いちにちめのよる!

Chapter.3 お風呂

 その日。夜になった。

 この世界に来て、ちょうど一日が終わりを迎えようとしている。たぶんまだ数時間はあると思うけど、でももうすぐ、丸一日が経つ。


 そんなわけで、色々と考えてしまいます。

 この一日でわたしの近況はだいぶ姿形を変えた。


 金曜日の残業終わり、気付いたら森のなかにいて、ここにいる。その間にトゥーレちゃんとちゅー……しちゃったりなんか、しちゃったりして。


 拾われて、連れていかれて、よく分からない頭がその瞬間のことを詳しく覚えてはいないんだけど、村長であるシエル様と一言二言話すトゥーレちゃんの表情がどこか暗かったのは覚えています。


 その時は彼女のことをいまよりもぜんぜん知らなくて、事故のことはあったけど、こんな美人さんと、だったこともあって、同性だったのもちょっと信じられなくて、だから夢だと思っていて。


 だけどこれは、現実で。

 同棲生活が始まる。


 彼女と打ち解け合ったいま、心はずいぶんと優れていた。


「トゥーレちゃんトゥーレちゃんっ」

「ん?」

「一緒に、お風呂に入りませんか!」

「……ん?」


 リビングにて、静かに読書に勤しんでいた彼女がぱたんと本を閉じると怪訝そうな面持ちでわたしのことを見る。ど、どうでしょう? 引かれる? いやでも同性ですしわたしが学生の頃はよく友達としてましたよ……?


「……本当に言ってる?」

「は、はい」

「………」


 は、裸の付き合いは仲を深めると言いますし……いや変な意味じゃないですけど……。

 なお、わたしの手元には二人分のタオルがあったりする。準備は万全なのでした。


「まぁ……」


 どこか呆れたように、あるいは諦めたみたいにロッキングチェアから腰を上げたトゥーレちゃんが、「着替えを取ってくる」と言ってくれるのでわたしはぱあっと笑顔で応えます。


 そして。


 かぽーん!


 だなんて、ついつい言いたくなってしまう場面に切り替わる。


「なんでそんなにお肌綺麗なの……」


 先に浴槽へ入らせてもらったわたしは、ごしごしとちょっと粗めのボディタオルで身体を洗う彼女をうっとりと見つめる。

 ……うぅ、すごい羨ましい。女優さんみたい。やっぱりおかしい。


 こんなって言ったら失礼だけど、わたしがいた現代よりも目に見えて遅れている時代の異世界で、わたしの世界よりも数十倍の美しい存在が目の前にある。エルフという存在がそれだけおかしいのか、魔法だったり、わたしの知る世界にはなかった要素がそれほどカバーしているのか。


 これは、異世界七不思議ですね。いやほんと、わたしから見ると理不尽です。

 これでも気を遣って、わたしだって毎日美容してたんですよ? むぅ。


 間近でこのきめ細やかさを見ていると、ぶーぶーむくれちゃいます。


「そう?」

「うん」


 やっぱりお風呂に入るのは間違いでした。

 なんだろうこの敗北感。味わいたくなかった。全身で負けた気がする。完敗な気がする。


 裸になっているのがだんだん恥ずかしく思えてきて、お湯のなかにいることに落ち着きを覚えるような精神状態でした。泣けてくるよ。

 とはいえ。


「あとで触ってみてもいいですか?」

「……………」

「そ、そんな警戒しないでくださぁい……」


 すっと睨まれ身を引かれ、わたしは項垂れるように諦める。だってだって。

 絶対すべすべしてますよ。つまんでもみたい。きっともちもちか、ぷにぷにしてるんです。どんな化粧品のCMにだって表現出来ないお肌がここにはあるわけですよ! ずる。


「質問してみてもいいですか?」

「なに?」

「身長が気になります」

「確か、百八十はあったと思う」

「数字で聞くと異次元ですね……」


 身長差はずっと感じていたけれど。わたしは百六十四ありますので、十六センチ差?

 さすがエルフ。かっこいいなぁ。ほんとにモデルさんみたいだ。というかモデルさんですよねもう。北欧系の八頭身モデルさん。


 わたしはなんていう人とキスをしてしまったんですか?


 ……………思い返して自分でドツボにハマりました。大人しくします。


 ………。

 イケメンだなあ。

 ダメだ。ずっとトゥーレちゃんのことを目で追いかけてしまう。


 わたしってちょろくないですか? トゥーレちゃんの横顔を見ていると、本当に心臓が高鳴ります。かっこよくて綺麗でかわいくて、見ていて飽きないんです、トゥーレちゃん。

 好きだなあ。

 ぼーっとしているとついついそんなフレーズが頭に浮かぶので、わたしはちょろいですね。

 完堕ちしてて恥ずかしい。


「ふぅ……」


 ざばーんと桶のお湯を被って洗い流したトゥーレちゃんが、わたしのいる浴槽へと向かってくるのでわたしは邪魔にならない場所へ移動します。

 わあ、浮遊感。お湯が、じゃばじゃばと溢れる。


「やっぱり、ちょっと狭いね」

「そ、そうですね……」


 決して入れないというわけではないんですけど、まだぎこちない距離感でいるから、無理はせずに縦並びで浸かる。わたしが壁のほうを向いて、トゥーレちゃんがわたしの背中を向く形。どうやらさっきの言葉のせいでトゥーレちゃんは恥ずかしがっているようです。寂しい。

 大人しくお湯に浸かって過ごす。


「ねえ、ユズ」


 そんななか、トゥーレちゃんがふいに声を掛けてくれた。


「これからどうしようか」


 漠然と、投げ掛けられたその言葉にドキッとした。

 ……これって、わたしが答えてもいいんでしょうか。

 いや、聞かれているのだし、答えるべきなんだろうけど、そうじゃなくて。


 もしいえば、彼女の重荷になってしまいそうな……負担になってしまいそうな、そんな気がどこかしてしまって、思わずわたしは押し黙る。


「………」


 よっ、欲をいえば、トゥーレちゃんとずっとまったりしていたいですよ!

 もっと仲良くなって、一緒にごろごろして、飽きるくらいの日常を一緒にありたい!


 今日はあんなやり取りもあって、たぶんテンションが上がり過ぎているのかも知れないですけど、でも、わたしはそう思う。


 ――そう思っちゃう。


 そう思っちゃうんだけど、でもそうは簡単にいってくれない。だって、一緒に暮らしていけることは決まったわけだけど、逆にいえばそれ以外は、まるで決まってないわけで。

 そこはもう、彼女がこれだけわたしのことに譲歩してくれているのだから、彼女の好きなように決めてほしい、とわたしは思っちゃうんだけど、きっとそういう話でもないんですよね。


 難しいよ。

 これからを考えていくなかで、わたしとトゥーレちゃんの課題だ。


「ユズは本当に良かったの?」

「……はい?」

「自分の生活は? 家族は? その、子どもが欲しいとかは? 私はユズのことを何も知らないから、ずっと、そこが気掛かりなんだよ。我々の掟にこうやって付き合わされて、迷惑しているんじゃないかとか、私だって色々考えるんだ」


 ―――。

 それは、もう、分からない。考えてなかったし、考えないようにしていた部分だと思うから。

 考えられないよ、トゥーレちゃん。

 でも、そうだね。わたしにただ一つ言えるのは、迷惑とかはぜんぜん思ってないってことだ。


「大丈夫だよ、トゥーレちゃん」


 彼女のほうへ振り返って、真剣に、目を見てそう答える。

 安心してください、むしろわたしは、トゥーレちゃんがそうやって嫌に思ってるんじゃないかとか、同じことを考えていたんですから。


 だから、うん。こんな話で不安な気持ちになるくらいなら、前を向こう。明日を話そう。きっとそっちのほうが楽しいと、わたしは見つけた気がしました。


「えへへ、そうですねえ。トゥーレちゃんは明日お時間ありますか?」

「う、うん。……ユズ?」

「でしたらその、不躾ですが、お洋服が欲しいです。着替えがないことに気付きまして……」

「それはぜんぜん構わないけど……」

「あと、雑貨屋さんもゆっくり見てみたいと思いました」


 一つ一つ、数えるように、思い返すように話す。昼はまだぎこちなかったから、ちゃんと見ていられなかった分。改めて、一緒に巡ってみたいです。

 そんなことを、夢を語るように話す。


「……そっか。明日が楽しみだね」


 と、はにかむように言ってくれて、途端に嬉しくなってくる。

 うん、ゆっくりでいいと思う。

 時間はたくさんあるんでしょうから、本当にゆっくり、少しずつ。

 一日一日を楽しみに思いながら、そうして行くのがいい気がする。

 こうやって毎日の終わりには、明日の予定を考えるような日々を。


 ……いや、それこそのちの話ですね。

 まずは明日! わくわくする。


「トゥーレちゃん」

「ん?」

「わたしは楽しいですよ!」

「……うん」

「トゥーレちゃんはどうですか?」

「……私も、楽しいと思ってるよ」


 後頭部にトゥーレちゃんの細指が触れる。わたしの髪を梳くみたいに、まるで頭を撫でるみたいに優しく触ってくれるから、わたしはのぼせそうな思いになってしまいつつ。


 胸がどうにもうるさかった。

 そんな感覚がどうにもむず痒くて、もどかしくて、恥ずかしくて。

 たまらないほど嬉しく思う。


 異世界転移して一日目。

 わたしたちは、ちょっぴり絆を深めてその日を終えることになった。




(次 ふつかめ! へ)

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