イタコに首ったけ!

きうり

第1話・神様が言っている①

   一


 夕暮れの墓地である。

「これはこの世のことならず」

 前方を歩いていた小春(こはる)が、唐突にそう口にした。

「え、なんだい?」

 僕は眼鏡の位置を整えながら聞き返すが、彼女はただ続ける。

「これはこの世のことならず。三途の川の向こうなる、黄泉の国の物語。一夜二夜に聞こえたる、冥土に響くその声は、この世の声とは事変わり、悲しさ骨身を通すなり……」

 何かの詩だろうか。まるで子供がわらべ歌を口ずさむように、小春はそれを唱えているのだった。

 後ろを歩く僕がぽかんとしていると、彼女はくるりと全身を翻すようにして振り向いた。二本のおさげが揺れ、悪戯っぽい微笑みが僕を見つめてくる。

「今のが呪文です」

「呪文って、おばあちゃんの? 暗記してるの」

「はい」

 彼女は頷いた。彼女の祖母の名は辻竹子(つじ・たけこ)という。かつては腕利きのイタコとして名を馳せた人だったらしい。

「お祖母ちゃんの口寄せなら、小さい頃から見てましたからね。これくらいは暗唱できますよ」

「すごいな」

 すると彼女は、誇らしげな顔で暗唱を続ける。

「寄せて返すは千鳥なる。波間に別れし親子供、一目見んとて踏み出しは、冷たき水の深みとて」

 僕らは墓石の間を歩く。枯葉を踏みしだきながら、少女は口寄せの呪文を止めようとしない。

「我が子恋しと積む小石、父母恋しと積む小石。別れし親子の呼ぶ声が、黄泉の山辺に響くなり」

 その瞳は悦に入ったように輝いている。彼女の声の調子に合わせて風が強くなった気がして、僕は少し怖くなった。イタコの呪文――それは死者を呼ぶ文句に他ならない。

「山ぎは飛びたるしら鳥の、声なき声ぞ呼ばうなり」

「もういいよ」

「いざ梓の弓をかき鳴らし、世ならぬ人の声ぞ呼ばうなり。南無観自在菩薩、南無延命地蔵大菩薩……」

「もういいよ小春ちゃん」

「いいんですか?」

 小春は首をかしげて僕を見上げた。制止されたのが心外そうだ。

「さっき、呪文を聞いてみたいって言ったのは曽我(そが)さんなのに」

 そして「むっ」と声を出して頬を膨らませた。

 その通りである。要望を出したのは僕だ。

 彼女とはさっき、スーパーで出くわして、今はその帰り道だ。一緒に店を出たタイミングで、僕はふと思いついてこう言ったのだ――イタコの口寄せの呪文を一度聞いてみたいな、と。

 だが彼女は良い顔をしなかった。好奇心を向けられたのが不快そうだった。それでその時の僕はすぐに話題を変えたのだが、まさかここで披露してくれるなんて思ってもみなかった。完全な不意打ちである。

「ごめん」

 僕は謝る。

「ただ、思いのほか迫力があってね。場所も場所だし真に迫るというか」

 弁解すると、小春は我に返ったように周囲を見回した。僕の言葉によって、ここがひと気のない墓地だと初めて気付いたらしい。しかも今は逢魔が刻である。

「言われてみると、演出に凝りすぎかな」

 彼女は笑って、

「でも曽我さんって、意外に怖がりさん」

 僕は苦笑してごまかした。

「恥ずかしながらね。怖いものは怖いよ」

「やっぱりたこ焼き、いま一緒に食べちゃいませんか?」

 次に、彼女はそんなことを言い出した。急に呪文を口にしたかと思えばたこ焼きを食べたがる。気まぐれなことだ。

「いいのかい?」

 僕は聞いた。さっき彼女が買った「あじまん」のたこ焼きは、今はその買い物袋の中にある。だがさっき駐車場の屋台で買い求めた時は、それをおばあちゃんへのお土産だと言っていなかったか。

 彼女は屈託なく答えた。

「いいんです。気が変わりました」

 たこ焼きならば僕も好きだ。断る理由もないので、促されるままに腰を下ろした。肩にかけていたバッグを傍らに置く。

 そこは、なんとか家の墓、と掘られた墓石の前の石段である。僕らはそこで爪楊枝を分け合った。

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