元・勇者の“逆”異世界転生

紅柚子葉

第1話

 異世界転生。それは、今メディアを盛りに盛り上げているコンテンツである。どこにでもいる普通の人間がある日、異世界に転生しちゃった! というその名の通りのお話。それは、誰もが一度は憧れる、夢のあるお話……

 

「……ってことで、貴方には異世界転生してもらいます」

「……は?」

 死んだ者が導かれる神界の応接空間に、一瞬の静寂が訪れた。驚愕で空いた口が塞がらない男をよそに、女神は紅茶をじっくり味わっていた。

「まっ、待て! それって、つまりあれか⁈ 俺は死んだってことか⁈」

「まぁー、そーですねー」

「ちくしょう、どうしてだよ! あともう少しだったのに」

「まー、惜しかったですねー」

「おいっ! 俺は何で死んだんだ⁈」

「さー、どーでしょーねー」

「おい女神様! あいつらは、仲間は無事か⁈ それだけでも教えてくれ!」

「さー、どーでしょーねー」

「……おい、話聞いてんのか」

「さー、どーでしょーねー」

 何度質問をしても、女神は明後日の方向を見ながらボーッとしていた。繰り返される女神の味の無い返答に、男の堪忍袋は限界を迎えた。

「おいっ! クソ女神! 話聞いてんのかって言ってんだよ!」

「なっ、誰がクソ女神よ!」

「おめーだよ! 人の話くらいちゃんと聞け!」

「しょーがないでしょ⁈ 今日だけで899件も仕事してんの! あんたで900件目! おめでとう!」

「嬉しくねーよ! 何がおめでとうだ!」

「とにかく疲れたの! 早く帰りたいの! 早く帰って亀◯くんのドラマ観たいの!」

「誰だよ!」

 全力で怒ったせいか、二人は肩で呼吸をするほど息が切れていた。男は一度大きく息を吐き、平静をなんとか取り戻した。

「とりあえず、早く元の世界へ戻してくれ。あともう少しで魔王の元に辿り着けたんだ」

「あー、ごめん。それ無理だわ」

「はぁ⁈ 何で⁈」

「あんたは死んでから結構時間が経ってるっぽいのよ、蘇生魔法が通じないほどにね。そうなると、あの世界に戻るのは無理よ。無理ゲーよ」

「そんな……まじかよ……」

 男は頭を抱え、地にめり込むほど落ち込んだ。その様子を見た女神は、これでもかというほど大きなため息をついた。

「しょーがないわね。あんたの転生先、ランダムで決めてあげる」

「はぁ⁈ ランダム⁈」

「はーい、女神に文句言わなーい。それじゃあ、次の世界でも頑張って下さいねっ!」

 女神は最後に全力で笑顔を作り上げた。それと同時に男の体は宙に浮き、頭上に現れた魔法陣に引き寄せられた。

「おいっ! もう転生始まってんのか⁈ せめてどこに行くかくらい教えろよ!」

「それもそうね。えーっと、あなたの行く世界は……って、えっ⁈ “現実界ルリア”⁈ しかも日本⁈」

「おいっ! それはどこだ!」

「ちょっとあんた! 転生したら◯梨くんのサイン貰ってきてよ!」

「サインってなn──」

 何かを言いかけたところで、男の体は神界から消えていった。その様子を女神は羨ましそうに見つめていた。

「……良いなぁ、日本に行けるだなんて。私もライブとか収録とか行きたいよぉ」

 嘆きながらも、彼女は先程の男の資料に目を通す。そして、驚愕の事実を思い出した。

「……彼のステータス、リセットするの忘れてた」

 

 春。それは、出会いの季節。桜舞い散る並木路を一人で歩く青年がいた。

「おっ、見えてきた。あれが今日から僕が通う学校、峯岡高校か」

 新たな日常に胸が高鳴った。そんな彼の背後から、これもまた新たな日常に胸を躍らせた少年が走ってくる。暖かい陽気に包まれ高鳴りすぎた少年の感情は、彼の注意力を低下させていた。

 ドンッと少年は青年に勢いよくぶつかった。

「うわあああ⁈」

 その衝撃は想像以上に凄まじく、青年の体を桜の木まで突き飛ばした。青年はその木に頭部を激しく打ち、倒れてしまう。

「しらないおにいちゃん⁈ だいじょうぶ⁈」

「知ら……ない……は、よけ……い……」

 少年がすぐに駆けつけるも、青年は気を失った。深く、深く、深い海に落ちるような感覚だった。

(あれ……? 僕、死んじゃったの?)

 体が宙に浮かんでいる感覚がした。それと同時に、遠くからやまびこのように声が聞こえてきた。

(──のサイン貰ってきてよ!)

 少しずつ遠のいていく意識の中、最後にこの言葉だけが彼の頭にハッキリと響いた。

(サインって……誰の……?)

 

「おにいちゃん! だいじょうぶ⁈ おにいちゃん!」

 少年は声を掛け続けた。その声に呼応するように、周りの大人たちがぞろぞろと集まってくる。その中の一人である男性が少年に駆け寄った。

「坊や、どうしたんだい?」

「しらないおにいちゃんがとんでいったの!」

「飛んでいった? それってどういう──」

「飛んでいったんじゃない、突き飛ばされたんだ」

 目を覚ました青年が男性の話を遮るように声を発した。

「あぁ、君、大丈夫かい? 意識を失っていたようだけど」

「問題ねぇ、頭部から出血しているだけだ」

 そう言いながら青年はゆっくりと体を起こした。

「頭部から? ──って本当だ! 君、頭から血が!」

「問題ねぇって言っただろ、すぐに治せる」

 そう言うと青年は傷口に手を当てた。

「“簡易治癒ヒューリ”」

 すると、彼の傷から溢れ出ていた血がピタッと止まった。

「高等な治癒魔法じゃないなら使える」

 青年は何事もなかったように立ち上がり、落ちているカバンを手に取った。

「あ、この道具入れは俺のもんでいいよな? 当然のように持ち上げちまったけど」

 青年が振り返ると、周囲の大人はこれでもかと口が開いていた。

「どうしたんだよ、攻撃してくるグレートゴブリンくらい口開けやがって」

「だっ、だって君、今、傷を……」

「治したけど、それがどうした?」

 その場に沈黙が流れた。明らかに現実的ではない光景を目の当たりにすると、人は言語を失うらしい。

「き、君は……一体、何者だい?」

 男性からの問いに青年は「あ、そっか」とでも言いたそうな顔をした。彼は一度カバンを地面に置き、大きく咳払いをした。

「俺の名はクリュード=ランス・リヴォルディ。魔王討伐のため、グレディノール王より直々に命を授かった、勇者だ‼︎」

 青年は満足げな顔で天を指差した。が、周りの反応は青年が思っていたよりも薄かった。

(あれ? 前の世界ではこう言うとみんな『おぉ〜! 勇者様!』って言ってくれるんだけどな……)

「なんだ、君、頭がイタい子か」

「頭を打っておかしくなったのか?」

「やっぱりちゃんと病院で診てもらった方が良いよ」

 周囲に集まっていた人々が一人、また一人と離れていく。

(なんだ? この世界では勇者は嫌われているのか?)

 そんな疑問を抱きながら、青年はカバンを手に取った。誰もこれを持っていかなかったので、このカバンは自分のだと確信したのだ。

「さてと、これからどうするか……」

「それは、私が説明させていただきます」

「……ん?」

 振り返ってみると、さっきの群衆から一人だけ残っていた。黒い短髪に隠れたエメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝く若い女性だった。

「君は?」

「私の名はミサエル。女神アインヒュルデ様より遣わされた天使です」

「女神アインヒュルデってもしかして……あのクソ女神か」

「クソ女神ではありません。アインヒュルデ様です」

 クリュードの発言をミサエルは即座に遮った。

「はいはい、悪かったよ。で、説明してくれるか? この世界について」

「はい、もちろんです。まずクリュード様に伝えなければいけないことが三つあります」

「三つか、多いな」

「頑張って聞いてください。まず一つ目、この世界でのあなたの名前は『香野郁哉こうのふみや』。いたって普通の高校生です。二つ目、この世界に。先程の方々が“簡易治癒ヒューリ”に驚いていたのもそれが理由です。そして三つ目、魔法が存在しないこの世界で、なぜあなたは魔法を使えるのか。それは、アインヒュルデ様があなたのステータスをリセットするのを忘れていたためです」

「ステータスをリセットしてない? なんだ、やっぱりクソ女神じゃねえか」

 クリュードの発言にミサエルは目を尖らせた。

「悪い悪い、続けてくれ」

「……はい」

 ミサエルはまだ何か言いたそうな顔をしながらも、説明を続けた。

「先ほども説明した通り、この世界に魔法は存在しません。しかし、本来存在しないはずの魔法をあなたは使うことができる。ですので、クリュード様には魔法を使わないよう、お願いをしに参りました」

「魔法を使わない? なら、さっきみたいに怪我した時はどうすんの?」

「この世界には病院と呼ばれる施設があります。多少お金と時間はかかりますが、そこでの治療で治すことは可能です」

「なら、魔法の方が圧倒的に早いじゃないか」

「でしたら、誰にもバレないようにお使いください」

「そんなんでいいのか……」

 クリュードは大きくため息をつき、両頬を思い切り叩いた。

「分かった。こんな不便な世界でも生き抜いてやるさ」

 覚悟を決めたクリュードの顔を見て、ミサエルは安心したように微笑んだ。

「それではクリュード様、いえ、郁哉様。行きましょう」

「おう、そうだな」

 満開の桜の木の下で、二人の異世界人が歩き出した。暖かい春の風が二人を歓迎するように花びらを舞い上がらせた。

「そういや、お前も来るの?」

「郁哉様にお仕えするよう、アインヒュルデ様よりご命令が下っているので。私のこの世界での名前は、『香野美咲こうのみさき』です。ぜひ、こちらの名前でお呼びください」

「香野? 俺のと同じだな」

「私たちは双子の兄弟、ということになっています」

「へぇ〜、そうだったのか」

 前を向いて歩くクリュードの横でミサエルはクスッと笑った。

「これからよろしくお願いしますね、郁哉様」

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