アネモネ

 胸に手をあて深く礼をする探偵に、依頼人であるアレータは目を奪われていた。

 白いドレスシャツに黒を基調としたジャケット。孔雀色のリボンタイの中央では、蛋白石オパールの装飾が輝やいている。


 この探偵を紹介してくれた人物は、『彼は獣のような男だ』と言うものだから、どんな表装かと身構えていた。しかし、目の前にいるのは、獣とは似ても似つかぬ美しい人で。


 浮世離れした月白の髪に目を奪われていると、その探偵は不思議そうに目を細めた。


「お客様……?」


 その声ではっと我に返ったアレータは、スカートを小さく持ちあげると、膝をまげて会釈をした。ふわりとひろがる薄紫色ラベンダーのスカートと、柔らかく巻いたプラチナブロンドの髪が、気品のある印象をあたえる。先程までの幼なさは、紅茶の瞳に沈んでしまったようだ。


「ご挨拶が遅れました、探偵様。わたくしの依頼を受けて下さったこと、大変感謝しております」


 鈴を転がすような耳触りの良い声が、彼女の口から紡がれる。探偵は瞳を優しく細め、彼女をテーブルへと案内した。

 

 まだ少し不安そうな彼女の瞳が、生けられた赤い真実の華アネモネを捉える。細い指が触れると、花弁はなびらが小さくゆれ、甘い香りが広がった。


「素敵な花ですね」


 柔らかな表情でつぶやくアレータに、探偵はふっと瞳を揺らした。


「そうでしょう。アネモネ──真実を告げる華と言われているのですよ」


 その言葉を聞いたアレータの表情が、僅かに強ばる。それを見逃さなかったのか、探偵は妖しげに瞳を光らせ、「真実を握る貴方にぴったりですね」と微笑んだ。


 彼が、どこまで見透かしているのか。全てを見通すような瞳に怯んでいると、探偵は優しげに笑い、彼女に座るよう促した。肌触りの良い皮が張られた椅子に腰掛ける。沈みこむような座り心地に、アレータは緊張が少しづつほぐれていくのを感じていた。


 同じように腰掛けた探偵の手には、小さな皮の手帳と羽ペンが握られている。擦れて色あせた手帳の表紙とセピアに染まったページは、彼が今まで解決してきた事件の数々を物語っていた。


「それではお客様。貴方の知ることをお話していただけますか?」


 底が見えぬ瞳が、彼女を見つめた。その眼光の鋭さに、背中がぞくりと粟立つ。アレータは小さく息を吸うと、「はい」と小さく返事をした。


 探偵の指が、手帳にのびる。乾いたページの音とほのかな皮の香りと共に、真っ黒なインクで滑らかに書かれた文字が彼女の目にとびこんできた。


『Aletta-Shester』アレータ・シュヴェスター


 彼女の名が題名タイトルとなったページは、真実が書きこまれるのを今か今かと待ち望んでいるようで。

 まだほとんどが空白のページは、彼女の語る真実で埋まっていくのだろう。美しいセピアに、黒いインクが一滴落ちた。インクがゆっくりとひろがり、辺りを黒く染めていく樣は、彼女の見た夜の光景に良く似ていた。


 煌びやかな街並みと、静かに迫る夜の闇と。賑やかな人々の歌声と、忍び寄る悪魔の足音と。響く悲鳴と血飛沫と、そして倒れる人の山と。


 荒い息をしながらアレータは、何かを決意したように手を強く握った。


「お話しましょう。の日、私はロベリアを見ました」


 アレータは瞳の奥に宿した真実を語り始める。

 それを覗きこむように、探偵はアレータの瞳をじっと見つめた。



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