推しの形は違えども

神傘 ツバメ

第1話

「試験、受かったんだって?」

「ああ、まぁ何とか」

 今日は職場の忘年会。

 会が始まってから、既に二時間が経っていた。

 あたしはタバコを吸う為、サワー片手に一番端の席で、休憩がてらの一服をしていた。

 昨今の健康志向で、うちの課も全面禁煙になっていたが、こういう場では自分の嗜好を束縛されたくない。 

 けれど一応は気を使い、端の席に行くのが、いつもの流れだ。

 店を貸し切ったせいで、いつまで経っても終わらない忘年会。

 所々で潰れている人間や、それぞれのテーブルやカウンターの隅で、で小さなペアやグループが出来ていた。

 

「研修いつから?」

「年明けて、すぐ」

「はぁ、ご苦労だね」

「もし上に立てたら、引き抜くからよろしく」

 目の前にいるのは、同期の男性。 彼は先日、昇格試験を受け、見事合格。

 これで彼は、あたしみたいな平社員より、一個上の役割を担うようになる。

「考えとくよ。 一応、乾杯しとく?」

「マジ? じゃぁ」

 彼がグラスを手に取る。

「相変わらずコーラ?」

「酒飲めないからね」

「タバコも吸えないし。 人生半分、詰んでるね」

「良いだろ、誰かさんみたいに、申し訳なさそうに吸うよりかは」

「嫌味だね。 ここは禁煙じゃないよ。 ほら」

「嫌味じゃないよ、事実だろ。 ありがとな、今年も」

 軽口を叩き合いながら、お互いにグラスを差し出す。


「 乾杯 」


 何だかんだ言いながら、あたしが差し出したグラスよりも下に、彼は自分のグラスを低く当てる。

 彼の、こう言う所には、いつも好感を抱いてしまう。

 口では悪態をつきながら、行動は常に相手を立てる。

 後輩の話しを親身に聴き、時に冗談を交えながら、短い言葉で相手の背中を押す。

 それにあたしも、何度助けられたことか——


「研修期間って、どれくらい?」

「三ヶ月。 まぁ仕事しながらだから、週二回の出張みたいなもんだよ」

「週二いないの? 週休二日で、週二の研修だったら、三日しか出社しないの⁉」

「そうなるね。 うらやましい? それとも寂—— 」

「しくない」

「早っ! せめてもうちょっと、溜めてから返せよ」

「溜める時間もったいない」

ひでぇ……俺は結構、寂しいと思ってんのに」

「だって、週三回は会えるんでしょ?」

「そうだけどよ」

 彼はそう言って、コーラを口に含んだ。

「おーい! そこの男女! な~に、良い感じで飲んでるんだよ、こっちこい! 未来の上司‼」

 酔いまくる仲間が、彼に声を掛けてきた。

「良い感じだと思ったら、邪魔すんなよ」

「いや、邪魔する! 早く来い!」

「マジか……。 面倒臭いけど、ちょっと行ってくるわ」

「良いよ。 もう一本吸ったら、あたしもそっち行くよ」

「おお、待ってる」

 あたしの言葉に、彼は嬉しそうに笑って、他の席に移って行った。


 彼が楽しそうに、課の人たちと過ごす姿を見ていて、ふと思った。

 寂——しいかも。

 なんかちょっと……大事な所がキュッとなった気がして、紛らわすようにあたしは、一際大きくタバコを吸い、上を向いて煙を吐いた。

「あっ」

 不意に、飲みかけのコーラが入ったグラスに、視線が奪われる。。

そうだ——

 淵に垂れた滴は、そこに彼が口を付けた証拠。

 あたしは自分のグラスを横に置き、グロスの付いた部分を滴に当て、一枚だけ写真を撮った。

「当分、これで我慢しといてやるか。 ……おめでと」



                ✿



 三月の初め、新年度に向けて、いつもの貸し切り居酒屋で、年度末の慰労会が行われた。

 あれから彼は多忙を極め、週三回の出社も、ほとんどが外回りの挨拶で社内にいないことが多くなり、あたしはもっぱら、彼の気晴らしSNSに付き合う日々。

 字面やスタンプ、時折の電話でのやり取りは楽しかったが、社内で会う時は、年度末の忙しさからか、会釈程度で、挨拶すら出来ないことも多々あった。


『もうすぐ着くよ』

『研修最終日、お疲れ』

『まいった。 思ったより長引いた』

 その後に、泣き顔のスタンプ。

 彼から届いたSNSを見て、あたしは思わず笑った。

「はは。 疲れてる疲れてる」


『待ってて。 いま行くから』

 

 待ってて——  


 彼は誰に待ってて欲しいんだろう? 

 みんな?

 同期?

 それとも——


「……そんな訳ないか」



「すいません‼ 遅れましたぁ!」

 三十分後、彼はキャリーケースを持って、店に入って来た。

「おー! 遅ぇぞ!」

「メシ、食ったか?」

「いやぁ、急いで来たから、何も。 腹減ったぁ」

 彼の下がった眉毛が、落ち着ける席と、食べる物を探していた。

 だが会が始まってから時間が経てば、食べる物はどんどん無くなる。

 案の定、ほとんどの席の食べ物は無くなっていた。

 あたしの目の前の皿以外は。

 テーブルを泳ぐ彼の視線が、あたしの前の席で止まる。

 誰も座ってない席と食べ物、そして、あたしの所で——


 何となく察しが付いたのだろう。

 すごく嬉しそうに彼は笑い、あたしは『こっちこっち』と、タバコを吸いながら

手招きをする。

「俺、あそこでメシ、食ってきます」

「何だよー! 空きっ腹で飲もうぜ!」

「後で後で。 ふぅ、お疲れ」

 ネクタイを緩めながら、彼があたしの前に座る。

「お疲れ。 コーラ、頼んどいたよ」

「おお、悪りぃな、いつも」

「悪くないよ」

「待ってた?」

「みんな待ってたよ」

「違うよ。 お前だよ」

「あたし?」

「そう。 いただきまーす」

 彼はあたしの方を見ずに、食べ始める。


「『待ってて』って、送っただろ?」

「そうだけど……」

 席を動かずに、ずっと待ってたなんて、言いにくい——

「あっ、これ旨い。 もうちょっと早く来たかったんだけど、やっぱ最終日は何だかんだあって、ダメだな」

「そんなもんでしょ。 事務連絡とか絶対、ある訳だし」

「分かってたけど、でもそのお陰で、皿いっぱいにさせちゃったしな」

 そう言って彼は、食べ物の方ではない、別の皿に視線を移した。

 あ……灰皿——

「気にしてくれてたんだ」

「ずっと、気になってたんだよ」

 ずっと……?

「お前、いつもタバコ吸うからって、端の席にいるけど、どうもそれだけじゃない気がしてたんだよ」

「そ、そんな訳ないじゃん! あんたが勝手に、あたしの前に座——」

「俺、何も言ってないけど」

 彼が箸を止めた。

「研修の最後にさ、


『いままで当たり前だと思っていたことを、ちゃんと認識することが大事』


——そう言われたんだよ」

「……何それ」

「だから……  ありがとな、いつも」

 いつもと違う真面目な顔の彼。

「な、なに言ってんの? ずっと前から、こんな感じでしょ、あたしたち」

「分かってるよ。 だから、ずっと前からだったんだよ」

「えっ?」

 

 それって、どう言う意味——


 そこから、彼もあたしも次の言葉を探しながら、あたしはタバコの火を見つめ続け、彼は届いたコーラの気泡を、眺めていた。

「研修終わったし、今度、二人で飲みに行かねえ?」

「えっ?」

「えっ?て、言葉の通りだけど」

 ジッとあたしを見る彼。

 お、落ち着かなきゃ……

 動揺を悟られないように、短くなったタバコを消し、新しいのに手を伸ばすと、

「……ない」

「どうした?」

「あっ、いやぁ……」

 何でこう言う時に限って、タバコ切れるのよ……

「どうする? 嫌なら仕方——」

「い、行くよ! 行くっ‼」

 被せるように、返事を返すあたし。 恥っ——絶対あたし、笑顔だ。

「おお。 なら、場所決めようぜ」

「うん! でもその前に、あたしタバコ買って来て良い?」

「一緒に行こうか?」

「平気! ちゃんと食べてて!」

 小躍りしたい気持ちを抑えて、あたしは席から立ち上がる。

「分かった。 気を付けろよ」

「そこ、取られないでよね」

 そこはずっと、あたしの席なんだから——



               ✿



「わざわざ個室、選んだんだ」

「空いてたからな。 その方が、のんびりできるだろ」

 彼が言うには、二人で見つけた居酒屋の中に、限定個室があり、予約確認の電話の際、たまたま空いていた、と言うことらしい。

「じゃぁ、改めて……研修終了、おめでとう! アーンド昇進おめでとう!」

「お互いの、一年間の頑張りに!」


「乾杯!」

 

 二つのグラスが、高い音で祝いを奏でる。

「これで四月から、あたしの上司かぁ」

「いや。 支店移動になった」

「えっ?」 ——何それ⁉

 唐突な彼の言葉に、

「ほ、本当?」

「本当だよ」

「な、なんでそれ、今まで言わなかったの⁉」

 楽しかった雰囲気が、一気に冷めていく。

「言えなかったんだよ。 って言うか、今日決まったんだよ」

「何それ? そんなことある⁉」

 あたしは飲もうと傾けていたグラスを、一旦テーブルに置く。

「昇進試験の要項に、エリア移動があって、出来ればこのままでいさせてほしいって言ったんだけど」

「ダメ……だったの?」

 彼が無言で頷く。

「そんな……」

 せっかく、彼のための頑張ろうと思っていたのに——


「……だから、隣の支社にしてもらった」

「は、はぁっ⁉」

「ビビッた?」

 あたしの表情を見て、彼が嬉しそうに笑う。

「ふざけ……! ビビるわけ……」

「あっはっは! 移動してからも、ちょくちょく行くから、よろしくな」

「もう! 心臓に悪いわ」

 ——良かったぁ。

安心したあたしは、落ち着きを取り戻そうと、タバコに火を点け、大きく吸い上げた。

「今度ビビらせたら、コーラ、ピッチャーで頼むから」

「悪い、悪い。 さぁ、食べようぜ」



 それからあたしたちは、色んなことを話した。

 最初の印象、

 同期の話、

 一緒に頑張ったプレゼン、


 そして、これからのこと——


 少しづつ、世界が二人だけの空間に変わっていく。

 壁を隔てた周囲の音も気にならない程度に、心地良く感じ、弾む会話がリズミカルに心を奏でる。


「醤油、いる?」

「いる」

「はい。 そう言えばさぁ、噂で聞いたんだけど、あんたのスマホ——」

「み、見せねーよ!」

 醤油を取りながら発した言葉に、突然、絵に描いたような動揺を見せる彼。

「何その反応? なんかやましいことでもあるの?」

「ち、違ぇーよ!」

「怪しい……ちょっと、見せてよ!」

 思わずテーブルに置いてある、彼のスマホに視線が行く。

「ちょ……ダメだって!」

「皆が見せてもらえって、言ってたよ」

 ——絶対、見た方が良いって。

「何言ってんだよ⁉ 見ない方が良いって」

「えー、見たいじゃん。 そんな反応されたら余計に!」

「ダメだって! それならまず先に、お前の見せろよ」 

「こう言うのは、男性が先に見せるもんでしょ」

「何だよ、その自己紹介はまず自分からみたいなの!」

 彼が自分のスマホを、テーブルから取ったのを見たあたしは、

「分かった! あたしの見せてあげるから!」

「いや、良いよ! 見ない!」

「なんでー⁉ あたしのと交換しよーよ!」

「良いって! 見せられねーし!」

「お願い! あたしの渡すから、ほら——痛っ!」

「どうした?」

 彼にスマホを渡そうとした瞬間、耳に痛みを感じた。

「あっ……痛たたた」

 左側の視界の隅に、糸のような物が見え、それが今日降ろしたてのピアスに、服の糸が引っ掛かっていることが分かった。

「大丈夫か?」

「う、うん。大丈……」

 何とか取ろうとするけど、脱がないと取れそうにない。 けれど、服を脱いでも首の部分で引っ掛かって、どうにもなりそうにない。

「痛……」 

 どうしよう——  もがくあたしを見て、

「俺が取ろうか?」

「う、うん……」

 どうにもならない様子が彼にも伝わり、代わりに引っ掛かった部分を、取ってくれると言う。

「ちょっと側に行くから」

 そう言って彼は、あたしの隣に座り、左耳のピアスをまじまじと見つめる。

「ごめんね。余計なことさせて」

「何言ってんだよ。 動くなよ、いま取るから」

 彼の顔が耳元に近付く。

 近……  彼の息が、耳に掛かる所まで来る。

「ちょ……」

「結構絡まってるから」

「い、痛くしないでよ……」

「分かってるって。 ちょっと触るぞ」

「えっ?」

 彼の指が、あたしの耳に触れる。


 息だけでも……息だけでもマズイのに、指が触れたら——


「ハ、ハサミで切るから良いよ」

「持ってるのかよ?」

「……ない」

「俺も持ってないよ。 店の人に聞いてみるか?」

「えっ? 嫌だよ……恥ずかしい」

「じゃぁ、我慢しろよ。 ちゃんと取るから」

「……分かった」

 あたしは仕方なく、身を任せることにした。

 彼の指があたしの耳に、触れたり離れたりを繰り返し、彼の吐息があたしの首元や、耳に吹きかかる。

「くそっ……取れねーな」 

良かった……彼はピアスに夢中で、あたしの表情には気付いていない。

 どんな顔してるか、自分でも見えないけど、想像はつく。

「大丈夫か? 痛くないか?」

「だ、大丈夫……」

「本当かよ? 耳、赤いぞ」

「だ、大丈夫だってば……」

 バカ! 耳が赤いのは、痛いからじゃないよ!

「時間、掛かり過ぎじゃない?」

「文句言うなよ、何ヶ所も絡まってるんだから」

 どうしよう……その内、耳だけじゃないってバレちゃう、赤いのが!

「じゃぁ、なんか喋りながらやってよ。 なんか落ち着かないから」

「ああ、悪りぃ。 そうだな」

 これで、少し誤魔化せ——

「お前の待ち受けってさぁ」

「えっ?」

 彼の言葉に、あたしの体がビクンと反応する。

「おい、動くなって」

「ご、ごめ……」

 嘘でしょ?

「お前の待ち受け、グラスなんだって?」

 なんでそのこと——

「グ、グラスって?」

「……二つのグラス」

 彼の口調が変わった。

「二つ?」

「片方はグロスが付いてて、もう片方は飲み残しのコーラが入ってるやつ」

「な、何それ……?」

 そんな……誰? あの時、誰か見てたの——⁉

 次の言葉が出ないあたしに、彼の指が止まる。

「取れたよ」

「……ありがと」

「それってさ、飲み会の時の——」

 彼が息を飲むのが分かる。

「——俺たちのグラスだよな?」

「…………」

 あたしは何も言えず、頷くしか出来なかった。

「これ」

 彼が自分のスマホを手前に引き寄せ、あたしに待ち受けを見せてくれた。

「あ……」


 そこには——


「ありがとな。 こんなになるまで、待っててくれて」

 慰労会の時の、灰皿に山盛りになった吸い殻の画像。

「あ——  ……うん」

「皆が言ってたよ。 頑なにあの席から動かないで、誰かが座ろうとしても、許さなかったって」

「そんな訳——」

「お前の、見せてくれる?」

「……分かった」

 あたしは彼のスマホの横に、待ち受けを出して、置いた。

「やっぱり……。 珍しい待ち受けにしてるって、皆が噂してたからな」

 噂……確かにあたしは、そう言ったことに無頓着だったから、よくこの画面のまま、自分のPCの横に置いておくことが多かった。

「だから今日、確認したかった」

「……何の確認?」 

 もう分かってるクセに——


「……今日からで良いかどうか」

「今日から?」 

「……耳、痛そうだな」

 彼の指が、あたしの耳ではなく、頬に伸びて来る。

「……痛くない」

「でもまだ赤い……顔も」

「誰のせいよ」

「俺のせい?」

 彼の顔が近づく。

「決まってるでしょ」

「お詫びいる?」

 少し緊張した彼が、あたしに尋ねる。

「いる」


 彼が顔を傾け、触れる寸前であたしは、ゆっくり瞼を閉じた——


 無音の後に来る息苦しさが、あたしと彼が、確かに繋がっていることを自覚させた。

「……待たせ過ぎ」

「悪りぃ」

 彼は一言そう言うと、

「にしても、……ちょっとヤニ臭い」

「はぁ⁉ なに言ってんの⁉」

「いや、ちょっと……本当にちょっと」

「酷―い‼ 自分だって、コーラじゃん! 初キスがコーラって! 青春アオハルか! もう、今日はなし!」

 甘かった——

「はぁ⁉ ダメだね! もう今日から。決まり」 

「絶対、ダメ! ちゃんと告れ、少年!」

 ——好きな人とのキスの味は。

「少年じゃねーわ! 成年、立派な大人」

「なら、大人の告白しろー」

「直接、『好き』って言わねーのが、逆に良いだろ?」

「良くない!」

「良い」

「悪い!」

「悪くない」

 笑顔で言い合い、時々見つめ合う、あたしたち。

「本当は?」

「……悪くない。 全然! 悪くなーい‼」

 抱き着くあたしに、困ったように笑う彼。 

 まんざらでもない姿に、あたしは心の中で呟いた。


 大好きだったんだぞ! って———


                          【 終 】

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