春一番

月之影心

春一番

「も~すぐはぁ~るですねぇ♪」


 隣を歩く凪咲なぎさが70年代に一世を風靡したアイドルグループの代表曲を口ずさむ。

 雪解け水が小川の水流を増し、土手にはちらほらと土筆が顔を覗かせる。

 桜の蕾が膨らみ、刺すように冷たかった風に温もりが混じり出した今にピッタリ。


「ちょっと気取ってみませんかぁ~……だっけ?」


 土手を覆う緑色の様々な草がさわさわと風に揺れる河川敷の遊歩道を、俺は凪咲と並んで歩いていた。

 お互いに、黒い筒を片手に持ち、胸元には【祝・ご卒業】と書かれたリボン記章が揺れている。


「おぉ、良く知ってましたねぇ。」


「親父が大ファンだったらしくて子供の頃はよく聴かされてたから……って凪咲も一緒に聴いてたじゃないか。」


修平しゅうへいクンちに行くといつも流れてた記憶がありますよぉ。あ~だから今でもついつい口ずさんじゃうんですかねぇ。」


「俺たちの子守歌みたいなものだもんな。」


 凪咲とは物心ついた頃からずっと一緒に過ごしてきた。

 公園に遊びに行くのも、ご飯を食べるのも、昼寝するのも、いつも一緒だった。

 小学生になった頃から勉強も一緒にしていたし、中学生の時に俺が少しだけ思春期を拗らせた時期以外は一緒に居なかった時間の方が少ないくらい。


「暖かくなってきたことですし、このまま何処かに遊びに行きませんか?」


 風に揺れる制服のスカートをふわっと靡かせ、体を俺の方に向けた凪咲が俺の顔を覗き込むようにしてそう言った。


「何処かって?」


「何処でもいいんですよ。ずっと受験勉強ばかりで外に出られなかったんですから。」


「それもそうか。」


 二人で歩く遊歩道は、右側が河川敷で左側が土手下。

 要所要所で車止めのポールがあって、ここを通るのは歩行者か自転車だけ。

 さらさらと緑の草が風に泳ぐ中、俺と凪咲はゆっくりと歩いていた。


「でもあの歌詞って、失恋した女の子にが『前を向いて進もうよ』って励ましてる内容だぞ。」


 凪咲は歩きながら俺より一歩前に出て、サラサラのショートヘアとスカートをふわっと回しながら柔らかい笑顔で俺の方を見た。


「そうですね。じゃあ、そのが春の訪れと共にもう一つ、前に進む為に気付かせようとした事があるのは知っていますか?」


「もう一つ?」


 俺はその歌の歌詞を頭の中で反芻した。

 あの歌は結局どんなエンディングが待ってるんだっけ?


「勉強はこれからの人生に於いて大事な事ですけど、勉強に集中しすぎて気付いていない事はありませんか?」


「気付いていない事?何だろう?答えは?」


「それは教えられません。よぉっく考えてみてください。」


 凪咲は何かを払うように手をひらっとさせ、その勢いでくるっとひと回り。

 まるでそれに合わせるかのように少しだけ強い風が土手の上をふわっと駆け抜けていった。

 土手を撫でる風の中でくるりと回った凪咲が、俺の方にゆっくりと歩み寄って来てそのまま額を俺の胸にコツンと当てた。


「あ……」


 勉強している時はとにかく合格する事だけを目標にしていたけど、その目標を立てた理由をいつの間にか忘れてしまっていた事に今気付いた。



『ずっと一緒にいましょうね!』


 将来なんか全く気にしていなかった頃、凪咲にそう言われて1年後の大学受験の事を意識した。

 もし凪咲と同じ大学に合格しなかったら『ずっと一緒』ではなくなる。

 凪咲に比べれば若干劣っていた成績もあって焦った。

 だから必死に勉強して受験して、自己採点ではギリギリだったけど無事に凪咲と同じ大学に合格した。

 合格した喜びで忘れかけていた。

 凪咲は勉強を教えてくれたり夜食を作ってくれたり、思うように成績が伸びずに落ち込んでいた俺を励ましてくれたり、何かと気に掛けてくれていた事を。


(「凪咲とずっと一緒に居る為に頑張ってきたんだった……」)



 俺の胸に当てた頭を離して顔を見上げてくる凪咲。

 そのキラキラとした瞳を覗き込む俺。


「凪咲……」


「はい。」


「これからもよろしく。」


「はいっ!」


 凪咲が春の陽射しの様な笑顔を浮かべる。

 桜色の唇がゆっくりと開かれた。


「恋をしてみませんか?」


 俺は凪咲の唇に、軽く唇を触れさせて応えた。

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春一番 月之影心 @tsuki_kage_32

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