第41話 餞別
浅葱色の髪を風に靡かせながら、見覚えのある五人の若者が離宮に向かって歩いてきている。そのうちの一人、ローラントが東屋の下で寄り添うように座る男女の姿を認めて、ぎょっとしたように立ち止まる。
あとの四人は不思議そうにローラントを見、ほぼ同時に彼の視線の先を見やる。そして向かう先を離宮から、東屋に変えたらしく、こちらに向かってくるようだ。エルナはさっとヴィルフリートから距離を取り、顔を拭ってから、背筋を伸ばす。
女王の子供たちと、ローラントが来る。人見知りのつもりはないが、ほぼ初対面の王族を四人も相手にする自信がない。挨拶をしたら、失礼のないように、どうにかこの場を去ろうと心に決め、来るべき時を待った。
「続きはまたあとで、だね」
ヴィルフリートがいたずらっぽい口調でそう言うので、エルナはさっと頬を朱に染めてから、顔を顰めた。
優雅な身のこなしで現れた水の国の王子と王女たちは、ヴィルフリートを囲むように立った。それぞれが手に荷物を抱え、ヴィルフリートとその隣で小さくなる少女を見つめていた。
「母上からの餞別は出発前に準備が整うようですが、私たちは今手渡しますよ」
緩やかな衣類を身に纏ったアルノルトが、最年長らしく、口火を切り、穏やかな微笑みを浮かべながら、抱くように持っていた分厚い皮張りの本を差し出した。ヴィルフリートは受け取る。ずしりと重いそれは、あらゆる水魔法を載せた貴重なものだった。
「あなたは勉強家ですからね。魔法にはあまり手を出さなかったようですが、今からでも遅くはないでしょう。きっと、魔法の鍛錬に役立ちますよ」
言外に勉強しろと言われ、ヴィルフリートは苦笑した。
「有難くいただきます」
本の上に載せるようにして、グレーゴールが一振りの剣を手渡す。柄に青い宝石が埋め込まれ、見るからに高価そうな代物だ。ヴィルフリートの腕に剣の重さも掛かり、わずかに沈んだ。
「これは水の国に伝わる宝剣のひとつだ。受け取れ。お前ほどの腕なら、きっと使いこなせる。水魔法との相性は抜群だ」
一見、不機嫌にも見える顔だが、浅葱色の双眸はかすかに揺らいでいた。
「ありがとうございます、兄上」
ヴィルフリートは熱い目線を、次兄に向ける。グレーゴールは何かを言い掛けたように口を開いたが、突然間に割り込んできた妹たちに阻まれ、言葉を飲み込んだ。
人魚の様なドレスに身を包むシルヴィアが彼女の顔を優に隠してしまうほどの、こんもりとふくらんだ乳白色の布袋を抱えていた。結び口には桃色のリボンが巻かれ、綺麗な蝶々結びが目を引く。ほのかに甘い香りが漂い、ついお茶の時間が恋しくなる。
「ヴィルフリートの好きだった焼き菓子ですわ。消えものなので残りませんが、日持ちはします。これを食べて、私たちを思い出してくださいね」
潤んだ瞳でヴィルフリートを見上げ、シルヴィアは剣の上に袋を乗せた。
「ありがとうございます。いただきます」
ヴィルフリートは優しく微笑んで、軽く頭を下げる。
「私はこれを」
シルヴィアの隣にいたテレーゼが、両手で摘まみ上げたのは大きな青い宝石の光る見事な首飾りだった。銀の細工は非常に繊細で、そこに大粒の宝石がはめ込まれている。テレーゼが頷くように顎を下げたので、ヴィルフリートは首を垂れた。そこに首飾りが掛けられる。テレーゼは肘を曲げ、両手を腰に当て、背筋を伸ばしたヴィルフリートを見て満足そうに頷いた。
「ひと財産にはなるわよ。大事にしなさいよね」
気の強そうな眉を片方上げてから、テレーゼはニヤッと笑った。
「あと……ローラント」
呼びかけられたローラントが両腕に紫の布の掛かった何かを持って、四人の間から顔を出して、進み出てきた。彼はヴィルフリートの前ではなく、エルナの前でピタリと止まる。
エルナが不思議に思って見ていると、
「これは私たち四人から、ヴィルフリートの愛する女性、エルナさんへの贈り物です。どうぞ受け取ってください」
アルノルトがそう言うと、テレーゼがつかつかやってきて、紫の布を思い切りはぎとった。そこにあったのは、銀色の髪の少年と、栗色の髪の少女が小舟の上で向かい合って座り、手を取り合う姿の彫像だった。小舟の下には青い湖が広がり、五匹の魚が二人を見守るように、水面から顔を出している。
「こうするのよ」
テレーゼは紫の布を投げ捨て、彫像をむんずと掴むと、ひっくり返し、底面についていた銀色のゼンマイを何度かねじった。その乱暴な扱いに、シルヴィアは短く悲鳴を上げて、よろけた。すかさず、グレーゴールが彼女を支える。
「相変わらず、大袈裟だな、シルヴィアは」
グレーゴールは妹の反応に、肩を竦ませた。
「贈り物ですのよ。あんな扱い方をしたら壊れてしまいますわ」
抗議するように、シルヴィアは兄をねめつける。
ゼンマイを巻き終えたそれを、テレーゼは再びローラントの手の上に戻す。
すると、オルゴールの心地よい音色が流れ始めた。初めて聞くメロディだが、何だか優しくて、清らかな気持ちになる不思議な調べだった。
くるくると回り始めたオルゴールを見つめてから、エルナは自分に目を向ける彼らを順繰りに見返した。あまりに素敵な贈り物に、何とお礼をすればいいのだろうと迷う。
「あの……こんな、素敵なものを、本当にありがとうございます! なんとお礼を言ったらいいかわからないくらいで……」
素直にお礼を口に出した後、自分に何がお返しできるだろうと考えて、何もないことに申し訳なさが募る。またオルゴールに目を向け、ふと不思議に思う。いつ用意したのだろうと。小舟の乗る二人の姿は、明らかにヴィルフリートとエルナをモデルに作られている。回った時に見えた瞳の色が、少年は瑠璃色、少女は深緑色だったのだ。
(こんな短時間で用意できるものなの?)
エルナの疑問を見抜いたのか、アルノルトが口を開く。
「今日用意したものではないんですよ。ずっと前から準備していたんです。ヴィルフリートがね、ある時漏らしたんですよ。うっかりだったのでしょうが。『僕の想い人は、肩までの栗色の髪で、深緑色の瞳が美しい、とても可愛らしい女の子なんだ』とね。だから、いつか、彼が誰かと結ばれるときに、君の初恋の人はこんな子だったろう? とからかってやろうかと思っていたんです。でも、エルナさんの髪も銀色だったとは……本来ならば作り直すべきなのでしょうが、時間もないことですしね。寛大な御心で受け取ってもらえると有難いのですが」
顔に似合わず、意地悪く笑うアルノルトを、グレーゴールはわずかに眉を上げたあと、軽蔑するように見据え、テレーゼは寝耳に水とばかりに驚いたように凝視する。
「……悪趣味だ」
「え⁉ そんな謂れのあるものだったの⁉ それを知っていたら全力で留めたわよ⁉
我が兄ながら最低な野郎ね!」
胸倉を掴みかねない勢いで長兄に近づこうとする妹をやんわり手で制し、シルヴィアは艶めかしい仕草でひとり嘆息してから、潤んだ瞳をアルノルトに向ける。
「まあまあ、テレーゼ。意地は悪いですが、結果としては良かったんですのよ。エルナさんに贈り物ができたんですから」
確かに兄の意地の悪い計略がなければ、弟の婚約者に渡す贈り物はありきたりなものになったに違いない。テレーゼは仕方なくため息をつき、振り上げようと思っていた拳を解いた。
ヴィルフリートは神妙な顔をしてエルナを見下ろす。
エルナは笑ったらいいのか、嘆いたらいいのかわからず、ただ目をぱちくりさせていた。
ローラントは呆れてため息をつきながらも、エルナにオルゴールを差し出し、耳元に顔を寄せ、
「動機はどうあれ、お前たちを模した人形には違いない。黙って受け取っておけ」
こそっとそう言うので、エルナは頷いて、贈り物を受け取った。
「大切にしますね」
エルナは改めて送り主たちを見て、ぺこりと頭を下げる。
「ヴィルフリートをお願いしますね」
アルノルトは微笑んだ。その横で、グレーゴールもわずかに頬を緩めて頷き、シルヴィアは風で胸の前に垂れたウェーブのかかった水浅葱色の髪を背中に払いながら、長兄と似た優しげな笑みを浮かべ、テレーゼは親指を立て、腕を突き出して、口角を片方だけ上げて笑う。
ヴィルフリートはそんな兄や姉たちを眩しそうに見つめていた。エルナも彼らがヴィルフリートを大切に思っていたことを感じて、胸が熱くなった。ヴィルフリートの語った彼らの姿は不鮮明で、あたかも不仲だったかのような印象すら覚えたが、事実は違ったのだ。彼らには確かに堅い絆が存在し、小さな隔たりがあったとしても、間違いなく家族だったのだ。
「はい……!」
その感動で、エルナは自然とそう答えていた。
だが、視線を感じて隣に目を向けると、嬉しそうなヴィルフリートの姿。
あっと口を抑えるがもう遅い。女王陛下の時と同じく、エルナは「ヴィルフリートをお願い」という台詞に承諾の返事をしてしまったのだ。深く考えることもなく。
確かにヴィルフリートへの想いは自覚している。だが、それとこれとは全く別の話だ。
(また、やってしまった……)
軽はずみな言動に後悔しつつも、何だか笑い出したくなってしまう自分がいるのを感じていた。全て丸く収まったと。これで心配事は何もないんだと。
いつの間にか、マシロを頭に乗せたチャチャと、真っ黒なクロミツが足元に佇み、エルナを見上げていた。エルナは屈みこんで、一羽と三匹にオルゴールを見せる。
風が吹いた。
緑と水のにおいをふんだんに含んだ、心地良い風だった。
東屋にいる全員の髪や肌を優しく撫で終わると、そのままどこかへ行ってしまう。
「わずかな時間ですが、どうかこの国を楽しんでくださいね」
アルノルトはそう言って、優しい視線をエルナに向けた。
翌日、豊かな水に満たされた国ファーミュラーを後にした。
森の外れ、ファーミュラーと人間世界との境目に、数人の〈水の民〉たちが見送りに来た。
女王の姿こそ見えなかったが、ヴィルフリートの個性豊かな兄と姉たちが、弟の門出を祝し、馳せ参じてくれていた。他には、ローラントの父親であり、ヴィルフリートの剣術師範であった騎士団長や、ヴィルフリートの剣の腕に憧れ、慕っていたという年若い青年たち。
一国の王子になろうとしていた者の旅立ちとは思えぬほどささやかな見送りだったが、ヴィルフリートの出自を考えれば、仕方のないことだった。
「では、お元気で!」
ヴィルフリートは晴れやかな表情を浮かべ、自分を慈しんでくれた数少ない人々に頭を下げた。
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