第33話、勧誘

「くあぁ・・・うにゅ・・・んー」


 大あくびをしてから、まだ少しぼーっとする頭のまま体を起こす。

 そして鞄から着替えを取り出し、寝間着から着替えて部屋を出る。

 鍵を閉めて食堂へと向かうと、良い匂いが腹を刺激して来た。


「おや、おはよう。あははっ、寝ぼけた顔だね」

「んむ? 女将か・・・おはよう・・・」


 まだボーっとしたまま昨日受付に居た女性、この宿の女将に挨拶を返す。

 どうやらこの宿は女将と旦那、そして娘の三人で経営しているらしい。

 その旦那はどこかと言えば、厨房にて料理人をしている。


 どうもこの宿のメインは宿ではなく、旦那の居る食堂の方らしい。

 下手をすれば宿だと思っていない人間も居るそうだ。

 女将の娘も食堂を手伝っており、看板娘として働いているから余計にか。


 逆を考えれば、女将が一人で宿を管理しているという事でもあるが。

 むしろそれを考えると、女将の方が凄い様な気もする。


「・・・朝食を食べに来たんだが、良いだろうか」


 匂いに刺激されたのか、さっきから腹の音が煩い。

 空腹感のせいか目も覚めて来た。

 そんな俺を見る女将はクスクスと笑いながら口を開く。


「勿論さ! って言いたい所なんだけど、昨日のアンタの食いっぷりを知った後だと、悪いけど追加料金になるねぇ。あの量を通常の値段で食われちゃ、うちは潰れちまうよ」

「・・・まあ、そうだろうな」


 どうもこの体は、燃費が良いのか悪いのか良く解らない所が有る。

 護衛依頼の旅の間は、宿に泊まっている時の食事だけは大量に食べていた。

 だが野営中に出せる食事量は決まっていて、俺も決まった量しか食べていない。


 それでも特に問題無く動けて、けれど昨日は大量に食べなければ満足出来なかった。


「そうなると、今は手持ちがない。組合に行けば護衛依頼の報酬が入っているとは思うが・・・ああ、手持ちの宝石を売れば何とかなるな。何処か換金出来る所を教えてくれ」


 下手をすると俺は組合と敵対する可能性がある。となれば宝石を売る方が確実だろう。

 因みにこうやって喋っている間も、グーグーと腹は鳴り続けている。


「はいはい、良いよ良いよ、後払いで。そんなに腹をすかした状態で放り出せる訳ないだろう。もし払えなかったらゲオルドに払わせるさ。気にせず食堂に行っておいで」

「すまない、助かる・・・支払いは必ず自分でする」

「あいよ」


 ずっと鳴り続ける俺の腹の音に、くくっと笑いながら告げる女将。

 女将の優しい判断に感謝しつつ食堂へ向かい、看板娘に声をかける。

 ただ看板娘と言っても、本当に可愛らしい幼い看板娘だ。


 いや、庇護欲を引き立てる年齢は、ある意味で看板娘足り得るか。


「食事を頼む。量多めで頼みたい。仕込みに時間のかかる物は無しで構わない」

「はーい、あ、昨日のお嬢ちゃんね。父さんに伝えておくから、あそこに座って少し待ってて」


 お嬢ちゃんにお嬢ちゃんと呼ばれる。その事に若干違和感を覚えつつも素直に従う。

 促された席に座って少し待つと、本当にその少しの時間で料理が出て来た。


「流石に早すぎないか。別のテーブルの注文では」

「大鍋で仕込んでた物を出しただけだから。弱火でずっと煮込んでるから、ちゃんと暖かい料理だから安心して。それ食べてる間に別の料理を作ってるからね」


 成程。そういう事ならばと、出された料理を口にする。

 昨日も夕食でこの食堂の料理を口にしたが、食堂がメインというだけあって流石に美味い。

 領主館で食べた料理と違い庶民的ではあるが、間違いなく劣ってはいないと言える。


 調味料は比べるべくもない程に少ないが、それを知識と腕で補っているという感じだ。

 別の世界、高度な文化の時代を知っている身でもそう思えるのだから、当然人気になるだろう。

 食堂は朝だと言うのに賑わっていて、これから仕事なのであろう人間達が多く居る。


 ただこの食堂が別の街でも経営出来るかと言えば、少し難しいかもしれない。

 この街には金が有り、言ってしまえば住人の殆どが裕福だ。

 とはいえスラムは在るらしいが、それでも全体を見れば金が有る。


 だからこそ、食に金を落とす余裕がある者が多く、この食堂は余裕で経営出来ている訳だ。

 先程調味料が少ないとは思ったが、それはあくまで『貴族に比べて』でしかない。

 それなりに調味料が使われている時点で、どうしたって料金はそこそこ高くなる。


「おはよう、ミク」

「おはよう」


 美味い料理を堪能していると、背後からセムラが抱き着いて来た。

 接近には気がついていたが、目の前の料理の方が重要だ。


「むぅ、気が付かれていたか。私もまだまだ精進せねば・・・」


 セムラは悔し気に俺から離れ、隣の席に座って俺の料理をつまむ。


「相変わらず、美味しい。良い所でしょ、ここ」

「ああ、良い所を教えて貰った」


 宿は清潔で、ベッドも寝心地は良く、食堂の料理も美味い。

 当然それなりに割高だが、サービスの内容を考えれば安い方だ。

 少なくとも、護衛の道中で泊ったどの宿よりも良い宿ではある。


「私達移動では金を使わないから、こうやって宿で金を使える」

「確かに、護衛依頼の利点だな、それは」


 何処の街に行っても、宿で豪勢に金を使えるのは強みだろう。

 それに仕事中も食事に困る事は無く、宿に泊まる事も多い。

 利点だけを考えれば、護衛依頼は物凄く利の高い依頼だな。


「だから、ミクも、一緒に行かない?」

「魅力的な提案ではあるが、な」


 ゲオルド達と共に行くのであれば、きっと気楽な日々を送れる予感が有る。

 護衛依頼も俺の力であれば問題は無く、金も多く稼げる事だろう。

 それはきっと、ああきっと、楽しい日々が待っている気もする。


「だが悪いな。答えは昨日と同じだ。一緒には行けない」

「・・・そっか」


 だがその答えは既に出している。俺は護衛依頼を受ける生活をする気は無い。

 俺は目的があって辺境に来た。昨日の事を考えると尚の事目的果たさねばならない。

 もっと強くなって、誰にも邪魔されない程に強くなって、我を通し続ける為に。


 その為には魔獣が多く出るこの土地は、俺にとって都合が余りに良すぎる。

 セムラの提案をとても魅力的だと思う自分は居るが、それでもこれは曲げられない。


「それに・・・」

「それに?」


 思わず口に出た呟きは、けれど気が付いて途中から言葉にはしなかった。

 きっと俺はゲオルド達に迷惑をかける。きっとかけ続けるだろう。

 俺と一緒に居続けたら、彼らにとって良くない結果になるのが容易に想像できる。


 それは嫌だ。俺は悪党になると決めたが、世話になった者の足は引っ張りたくない。

 自分の生き方は変えないと決めている以上、彼らから離れた方が良い。

 だがそれを口にしてしまえば、きっとセムラの勧誘は逆に激しくなるだろう。


 そんな事を気にするなと。自分達はそんな事を気にしないと。

 護衛の間の短い付き合いではあるが、それぐらいの事は想像できる。


「いや、何でもない。セムラは何か頼んだのか?」

「ううん、今から。おじょーちゃーん、私も何かちょーだーい!」


 セムラは俺へ追及をする事なく、食事の注文をしながら俺の料理をつまむ。

 もしかすると、彼女は俺が何を考えているのか察し、その上で何も言わないのかもしれない。

 けれどそれを確かめる事は藪蛇になりかねず、結局の所は黙って料理を口にする。


「おー、もう起きてたのか。早いな二人共」

「おはよう、セムラ、ミクさん」


 そこでゲオルド達も合流して、のんびりとした朝食の時間を過ごした。

 ・・・この穏やかな時間は、俺の決意を鈍らせそうになるな。

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