【カクヨムコン8】不器用な私たち
Aoioto
第1話 「リアルでは初めまして」
祖父が散歩に出たきり、帰ってこない。
窓を見ながら「どうしたのかしらねぇ……」と、祖母は心配そうに息を吐いた。
窓の外は、もう真っ暗だ。
スマホは持ってると思うけど……明かりのつけ方、知ってるのかな。
これまでにも、朝から夕方まで帰ってこないことは、たまにあった。
散歩の途中で知り合いとばったり出会ったら、たっぷり話し込んだ後に昼食までとってくることもあるし、シ○バー人材センターの仕事をしに行ってる時もある。
他にも、迷子の子どもの面倒を見てたり、重たい荷物を代わりに持ってあげたりして、帰りが遅くなることがある。
でも、夕ご飯までには必ず帰ってきてた。
うちは19時には食べ始めてるから、大体18時30分には、帰ってきてたかな。
それなのに、もうすぐで21時だ。
最初は私も祖母も「ちょっと寄り道してるだけ、知り合いに引き止められてるだけだ」って思ってたけど、いくらなんでも遅すぎる。
「何かあったのかしら」
祖母の呟きに答えるようにして、電話が鳴った。
すぐに「もしもし」と祖母が受話器を取る。
こんな時間に、誰だろう?
急用がない限りは、夕方にしか電話はかかってこないのに。
っていうか、固定電話が鳴ること自体が珍しい。
普段、祖父母はスマホで知り合いと電話してるし。
私には友だちなんていないし。
学校? いやいや、働き方改革で夕方までしか電話できないじゃん。
固唾を飲む。
どうにも嫌な予感がする。
「分かりました。すぐに参ります」
深刻な声色で、祖母は受話器を置いた。
「どうしたの?」
「……おじいちゃんがね、倒れたらしいの」
遠慮がちに、祖母が言った。
え?
頭が真っ白になる。
「なん、で」
畳に視線を落とす。
祖父が倒れたって、どういうこと?
今日も、あんなに元気だったじゃん。
いつも通りだったじゃん。
5時に起きて、
コップ1杯の水を飲んで、
ラジオ体操をして、
納豆かけご飯を食べて、
「行ってきます」って、私に笑いかけてくれたじゃん。
なら、「ただいま」って、いつも通りに帰って来てくれるんじゃないの?
布の擦れる音がして、はっと視線を上げる。
祖母が、余所行きの服に着替えていた。
「
もう遅いから、先に夕飯を食べていてね」
何も言えずに突っ立ってると、祖母は「きっと大丈夫だから」と私の頭を撫でた。
祖母の手が、少し震えてる。
祖父は頑丈な人だ。
風邪なんか1度も引いたことないって、隙あらば自慢するくらいに。
実際、祖父が体調を崩したところを見たことがない。
祖母も「先に死ぬのは、きっと私ね」と、よく言ってた。
寂しい思いをしなくて済むわ……とも。
絶対に折れない大きな木のような祖父が倒れたんだから、祖母も心配でたまらないに決まってる。
「行ってくるわね」
歪な微笑を浮かべ、祖母は家を出た。
「あっ――」
後を追いかけようとして、思わず手を伸ばす。
だけど、脚が動かなかった。
私には、お見舞いに行く資格がない。
祖父が倒れた原因は、きっと私だ。
私を養うために、無理して働いてくれてたから。
ちゃんと回復したって、私がここにいる限りまた無理をさせてしまう。
今度は、倒れるだけじゃ済まないかもしれない。
祖父も来年で70歳を迎える。
いくら元気だったとしても、老いには抗えない。
今日倒れたのも、身体が弱ってきてる証拠だ。
病室にいる祖父の姿を想像して、涙が滲む。
祖父は、ラジオ体操が大好きだ。
散歩も好きだし、最近は動画を見ながらダンスの練習も始めていた。
満足に身体を動かせなくなったら、祖父は楽しみの大半を失ってしまうことになる。
私が祖父の幸せを奪うなんて。
そんなの、嫌。
幼い頃、一緒にラジオ体操してた記憶が蘇る。
喜色満面な祖父の笑顔、自身に満ち溢れた姿勢から伝わる誇り。
そのどれもが、私の憧れだ。
絶対に、奪っちゃいけない。
迷惑を掛けるだけなら、いなくなっちゃえばいい。
……私なんか、死んだ方がいい。
気づけば、バッグを持って家を飛び出していた。
幸いにもメイクはしてたし、バッグの中には財布とスマホがある。
これだけあれば十分だ。
祖母にバレないよう、病院とは真逆の方角に走る。
どこに行くかなんて決めてない。
ただ、家からは消えなくちゃいけなかった。
12月の夜風は突き刺すように冷たい。
心の隙間が、存在を主張し続けてきて、思わず涙が溢れる。
必死で抑えようとするのに、嗚咽が止まらない。
今にも立ち止まってしまいそうだ。
全部忘れて、家に帰りたい。
だけど、もう甘えちゃいけない。
引き返すわけには、いかない。
私が決意できたのは、これが初めてなんだ。
何度も死のうとしたけど、いつも実行できなかった。
そんな私が、ようやく家を出たんだ。
寒さで感覚のなくなった唇を噛み締める。
止まっちゃいけない。
走り続けるんだ。
じゃなきゃ、これから先もずっと2人に迷惑をかけて生きることになる。
それに、祖父は、もっと痛い中で頑張っていたんだ。
私なんかを養うために、
大学に行くお金を用意するために、
身体に鞭打って、働いてくれていたんだ。
寒さに負けないよう、震える脚を何度も叩いて、私は走り続けた。
--
隣町まで来たところで、ふと、祖母の顔が脳裏を掠めた。
肩で息をしながらスマホを開き、『数日だけ友達の家に泊まるね。心配しないで』と祖母にLIMEでメッセージを送る。
さっきも言ったけど、私には友達なんかいない。不登校だから。
だけど、これで少しは祖母の心配を取り除けたはず。
ここまで走ったのは、正解だったと思う。
ばったり祖母と出くわすことはなくなっただろうし、先生に会う確率も低い……っていうか、会ったとしてもお互い分からないよね。
数回しか顔を合わせたことないし。
同級生とは1度も会ってないから、心配しなくても大丈夫。
風が汗を乾かしていく。
走ったおかげか、寒いとは思わなかった。
むしろ、冬だってのに暑くて苦しい。
中学の体育で、たくさん走らされたことを思い出す。
長距離走だっけ。
あれに近い息苦しさがある。
身体は暑いのに、肺は凍りそうな感覚。
(どこかで休みたいな……)
辺りをきょろきょろと見渡す。
あ、すぐそこに公園がある。
誰もいないし、通報される可能性もなさそう。
公園に入って、ブランコに腰かける。
ふーっと長い息を吐いてみると、真っ白だった。
(これからどうしようかな)
このまま、すぐに死ぬつもりはないんだよね。
死ぬまでに色々考えたり、準備をしたい。
だから、そのあいだ泊まれる場所があればいいんだけど……。
顎に手を当てて、うーんと頭を悩ませる。
野宿は現実的じゃないし、
ネカフェで泊まろうにも、怖いイメージが定着してて行きづらい。
そうなってくると……やっぱり、王道のホテルになるのかな。
貯金もあるし、それでいいかも。
さっそく地図アプリを開いて、ホテルを検索する。
15分くらい歩いたところにあるっぽい。
ん? ホテルのマークが密集してる……なんでだろう。
あ、そうか。
あっち方面は建物が多いんだっけ。
なら、このホテルの客室が空いてなくても、他のホテルを探せばなんとかなりそう。
どんな感じのホテルか、見てみよう。
そう思ってホームページのURLに指を伸ばした時だった。
気づいた。
いや、気づいてしまった。
……未成年だけの宿泊は、同意書が必要になるんだ。
ため息を吐く。
寝泊りできればそれでいいのに、上手くいかないな。
Witterを開いて、『困ったな』と呟く。
これに深い意味はない。
誰かの心配や、同情を待っているわけでもない。
ただ、呟きたかっただけ。
今の自分の気持ちを呟かないと気が済まない、いわゆるウィ廃だから。
『シオ、大丈夫?』
ユージさんからメッセージが来て、思わず目を見開く。
この時間、彼はまだ仕事をしているはずだ。
珍しい。
たまたま早く終わったのかな?
顔が綻ぶ。
普段から期待しないようにしてる分、こうして誰かから――特に、唯一仲のいい人から心配されると、心がじんわりと温かくなる。
(既読つけたし、返信しよっと)
かじかんだ指を動かす。
内容は決まっていた。
「大丈夫だよ」の一言でいい。
必要以上に、心配をかけたくない。
……あ、そういえば。
ふと思い立って入力を取り消す。
ユージさんって、かなり近いところに住んでるんじゃなかったっけ。
もしそうなら、合流できるかもしれない。
鼓動が高鳴る。
彼と一緒に死にたい。
だって、それはきっと、すごく幸せなことだから。
その思いをぶつけるように、再び画面に指を滑らせてメッセージを送った。
『分かった、すぐに向かうよ。今どこにいる?』
返事はすぐに来た。
---
……ようやく、死ねるんだ。
待ち合わせ場所の銅像の前で、深呼吸を繰り返す。
浮かれた姿を見られるのは恥ずかしい。
子どもっぽいって思われたくないし。
なるべく、冷静な雰囲気を装いたい。
「シオ……?」
遠慮がちに、見知らぬ男性が声を掛けてくる。
私のことをその名前で呼ぶのは、彼しかいない。
「うん。
小さく手を振って応じる。
緊張を悟られないように、笑顔は欠かさない。
「ん、初めまして」
煙草のにおいのするコートに、真っ暗な瞳……想像してた通りのユージさんだ。
ネットで知り合った人と会うのは初めてだし、いざ会ってみて想像と違ったらどうしようって、ちょっと不安だったけど……大丈夫そう。
声もイメージ通り。
あ、でも1つだけ予想外だったことがあるかも。
それは――
「顔が良い」
「え、あぁ……え?!」
しまった、思わず心の声が。
ユージさんは恥ずかしそうに咳払いした後、真面目な顔をした。
いや、作った。
「それで、今から死ぬの?」
少し緊張を帯びた声。
だけど、喜びも混じってる。
彼も、私と同じように死を望んでるんだ。
知ってたことだけど、こうして改めて実感できて嬉しいな。
私だって、本当は今すぐ死にたい。
中学からずっと蓄積してきた気持ちは、とっくの昔に限界を超えてる。
でも、まだ駄目だ。
しなくちゃいけないことが、ある。
我慢してきた瞬間だからこそ、衝動的に死んじゃいけない。
幸せになるためにも、完璧に、その時を迎えなくちゃ。
「明後日に死のうと思ってる」
そう言うと、ユージさんの瞳の色がずーんと沈んだ。
だけど、さすがは大人。
あからさまに落胆した様子は見せない。
「分かった。それまでは、家に?」
「あー……えっと、家出したから、ホテルにでも泊まろうかなって」
その言葉を聞くと、ユージさんは少し眉を下げて「泊まる場所に困ったから、僕を呼んだのか」と笑った。
「それだけじゃないよ」
「あ、いや。別に怒ってないから。
どんな理由でも、シオに呼ばれて嬉しいよ」
ユージさんは、頬をぽりぽりと掻いた。
ころころ表情が変わって、面白いな。
でも、それだけじゃないのは本当なんだけどな。
やっぱ、こういうのは仲が良くても伝わらないか……。
だめだめ。
今はそんなことでうじうじしたくない。
切り替えよう。
「ユージさんって、何歳だっけ」
社会人だから大丈夫だろうけど、念のため年齢確認は欠かさない。
2人揃って同意書が必要――なんて最悪のオチは避けたいし。
「24だよ。社会人2年目」
胸をなでおろす。
よかった、ちゃんと大人だ。
7歳差か。
思ってたより離れてる。
てかこれ、ユージさん捕まらない?
私が弁解すれば大丈夫かな……でも、警察は話を聞いてくれなさそう。
あ、そもそもバレなきゃいいのか。
「とにかく、泊まるところに困ってるんだよね。ホテルの手続きだけすればいいのかな?」
「……あー」
どうしよう。
確かに、ユージさんに手続きだけお願いすれば、1人で落ち着ける。
祖父が倒れたり、たくさん走ったりで疲れてるから、ゆっくり休みたい気持ちはある。
でも、寂しいな。
今は1人でのんびりするより、誰かと……ユージさんと一緒にいたい。
「一緒にホテルに泊まるのは……だめ?」
「大丈夫だよ。シオが望むなら、僕もホテルに泊まる。変なことはしないから安心して」
変なことするかもなんて、全然思ってないし、疑ってもない。
初対面だけど、ネットでの交流は1年あるから、ちゃんと信用してるのに……。
ちょっぴり心外。
っていうか、どうせ死ぬんだし。
それまでに何かされたって、別にいい。
「ほんとにいいの?」
念のため、再確認。
頼まれたら断れないタイプだったら、申し訳ないし。
「勿論。そっちの方が、自殺の計画についても話しやすいからね」
「よかった。ユージさんが一緒だと心強い。
自殺の計画、一緒に考えよ」
「ああ、遠慮なくボディーガードに使って」
「うん」
心強いって、そういう意味じゃないんだけどな……。
確かに、男のユージさんがいれば変な人に絡まれる心配もなくなるんだけど。
それにしても。
たった1人の友達と初めて出会えて、
一緒に泊まって、
一緒に最期を迎えられるなんて。
最高だな。
でも、そうか。
最大の幸福は知らなくても、当たり前の幸せは常に享受してるんだよね。
私が苦しんでる間も、あいつらは誰かを
何食わぬ顔で、学校に行ってるんだ。
不平等な世の中だよ、本当に。
「シオ?」
ユージさんが顔を覗き込んでくる。
考え事をしてるうちに、ぼーっとしてたみたい。
「早く行こ」
彼の手を引っ張る。
「ちょ、待って。ホテルの場所、分かるの?」
「もう調べてある!」
待ち合わせ場所について話している時には、とっくに調べ終わっていた。
道順も覚えたし、電話をかけて部屋が空いてるかも確認した。
「やっぱり、シオは凄いな……」
後ろでぽつり、ユージさんが呟いた気がした。
--
彼が受付けで手続きをしている間に、スマホを開く。
予想通り、祖母から不在着信が来ていた。
やっぱり、メッセージだけじゃ心配かけちゃうか。
友だちの家に泊まったことないし、もしかしたら嘘だってバレてるのかもしれない。
祖父母の連絡先をブロックする。
お世話になった2人だ。
本当は返信したいに決まってる。
だけど、これが私なりのけじめだ。
不安はない。
後悔も、多分ない。
「お待たせ。鍵、貰ったよ」
「ありがとう、ユージさん」
微笑を浮かべる。
ユージさんが居てくれるなら、大丈夫。
死ぬ恐怖より、死ねる喜びの方が、溢れてくるから。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
次回
第2話 「いつもと違う柔らかいベッド」
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