Chapter.17 お弁当を持って行こう

 一人の時間はお勉強をする。

 最近はずいぶんと読み取れる文字が増えました。まだ小説とかはダメダメですけど、絵本程度なら、なんとか。


 イラストと、なんとか読める文字があれば一ページ毎の進みは遅いけれど、楽しむことが出来るようになりました。でも疲れちゃうから、もっと読めるようになりたいなあ。


 それでも最近は希望を持てています。

 これからも頑張ります!


 畑もまずは簡単なお野菜から初めて見ていて、着実に充実していっているというか、どんどんここに馴染めている気がする。わたしはとても幸せです。


 最近は外に出ても堂々と。元気に挨拶出来るようになったし、家にいてもたまに来るアンセムくんが構ってくれるので寂しくない。


 安定してる。どんどんわたしは進化します。成長なんて、久々に体感出来ている気がして、ほんっとうに嬉しい。


 ……でも時々、漠然とした不安をここ数日は感じるようになってしまった。


 理由は分かっています。わたしは臆さずに挨拶出来るようになったけど、エルフさんたちの目の色はまたちょっと不穏になった。

 お店の人とか、親交がある人はまだ優しいけれど、でも。


 ここに来たばっかりの、OL姿だったわたしと高崎さんの服装は誰が見ても分かる、似たようなスーツなのだ。真っ先に疑われても仕方ないし、実際高崎さんはわたしがここにいることで招いてしまったことだから……割り切ろうとはしているけれど、でもやっぱりちょっとつらいですね。


 大丈夫、大丈夫。

 トゥーレちゃんもシエル様もみんな優しいんだから、わたしは大丈夫ですよね。


 気を取り直しましょう!

 気付けばそろそろお昼時。


 そういえば今日は突然だったから、なにもトゥーレちゃんに持たせてあげられていないので、お弁当を持ってお迎えに行こうかな。


 張り切って作ることにします。


     ☆


 兵団本部は村の下側、入り口から大通りの、すぐ右側に構える大きな敷地と建物の場所だ。


 わたしたちのお家は裏側、村の上の住宅民地の方にあるので、向かうと五分くらい?

 気ままに行くことにしましょう。


「こんにちは!」

「こんにちは」

「わあああ……赤ちゃんですか? めちゃくちゃかわいい……」


 エルフの赤ちゃんだ……!

 生まれたときから金髪の緑目だよ、赤ちゃんの段階で分かる、めっちゃ美形じゃん!


 うわあああ、すごいすごい! やっぱりエルフも人も赤ちゃんからなんですね。当たり前だけど、感動する。すごくかわいい。

 触りたいけど、なんか申し訳なくて近付けない……!


 困り顔のエルフお母さんをよそに右往左往してしまっていれば、ついに泣き出してしまったので謝るように逃げました。


 本当にすみません!


 でもでも、すっごい神聖みがありますね! なんかもうシンプルに尊いなあ。


「マカロさんだ、こんにちは!」

「お? ユズちゃんか、今日も元気だな」

「この前はすみません……!」


 髭をじょりじょりとしながら道端で葉巻をふかすマカロさん。他のエルフさんはみんな若い見た目なのに、マカロさんだけイケオジさんなのは何故だろうってずっと思っていたけど、どうやらハーフエルフさんらしいです。


 人とエルフのハーフ! 中間くらいになっているらしくて、見た目もじわじわと年を取っていくんだとか。

 耳も少し丸くて、でも尖っていて、なんというかダンディーです。おじさん趣味ではないけど、ちょっと一番惹かれてしまうエルフさん。


 トゥーレちゃんがいるので揺るぎませんけども!


「ああ、別に。リオンとはこれからも仲良くしてやってくれ。……そういえば時間あるか?」

「えっと……はい!」

「ちょっと採寸していい?」

「え……」


 とりあえず逃げました。なんかこわい……。

 初めて服を買った時もそうだけど、残念な顔をするときは本当に残念な人だ、ゾワゾワしてしまう。


 アンセムくんとはすれ違いませんね。

 まぁそんな日もあるかな?


 そういえば彼が、普段何をしているのかは全然知らない気がします。

 いつも唐突に来ますからね。


 なんてして、門前。

 さてトゥーレちゃんはどんな驚き顔を見せてくれるんでしょう!

 めちゃくちゃワクワクしてきたよ。


 その反応をすっごい楽しみに思いながら、兵団本部の受け付けに向かおうとしたんだけど、なんか……唐突に、すごく唐突に。


 ちょっと気になってしまって、村の入り口へと目を向ける。


 じっと見つめて、なんかイヤな予感がして、気づいたら黒い影がぐにゃりとそこに、現れる。


 あ……固まっちゃった。


 逃げても仕方がないのは分かるけど、さっきまでの楽しさとは百八十度違うようなドキドキに息が詰まりそうで、じっと影を見つめる。


 その黒い影はゆっくりと、わたしのもとまでやってきた。


「さて、お久しぶりぃ。ゆずサマ。砕けた態度で行こうじゃない」

「な……んのようですか……?」


 ――高崎さんだ。また来たんだ。

 心臓がうるさくなる。手が震えるようだった。


「答えを聞きに来ました」


 思わずお弁当を落としてしまいそうになって、でも抱き抱えるように守る。

 これがいま、唯一の拠りどころのように感じる。


「さぁ、帰りましょう。この手を取って」


 ふりふりと首を振る。イラつくように高崎さんの目は細められると、一段落としたトーンで、高圧的に。


「答えろよ」

「イヤ、です」


 なんとか絞り出したその一言に、ものすごく呼吸が乱れるようだった。

 視界が歪んで、ちょっとだけ頭が痛くなる。どうして何かを強く否定するとき、こんなにも気持ち悪く疲れ果ててしまうのだろう。


 苦しくなる動悸に胸を抑えながら、ちょっとずつ離れるように高崎さんから距離を取る。


 トゥーレちゃんは、まだ遠い。シエル様なんて村の一番高地だから、ずっと遠く。一番頼れる二人が近くにいなくて、目の前の人がただただ怖くて、本当に胸を締め付けられる。


 そんなさなか、グッと力強く片手を捕まれてしまった。



「その答えがどうなるか分かってんだろうな?」



「―――――おいアンタなにしてんだよ!」



「アンセムくん!」


 と、兵団から出てきた彼がズンズンとこちらまで駆け寄って、抵抗するわたしと高崎さんの腕をはたき、間に入って庇ってくれる。


 その姿は水浴びでも軽く済ませたのか、まだ雫が滴る髪の毛に首にタオル一枚巻いた状態のインナー姿で、本当に偶然助けてくれたんだと思う。

 アンセムくんのその背中が、とても頼もしく思えながら。


「邪魔をするなよガキ……!」

「はっ!? なんなのあんた!? この暴漢!」


 で、でも、本当にびっくりした。アンセムくんってここの人だったんだ! だからトゥーレちゃんとも仲がいいんだね。

 なんて能天気にも考えてしまうけど、今はちょっとそれどころじゃない。


 高崎さんの目がどんどん怖くなっていくのが本当に嫌で、激昂するアンセムくんの手を引きながらさらに距離を取る。


 すぅと息を吸い込んだ高崎さんが、ゆっくりと伸ばした片手をこちらへ向け、どす黒いような重たい声で言う。


「一度思わせなきゃダメか?」


 白と灰色の、まばゆいようで禍々しいオーラのようなエネルギーが、伸ばした片手に収束するよう渦を巻く。練り集まり、その白光球は、掌大まで大きくなればって、えぇえ!?


「町中でおっかねーのを使ってんじゃねえ、危ないだろ」


 ……――さらにわたしたちの間に滑り込んできてくれたのは、マカロさんだ。


 両手をパンと合わせて鳴らし、広げ、大きく回すと右手を上に、左手を下に。マカロさんを中心に紫色のオーラみたいなものが立ち登ると、それは眼前に迫ってくる光の球へと伸びていき、上下の手の動きに合わせてばくんっと、まるで動物の顎のような形になってその光の球を呑み込み、打ち消せば。


 弾けるように辺りに広がる、紫色の蝶の群れ。


「チッ……注目が集まってきたな……」

「逃げるのか?」

「あんたはエルフに喧嘩を売った! 僕たちは絶対に忘れない。何年何十年何百年経とうと、絶対に。それがあんたの罪だ!」


 マカロさんとアンセムくんが大きく前に立つ。

 それに対して、引き時かと辺りを見渡しながら苦々しい表情を浮かべる高崎さんを、心底不気味に思ってしまいながら。


 ハン、と大きく開き直るような嘲笑が、印象的だった。


 叫ぶ。


「そこにいる女はぁ! あるべき世界を否定しッ! 魔女に唆されたまま個としての運命を望み選んだ! その大罪はあまりにも、重い」


 ―――。


「よって我々は武力行使に出る! それすなわち運命の改正。分岐界の消却。その原因はこの娘ただ一人だ」


 ――世界が静まり返る。


「選べ。差し出すことによる苦しみのない消滅か、抗うことによりただただ惨たらしく殺される永遠の死か」

 ――人が、怖く、なってしまう。


「その刻は、近い」


 そうやって。大仰にも、この世界の人たちへ向けて宣言するように語る彼が、靄のような陽炎となって消えていくのをただ見守る。呆然とする。


 何人ものエルフさんの前で、仲良くなっていたアンセムくんや、マカロさんの目の前で、全てが信じられなくなるような、不信に陥ってしまうような。


 誰も喋らない沈黙のなかで、わたしの世界が崩壊していく音がした。

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