さんいい人でさ。料金いらないからってほっぽり出さずにトンネルに向かってくれたのよ」


「結局行ったんだ」

「そうそう。で、例のトンネル近くの電話ボックスが見えてきた辺りで変な音がするの。じりりりりーって」

「もしかして、電話ボックス鳴った?」

「正解。有名なやつだし、知ってたか」

「一応最後まで話してよ。結構人によって話変わってたりするからさ」

「はーい。でね、友達の友達はびっくりするんだけど、運転手さんはアクセル踏んでさっさと駆け抜けちゃうわけ。なんかすっごい運転の荒い人だなーって思ったらしい。で、結局そのまま通り過ぎて、朝日が出る頃には目的地に着いたんだって」

「終わり?」

「もうちょい続く。でね、友達の友達も、運転手さんが怒ってアクセルベタ踏みの運転したのかなって思ったらしい。夜も遅かったし、悪いことしたかもなーって。だから、運転手さんに謝ったんだって。夜中は遅くまで山の中付き合わせてごめんなさいって。そしたら運転手さん顔真っ青でさ。そろそろオチバレしそう」

「してるしてる。でも話し始めたのは君だから、最後まで喋らないと」

「はいはい。で、どうしたんですかって友達の友達が聞いたら、運転手さんがこういうわけですよ。『電話ボックスの音が聞こえてから、ブレーキが利かなかった』って」

「全然女の人出て来ないじゃん」

「伏線なのか横道なのかわかんないよねー」

「でもほら、怪談ってそういうの多いでしょう?」

「しかしノーブレーキでよく山道走れたなぁ」



「じゃあ次、私の話。怪談かどうかは微妙かもしれないけど、変な話ってことで許してね」

「どんなやつ?」

「建物に騙されるっていうか、化かされる話なんだけど……」

「まぁ良いんじゃない? さっきなんて狐に化かされた話もあったし、今更でしょ」

「じゃあこれで。その建物、日本じゃないらしいんだけど、立入禁止になってからわざわざ植林までして、周りからの視界を遮ったんだって」

「なんで」

「なんか、見ると入り込みたくなるらしいの。じゃあどうやって植林したのよって突っ込みたくなるわよね」

「入りたくなる? どういうこと?」

「そのまんまの意味。どうしても建物に入って、そこで暮らしたくなるんだって。すっごいボロボロの低いビルで、いい加減取り壊そうとした時に発覚した『怪異』なの。取り壊し業者が全員そこに住み始めちゃって、土地の権利者が訴訟起こしたら、なんとその取り壊し業者の会社が土地ごと全部買い取って、従業員全員でそのボロビルの中で暮らし始めたんだって」

「なんだそりゃ」

「でね、その先も変なの」

「聞かせて聞かせて」

「一ヶ月もしないうちに、解体業者が全員行方不明になっちゃったんだって」

「うわ」

「それで、今度は捜索に入った警官のグループも、仕事辞めて住み着き始めて。もうその連鎖が三回くらい続いたんだって」

「移住、失踪、捜索のワルツってやつか」

「何その言い方。まぁそのワルツが続いちゃったから、元権利者……そのボロいビルの周りだけ土地持ってる人が気味悪がって、木を植えて人目から離したんだって。でも、その植林中にも何人も失踪者が出たんだってさ。だけどもう探すのも怖くて、行方不明扱いのままなんだって。はい、」


 おしまい、と言って北風の如き一吹きで蝋燭の炎が消される。



 怪談、奇談、時折交わる雑談に、夜話は尽きない。

 ひとつ、またひとつと灯火が消える。世界が狭まる。

 黒が濃くなり、虚空に押されて座が次第に小さく窄まっていく。


「じゃあ、最後。ベタなやつを一つ」

 最後の蝋燭を前に、誰かが口を開いた。

「世界五分前仮説。多分みんな知ってると思うし、怪談ともちょっと違うけど」

「SCPみたいな話もあったし、良いんじゃない?」

「この世界は五分前に出来上がって、全ての過去は非実在かもしれないって思想」

「それ、怪談?」

「でも怖くない? 今まで喋ってた怪談も、実は実際に聞いてたんじゃなくて、世界にはこの五分前、もっと酷ければ『ベタなやつ』って言った瞬間からしか存在してなくて、今までの歴史も話も人生も全部、今この瞬間組み上がったかもしれないって話。過去Aがあるから現在A'が存在している。でもその結果であるA'だけがいきなり存在し始めたこと、過去Aが必ず存在していたことを証明できない。反証もできないけど。つまり、とってもあやふやな世界の認識もできる」

「怖いっていうより、嫌な話だな」

「じゃあさっき誰かが言ってた『百物語の途中で朝になった話』も存在しなかった、そういうこと?」

「かも。証明できない。反証できない。最悪だよね」

「事実ならね」

「ちゃぶ台返しみたいな話でしょ。前提を全部ひっくり返すような与太話」

「まぁほら、怪談ってそういうものだから」


 それもそうか、と誰となく納得し、それじゃあ、と誰となく言い出して。



 ──ふっ──



 蝋燭の炎が消えた。

 そして、世界のすべては深い深い闇に包まれることなく、虚空にすっと消えた。

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