彼女の事情

 本山裕美モトヤマ ユミは、ごく普通の主婦であった。二十年ほど前に結婚し、やがて子供が生まれる。

 裕美は、息子のヒロシには幸せになって欲しい……と願い、教育には力を入れていた。

 やがて、息子を少し離れた地域の塾に通わせるようになる。自転車で二十分ほどかかるし、補習があれば帰りは午後八時過ぎになることもあった。

 その塾の費用を捻出するため、裕美は週四回から五回ほど近所のスーパーにてパートに出ていた。



 その日、午後九時半になっても博は帰らなかった。普段なら、遅くとも九時には帰って来ているはずだ。

 まさか、こんな時間に寄り道でもしているのだろうか。裕美は不安になった。博は十二歳、そろそろ中学受験である。この大事な時期に、おかしな連中と付き合っているのかもしれない。

 十時を過ぎた頃、塾に電話してみた。ところが、誰も電話に出ない。塾は終わっているらしい。一体、何が起きたのだろうか。裕美は、警察に捜索願いを出す。

 翌日、裕美は変わり果てた姿の息子と再会する──


「本当に、見るのですか? 息子さんの遺体は、損壊が激しいです。見ない方がよいかと……」


 刑事はそう言ったが、裕美は遺体を見ることを希望した。

 直後、彼女はその場に崩れ落ちる。号泣しながら、胃の中のものを全て戻していた。

 そこに寝かされていたのは、もはや人の姿をしていなかった。全身が無惨に焼けただれ、顔の見分けもつかないものだった。しかも、腕や足の形も変形していたのだ。

 刑事の話によれば、博の遺体が発見されたのは、塾から歩いて十分ほどの位置にある空き家だった。夜中に、敷地内で何かが激しく燃えていたため、近所の住民が消防署に連絡する。

 消防署員が駆けつけ、すぐに火を消し止める。だが、その正体が判明した時、全員が顔をしかめる。

 燃えていたのは人間だった。しかも、大きさからして子供である。

 死体を調べた結果、全身の二十ヶ所の骨が砕けていた。付近にある角材で目茶苦茶に殴られ、焼かれる前に既に死亡していたのだ。

 さらに、死体のすぐ近くには塾の教材が無造作に放置されていた。ビリビリに破かれ切り裂かれていたが、名前の書かれた部分は残っていた。そのため、遺体が何者なのかスムーズに判別できたのである。

 また、目茶苦茶に壊されバラバラになった自転車も放置されていた。壊れた防犯ブザーも、近くに捨てられていた。裕美が持たせていたものであるが、息子を守る役には立たなかった。

 近所の人によると、防犯ブザーの音を聞いたような記憶があるという。さらに叫び声らしきものも。ただし、それはほんの一瞬のことであった。空き家は以前から不良少年の溜まり場となっていたため、今夜も奴らが騒いでいるな……その程度の認識でしかなかったのだ。

 付近の小学生たちに聞いてみると、現場の空き家の庭を突っ切ると近道できる……と、彼らの間ではショートカットのためのルートになっていたという。

 実際、塾から普通に道路を通り博の家に帰ろうとすると、数軒の民家を迂回しなくてはならない。ところが、空き家の塀には大きな穴が空いており、自転車に乗ったままでも通り抜けられた。空き家の庭を直進した方が、時間を短縮できるのだ。

 博は、補習のため帰る時間が遅くなったため、近道をするために空き家の庭を突っ切ろうとした。そこで運悪く、不良少年たちと遭遇してしまった……警察は、そう判断した。




 犯人は、すぐに逮捕された。付近にて、たびたび目撃されていた三人組の不良少年である。最初は全員が否認していたが、刑事の取り調べの前にすぐに自供する。


「俺たちが話をしてたら、いきなりガキが自転車で入り込んで来て、挨拶もせずに通り過ぎようとしたからイラッときた。無理やり止めて話しかけたら、無視して行こうとしやがった。頭にきて首根っこ掴んだら、防犯ブザー鳴らしやがった。ムカついたから、ブザーぶっ壊した後でブン殴ってやった。そしたら叫び出したから、角材で殴ったら死んじまった。だから、ジッポオイルかけて燃やしてやった」

 

 不良少年たちの供述である。罪の意識など、まるで感じられなかった。この事件の前にも、たびたび補導されていた。

 また彼らは、覚醒剤の常用者でもあった。特にリーダー格の少年は当時、覚醒剤の切れ目で異様なほど凶暴になっていたという。

 当然、裕美は厳罰を望んだ。だが、彼ら三人は十六歳だった。未成年であったため、五年から七年の不定期刑を言い渡される。




 事件は、それで終わりではなかった。さらなる不幸が裕美を襲う。


「博は言ってたんだよ! 本当は塾なんか行きたくないって! でも、お母さんがパートで塾のお金を出してるから……そう言って、いやいや塾に通ってたんだ! あの塾に行っていなければ、博は死ななかった! あいつが殺されたのは、お前のせいだ!」


 夫は、そう言って裕美を責め立てる。裕美は、その言葉に反論出来なかった。ほどなくして、夫婦は離婚する。

 何もかもかも失った彼女は、心に誓った。博の命を奪ったクズ共を、自分の手で始末しようと──

 博の将来のため貯金していた金で探偵を雇い、犯人全員の居場所と生活パターンを調べる。

 そして今日、犯人のリーダー格であった加藤隆弘カトウ タカヒロを殺すため、スタンガンと大型ナイフを用意した。人気ひとけのない駐車場で、不意を突いてスタンガンで気絶させる。意識を失ったら、大型ナイフで刺し殺す。それが彼女の計画だった。

 やがて、標的を確認すると同時にスタンガンを手にして、背後からそっと近づいていく。

 手が触れられるほどの距離まで接近し、加藤にスタンガンを押し当てる──

 

「いで!」


 加藤は、喚きながら倒れた。だが、裕美にとって想定外の事態が起きる。倒れた加藤は、凄まじい形相でこちらを向いたのだ。裕美の抱いていたイメージでは、スタンガンを押し当てればすぐに気絶すると思っていたのだ。

 しかし、現実にはスタンガンで気絶させるのは難しい。ほとんどが、激痛を与えるだけだ。その痛みで戦意を失わせるのが、スタンガンの主な目的である。加藤のような凶暴な男が相手の場合は、逆効果になることもあるのだ。


「ババア! 何しやがんだコラァ!」


 立ち上がり、吠える加藤。彼の体格は、裕美より遥かに大きい。裕美は、計算外の事態と激昂している加藤への恐怖から足がすくみ、思わず後ずさりしてしまう。

 その瞬間、加藤のパンチが飛んできた。裕美は、まともに顔面に喰らい膝から崩れ落ちる。弾みで、スタンガンが手から落ちてしまう。


「てめえは何なんだよ! 殺すぞ!」


 喚きながら、加藤は裕美を蹴飛ばす。だが、その言葉が裕美の記憶を呼び覚ました。

 息子の、無惨な姿を──


 このクズが、博をあんな姿に変えたんだ!

 絶対に殺してやる!


 倒れたところを蹴られながらも、彼女は反撃を試みる。必死で加藤に掴みかかろうとした。だが、喧嘩慣れしている上に体格差のある加藤を相手にしては、勝ち目はなかった。隆一がいなったら、裕美は息子の後を追うことになっていただろう。


 ・・・


「なるほど。こいつが、そのクズか」


 言いながら、隆一は倒れている男を指差す。

 裕美は、こくんと頷いた。彼女の顔は、涙で濡れている。話している最中、感極まり泣き出したのだ。しかし、隆一は容赦しなかった。話し続けることを、裕美に強いたのだ。

 隆一は、ちらりと男を見下ろした。いかにも凶悪そうな顔つきだ。しかし十二歳の少年に対し、角材で二十ヶ所以上の骨がへし折れるほど殴った上、遺体に火をつける……これは、まともな神経では出来ない。

 ヤク中の中には、異様にキレやすい者もいる。薬の乱用が、心のストッパーを外してしまうのかもしれない。


「ところであんた、金はいくら払える?」


 隆一のさらなる問いに、裕美は引き攣った顔で答える。


「ひ、百万くらいなら残ってます」


「それはまた、えらく少ないな。本来なら引き受けないところだが、今回は特別セールだ。俺が手伝ってやる」


「えっ?」


 唖然となっている裕美に向かい、隆一は一方的に語り出す。


「わかりやすく言うとな、俺は裏の世界の便利屋だ。依頼があれば何でもこなす。あんたが俺に依頼してくれれば、こいつの死体をきっちり始末する。そうすれば、あんたは警察に追われないよ。死体がなければ、ただの行方不明だからな」


「始末、ですか」


「ああ。残りのふたりの居場所もわかっているんだろ? 俺に依頼してくれれば、そいつらをさらって来てあんたに差し出してやる。ついでに、死体の始末もしてやる。料金は、大まけにまけて六十万だ。ひとりあたり二十万として、三人で六十万。赤字覚悟の大サービスだが、今回に限りやってやるよ」


「で、でも──」


「断ってどうする? あんたひとりで、残りのふたりを殺れるとは思えない。返り討ちに遭うか、警察に捕まるかして終わりだ。俺が手伝えば、あんたは確実に復讐を果たせる。どうせ、あんた続ける気だろ」


 隆一の言葉に、裕美はうつむいた。迷っているのだろう。だが、選択の余地はない。

 ややあって、口を開く。


「わ、わかりました。あなたを雇います」


「わかった。じゃあ、先にこいつを始末しないとな。とりあえず、始末しやすい場所に運ぼう」





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