第8話 愛と花祭りの祈り
「ノア……!あなた、何てことを……」
ノアは叩かれた衝撃で弾き飛ばされ、痛む頬を思わず手で押さえた。口の中には血の味が広がり、じわりと涙が滲んでくる。
「母さま……」
──やっぱり母さまは、ぼくを愛してはいなかったのか。
燃えるような頬の痛みと同時に押し寄せる悲しみに、声を上げて泣き出しそうになる。
しかし脳裏にリラの笑顔が浮かび、唇を噛んで必死に堪えた。
カーディナルは王の前に身を投げ出して土下座をし、震える声で続けた。
「陛下、この過ちの罰に関しましては、幾らでも私が受けます。この子には私が手ずから厳しく罰しますから、どうか、命だけは……」
「……済んだことに関しては取り戻しようがない。──それに今となっては、力を使えるお前の身の方が惜しい」
王は目も合わせず、気怠げに自分の髭を撫でる。
「より従順な誓いをと考え自らの子として産ませたが、無駄だったか。……こうなれば、血の繋がりの方が面倒だな。腐っても私の子だ──いずれクーデターの頭として担ぎ上げられる可能性もある」
「そんな……どうか命だけは……」
「まあ良い。今ルビー家に未契約の子もおらんし、幸いにも小娘はアレクの婚約者だ。上手く使うしかない」
話についていけないアレキサンダーだったが、突如呼ばれた自分の名前に姿勢を正す。
「アレクよ。あの小娘を必ず自分のものにして、血の契約を自らの力として使うが良い。ノワールも、そう心得ておくように」
ノアもアレクも訳がわからないまま、王の気迫に押されて返事をするしかなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
カーディナルはノアを引きずるようにして自室へと連れて行き、バタンと音を立てて扉を閉めた。
部屋中に厳重に『遮音〈ノイズカット〉』の魔法をかけると、突如ノアを抱きしめ、堰を切ったかのように泣き始めた。
「ノア……本当に、本当に良かった……。ああ、私の可愛いノア……」
そして、ノアの赤く腫れた頬にそっと触れる。
「ごめんね、痛かったでしょう……?王から直接厳罰が下るのを防ぐために、あの場では私がああするしかなかったの……」
体が宙に浮きそうなほどきつく抱きしめられたノアは、頬の痛みなど忘れてしまうほど、満たされた気持ちになっていた。
「母さま……ぼくが、憎くはなかったのですか。生まなければ良かったと……」
「いいえ!いいえ……ただ、私のせいであなたに辛い人生を歩ませてしまうのが、本当に苦しかった……。今まで、ちゃんと伝えらなくてごめんなさい……」
カーディナルは杖で暖炉に火を灯し、ノアを抱えたままロッキングチェアに腰掛ける。
そしてノアの頭を撫でながら、ルビー家はヴァンパイアの末裔のため血の契約が出来ること、それを今日アレキサンダーと結ぶ予定になっていたことを告げる。
「私は陛下と血の契約を結んでいるから、その強制力であなたに契約のことを話すことが出来なかった……。王家と契約しては必ず辛い思いをすることになるのに、それを止める術がなかったの……」
部屋にはカーディナルの穏やかな声と、暖炉の薪がはぜるパチパチという音だけが響いている。
「でも、ああ、神様、感謝いたします……。この子を、王家から守っていただいて……」
カーディナルがノアを抱きしめ、柔らかなブランケットに包む。ノアはどこか夢見心地で、母親の話を聞いていた。
「血の契約は、主人の血を口にすることで爆発的な魔力を得ることが出来る。そして、主人の傷を癒す事も出来るわ。主人の命令には決して逆らうことが出来ない、一生消えることの無い契約だけれど……」
カーディナルはそう言いながら、薔薇の紋章が刻まれたノアの右手を撫でる。
「アメジスト家のお嬢様なら、きっと大丈夫。あなたの嫌がる事を強いることはないでしょう。……サフランの娘だもの」
サフランは、リラの母親の名前だ。
カーディナルは、サフランと共に過ごした学生時代を思い出す。
いつも凛々しく身分を問わず公平で、生徒会長を務めていたサフラン。驚くことに全生徒の名前を記憶していた彼女の周りには、常に人が絶えなかった。
カーディナルは彼女と親しく過ごしながらも、友情を超えた尊敬の念を抱いていた。
「あなたは自分で良しとした主人を守るために、その力を使うことが出来るのね。戦争や、人殺しの道具ではなく──それは、とても幸せなことだわ」
ノアの頭に、リラの笑顔が浮かぶ。
弱りきった自分を励まし、絶対に幸せにすると約束して、初めての友達となってくれたリラ。
コロコロと変わる表情と温かい手のひらを思い出し、思わず微笑んでしまう。
何か隠していたように見えたのは、先見で見た未来を変えるため、王家とノアが契約を結ぶのを阻止しようとしていたからだろう。
血の契約の主人として、一生涯王家に狙われる危険を冒してまで。
彼女と契約を結ぶことになったが、自分の力を良いように利用されるとは微塵も思えなかった。
「母さま。ぼく、この力があって良かったです。王族や悪いものから、あの子を守ることができるのならば」
「ええ。あなたなら出来ますよ」
カーディナルは本当に愛おしいといった微笑みを浮かべ、ノアの額にキスをした。
ノアは母親が歌う子守唄に微睡みながら、母親が心から笑ったのは何年振りだろう……と考える。
もしノアが王族と契約を結んでいたならば、二度と笑顔を見ることは叶わなかったかもしれない。
リラは寂しかった自分の心だけでなく、母親の心まで救ってくれたのだ。
──ぼくはリラを守るため……そのために生まれてきたのかもしれない。
ノアは生まれて初めて、満たされた幸福な気持ちで眠りについたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
アメジスト家一向は王城を離れ、花祭りの行われている城下町を訪れていた。
リラの左手に現れた薔薇の紋章に、母サフランは気付いているようだが、何も訊ねては来なかった。
血の契約の存在は、王族とルビー家に近しいものしか知らないはずだが、友人だったカーディナルから聞いていたのだろうか。
父親は異様な雰囲気だった謁見について何か話したそうにしていたが(紋章には気付いていないらしい)、サフランの強い視線によって抑止されていた。
花祭りに賑わう城下町はたくさんの屋台や人に溢れ、甘い匂いや香ばしい匂いが混ざった、お祭り特有の香りが漂っている。
広場ではアコーディオンやバイオリンが演奏されているようで、音楽と子供達の歌声が聞こえてきた。
「お母さま、お父さま。私、王都の教会に寄ってみたいのですけれども……」
「なんと!リラが行きたいなら、もちろん寄ろうとも!我が娘ながら、本当に信心深くて感心してしまうなぁ……」
「あなたももっと、教会へ通うべきですのよ」
「め、面目ない……」
花祭りはもともと、ダイヤモンド神へ感謝を捧げる祭りだ。
祭りの主役となるマーガレットは神に連なる花で、咲き終わった後はダイヤモンドの原石となる。
聖書によると、神がこの世界を創った時、世界を覆うようにマーガレットの花が咲き乱れた。だからこそ、世界中どの土地でもダイヤが産出されるのだ。
この世界においてダイヤは神の石であると同時に、安価で庶民でも比較的手に入りやすい宝石でもある。
その他の宝石は、色属性の合う魔力を付与することで魔石に出来るが、無色透明なダイヤには魔力を付与することが出来ない。
そのため魔力補助としての利用価値はなく、装飾品やお守りとして低価格で流通しているのだ。
──このダイヤモンドに、いつか付与をしてみたいものです……。
リラは街中で光るダイヤに熱い視線を送りながら、そう考える。ダイヤへの魔力付与は、付与師達の長年の夢でもあった。
母親に手を引かれ、花の形をした綿菓子や熱々の串焼きなどを買ってもらいつつ、教会まで辿り着いた。
王都の教会はアメジスト領の教会とは比べ物にならないほど大きく、立派なゴシック建築だ。
美しい石造りの壁にはステンドグラスの窓が埋め込まれ、外から見てもキラキラと輝いている。
建物を囲むように並んだ大きな木には、マーガレットを象った白い陶器のオーナメントが飾り付けられており、周囲は礼拝に来た多くの人で賑わっていた。
中に入ると、白い衣装に身を包んだ聖歌隊の子供達が壇上で可愛らしい歌声を響かせている。
三人は入り口付近の長椅子に座り、目を閉じて祈りを始めた。ステンドグラスから光が差し込み、リラの組んだ手元を照らす。
──ダイヤさま、お祈りに参りました。今も、見守ってくださっていますか……?
リラが心の中で呟くと、間髪入れず頭の中に声が飛び込んできた。
「もちろんよ、リラちゃん!そして喜んで!新機能が実装されたわ!」
……リラは念のため目を開いて周囲の様子を確認し、声が外から聞こえたものではないことを確かめた。
冷静になるため一呼吸置いてから、心の中で唱える。
「……ダイヤさま、ですか?」
うふふっと嬉しそうに笑う神の声が聞こえる。
「サプライズ大成功、かしら?」
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