第三話 虜の余興

 月が照らす昇降口に寮生を集め点呼をする。点呼を終えてちらりと他の寮生を見るとシィン三等陸士さんが見えた。寮長の話をしっかりと聞いていて、真っ直ぐに見つめている。航友会のときも倉庫でのときもあの瞳を独り占めしていたと思うと嬉しい様な後ろめたい様な気持ちになった。

 寮に戻りながら思う。シィン三等陸士を見ていると十歳の頃に近所に生まれた女の子を思い出すのだ。あの子は今どうしているのだろう、つり上がった眉をしていたな。ぼくの家にあの子の母親が挨拶に来た時は腕の中にいてきょろきょろと周りを見渡していて可愛らしかった。もしかしたら家にそびえ立っていた杏の香りが気になっていたのかも知れない。

 自室に入りながらあの子の口元を思い浮かべる。ぽってりとしていて小さな唇をしていた。基本的にむっとした形をしていてご近所さんは無愛想だなんだと話していたがあの口を見ると安心する。あぁ、弟も、あんな口をしていたな。

 今日も仕事を行い夜が明けるのを待った。朝食をいつも通り軽食にして貰おうと思ったがおかずが八宝菜だったので何時もよりも多めにして頂いた。席に座り食べ始めると後ろから声をかけられた。

「隣に座っても良いですか。」

「はい、構いませんよ。」

「有難うございます。」

ぼくが筍を口に入れると隣に座ったシィン三等陸士さんはにんじんを口にした。筍の食感に思わず笑みを浮かべてしまう。今度は白菜のシャキシャキとした音と噛んで溢れる塩やしょうゆなどの意外にも優しいスープを味わった。たまねぎを箸で取ったところでちらりと目に映ったのはぼくと同じく箸でたまねぎを挟む三等陸士さん。

「野菜、お好きなのですか。」

「はい、どうしてわかったんですか。」

「好きな食品は先に食べたくなってしまうので、もしかしたらと思ったのですよ。」

好きな食品で終わらせたい気持ちも分からなくはないけれど先に食べたいのだ。食べ始めの方が味覚が冴えているように感じるというような話を食べながらしていった。ぼくから声をかける時は事務的な会話が基本なのでとても新鮮な気持ちになった。

「……フェイツ少将、いつもそれだけの食事をしているんですか。」

「えぇ、どうもたくさん胃に入れてしまうと体調を崩してしまって。」

今のうちにたくさん食べておくと良いと零して完食されたシィンさんのお盆と自分のお盆を両手で持ってさっさと歩いて行く。かのじょは追いかけようとしてくれたけれど人の波には抗えずにぼくからお盆を取り返す事はできなかった。

 顔を洗って身だしなみを整えた。客間の掃除を始めるとなぜだか廊下が気にならない。いつもであれば寮生の気配や物音を気にしながら掃除をしていたというのに。廊下のことを考えていたのに再度眼中から消える始末だ。掃除を終えて廊下にいる軍人を見て驚いた。

「シィン三等陸士……。」

どうにも集中して掃除をすることができた。なんとも不思議に思えてくる。お互い確認を終えて課業や業務へ向かう道が一部重なった。野菜の話は朝食の時にあらかた済ませてしまった。沈黙ということにどこか焦りを感じていたものだが今は全く気にならない。かのじょにはそういった雰囲気というものがあるのかもしれない。

 自室のソファに座って靴を磨いて今日の予定を確認する。今日から九日に渡り、ベトナム北部の演習場で模擬演習が行われる予定だ。今日はズーウ寮生半数とバオシー寮生半数の計約二十万人で行い、臨時で派遣されるのは経験豊富なユンシー寮の内の約四万人だ。軍旗が天へ上がっていくのを皆で眺める。上がりきって少しの間眺めて間稽古へ向かおうと思ったところで何の気なしに左側を見ると一つの団体の向こうのシィン三等陸士と目が合った。お互いにお辞儀をして前を向き直った。

 間稽古を終えてベトナム北部に移りベトナム軍の上層部の方にベトナム語で挨拶と礼を言う。声を張り相手国語で本日の心得を伝えた。自国の軍人にはここへ来る前に伝えてあるので今は省略する。午前は戦術的、戦略的、教義的な解決策を開発するための模擬演習になった。ベトナム北部に侵攻したとする仮想敵国の部隊を防御陣地まで誘い込み反撃を加えるという戦術を用いて行なった。自国の戦車がベトナム軍の破棄される予定であった軍用機を退行しながら打ち落とそうと苦戦している。すると茂みから砲弾が飛んだ。そうして軍用機の片翼に命中し、再び銃声が鳴ればもう片方の翼にも風穴が空く。軍用機から人が風を味方にして降りてくるのを確認する。左二の腕のベルトから銃を取り出して空を打った。それを合図に茂みから戦車が現れ軍人たちが出てきた。風の流れを見て戦車を脇にずらしていた。軍人の間を縫ってシィン三等陸士が駆け寄ってきた。銃をベルトに戻してこちらも駆ける。

「この後はどうしますか。」

「今度はバオシー寮生で行うと伝えて下さい。」

「分かりました。」

おそらく教え子のタオズー中佐さんに言われてきてくれたのだろう。あの子ならば自ら来そうなものだ。が、あの子は軍用車両の取り扱いに長けているから手が離せなかったのであろう。何にしろ事がはやく進むのでありがたい限りだ。

 茂みの中に移動された戦車に乗り込み念のために周りに気を張る。そんな中でも一際軍用機に注意を注ぎじっと待った。前方から此方へ向かう自国の戦車の進行する音が銃声の中でも徐々に聞こえて来るようになった。空の軍用機の音すらも鉄板越しに聞こえるようになった頃に口にする。

「撃て!」

平穏に生きていればこの様に声を荒らげることも無いだろう。生き急ぐ様に腹の底から銃声に負けじと。怒りも、含まれていたかもしれない。そんな声で砲手に指示をした。戦車から放たれた砲弾は二発とも翼に撃ち込まれていた。昼食に最適な時間になったとして我が軍では夫妻肺片を両国分と自国分のお米、サラダを作った。ベトナム軍は春巻きを作ってくださっているようだ。ぼくは率先してサラダ用のきゅうりを切る。タオズー中佐さんが隣にねぎを切りにきた。

「お久しぶりです、フェイツさん!」

「お久しぶりです、昇格おめでとうございます。」

「フェイツさんのおかげですよ、ありがとうございました!」

「ぼくは何もして居ませんよ、二十歳で中佐とは素晴らしいですね。」

一回目のズーウ寮の演習が終わった時にシィンさんを手配してくれたかと聞いてみた。すると首を横に振られた。かのじょはよく気が利くのですねと零せば怒りを顔に表してタオズー中佐さんはねぎをおぼつかない手際で切りつつ黙りこんでしまった。食事の合間も気になって声を掛けてみたが変わらず無視を続けられた。今はそっとしておいてまたの機会に声を掛けてみよう。女性のあつかいはおろか人間のあつかいもろくにできずに情けなくおもう。

 午後の業務は主にベトナム軍のミサイル実験であったり空挺部隊などが敵陣深くに進攻する演習をしたりした。休憩時間の様な時間になっていつも通り仕事をしようと考えていた。しかし、記章に星が二つ着いているベトナム軍人に声を掛けられた。

「君は若いよね、一体いくつなんだい?」

「二十五歳ですよ、ご迷惑をおかけしていたのであれば遠慮なく仰ってください。」

「二十五歳で中将か、とても素晴らしい人材だね!」

かれはぼくが持っていたベトナム人への偏見に違わなかった。真面目さを持ってして自国や仕事を会話の土台にしてくれた。ぼくが先を見越して潰してきた難題をかれは持ち前の器用さで切り抜けてきたと言う話はとても興味深かった。そうして話しているとかれは部下に呼ばれて去っていった。ぼくも自国の事をしようと振り返った。すると目の先には広場の端で休めの姿勢でじっとどこか遠くを見詰めているシィン三等陸士さんがいる。かのじょだけやはりどこかほかの軍人が持たない何かを持っているように思えてしかたがない。

「シィン三等陸士さん、おひとりですか。」

「はい、友人も居ませんから。」

「入軍早々ですから仕方ありませんよ。」

駆け寄って声を掛けるとやはり淡白な言葉が返ってくる。先程のベトナム軍の中将さんとの会話の印象を口にした。顔からも伺えるようにおっとりした人物であったといった会話をした。三等陸士さんのご尊父はベトナム育ちの人であったらしい。幼い頃に亡くなってしまったとも言う。優しかったようにように思うと俯いて零していた。

 帰国をすることになりベトナム軍に挨拶と感謝を伝える。自国へ電車が走った。胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出す。が、隣の席に座っているタオズー中佐さんに取られてしまった。

「酔って体調を崩したらどうするんですか。」

「大丈夫ですよ、新幹線でもやりましたが無事でしたから。」

「いつの話をしてるんですか。」

呆れたような声に五年前ですかねと返答するとまた機嫌を損ねてしまったようだ。そこからはずっと小言の嵐。あの頃もそうだがストレスは積み重なっていくばかりで全く発散されている気配が無い。今の様子を見れば仕事詰めで疲れが癒されているようにも感じられない。目のくまも眠っていないと言っているようなものだ。というように怒りというには優しすぎるが叱りというにはどうにも感覚的なはなしで根拠も無いが利己的に感じざるを得ない。何せだんだんと目線が落ちていくのだから。いつものかのじょからは想像できないほど自信をなくしている。中佐さんの向こうにシィン三等陸士さんが一瞬だけ見えた。二人にはこれからも関わりを持ち教育をしていくこともあるだろう。つらい現実や眠れぬ夜がくる。そばには居てあげられないかもしれない。けれどもどこかで支えていたいとおもう。

 軍基地に帰ってきて軍用機や戦車を保管場所に移動させた。それから風呂場で身体を洗って乾かしてから更衣室を出る。すると遠くの角からタオズー中佐さんが歩いていた。一瞬こちら側を見たと思えばあかるい笑顔を向けられる。かのじょに手を振って歩いて行こうとすれば中佐さんは早足で歩いて来た。

「どうかしましたか。」

「フェイツさん密雲区出身でしたよね。」

「そうですが、それが如何なさいましたか。」

かのじょのご母堂の人脈で密雲区に観光にいくと言う。ただ今年中は昇格したばかりで身動きがとりづらい。だから三年後の四月辺りに休みを今から取っておこうと考えているようだ。それで観光名所を教えて欲しいと言う。

「そうですね……、張裕ワイン荘園なんてどうですか。」

「ワイン、ですか。」

「ご母堂の友人へのお礼にもなるかもしれませんよ。」

確かにと呟いてかのじょはあごに指をあてる。他の名所もいくつか教えているとかのじょは友人に呼ばれてぼくに手を振りながらかけて行った。手を振り返して疲れを感じさせない年齢の若さに羨ましがりながら自室へ戻る。

 ぼくはどうしていままで休むということが思い浮かばなかったのだろうか。そうしていたならば家族のけんこうも把握できただろう。ぼくの心も少しは楽になっていたかもしれない。こうして考えていると後悔の念が強く出てきてしまう。

 家族のかおを一人一人思い浮かべているとおとうとの口元からシィン三等陸士さんを思い出した。今迄に出会った事の無い様な気配と言おうか存在感と言おうか。陸軍に所属する軍人は基本的には陸軍幼年学校に二年間通った後に各軍基地に配属される。得意不得意はあるだろうがかのじょの体力は二年の課業で身に付けられるようなものではないように思った。それら二つが気になってつい目で追ってしまっているのだ。気持ち悪がられていなければよいのだが。

 久方ぶりに他者から命令下達をされてなつかしい心地がしている。自室に戻って今日あったことをまとめようと思い角を曲がったところでインス大将がこちらに頭を下げた。ぼくも頭を下げ返して向かう。

「如何なさいましたか。」

「演習の話を聞きに来た。フェイツ少将の事だ、之から纏めるなり提出原稿を練るなりする所だろう。」

「推測のとおりでございます、さすがですね。」

恐縮のきわみだと思いながら自室まであんないをする。今日一日の流れを説明した後に細かな部分を加えた。それからベトナム軍の長所と短所ならびに中国人民解放軍の長所と短所を挙げた。インス大将はすべてを黙って聴いてくれださった。

「理解し易い説明だ。」

「ありがとうございます。」

「礼を言うべきは自分の方なのだがな。」

そう言ってインス大将は微笑みを浮かべた。その表情にぼくは嬉しくなった。そこから二人の思い出を語りあった。ぼくが十五歳の時にクーデターを起こそうとしていた仲間の一部が密雲区の方角に逃げていたらしい。故郷の町は火の海と化していたのを今でも忘れられずに居る。逃げ遅れたぼくら家族は陸軍に家の柱に縛り付けられた。男は嘲笑うようにこう言った。

「お前が軍人になって身を滅ぼせばこの村だけは諦めてやるよ。」

ぼくは命の大切さを知ると同時に弟を八歳の時に失っている。けれども友人の事は家族以上に大切には思えなかった。ましてや友人に暴言を吐くような人間に興味は無かった。だがかれらと接する事で友人を助けられるならと思っていたのだ。どうにか虐めを停めることは出来たと思いたい。そうして生活をしていたら政府側で闘いが起こった。権力を奪う為のものであったらしい。数え切れない程の人間が耐え難い痛みと苦しみ、そして無惨な死を遂げた。その話を聞いてぼくは気付いてしまったのだ。ぼくはぼくが想像していた以上に無慈悲であるということに。見知らぬ他人が死ぬ事に少しばかりの不快感を覚えるだけなのだ。ぼくはもっと悲しい気持ちになると思っていた。だからぼくは男に追加の条件を提示した。

「ぼくの家族に危害を加えないと、約束して下さるならば承りましょう。」

「イイぜ、守ってやるよ。」

「フェイツ……、辞めろォ!」

父に続けて母も男に静止を呼び掛ける。父はずっと男に怒りをぶつけていた。母は悲痛な叫びを上げていた。其の状況に罪悪感がなかった訳では無い。破られるかもしれない約束を気色の悪い男として親元を離れて見知らぬ地で死のうと息子が言うのだから。そうしてぼくは軍基地に連れて行かれた。しかし軍人として何の経験も持たなかったためインス大将に稽古を付けてもらうことに成ったのだ。

「御前は何を修得したい。」

「歳上に負けない力です。」

この会話だけで大将はぼくが軍人になり稽古を付けてもらうに至った全貌をおよそ把握したように思えた。インス大将が修得していた戦術は主に太極拳であった。身体の正しい動かし方というのを其の時に会得した。それから暇さえあれば自主練習を行なっていた。同時にベトナム語等の言語も勉強していった。

「今も昔も生き急いでいるな、フェイツ。」

「呼び捨て……珍しい……ですね……。」

「御前を見ていると親の気持が分かってくる。」

心が暖まってしまって子供のように抱きしめて欲しくなった。時間が来てしまってインス大将をユンシー寮まで送った。叶わないだろうがこんな時間がずっと続いて欲しいと思う。いつかインス大将と両親を会わせたいと密かにずっと考えて居た。夢には終わらせたくなくなる。部屋に戻り棚から巻物を取り出して書き入れた。

「あなたを見ていると子どもに戻れます。」

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