第7話 過去の罪への些細な裁き
「これは……?」
ノアは自分達を包み込む光に戸惑い、呟いた。
指先を確認すると、出血していた傷はきれいに治っている
「──良かった。よくわからないけれど、とりあえず傷は治ったみたいですね」
「ええと……ノアさまが治してくださったのでしょうか?ありがとうございます」
「ん?……なんでしょう、これ。リラ様の手にも」
ノアが自分の右手の甲を、不思議そうに見つめる。そこには赤い薔薇の紋が刻まれていた。
これこそが血の契約の印で、リラの左手にも同じように薔薇のマークが浮かんでいる。
──良かった。契約は成功したんだ。
リラはほっと胸を撫で下ろす。ノアには悪いが……ここまでほとんどリラの計画通り、なのだった。
ノアが血を口にするかは分の悪い賭けだったが……神聖力のない子どもが、傷を舐めて治そうとするのは多々あることなので、もしかしたら……と祈るような気持ちだった。
だがノアの反応を見ると、契約のことは知らずとも自らの持つ治癒力のことは知っていたようだ。
血の契約は、7歳になって一番最初に血を与えた者とのみ結ばれる。
これで、王家とノアの血の契約は阻止出来たのだ。
「あの、ノアさま、髪色が……」
「え?あれ?」
ノアは近くの水飲み場に駆け寄ると、水に映った自分の姿に声を上げる。
「黒くなってる……」
「……リラー!リラー?どこにいったのかしら……」
遠くから、数名でリラを探す声が聞こえる。
「……あの、とりあえず、一緒に行きませんか。王さまも後ほど来られるはずなので、何かわかるかもしれません」
「う、うん」
無言で手を繋いで歩き出すリラの顔を、ノアが覗き込んで尋ねる。
「……もしかしてリラさま、何か知ってます?」
リラは思わずギクリと体を固め、繋いだ手を強く握りしめてしまう。
我ながら、驚く素振りが下手だと思っていたのだ。リラは元来、嘘のつけない性格だった。
「……やっぱり。このことも先見の明で見たのですか?」
「あの……ええと、先見の明のこと、他の方には内緒にしていただけますか……」
「……わかりました。友だちですもんね」
しどろもどろになりながらはぐらかすリラを、ノアは仕方ないな、といった様子で笑った。
「いろいろと、ごめんなさい……」
「いいえ、何か話せない事情があるのでしょう。今は何も聞かないでおきますね」
「ありがとうございます……」
物分かりの良いノアに感謝しているうちに、二人はリラの両親の元にたどり着いた。
「リラ!遅かったじゃないか!……と、そちらの方は?」
「ノワール=ルビーと申します」
「まあ!ルビー家の?……もしかして、カーディナルの息子さん?」
「はい!母をご存じなのですか?」
「ええ、魔法学園で一緒で……」
その時、少し離れた所で待機していた執事が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ノワール様!?その髪色は……!?」
きょとんとするノアをよそに、執事はノアのスカーフとリラのワンピースに付着した血を見て、全てを察したようだった。
ノアの前に跪き、確かめるように右手の薔薇の紋章を見つめると、悟った声で言った。
「……こうなっては、陛下に直接ご覧いただくしかないでしょう。ご一緒に謁見室までお越しくださいませ」
執事は額から吹き出る冷や汗を拭き、おぼつかない足取りで一同を先導する。
ワンピースに着いた血に気付いた母に、怪我はノアが治してくれたことを説明し、心配する父をなだめるなどしながら、一同は王の待つ謁見室の前まで着いた。
その間、執事の顔色はどんどん悪くなっていった。
母は『浄化〈クリーン〉』でワンピースの血を落とすと、分厚い扉を軽くノックする。
「入れ」
短い言葉と共に、ドアが重厚な音を立てて開いた。
「黄金に輝く王国の宝石、国王陛下にお目にかかります」
母の言葉を先導に、一同が跪いて首を垂れる。
「よい、よい。アメジスト家よ、よくぞ参った」
王は真っ赤な椅子に腰掛け、たっぷりと蓄えた髭をゴツゴツとした手で撫でる。
僅かに赤みを帯びた金色の髪は剛毛でフサフサと長く、ライオンのような出立ちだ。
「──待て。そこに居るのはノワールか?」
「はい、陛下……」
「……これはどういうことだ?」
静かな口調の中に凄みが感じられ、空間に一段と緊張が走る。
執事が慌てて駆け寄り王に耳打ちをするが、今にも死んでしまいそうなほど顔面が蒼白だ。血の契約がすでに行われてしまったとなれば、相当まずい事態なのだろう。
──私のせいで、損な役回りを……本当にごめんなさい……。
と、リラは心の中で執事に陳謝する。
王は執事の話を聞き終わると額に手を当てしばらく考え込み、大きなため息をついた。
「……なるほど。ノワールは後ほどここに残れ」
「……はい、陛下」
「して、娘。名をなんと言う」
「ライラック=アメジストと申します」
「ライラックか。……今日は息子との顔合わせの日だったな」
王が手を前にこまねくと、王子が駆け寄ってきた。
王の存在感に隠れて気が付かなかったが、ずっと側に控えていたらしい。
王子は王の真似だろうか、直毛のブロンズの襟足を青いリボンによって束ねているが、長さが足りず小動物のしっぽのように可愛らしい印象になっている。
エメラルドグリーンの瞳は角度によって紫にも見える、不思議な色をしている。その目は一心に父親を見つめ、誇らしげにキラキラと輝いていた。
「我が息子のアレキサンダーだ。よろしく頼むぞ」
アレキサンダーはリラに歩み寄り、ずいと手を出した。
「よろしく頼むぞ!」
リラの頭に、アレキサンダーによって婚約破棄された日の記憶が蘇る。
・・・・・・・・・・・・・・・
時は魔法学園主催のデビュタント・ボール。この世界で成人として社交界デビューする、重要な催しだ。
本来ならばリラは婚約者であるアレキサンダーにエスコートされるはずなのだが、一人で入場してきた姿に会場がざわめく。
リラはアメジスト色の長い髪をふわりふわりとなびかせ、静かに、しかし圧倒的存在感を持って歩を進めた。
普段控えめな化粧が今日はしっかりと施され、星空のように輝く大きな目や、小さな形良い唇を際立たせている。
白磁器のように透き通る肌を、精巧な刺繍が施された薄青色のドレスが彩っていた。
その壊れそうなほど繊細で美しい姿は、煌びやかな会場の中でぽかりと浮くほどに現実離れしており、まるで観賞用のビスクドールのようだった。
遠巻きに眺めていた男性陣が声をかけようと集まってきた瞬間、勢いよくホールのドアが開けられる。
「ライラック=アメジスト!お前を婚約破棄する!」
会場中に響き渡る声で宣言したアレキサンダーの横には、真っ赤なドレスを着たサクラが、腕を組んで立っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
その後、した覚えの無いサクラへの嫌がらせを自慢げに羅列されて、そのまま公衆の面前で婚約破棄となったのでしたね……とリラは思い返す。
雨の日も風の日も、熱を出して寝込んだ日も、王妃教育に明け暮れた日々……。
完璧を求められ、幼い頃から国の歴史や要人の情報、魔法術などをスパルタで叩き込まれた苦労も、あの日全て打ち砕かれた。
目の前には目をキラキラとさせて手を差し伸べる幼い王子がいるが、どうしても前回までのアレキサンダーがチラついてしまう。
「罪は裁かれなければなりません。ですが、人は許しなさい。……それが神の教えです」
物心ついた頃から母に言い聞かされてきた言葉が脳裏に浮かび、リラは柔らかく微笑んでアレキサンダーの手を取る。
──そして、渾身の力を込めて(少し魔力で増強し)握り締めた。
「いっ……!?」
「よろしくお願いいたします、殿下」
リラはそのまま何事もないかのようにニッコリと微笑んだ。
──これは罪への裁きです、殿下……。これでもう、前回までのことは水に流しましょう。
「あら……少々強かったでしょうか。あまり力は込めていないのですが……」
「そ、そんなことはないぞ」
小声で困ったように呟くと、アレキサンダーは額に汗を浮かべながら、力を込めて握り返す。女子に握力で負けたと思われたくないのか、顔を赤くして痛みをこらえている。
「では、下がってよろしい。また顔を見せるが良いぞ」
「ははっ」
こうして、緊張の謁見は無事に終わったのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・
アメジスト家が退室した後、ノアは王とアレキサンダーの後ろに続き、王城の廊下を歩いていた。
王が突き当たりの壁を杖で数カ所叩き小声で何か呟くと、壁が消失して階段が現れた。
「こんな所があったなんて!この先は初めてです、父上!」
目を輝かせるアレキサンダーの言葉にも応えず、王はそのまま階段を下り始める。
どこからか水の滴る音が聞こえる以外、自分達が発する足音さえも響かない、不気味な静寂が続いている。
やがて階段が終わり、歩みと共に光が灯る石造りの廊下を進むと、王は古い木造の扉の前で立ち止まった。
魔法がない時代の扉なのだろうか、王は懐から真鍮の鍵を取り出して鍵穴に差し込む。
ドアが開くと、中には真っ赤な髪を持つノアの母親、カーディナルが待っていた。
部屋はカビ臭く、薄汚れた羊皮紙や怪しげな実験道具で溢れており、床には赤黒いインクで魔法陣が描かれている。
カーディナルが振り向くと、ノアの真っ黒な髪色に気が付き、悲鳴をあげながら駆け寄ってきた。
「ノア!?その髪色……もしや既に儀式が行われたのですか!?」
直後、焦った様子で「黄金に輝く王国の宝石、国王殿下にお目にかかります」と付け足してお辞儀をした。
王は年代物のソファにドサリと腰掛けてため息を吐くと、「経緯はヨハンに聞け」と呟いて目を閉じる。
ヨハンと呼ばれた執事は幾分か落ち着きを取り戻した様子で、リラとノアとの間で血の契約が結ばれたことを説明した。
経緯を聞くうちに、カーディナルの顔はみるみる赤くなり、震える手でノアの肩を掴んだ。
ヨハンが話し終えるか否か、大きく手を振るってノアの頬を叩いた。
「ノア……!あなた、なんてことを……」
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