第2話 トラウマなアイツ


 その日の午後。事務所を兼ねている実家のリビングに、例の就職希望者がやってきた。



。大木優花ゆうかです。本日はよろしくお願いします」


 俺の目の前で礼儀正しく頭を下げるリクルートスーツ姿の女。

 かたや彼女を事務所に迎え入れた俺は、頭を抱えたい気持ちを必死に抑えていた。



(おいおい、嘘だろ……マジで宮野みやのが来ちまったじゃねぇか)


 たしかに苗字は違うし、雰囲気も変わってはいる。だがあの声と顔は間違いない。コイツは高校生の時に俺を虐めていた、クラス委員の宮野優花と同一人物だった。



「あの、どうかされましたか?」


「い、いや。私はオーナーの小仏こぼとけです。どうぞ、そこの椅子に座ってください」


 声がやや上擦ってしまったが、どうにか平静を取り繕うことができた。


 大木は「小仏……?」と僅かに不思議そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して席に着いた。そして改めてこちらを見つめてきたので、俺は思わず視線を逸らしてしまった。


 だって仕方ねぇじゃん! 今さらどんな顔すりゃいいのか分かんないし……。いや、それよりも問題は、彼女がなぜここに来たかということだ。


 ていうか本当にうちの薬局で働く気じゃないよな!? まさかコイツ、俺に再び嫌がらせをするためにこんな手の込んだことを!?




「あの、大丈夫ですか?」


「え? あぁ、はい。すみません」


 大木は心から気遣うように声を掛けてきた。一見すると他意があるようには思えない。


 というよりコイツ、マジで俺に気付いていないのか?



 ……クソッ。すぐにでもこの場から逃げ出したいところだが、残念ながらそうもいかない。こんな俺でも、社会人としてのプライドがある。ここはなんとしてでも切り抜けるんだ……!



「き、今日は天気が良いですねぇ!?」


「え? あ、はい。ここ数日は猛暑日が続いているみたいで……熱中症にならないように注意が必要ですよね」


「おおっ、さすがは現役薬剤師。みや……大木さんのおっしゃる通りです」


 いやいやいや、何を言っているんだ俺は!? ようやく口から出せたのが、天気の話題ってオカシイだろ!!


 キョドり過ぎて完全に挙動不審になってんじゃん!! 大木もちょっと引いてるぞ! ほら見ろ、目を丸くしちゃっているじゃないか。



 俺は羞恥と後悔で死にたくなってきた。穴があったら入りたい。むしろ今から庭に掘ろうかな……。


 ひたいから止め処なく流れ出る汗をハンカチで拭きながら、俺は必死に打開策を考える。このままでは間違いなく面接にならない。なんとかして話を繋げなければ。


 しかし焦れば焦るほど、俺の思考は空回りするばかりだ。くそっ、なんなんだコレは。まるで身体が自分のものじゃなくなったみたいな感覚だ。



「いやぁ、室内だというのに暑くてすみません。冷房の具合が悪くて。この通り面接といっても私しか居ませんし、麦茶でも飲みながらどうか楽に受けてください」


「……ありがとうございます」


 キッチンの冷蔵庫に向かい、あらかじめキンキンに冷やしておいた二本のペットボトルを取り出す。そのうちの一本をテーブルに置いてやった。


 悪いが俺は遠慮なく飲ませてもらおう。こっちは緊張で喉がカラカラなんだ。



 ……しかし、俺と違ってコイツは冷静だな。緊張もないのか、ずっとすまし顔だし、汗一つ掻いてやしない。それにあの参考書のような模範的な返答。真面目なクラス委員だったあの頃のアイツを思い出すぜ。



 だが見た目は年相応というか、かなり大人びた印象に変わっている。

 メイクもバッチリで、美人さに磨きが掛かっている。高校時代は校則違反になるからってメイクなんてしていなかったのにな。


 光沢のある長い髪はうっすらと茶色に染めていて、清潔感が出るように後ろで縛ってポニーテールになっている。


 スタイルも女っぽく成熟され、スーツのスカートから伸びる脚は程よくムチムチしていて……って、いったい俺はなんのチェックをしているんだよ。見た目は面接に一切関係ないっつーの。



 それに幾ら美人になっていようとも、俺にとっては仇敵だ。決して気を許してはならない。コイツはクソ真面目な委員長タイプだが、中身はとんでもないクズ女なんだ。


 俺を思い込みで悪者と決めつけ、クラスで孤立させやがった。あの時の恨みは一生忘れないからな。



 ……ん、待てよ? もしや今の状況って、昔の恨みを晴らす絶好のチャンスなんじゃないか?


 なにしろこちらは雇う側で、コイツは雇われる側だ。面接でコイツの薄汚い本性を暴いて、不採用にしてやることも可能だ。



 ――よし。そうと決まれば、まずは情報収集をしてみるか。


 圧迫面接? いやいや、そんなことはしないさ。あくまでもこっちは相手の嘘を暴くだけだ。



「それでは大木さん。履歴書を見せていただけますか?」


「はい」


 俺がそんな悪だくみを考えているとは露知らず。大木は何の疑いもなくバッグから一通の封筒を取り出すと、俺に手渡した。封筒を受け取り、中に入っていた履歴書に目を通していく。



「……随分と優秀なのですね」


「ありがとうございます。勉強ぐらいしか取り柄が無かったので……」


 本人はそう謙遜するが、履歴書に書かれていた学歴は大したモンだった。高校こそ俺と同じだが、大学は国内でもハイレベルな大学の薬学部を卒業している。それも金持ちが多いことで有名な学校だ。


 その後は有名大学病院に就職。二年ほど働いて退職、か……。



「――どうされましたか?」


「いや、ちょっと驚きました。ちなみに、病院ではどのようなご経験を?」


 まったく、笑っちまうぐらいのエリートだ。というか、どうしてそれだけ優秀なのにこんなクソ田舎にやって来たんだろう。



「えっ? えぇと、病院では……病棟薬剤師として、患者様に親身な医療を提供して……」


「……? 病棟薬剤師というと、結構ハードな業務らしいですね」


「あ、はい。そうでした、かなり大変で……それで辞めました」


 どうしたんだ? 最初はあれだけハキハキと質疑に応答していたのに、急に歯切れが悪くなったぞ?



「大丈夫ですか? 顔色が少し悪いようですが……」


「す、すみません。暑さで少しボーっとしてしまったようです」


「具合が悪いようでしたら、いったん休まれますか?」


「うえっ!? だ、大丈夫です! 続けてください!!」


 大木はそれまで手を付けなかった麦茶に手を伸ばすと、勢いよく飲み始めた。よく見れば額に脂汗が浮いている。彼女が本調子ではないのは明らかだ。

 


「……そうですか。もし何かあれば遠慮なく仰ってくださいね」


「お気を使わせてしまって、すみません」


「いえいえ。では次にこの資格に関してですが……」


 態度の変化に内心で首を傾げつつも、俺は質問を続けていく。一旦は調子を持ち直したかのように見えた大木だったが、顔色は悪くなっていく一方だった。


 俺が問い掛ければ答えるものの、時折ハッとした表情を浮かべては口籠くちごもり、落ち着きがなくなってくる。



「あとは勤務していただく時間ですが……あれ? これはちょっと困ったな」


 履歴書の希望勤務時間に目を落とし、俺は眉を寄せた。


 ウチが募集していたのはフルタイムの勤務体制だ。基本的に薬局の営業時間に合わせるため、朝の9時から夕方の5時まで居てもらわないと困る。


 だが彼女が履歴書に書いていた希望は、昼の数時間のみだった。



「あの……すみません。できればパートの扱いに変更していただきたくて」


「ほう? なにかフルで働けない事情ができてしまったと」


「えっと……その……はい……」


 大木の声がどんどんと萎んでいく。最初の頃にあった威勢は、すっかり消え失せてしまっていた。目もなんだか潤みはじめている。


 参ったな……。別に責めたいわけじゃないんだけど、ウチとしては勤務時間を変えるのは難しいぞ?



「差し支えのない範囲で理由を教えていただければ、こちらもシフトの調整を考慮しますが……」


 自分でも我が儘を言っている、という自覚があったのだろう。彼女はシュンと肩を縮こまらせ、まるで許しを請うように上目遣いで俺を見つめた。



「実は私、両親の借金で困っていまして……。夜は隣町にある居酒屋で、アルバイトをすることになっているんです」


「借金……では、その返済のために?」


「――はい。引っ越した先の大家さんが居酒屋のオーナーで。夜はそこで働くことを条件に、アパートを格安でお借りしている状態なんです……」


 おいおいおい。お前が歩んでいたエリート街道はどうしたんだよ!?


 履歴書にない部分がダークすぎる。随分と雲行きが怪しくなってきたじゃねーか。



「その、ご両親とかは……」


「両親はすでに他界しました。高校生の妹はおりますが、私が養っている状態で……だからどうしても、お金が必要なんです!!」


 マジかよ、まさか今のコイツがそんなことになっているなんて。借金の程度は分からないが、かなり切羽詰まっているようだぞ。



「しかしこちらも経営が……」


「お願いします! どうしても、ここで働きたいんです!」


「どうしてそこまで……街の方なら大きな病院もありますよね? 言い方はアレですけれども、薬剤師の免許をお持ちならどこでも働けるんじゃ……」


 つい俺も真面目に答えてしまったが、コイツの言っていることは無茶苦茶だし、矛盾が多い。もしかしたら、他にも何か履歴書には書けないことを隠しているかもしれない。



「病院はちょっと……苦手で……」


「苦手? 以前は働いていたのに!?」


「すみません……もう私にはここしか無いんです……時給が下がっても良いので、どうか私を雇ってくれませんか……」


 高校時代、あれだけ他人に対して厳しかったはずの女が、今じゃ俺にペコペコと頭を下げている。そして綺麗な顔には焦燥感がありありと出ていた。



「だがなぁ……」


 復讐のことはすっかり頭から抜けていた俺だが、店の主としての責任がある手前、そう簡単には頷くことができない。



「申し訳ないが、こちらも商売なので。今回の話は無かったことに――」


 ついに大木が絶望的な表情を浮かべた瞬間。どこからか電話の着信音が鳴り響いた。


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