神は歯のない者にクルミを授ける

梅こぼれる

【序章】触らぬ神に祟りなし

 向かい合って座る2人の男がいる。片一方は白衣と白い肌に機械的な笑みが浮いて見えるような研究者の男。その胸には「木枯屍こがらしむくろ」と印字されたプレートが無感動にぶら下がっていた。向かいに座すもう片方は長く青黒い髪を床につかないよう腕で掬っている、快活な笑みの男。彼の胸には何も無い。

 屍という不吉な名を冠した研究員は談笑を切り上げると、手元のデジタルスクリーンに目を落とす。事務的なやり取りが始まる……というその合図に、向かいの男は頬を掻いた。

「では10時6分、検査を開始します。始めにNoと登録名を」

「……被験No.1-半月。海静かいしずか」

答えた男の本当の名はそれではない。しかしこの偉大な研究所の中で彼は半月、或いは静か、という奇妙で不似合いな呼び名を与えられていた。静かはチェックを跳ねる指先の動きを見守りながら椅子の背に体重を任せ、いつも通り、白い部屋の窮屈さに唇を閉じたまま続きを待つ。


「半月。他同シリーズのNoとかい以下の登録名を」

「No.2-湿しめり、3-にじ、4-既知きし、5-危難きなん。以上」

「半月。天使、又は神を信じますか?」

「んーと、信じてるけど信仰はしてない」

「我々が貴方に求めることは?」

「あんたらが投与した天使の体液を体内で保持し続けること。従順であること。あんたらの役に立てるレベルで強いこと」

「えぇ」


ツーという音にカーで返す。部屋を満たす響きは無機質で寂しいやり取りだ。屍は「精神安定性検査」とグレー文字が浮かび上がるスクリーンを目で辿り、およそ16回目になる質問を規則的に口にしていく。

「貴方の業務内容は?」

「施設周辺警備と海シリーズの……えーと、シリーズ内の規律調整。犯罪者との対抗」

下から上へレ点を跳ねる指が止まる。ふいと上げられた無言の目は、先ほどまで雑談に興じていた時のそれとは別人のようにしか見えなかった。一つ忘れている、とその目が指摘する。

「……。あぁ、不慮の事態における自害」

「速やかな自害です」

無機質な声で言い足すと、その指はまた下から上へ。


(どうせ俺らにその気がなくても、無理矢理自殺くせに……)


呆れを含んだ思考と共に静かは、指先でそっと自分の左腿を辿る。触感には何も感じないが、そこに埋め込まれた制御装置の存在を知る指には、影法師のように硬く冷たい機械の感覚が伝った。このちっぽけなものに自分の運命を左右されるという事実が、静かにとっては堪らなく不愉快だった。体内からこの機械をほじくり出せない以上、被験体達はいつでも「やむを得ない自死」を選ばされる。そしてその残酷な状況こそが、被験体達へ精神の安定性や記憶の混濁の有無を調べる検査が必要な所以だった。研究者達は、残酷ながらに丁寧な生き物だ。項垂れかけた首を静かが天井に向ければ、魚の目のようにぬらぬら光る黒い監視カメラと、いくつも目が合った。また、底冷えする白い部屋の空気にそっと混ぜるよう溜息を漏らす。


 「かい」と銘打たれた被験体たちは人並みを超えた力を与えられたモルモットで、当然ながらその管理は厳重だった。生活圏内に設けられた無数のカメラも、体に彫り込まれた識別タトゥーもその一環。体内の機械は電流によって動きを制限するためのものだ。

 自分の髪を指で梳きながら上の空を泳いだ。静かは、カメラの向こうに居るはずの1人の同胞へ小さくウィンクを送る。この部屋に時計は存在しないが、体の中でチクタクという音が響いて退屈な時間を数えている気がする。


「半月」


遠くへ行きかけた意識を呼び掛けが連れ戻す。惚けた静かの目を捉えた屍は、その目に僅かに今までと違う優しさの色を見せていた。

「もう少しですから」



 静かは質問に答えながら見つめる。指先が、下から上へ。

「お疲れ様でした」

規則に則った工程を終え少し明るめた声でそう告げると、屍は立ち上がる。最初の談笑と同様、穏やかで色の無い微笑みを浮かべてドアの鍵を外した。

「お疲れ様でしたぁ」

静かも同様に、語尾を緩ませて立ち上がる。ドアの横の屍は去り際の静かの姿を視線で捕まえて追う。廊下へ足を出したその一瞬に、時間の空白のような静寂が走り抜けた。


「……」


ぱっと振り返る。背に立つ男が何か囁いたように聞こえたからだ。長い髪が2人の間に伸びる距離の中で舞って、互いの顔を隠しながら沈んでいく。白衣に影を落としながら、屍は微笑んでいた。

 また少しの沈黙があった。先程の刹那のそれより、雑音の混じった時間だった。睨み据えるような目で何かを言いかけたまま静かは部屋を去った。残った1人の研究員は最早言葉も無く、笑みもどこかへ隠していた。


 今日は昼半月が美しい日だった。

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