毒牙

「これで、私が言えることは全てです」


 そう言って、アクシャはその瞳を揺らした。

 凛とした表情の彼女は、花瓶で咲きほこる純白のアネモネの様だ。


 硝子細工の台に羽ぺンを差し込むと、ルディは深く、彼女に礼をした。

 ペン先から染み出たインクが、美しい硝子の模様を浮かび上げる。


「本当にありがとうございます。真実を語っていただけたこと、心からの感謝と敬愛を」


 そう言って顔をあげたルディの瞳は、いつにも増して狂気に光っていた。

 ロベリアという獲物 だけでなく、近くにいる者全てを飲みこんでしまいそうな瞳に、アクシャは思わず息を飲んだ。

 

「ロベリアにここまで近づくことができたのは、間違いなく貴方の力があったおかげです。必ずや、ロベリアの真実を持ち帰ると約束しましょう」


 不敵な笑みをうかべる探偵にむかって、アクシャは額に指をあて、それを胸に伸しあてた。

 有手の全てを信頼し、自分の全てを託す。有手に最上の敬意を示すその動作に、ルディは少し驚いたような表情を見せた。が、すぐに美しい狂気を取り戻し、アクシャにその動作を返した。


「私に触れてきたロベリアは、あまりに無垢で、脆い少女でした。そんな子が、何故こんな悪魔になってしまったのでしょうか」


 ふっと目を伏せ、アクシャは呟く。


「あの子は、私をお姉様と呼びました。そして、またね、とも。

 私はあの子を────ロベリアを救いたいのです。まだ、あの子なら戻って来れるはずです」


 まっすぐな思いを紡ぐ彼女の顔は、透き通るような危うさが残っている。

 そんなアクシャの手を取って、ルディは強く握った。


 安心したように微笑むと、小さな音をたててアクシャが立ちあがる。

 それを見送るように、ルディは事務所の扉をあけた。淡く光る街灯の明かりが、夜の闇を際立たせる。いつもより暗い夜を見、ルディはその瞳を空へむけた。

 

 細い細い三日月が、ひとつ。今にも消えそうなそれは、闇に飲まれまいと必死で光を溢している。


「新月が近いのですね」


 獣も眠ると言われる新月の夜。全ての明かりは消え、街中が夜に溶けるのだ。

 全てを覆い隠す闇は安寧か、はたまた盲目か。


 そんなことを思いながら、ルディはもう一度、彼女に深く礼をした。


「お気をつけて。今宵は月明かりが淡い」


 ルディの言葉に、アクシャは空を見て笑った。


「ご心配なく。何せ私は────」


 柔らかくスカートの裾を摘み、軽く膝を曲げる。初めてこの場所を訪れた時と同じ優雅な礼を、彼女はして見せた。


 その姿から前のあどけなさは消え、決意や覚悟で溢れた気品を見に纏っている。アクシャはルディを見つめると、言った。


「白蛇の子ですから」


 そう、彼女は白蛇が守りたい唯一無二の祝福だ。

 それは大きな呪縛であり、同時に守護だった。


 アクシャは、その守護の主である白蛇に仇なそうとしている。それに気がついても、白蛇はアクシャを止めることができない。


 彼女に近づくものを威嚇する事はできても、アクシャに牙を向くことは決っしてない。

 アクシャを止める術が母には無いことを、彼女は理解していた。


「その通りですね。貴方には誰にも真似出来ぬ守護がある。それを操る力も」


 そう言ってルディは笑う。

 そして、去っていく彼女の背中にむけて小さく呟く。


「私の口から、必ず真実を話します」


 返事をするように、彼女の髪がふわりと揺れた。



 *+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*──*+†+*



 燭台で揺れる蝋燭の炎を見つめながら、ルディは彼女の話を思い返していた。

 溶けた蝋が側面を伝い、不規則な模様を描きながら落ちていく。


 その雫が燭台に落ちるのを見届け、ルディはその視線を手帳に落とした。


 手帳に書いた、いくつもの疑問。そのどれもが、後一歩。本当に後一歩のところまで来ている。 しかし、ロベリアは彼の伸ばす手をさらりと交わし、また遠くへ逃げていく。


 ルディは眉間に皺をよせ、頭を乱暴に掻き上げた。

 足跡を残しながら行方をくらませていく様は、挑発のようにも、この事件ゲームを楽しんでいるようにも見える。


(ロベリア。君は真に殺人を楽しんでいるのか?)


 猟奇殺人鬼。それが世間から見たロベリアの姿だろう。

 人を殺め、華を残す連続殺人鬼。 人を殺すことに人なみの罪悪感や苦しみを抱えているならば、できるはずのない所業だ。


「……まるで追いかけっこだな」


 ルディは苦笑し、呟いた。ロベリアは、調査員やルディの動きを知った上で、わざと尻尾を出しているのかもしれない。

 彼女にとってルディたちは、自分の思い通りに動く玩具にすぎない。

 そんな思いが、ルディの胸を掠めた。


(しかし……)


 ひとつ、残った違和感。それは、ロベリアがアクシャに残した言葉。


『ねえ、どうして貴方は人を殺さなくてもいいの?』


 殺人という一番の遊びを知ったロベリアが、それをしない義姉に疑問を持った。そう捉えるのが自然だろうか。


 が、ロベリアの言葉を聞いたルディは、彼女が心から殺人を求めているとは思えなかった。


「……もし、ロベリアが殺人を望んでいなかったとしたら……」


 この言葉は、全く違う意味を持つのではないだろうか。

 殺人とは無縁な平穏な生活を送る義姉と、望まぬ殺人を強制されている自分。


 同じ屋敷に住んでいるのに、何故自分だけ。


 運良く目撃者となった義姉に、その疑問を投げかけていたのだとしたら。


「ロベリアは……殺人を無理矢理に……!」


 半ば無意識で、手が震えた。今までに起きた6つの事件。ロベリアはその全てを、誰かの指示で行っていた。望んでいない残忍な行為を、何度も。


 そして、ロベリアに指示を出しているのは────。


「やはり、白蛇……」


 同じ屋敷にすむアクシャですら、意識しなければ気が付かないほどロベリアはそこに溶け込んでいた。

 仮にロベリアが侵入者だったとして、厳重な警備を交わしながら屋敷に潜むのは不可能だろう。それに、白蛇卿はアクシャが屋敷に潜む誰かの話題を出したとき、ひどく戸惑ったという。


 白蛇卿は、アクシャとロベリアを会わせないよう、尽くしていた。

 存在すらも、悟らせないように。


(ロベリアが娘に危害を加える可能性があったからか?嫌、ならばロベリアの自由を完全に封じるはずだ。……第一、言われるがままに人を殺めているロベリアが、飼い主の手を噛むような真似はしないか……)


 ならば、何故。アクシャとロベリアを同じ屋敷に置くこと自体が、ひどく危険なことだろう。それでも白蛇卿は、2人を屋敷に置いた。安全で、同時にひどく危うい自らの手の内に。

 

 白蛇卿にはロベリアを扱いきれる確証があった。否、それも無いだろう。

 実際、ロベリアとアクシャは屋敷内で接触している。


(手詰まり……か)


 ルディはため息をつき、手で空を仰いだ。その拍子に、机から何枚もの資料がすべり落ち、無造作に散らばっていく。

 もう1つ、部屋にため息が響くと、ルディは資料に手をのばした。


 その時だ。

 

 無数の資料の内の一つ。たった一つに、彼の視線は吸い込まれていく。


『Aletta-Shester』アレータ・シュヴェスター


 依頼人の、もう一つの名。それを見た途端、彼の頭に散らばっていたピースが、音をたててはまり始める。 


 やがてそれは、彼を真実へと導いた。


 白蛇卿がアクシャに偽名を与えた理由。一つは、アクシャの自由を確保した上で存在を隠す為。


 何故、存在を隠すのか。それは────。


「白蛇はロベリアの手網を完璧には握れていない……!」


 白蛇にとって、ロベリアとは最強の手札だ。

 たった1人で、国をひっくり返すほどの力を持つ反面、その牙は主をも貫く鋭さだ。


 もしも、ロベリアが主の手を離れたら。何か証拠を残してしまったら。

 四大貴族の一人、白蛇卿がこの大事件の黒幕と露見し、南の地は大打撃をうけるだろう。証拠をもみ消しても、一度立った噂は長い間、その身に着いて回る。 


 そして、洗いざらい調べられれば、娘がいると言う事実も世間に広まるだろう。


 噂と悪意の刃は、やがて娘であるアクシャにも向けられる。


 しかし、アクシャがアレータとなったら。

 身分を全て書き換え、海沿いの住宅街に身を潜める。出生の記録さえ消してしまえば、アクシャは一瞬で、名前も生まれも完全な別人となる。


「偽名は、万が一にも娘を巻き込まないための保険か……」


 自由と安全を与えるための守護と、自由を奪い、駒として操るための呪縛。

 アクシャとロベリアは、形は違えど白蛇の毒牙に侵されている。


 窓の外に視線を向け、ルディは言った。


「必ず貴方達を、その毒牙から救います」


 いつもより暗い空で、赤い星が瞬いたように見えた。





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