俺を虐めていた女が職場の面接に来たんだけど、好きにしちゃって良いですか?

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第1話 負け犬の遠吠え


 俺は因果応報という言葉が大っ嫌いだ。

 悪事をすれば、いつか天罰が落ちるって?

 ハハハ、何を馬鹿なことを。


 この世に神なんかいないし、バチなんて当たりゃしない。そんなご都合主義がまかり通るのなら、とっくの昔にこの世は平和になっているはずだ。


 ――そう、思っていたんだけどなぁ。



「あの時はごめんなさい!!」


「いやいやいや、ちょっと待てって! 半裸で何してんのお前!」


「お願い、この通りよ! 過去の罪を許してくれるのなら……私、何でもするから!」


 俺の足元で土下座をしているのは、自分がこの世で最も嫌っている女だった。それもバスタオル一枚という、ほとんど裸に近い格好で。


 ……これは夢なのだろうか? もしこれが現実だというのなら、あまりにも出来過ぎている。だけど頬をつねっても痛いし、何より目の前にいる彼女は間違いなく本物だ。



「はぁ、どうしてこうなっちまったんだ……」


 今まで負け犬にふさわしい人生を送っていた俺に、まさか復讐のチャンスが訪れるとは思いもしなかった。

 だがこの状況はあまりにも予想外。俺はしばらくの間、ただ呆然と立ち尽くしていた。



 ◇


 ことの始まりは、今から半日ほど前にさかのぼる。



 舞台は関東圏からハブられがちな山梨県。その中でもド田舎にある村で、俺は祖父から引き継いだ小さな薬局を営んでいた。


 二十歳で店主となって、今年でついに六年目を迎えた。個人経営の地域密着型と言えば聞こえはいいが、こんな過疎地では大して儲かる商売ではない。


 レジの前で暇を持て余し、たまに訪れる近所の爺婆を相手に生活用品を売る程度。他に来るとしたら、食料品を狙って忍び込む野生動物ぐらいなもんだ。


 それでも何とか潰れずにやってこれたのは、ひとえに両親が遺してくれた財産のおかげだったりする。


 そんな両親も五年前に他界してしまい、唯一の肉親となった祖父は現在入院中。だから店番をするのは必然的に俺の仕事となるのだが……。



「あ~っ、もう。クッソ暑いな……」


 連日のように続く猛暑に悪態を吐きながら、俺は汗だくでレジを打っていた。


 家屋の一部を店舗に改装しているのだが、その店内はコンビニよりも狭い。だというのにエアコンが古いせいで効きが悪く、サウナのような暑さになっていた。


 こんな日でも厚ぼったい白衣を着なきゃいけないのが、仕事の辛いところだ。レジの脇に置いたラムネまで汗まみれになっている。

 壁に掛けられた昭和レトロな扇風機が、この空間で唯一の癒しアイテムだった。


 ちなみに今の時刻は午後一時ジャスト。そろそろ昼休憩に入りたい時間帯ではあるが、生憎と今日に限って来客がいる。



「ほいよ、タケ爺。頼まれてた食料品に、栄養ドリンクのリボG十本入りケースが二箱な。今日はサービスで一本オマケしてやるぜ」


「おぉ、ありがとうな善行よしゆきよ。お前さんは本当に良い子じゃな」


 今日の客は、先代からの常連であるタケ爺だ。この人は妖怪並みの化け物で、齢九十を越えているのに現役バリバリの農家をやっている。しかもこの暑さだってのに汗一つ掻きやしない。


 タケ爺はしわとシミだらけの手でお釣りを受け取ると、重たい段ボール箱をヒョイと持ち上げて店の外へと運んでいく。どうやらチャリンコの荷台に荷物を載せて帰るつもりらしい。


 俺はレジ台に残っていた栄養ドリンクの箱を持って、タケ爺の後をついていく。モヤシっ子な俺は、軽い荷物を運ぶだけで精一杯だ。



「ほれ、ここで飲んでいくだろ?」


「モチのロンじゃよ。おぉ、キンキンに冷えておるな」


 荷物の積み込みが終わると、俺は店頭の冷蔵庫にしまっておいたリボGを渡してやった。


 タケ爺はそれを受け取ると、ねじ式のキャップをキュッと外し、グイっと一気飲みをする。そしてビールを飲み干した時のようにプハーッと息を吐き出した。


 この爺さんはこの飲み方がお好きなようで、これを毎回必ず行う。おかげで見慣れてしまった光景だ。



「くぅ~。やっぱり疲れた時には、やっぱりコイツじゃのぅ」


「って毎回そう言うけどさ。タケ爺が疲れている姿って一度も見たことが無いんだけど?」


「あぁん? こっちは三途の川に片足を突っ込んだ老いぼれジジイじゃぞ? いつポックリ逝くかも分からんわ」


 飲み終わった瓶を俺に押し付けながら、タケ爺はそんなことをのたまう。だがどう見ても死に掛けには思えない。百歳間近だっていうのに背中は真っ直ぐだし、喋りも軽妙だ。


 それに見た目だけなら、七十歳ぐらいにしか見えねぇんだよなぁ。正直、妖怪のたぐいにしか思えない。



「……ところで善行よぉ。この店には、アソコがおっ勃つようなドリンクは無いのか?」


「やっぱり元気なんじゃん。ていうか、その歳でまだ夜の方も現役ってか? 寿命が来る前に昇天しちまうぞ」


「ひょっひょっひょ。婆さんの腹の上で死ねるなら、儂は本望じゃよ」


 タケ爺は気持ち悪い笑みを浮かべながら、中指と人差し指の間に親指をグッと挟んだ。


 性行のハンドサインってか? まったく、これだから田舎のジーサンは下品で困るぜ。


 だが俺の嫌味など何処吹く風で、タケ爺はニヤリと口元を歪めた。



「はぁ~、お前さんは相変わらずのクソ真面目じゃの」


「あぁん? 悪かったな。生まれてこの方、俺はずっと真面目なの」


「……なぁ、善行よ。悪いことは言わん。お前さんも早いうちに、嫁さんを見つけるべきじゃって。この小仏こぼとけ薬局の跡継ぎを作って貰わにゃ、この村のモンが困る」


 急に真剣な顔付きになったタケ爺は、まるで俺をさとすように語り掛けてくる。


 この人は俺の両親が死んだ後、色々と面倒を見てくれた恩人だ。だからその言葉の意味は理解できる。


 要するに、早く結婚して家族を作れと言いたいのだろう。祖父も歳が歳だし、万が一亡くなったら俺が独りぼっちになってしまうから。



「あのなぁ。相手を見付けようにも、こんなクソ田舎のじゃ婆さんしかいないんだよ」


「もし儂の婆さんを寝取ったら、お前さんの頭をナタでカチ割るぞ」


「ばっか、そんなことしねーよ!」


 何が悲しくて、母親よりも年上の婆さんで童貞を捨てなきゃならんのだ。そんなのはこっちからお断りだっての。



「ひょひょ、冗談じゃよ。――さぁて。若者イジリも楽しんだことじゃし、儂は帰るかの」


「まったく、俺をオモチャにするなっての……あぁ、そうだタケ爺。嫁さんは無理だが、代わりに薬剤師は見つかるかもしれないぞ。ほら、前に医者で貰えるような薬が欲しいって言っていただろ?」


 以前はこの村にも病院があったのだが、唯一の村医者だった人が高齢で引退してしまっている。


 我が小仏薬局も薬剤師だった父が死んでからは医者の薬が売ることができず、爺さんたちには不便を掛けちまっていた。


 頭痛薬や胃腸薬ぐらいなら隣町まで行かずとも、近所の店で買いたいだろうしな。



「おぉ、そうか! それは助かるぞい。よっしゃ、他の奴らにも教えといてやらんとな」


 タケ爺も心なしか、ほっとした表情を見せている。俺はなんだか申し訳なくなり、頭をポリポリと掻いた。



「悪いな。こんな田舎じゃ、求人を出しても中々来てくれなくてさ。つい先日、働きたいって人からようやく連絡がきたんだよ」


「――ほぉ? それはオナゴか?」


「……え?」


 オナゴ? イナゴの間違いじゃないよな?


 言われた意味が分からず、間の抜けた声が出てしまった。するとタケ爺は顔のシワをさらに深めた。


 いかん……嫌な予感しかしねぇ! この笑顔、絶対ロクでもないこと考えてる時の顔だもん。



「その奇特な人物はオナゴなのか、と聞いておる」


「いやまぁ、そうみたいだけど……別に性別は関係なくね?」


 求人サイトから送られてきた情報ではたしか、俺と同い年の女性と書いてあったはず。履歴書は今日の面接で持って来てもらう予定だから、どんな顔かは分からないが。



「ひょっひょひょ、それはそれは。その子が可愛いといいな」


「……ばっか。俺は昔、女で痛い目に遭ったから嫌いだって言っただろ?」


 そういう見た目だけの人間なんて、俺は大っ嫌いなんだよ。人間は中身が大事なんだっての。



「だが儂の婆さんのように、どっちも優れていることもある。それを思うと善行、お前さんは少しばかり損をしている気がせんでもないのぅ」


 タケ爺は顎髭を擦りながら、しみじみと呟く。ジジイに惚気られたところで、俺にダメージなんか無いぜ。



「ならその婆さんが若い頃に会いたかったぜ」


「はっ、お前の爺さんも惚れとったからな。もちろん、儂が全力で阻止したが」


「おいおい、マジかよ祖父ちゃん。タケ爺とライバルだったのか……」


 タケ爺は誇らしげに鼻を鳴らすと、もう用は済んだと帰り支度を始めた。そして背中に掛けていた麦わら帽子を頭に被り、チャリンコにヒョイとまたがった。



「それじゃあな、善行。せいぜいそのオナゴを逃がすんじゃないぞ」


 タケ爺は最後にそれだけ言うと、自転車を走らせて風のように去っていった。田んぼのあぜ道を軽やかに進んでいく姿は、まるで少年のように若々しかった。


 ……まったく、世話焼きジジイめ。余計な一言を残していきやがって。



「とはいえ、タケ爺の言うことも一理あるんだよな。いったいどんな人なんだろう……」


 俺はまだ見ぬ相手に思いを馳せる。

 こんな田舎に来るのだから、もしかしたら何か事情のあるワケ有り女かもしれない。


 スマホを開き、求人サイトから送られてきた情報を見る。



「大木、優花ゆうかか……」


 苗字は違うが、下の名前が俺にトラウマを植え付けた女と同じだ。


 いやいや、まさかな。

 俺らの世代じゃ割とありがちな名前だし、さすがに同一人物ってことはないだろう。



「まぁ、いいか。会ってみれば分かることだし」


 俺は首を横に振ると、白衣のポケットからタバコを取り出した。ここは一旦、一服して落ち着こう。



「そもそも俺はアイツと二度と会わないように、こんな田舎に引き篭もっているんだ。再会なんてしてたまるかよ」


 あんなクソ女のことはもう忘れよう。


 プカプカと浮かぶタバコの煙を見ながら、俺は決意を新たにする。


 



 ――だがその決意はこの後、大きく揺らぐことになる。


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