第17話

「本題……ですか?」


 2人の間の共通で、耕太に聞かせられない話……というと、一つしかない。


「茜……のことですよね?」

「イエス、話が早くて助かります」

 

 どうぞ、と瑞貴に煎餅を勧めてくる琴葉。

 瑞貴がやんわりと断ると、琴葉は少し残念そうな顔をする。


「あの赤マント……茜さんのことですが。彼女は、ボクの知る赤マントとは随分違います」


 それは、ダストワールドで琴葉が言っていたことだ。

 だが瑞貴はそれは、茜が人殺しをするような赤マントとは違う……という意味だと思っていた。


「違いすぎる……というのが正直な感想です。匂いは確かに赤マントです。実際会って、それは確信しました」

「はい、僕も茜が赤マントを着てるのは見たことありますし……自分で赤マントって言ってました」


 それを聞いて琴葉は、あの教室でした時のように腕を組み、天井を見上げる。


「……遠竹君。赤マントがどういうものか、知っていますか? 茜さん以外で、です」

「いえ。危ないモノだってことと……茜が知っている限りではもう一人居るってことを、茜から聞いたくらいです」


 隠す事でもないので、瑞貴は正直に答える。

 茜は、自分を特殊な赤マントだと言っていた。

 つまり、瑞貴は本来の赤マントがどういうものかを知らないのだ。


「彼女に会った時、貴方はどんな事を思いました?」


 彼女……つまり茜に、瑞貴が会った時。

 言われて瑞貴は思い出す。

 それはまだ、昨日の事。

 無音の教室。

 瑞貴の隣の席に座る、赤に染まった姿。

 瑞貴は、あの時茜から目が離せなかった。

 それは、茜が……。


 自分の記憶を手繰る瑞貴の額を、琴葉が指でつついて引き戻す。


「いや、もう充分です。分かりました」

「え?」

 

 まだ何も話してないのに、と疑問符を浮かべる瑞貴の心を見透かしたかのように、琴葉は溜息をつく。


「顔を見れば分かります。もう充分です」


 そんなに分かりやすい人間なんだろうか、と自己嫌悪に陥る瑞貴をそのままに琴葉は真剣な顔で姿勢を正す。


「……遠竹君。結論から言えば、貴方はとても危うい状況にいます」


 琴葉の言葉に、瑞貴はあまり衝撃を受けなかった。

 特殊とはいえ、相手は危険な赤マント。

 その危険性を分かってないのか、と言われれば答えはノーだ。

 分かっていて、瑞貴は茜と一緒にいる。


「言いたい事は分かります。でも僕は、茜が赤マントだと知った上で一緒にいます。それは教室でもお話したと思いますが」

「ノー、ボクが言いたいのは、そんな精神論じゃありません。もっと簡単な問題です」


 琴葉は座椅子に座り直し、瑞貴の瞳を見つめる。

 その金色の目は、まるで心の奥まで見透かすかのように綺麗で……瑞貴は、自分の心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。


「遠竹君……貴方は間違いなく、茜さんに殺されるでしょう」


 確信を込めた口調で、琴葉は予言する。


 でも、それは無い……と瑞貴は思う。

 茜は、瑞貴を殺さないはずだ。


「赤マントは方向性の無い殺意です。近づく者も、遠ざかる者も全て殺します。人間でも、ボク達のような特異な存在でも、あるいは同族であろうとも」

「……そうすると、ますます茜には当てはまりませんね」


 聞けば聞く程、茜は瑞貴の中の赤マントのイメージから遠ざかる。

 なのにどうして、琴葉がこんな事を言うのかが瑞貴には分からない。


「ノー。たった一つの理由を用意すれば、答えが見えてきます」


 琴葉は、揺らがない瞳で瑞貴を見つめる。

 その勢いに、瑞貴は飲まれそうになって。

 唾を、ごくりと飲み込む。


「茜さんの方向性は、遠竹君1人に向いています。本来あらゆる方向に向けられるべき殺意の、その全てが。茜さんの遠竹君への執着ぶりからして、それは間違いありません。その危険性を、理解していますか?」

「……何かあれば、僕が殺されるってことを言いたいんですよね」


 琴葉は頷くと、瑞貴の反応を確かめるように押し黙る。

 ……でも。

 それでも、瑞貴は茜を疑わない。

 昨日の夜に見た、茜の顔を。

 あの悲しそうな顔を、覚えているから。


 琴葉の危惧は、心の底からのものだ。

 殺意と融合した恋。

 あるいは、殺意を包む恋。

 それが茜の瑞貴への執着を生んでいるのは間違いない。

 そんな例など見た事は無いが、人と深く関わってきたこっくりさんであるからこそ、分かる事もある。

 それはつまり、恋と殺意は同居できるということ。

 殺意から恋へ。

 恋から殺意へ。

 それは、いつでも変化しうる。

 そして、恋という理由を得た殺意がどれ程の惨劇を生むのか。

 そうなれば、被害は瑞貴一人では収まらない。


 だが、それでも。

 瑞貴は琴葉の視線を正面から受け止める。


「でも、茜は僕を殺したりなんてしません。茜は赤マントですけど、そんな連中とは違います」


 瑞貴が琴葉の顔を見ると、琴葉は物凄い苦笑いをしていた。


「……呆れました。つけるクスリがありませんね」

「す、すみません」


 思わず謝る瑞貴に、琴葉は溜息をつきながら首を横に振る。


「……まあ、ボクは別に茜さんから離れろとか、そういう事を言おうと思って呼んだんじゃありませんしね」

「……本当ですか?」


 瑞貴がそう聞くと、琴葉は唇の端を吊り上げて笑う。


「イエス、本当ですよ。遠竹君の覚悟がハンパなら、手におえるうちに遠竹君を使ってどうにかしちゃおうかなー、とは思いましたけど」


 冗談交じりではあったが、琴葉は本気だった。

 危険である事に変わりは無い。

 だが少しでも可能性があるのなら、この恋の行方がどうなるのか見てみたいと琴葉は思う。

 こっくりさんである琴葉を構成する探究心が、愚かで危険で、世にも珍しい恋の行方を知りたがっている。


「それにですね、遠竹君。茜さんの携帯ですけど、あれが普通のものでない事は分かりますか?」

「あ、はい。メリーさんだって聞いてますけど」

「なら、何処まで逃げても無駄ですね。メリーさんの追跡から逃げられる奴なんていませんから」


 厄介なコンビに目を付けられましたね、と笑う琴葉。

 実際、メリーさんは数ある怪異の中でも追跡の名手だ。

 スマホを含む携帯電話を持っているのはメリーさんが隣にいるのと同じ事だし、およそ文明の中に居る限りメリーさんの手の中も同じ。

 けれど、わざわざそんな事を話す必要もない。

 だから、瑞貴の鼻先を琴葉は指でツン、と突く。


「遠竹君、貴方は言うなれば封印です。貴方が生きている限り、彼女の方向性は遠竹君に固定されているはずです」

「死ぬな……ってことですよね」


 言われるまでもないと瑞貴は思う。

 瑞貴だって、死にたくなんかない。


「言われるまでもない……なんて思ってるなら大間違いですよ。ボク達を理解できてしまう今の貴方は、とても死にやすい。そして貴方が死ねば、茜さんは方向性を喪失する。この意味が、理解できますか?」


 つまり、茜を「赤マント」にしたくないなら。

 虐殺を、防ぎたいなら。

 何が何でも死ぬわけにはいかない、ということだ。

 死にたくないと死ぬわけにはいかない、では大きな違いがある。

 何の為に生きるのか。そういう明確な理由があるかどうかだ。


「はい。僕は……茜を守ります」


 だから、瑞貴はそう宣言する。

 そんな瑞貴を見て、琴葉は優しげな笑みを浮かべる。


「いい覚悟です。ですが遠竹君、覚悟では誰も守れませんよ。それは最強の盾を作り得ますが、それのみでは何も成し得ません」


 その通りだ、と瑞貴は思う。

 瑞貴には何の力も無い。

 茜も、瑞貴を通行人Aだと言っていた。

 でも、それじゃダメなんだと瑞貴は思う。

 もし、瑞貴が茜を守りたいと願うなら。

 茜を守ると誓うなら。

 きっと……それ以上の何かになる必要があるのだ。


「僕は……茜を守る何かに、なれますか?」


 たぶん、遠竹瑞貴はヒーローにはなれない。

 ヒーローになるには、きっと幾つもの条件と、数えきれない程の努力が必要で。

 瑞貴には、きっと届かない。

 でも、それでもいいと瑞貴は思う。


「ヒーローじゃなくたっていい。何処まで行っても、僕の役割は端役にしか過ぎないかもしれないんだと思います。でも、それでも。茜を守れる何かになれるなら、僕は」


 琴葉は、そんな瑞貴を満足気に見つめて。


「いい答えです、遠竹君。やっぱり貴方は、ボクの見込んだ通りの人です」


 そう、言ってくれた。

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