眠れぬ男が出会った睡眠導入剤的な彼女

ALC

第1話

睡眠導入剤を飲まずには眠れなくなってからどれぐらいの月日が経っただろうか…。

目を閉じて無心になっても決して眠気はやってこない。

「疲れてないからだよ。身体を動かせば眠れるようになる。運動しろ」

そんな心無い人間の言葉に嫌気が差したことはどれだけあっただろうか。

そういうわけじゃないんだ。

寝たいし、しっかりと疲れている。

それでも目を閉じても眠気はやってこないのだ。

二、三時間ただ目を閉じているだけの時間が過ぎる。

睡眠ではなく横になるだけ。

睡眠導入剤がなければ眠ることは出来ない。

確かなことは不安を抱えているということだけ。

何に対してか。

将来の不安、老後の不安、正体不明の言葉にならない不安。

そういったものが僕の心と脳内を埋め尽くして思考を止めさせなかった。

先程、無心になってと記したと思うが思考がぐちゃぐちゃに混ざりあった結果、何を考えているのか分からずに無心になっているだけだ。

本来の意味の無心とは少し違う。

何も考えていないわけではない。

脳内と心では常に何かの不安が埋め尽くしていた。

様々な食材をミキサーに掛けた後の中身のようにぐちゃぐちゃになっている状態が僕の脳内と心の状態だ。

それは起きているときも変わらない。

常に思考している。

常に不安が覆い尽くしている。

それを楽にしてくれるのが睡眠導入剤と精神安定剤だ。

眠る前にそれを口にすれば深い眠りに着くことが出来る。

だがしかし、これにも弊害がある。

起きた時の倦怠感。

起床してからしばらくは、ぼぉーっとしてしまう。

眠るというのは人間にとって酷く重要な行為。

人生の三分の一は睡眠というぐらいだ。

しっかりと深く眠れていないと早死にも繋がるし心的にも健康的ではない。

健康に生きたいわけでも長生きがしたいわけでもない。

出来ることならこの世からリタイア又はドロップアウトがしたい。

それでも自ら死ねるわけでもなく、ただここまで生き残ってしまっただけ。

などと贅沢な思考が脳内を埋め尽くすと本日は何処かの誰かの心無い言葉を思い出して真夜中に外へ運動に向かうのであった。


ワイヤレスのイヤホンを両耳に装着し上下セットアップのジャージに身を包んでランニングに向かう。

マンションの外に出たら準備運動を欠かさない。

急に運動をすれば身体はすぐに悲鳴を上げる。

膝にガタが来たり脇腹に痛みを覚えたり苦しさを覚えたり…。

そのためしっかりと準備運動を行ってからランニングを始める。

走り始めてすぐに流れてきたラジオのトークに耳を傾ける。

長距離を走る時に一番重要なのは疲れを感じさせないこと。

いわば無心になれるのが重要なのだ。

本日は無心についての話が多めだがそれに深い訳はない。

ただ、一日に何も考えない時間は少なくても必要ということ。

僕にはそれは不可能なのだが無心(仮)は出来る。

ラジオを聴くことで脳内の思考は加速され、またしても不安は押し寄せてくる。

やはりと言うべきか、そのような状態なので疲労感が押し寄せてくる。

(少し休むか…)

そんなわけで公園のベンチに腰掛けようと思うのであった。


「こんなところまで走ったのか…飲み物買お」

ポケットから小銭を取り出すとスポーツドリンクを一本購入した。

薄暗い公園の数少ない光源はここにある自動販売機と月夜だけだった。

少しだけ気味の悪い公園からさっさと出ようと思うのだが疲労感で中々足が動かない。

仕方なくベンチに腰掛けてスポーツドリンクを飲んだところで入口の方に人影が見えてくる。

その人影が青い制服のようなものを着用していることに気付くと何も悪いことをしているわけでもないのに心拍数が上がった。

「お兄さん。ちょっとお話よろしいですか?」

かなり美人の女性警察官が一人で僕のもとまでやってくる。

「はい。なんでしょう」

「最近ここらで不審人物が目撃されていまして。丁度上下黒のジャージだという通報があったんですよ。署までご同行願います」

「僕じゃないですよ。それにいきなり同行?これって任意ですよね?」

必死になる僕に女性警察官はくすっと笑う。

「本物なわけ無いじゃん。警察って大体個人行動しないでしょ?色んな理由があるんだろうけど何かあったときに1対多数になったら数的不利だしさ。それにこの制服もコスプレ用のやつだよ?どんだけ焦ってるの?逆に怪しいなぁ〜」

彼女はベンチの隣に腰掛けると自分の名前を告げる。

叶海かなみ。そっちは?」

どうやら彼女は人間関係の基本形である自己紹介をしているようだった。

しるべです」

「いくつ?」

「25です」

「じゃあ同い年だ。出身は?」

「関東です」

「ここだって関東じゃん」

「ここではないということですよ」

「ふぅ〜ん。こんなところで何してるの?」

「それはこっちの台詞でもありますよ」

「私は全部の服を着てしまって洗わなきゃいけなくなったから仕方なくコスプレ用の服を着ているだけ」

「それでなんで外に出ているんですか?」

「コインランドリー使ってるから」

「じゃあそこから出ないほうが良いんじゃないですか?本物の警察官が来たら問題になりそうですし…」

「うん。だから人を探してた」

「どういうことですか?」

「ん?彼氏が変態で深夜にコスプレさせて散歩に出かける趣味があるんです。って言い訳になりそうじゃない?」

「彼氏役って僕ですか?」

「そういうこと。でもまぁコインランドリーもすぐ傍だから。そっちに行って話さない?」

「なんで僕が付いていくと思っているんですか?」

「ん?だって男性ってコスプレ好きでしょ?」

「そうかもですけど…だから何だって言うんですか?」

「まぁ行こうよ。導に少しだけ興味出てきたし」

「なんでですか?僕何もしていませんよ?」

「だからかな。それになんか妖しいから」

「意味わかりません。明日も仕事なので帰りますよ」

「明日は何時起きなの?」

「5時ですけど」

「今何時か知ってる?」

そう言って彼女はスマホの画面をこちらに向けてくる。

そこには3時33分と表示されている。

「エンジェルナンバーじゃん。良いことありそう」

「なんですかそれ?」

「スピリチュアルな話だから信じる人だけ知っていれば良いんだよ」

「なんかムカつく言い方しますね」

「信じるものは救われるんだよ」

「胡散臭いですよ」

「お?やっと疑ってかかれたね。私のこと一人の人間として認定してくれた証拠だ」

「はい?どういう基準ですか?」

「ん?だって制服を着た女性が目の前から来てすぐに警察官だって思ったんでしょ?警察官と思っただけで私が何処の誰なのかも初めは疑いもしなかった。純粋に一人の人間として認識してなかった。対等な立場じゃないと思っていたからでしょ?でも今は偽物だと分かって対等だと思ってる。良い前兆だね」

「何が言いたいんですか?」

「話し聞くからとりあえずここから離れよ」

「………」

「毎朝5時起きなのにこんな時間まで起きているなんて普通無いでしょ?何か訳アリだって思うな」

「そうですね…じゃあ行きます」

そこで折れると僕らは揃って近くのコインランドリーに向かう。

大型の洗濯機がゴウンゴウンと唸りを上げる中で僕らはベンチに腰掛けた。

「飲み物買ってあげようと思ったけど…もう持ってるね」

「ランニングで汗かいたんですよ」

「太っているようには見えないけど?」

「まぁ…身体を無理やり疲れさせたかったんです」

「うーん?」

「端的に言って薬がないと眠れないのが悩みなんです」

「あぁ〜!睡眠導入剤飲まないと眠れないんだね。それはさぞ大変な経験をされてきたのでは?」

「そうでもないですよ。思考が止まらなくて眠れないんです」

「ふんふん。何も考えないことは出来ないの?」

「逆に聞きますけど出来ますか?」

「うーん?出来ないこともないような…」

「完全に何もかもを遮断するなんて悟りでも開かない限り無理じゃないですか?」

「じゃあ開けば?」

「そんな簡単なわけないじゃないですか…」

「それは置いておくとして。じゃあなんで今日はお薬飲まないの?」

「お前が眠れないのは疲れてないからだ。って言われたのを思い出して」

「関係ないんじゃない?思考が止まらなくて眠れない人にそんな事言ってもね…」

「みんながみんな分かってくれるわけじゃないんですよ。睡眠なんてごく当たり前の行為だって思っている人が多くて…いつでも眠れる人は本当に贅沢ですよ」

「寝たいんだ?」

「そうですね。薬を飲まなくてもぐっすり眠れるようになりたいです。昼寝までしたいとは言いませんが…」

「なんか難しい話だけど…今日は仕事どうするの?徹夜で行く気?」

「それは…」

「とりあえず休んだら?それで提案なんだけど…」

「なんですか?」

「私の家に来ない?添い寝してあげるよ。思考が止まらないって不安とかじゃないの?隣に誰かがいるって思ったら安心できそうじゃない?」

「どうでしょう…」

「彼女はいないの?」

「いません。20代に入ってから恋人は一人もできてないんです。仕事は忙しいし薬を飲んでいるので生活時間が合わないんですよ」

「結構強い薬なの?」

「まぁ。個人差があるんでしょうけど僕の場合は10時間から12時間ぐらいは寝てしまいます」

「平日それで大丈夫なの?仕事が17時に終わったとして。帰宅して、ご飯食べて、お風呂入って、すぐ薬飲むの?カツカツなスケジュールじゃない?」

「もちろん仕事が17時に終わるようなことはないです。大体は20時に帰宅してきてご飯食べて、お風呂入って、すぐ寝ます」

「それで朝は5時起き?時間が合って無くない?」

「だから平日はまだ薬が効いているので起きてから数時間は大体ぼぉーとしていますよ。休日にたっぷり眠るときが10時間から12時間って感じです」

「なるほどね。彼女の相手をする時間もないってことだ」

「そうなります。ぼぉーっとした状態で疲れた顔していたら女性にも失礼ですし」

「そうなのかなぁ〜?とりあえず何かの縁だし。洗濯もそろそろ終わるから家においでよ」

「………」

「別に取って食ってやろうってわけじゃないんだから」

「じゃあお邪魔します」

「OK」

丁度洗濯機のピーという無機質な音が鳴り響き彼女は自前の洗濯かごに服を畳んで入れていた。


そのまま彼女に連れられて到着した高級マンションの一室に案内される。

「随分お金持ちなんですね」

「ん?実家がね」

「叶海さんは何の仕事をしているんですか?」

「仕事?してないよ。する必要ないし」

「そんなにお金持ちの家なんですか?」

「そう。ここら一帯実家の持ち物だし」

「なるほど…」

「まぁ詮索はしないで。寝室行く?それとも何か食べる?食べると眠くなるとかいうじゃん」

「じゃあ適当に何かを…」

「わかった。作るから待ってて」

そこから彼女はキッチンに立つと冷蔵庫の中の物を調理していく。

僕はその様子をただ眺めているだけ。

リビングのソファに腰掛けると何処か感慨深い思いに駆られる。

(恋人と過ごすのってこんな感じだったかな…)

過去の恋愛を思い出しながら少しだけ失礼な思いに駆られていると叶海は振り返って口を開く。

「見過ぎじゃない?凄い視線感じるんだけど…ってか今更だけど初対面の人間を家に上げたの初めてだわ」

「そうでしょうね。あまりない状況でしたし」

「全然ない状況でしょ。たまたま家の洗濯機が故障してて、深夜に着る服がないって気付いたのも。それに今日ランニングに出てた導に会えたの全部偶然」

「そうですね。女性と会話するの久しぶりで…今更ながら緊張してきました」

「なんでよ。無職の女性と話すのに緊張する必要ないでしょ」

「それでもお金持ちのお嬢様でしょ?」

「お嬢様って…そうかもしれないけど…そんなガラじゃないよ」

「そうなんですか?」

「まぁね。料理できたからちょっと着替えてくる。このままの格好だと目のやり場に困るでしょ?」

「そうですね…」

そこで会話が途切れると彼女はキッチンから離れて自室に向かった。

そこから数分掛けて着替えを済ませてくるとリビングに顔を出す。

「簡単なパスタだけど。良かったら食べて」

「ありがとうございます。いただきます」

彼女の作ったパスタを手早く頂くと僕らは寝室を目指した。

「眠くなってきてる?」

「いえ…全く」

「思考が止まらない感じ?」

「そう言えば…そんな感じはしないですね」

「お!良い兆しなんじゃない?」

「そうかもしれないです。このまま横になったら眠れるかもしれないです」

「いいねいいね。早く横になろ」

僕らはそのまま大きなベッドで横になると布団を掛けて目を瞑る。

しばらく目を閉じて天井を向いていると少しの眠気に襲われる。

(それはそうだよな。24時間近く起きているわけだし…でも薬を飲まないで寝るのは久しぶりな気がするな…)

少しの思考が脳内で駆け巡りだすが不思議なことに気にならなかった。

しばらくすると甘い眠気が僕を襲うと、そのままゆっくりと眠りについていくのであった。


目が覚めた時、窓の外の景色が眠った時と変わっておらず僕はスマホを手にした。

「眠れてたの30分ぐらいだよ。でもすごい進歩じゃん。良かったね」

「あぁ〜…そうですか。なんか久しぶりに眠った気がします」

「まだ寝たほうが良いでしょ」

「そうですね…。でもその前に会社に休む連絡をしておきます」

「そうしなそうしな。今日で何もかも解決するとは思わないけど。手助けできたら嬉しいな」

「なんで…そんなに親切にしてくれるんですか?」

「なんでだろう。私自身が悩みがないからかな。だからそんなに目元を黒くした人をどうにかして助けたいって思ったのかも」

「目元黒いですか?」

「くまっていうか…なんかメイクでもしているのかと思ったよ」

「そんなに黒いですか…気付きませんでした」

「不健康そうだし、お腹いっぱいご飯を食べさせてあげたいって思った」

「嬉しいですけど…迷惑でしょ」

「そんなことないよ。お金も時間も自由に使えるから」

「羨ましいです」

「寝顔…思った以上に可愛かったよ♡」

「可愛いなんて初めて言われました」

「そう?自分が思っている以上に導は魅力的だと思うけど?」

「そうですかね…」

彼女はそれに深く頷き、僕は照れ隠しのためスマホの画面に目を向けた。

そのまま上司に欠勤の連絡をするとスマホをベッドの脇に置いた。

「さぁ。睡眠の続きをしよう」

彼女の言葉に従って僕は再び横になり目を瞑る。

(女性に優しくされるのって久しぶりだな…なんでこんな心地良いこと忘れてたんだっけな…)

そんな思考が軽く僕の脳内で巡ってきて少しだけ疑問に思った。

(眠れなくなってからマイナス思考になりがちだったかもな…生活リズムが違っても付き合ってくれる女性は居たかもしれないのに…僕は逃げてただけなんだな…)

そんなことを考えていると隣で横になっている叶海の存在が気になった。

目を開きかけた所で叶海は僕の胸のあたりに手を置いた。

それに驚くが彼女はポンポンと優しく僕の胸を軽く叩いてくれる。

一定のリズムで優しく叩かれるそれに集中していると次第に眠気に襲われた。

そのまま眠りの世界に誘われると今度こそぐっすりと眠れるのであった。


目が覚めた時、隣では叶海も眠っていた。

窓の外の景色が変わっていてしばらく眠れたことを理解する。

ベッドの脇にあるスマホを手にすると時計を確認した。

(結構寝たな。何時間だ?4時間ぐらい?普通の睡眠と言っても過言じゃないよな?良かった…)

心のなかで安堵を覚えると隣で眠っている叶海に感謝の言葉を伝えたかった。

隣でモゾモゾとしだした叶海は少しするとパチリと目を開けた。

「寝れた…?」

同じようにスマホで時計を確認した彼女は僕に問いかける。

「4時間は寝ました」

「おぉ〜凄いじゃん。私のおかげかな?」

「そうだと思います。ありがとうございました」

「急に余所余所しい態度取らないでよ。私が誘って家に招いたんだから気にしないで」

「ありがとう」

「お昼にしない?また料理作ってあげるよ」

「良いんですか?」

「逆に聞きたいね。さっきのパスタは美味しかった?」

「はい。凄く」

「良かった。料理は趣味なんだ。仕事しないで家にいると暇だからね。趣味がないと時間は潰せないんだよ」

「多趣味なんですか?」

「もちろん。お金に限界はないからね」

「羨ましいです」

「そう?じゃあうちの子になる?なんてね」

「………」

彼女は冗談を口にするとそのままベッドから這い出て寝室を出ていく。

僕もその後を続くように付いていくとリビングに向かった。

「テレビでもつける?」

「そうですね。ワイドショーでも流しておきましょう」

「真面目だね〜サブスクでなにか見たかったのに」

「ニュース見ないと世間に置いていかれますから」

「良いじゃん別に。置いていかれても生きていけるよ」

「そうですかね。社会人には厳しそうですけど」

「そうなの?別に誰とも話さなくても生きていけるよ。話題なんて合わせる必要ないんだから。私達だって出会ってから今まで適当な話しかしてないでしょ?」

「適当ではないですけど…」

「そうじゃなくて。話題を準備してとか。この話しようとか思って口を開いた?」

「そうじゃないですね…」

「でしょ?だから世間に置いていかれても大丈夫。私がいるし」

「どういうことですか?」

「話がしたかったら私とすればいいよ。他愛のない会話でも導となら楽しそうだし」

「そうですかね…」

「うん。良かったらこれからも仲良くしてね?」

「はい」

会話をしている間も叶海はキッチンで調理の手を止めなかった。

僕はリモコンを操作してサブスクの動画配信サービスをテレビに出力する。

「お!良いね〜お笑いが良い」

叶海のリクエストにより話題のお笑い番組をテレビで流す。

彼女は耳だけでテレビを楽しんでいるようで時折クスッと笑ったりしていた。

しばらくテレビに集中していると彼女は料理をテーブルの上に運んでくる。

「お昼にしよ」

「ありがとうございます」

彼女の作った昼食を食べながら僕らはテレビに集中して過ごした。

30分ほどの食事の時間が過ぎていくと片付けを済ませてリビングのソファに隣り合って腰掛ける。

「なんかいい感じだね」

「何がですか?」

「こういう時間」

「そうですね」

「このままここで住む?」

「それも良いかもしれません」

「私のこと何も知らないのに?」

「優しい人だとは思います」

「買いかぶりすぎじゃない?」

「そんな事ないですよ。見ず知らずの他人を助けたいなんて思うぐらいなんですから」

「それは導だったからかもよ?もっと打算的な思惑があったのかも」

「あったんですか?」

「無くはないよ。普通に見た目が好みだったから」

「目元が黒い人が?」

「ふふ。そうじゃないけど。そうかもね」

「なんですか…それ」

「分かんなくてもいいけど。それでどうする?本当に住む?」

「………」

そこで言葉に詰まっていると彼女は僕の手に触れてくる。

それに少なからずドキッとしていると彼女はもう一度口を開く。

「一緒に住んで欲しいな」

「どうしてですか?」

「うーん。私も独りは寂しいから」

「独りなんですか?」

「まぁね。無職の女性を好んでくれる人は少ないかな」

「でも実家がお金持ちなんですよね?」

「それを他人に伝えたことは少ないよ」

「それを言えば独りにはならないんじゃないですか?」

「そんなんで好きになられても嫌だし」

「僕はそうじゃないと?」

「思うよ。そんな事で私を好きになるような人じゃないでしょ?」

「出会ったばかりで良くそんなに決めつけられますね」

「なんとなくビビッときたんだよね」

「そうですか…それなら」

「一緒に住む?」

「はい」

「じゃあこれからは無理して仕事に行かなくてもいいよ。ゆっくり休むのも大切だよ」

「そうはいかないでしょ」

「大丈夫だよ。私が面倒見るから」

「良いんですか…?」

「全然いいよ。一緒に居てくれるならね」

「居ますよ」

「ありがとう。じゃあ早速引っ越しの準備しようね」

「はい」

「それと仕事も辞めてくる」

「分かりました」

僕らはそこで会話を途切れさせるとソファで肩を寄せ合って昼寝をするのであった。

昼寝をしたのなんていつぶりだろうか。

叶海がいるという安心感だけで僕は眠りにつくことが出来るようになるなんて…。

自分を至極単純な男性だと感じると少しだけ苦笑する。


彼女の家で過ごしてから数日後。

部屋の荷物をまとめる。

殆どのものは業者に頼んで廃棄してもらうとして。

後は大事なものをダンボールに詰め込む必要がある。

先日、会社に退社願いを出した。

「おつかれ。別に君が居なくても仕事は進むからね。今までご苦労様でした。明日から来なくていい。荷物まとめて帰りなさい」

そんな簡単な言葉で僕の社会人としての生活は終りを迎える。

叶海がいない今夜は眠れない。

明日には荷物を纏めて叶海の家に住まわせてもらう。

本日中に荷物を必死で全て纏めるためのであった。


翌日。

業者がやってきて僕の要らなくなった荷物を全て運んでいった。

アパートの退去を済ませると迎えに来た叶海とともにダンボールを一つ抱えて彼女のマンションに向かった。

「やっと一緒に住めるね。これまで会えなかった間…凄く長く感じた」

「そう?僕はやることに追われてたから大変だったよ」

「そうなの?会えなくて寂しくなかった?」

「………寂しかったと言うか普通には眠れなかった」

「ほぉ〜私が居ないと眠れない?」

「まぁね。叶海といると安心するよ」

「ありがとう。まだ出会って数日なのにね」

「本当だよ。この間までこんな生活になるなんて思ってもいなかった」

「そうでしょ?私も思ってなかった」

僕らはそこで微笑み合って頷くとマンションに入っていく。

家の中に入っていくとリビングのテーブルの上には豪勢な食事が用意されている。

「作って待ってたんだ。腕によりをかけた」

「ありがとう。嬉しいよ」

「早速食べない?」

「そうしよ。昨日も眠れなかったから食べたら眠くなるかも」

「いいね。食べたら昼寝しよ」

「そうしよう」

僕らはそこから叶海の作った豪勢な食事を取って片付けを済ませる。

リビングを抜けて寝室に向かうとベッドで横になる。

「最近は薬を飲まないで眠ろうと努力してたんだ」

「偉いね。でも眠らないとダメだよ」

「なんとなく薬に頼りたくなかったんだ」

「どうして?」

「僕は叶海が居れば普通に眠れるって知ったから」

「欲が出たってこと?」

「そういうこと。普通に眠れるようになりたい」

「なれるよ。大丈夫。とにかく今日もゆっくりおやすみ」

「うん…」

叶海の言葉に従って目を閉じると眠りの世界に誘われていくのであった。


眠ってしばらくして目を覚ますと辺りには夜が訪れていた。

隣で眠っていたはずの叶海の姿はそこにはなく僕は慌てて寝室を出る。

リビングに顔を出すと…。

「どうしたの?そんなに焦った顔して」

「いや…なんでもない」

「なに?もしかして私がいなくなったと思って焦ったの?」

「そういうことになるかな…」

「なんだ。ちゃんと私に好意を示してくれてたんだ」

「まぁ…なんと言うか…でも依存に近いかも…叶海がいないと今のところは普通に眠れないわけだし」

「依存でもいいじゃない。私は何処にも行かないし、いつまでも一緒に居るよ?」

「なんで言い切れるの?」

「私の勘は外れないからね〜」

「そうなの?でも今回は外れるかもよ?」

「ネガティブだな〜。大丈夫。外れないから」

「そっか。ありがとう」

「何のお礼?」

叶海はそう言うとクスッと笑って夕食の準備を進めていた。

彼女が調理に集中している間に僕はテレビを眺めていた。

番組表を眺めてお目当てのバラエティ番組を見つけると録画予約をしておく。

叶海の作った夕食を食しながら僕らの他愛のない会話は続いていく。

「お笑いは好き?」

「これからもっと好きになると思う」

「それは良かった。好みが似ていくと良いね」

「そうだね。叶海の趣味も一緒に楽しみたいな」

「それ良いね。今度一緒になにかしよう」

「そうだね。楽しみにしてるよ」

他愛のない会話を続けながら夕食を済ませると片付けを済ませる。

リビングのソファで僕らは腰掛けるとテレビを見ながら肩を寄せ合った。

そのままウトウトと微睡んでいると叶海は僕に耳打ちする。

「ベッドで寝よう?」

「………そうする」

それに従って僕らは寝室に向かうとベッドで横になる。

「まだ寝たくない…」

僕の言葉を耳にした彼女はクスッと笑って口を開く。

「寝な」

「う…ん」

「おやすみ」

叶海の言葉が耳の奥に届いて癒やしの安心感を覚える。


薬を飲まなくても一日中でも眠れるようになった僕の心と身体は健康になっていく。

叶海と過ごす日々に僕は少しずつ慣れていく。

そんな中で僕らは叶海の趣味に付き合う生活が続いた。

釣りにキャンプにコスプレにカメラに…etc

本当に多趣味な叶海に付き合う生活の中で僕の心は豊かになっていった。

「一生この生活が良いな」

叶海は急にその様な言葉を口にして僕は軽く頷く。

「そうだね」

「プロポーズだったんだけど?」

「え?そうなの?」

「そうだよ。嫌なの?」

「嫌じゃないけど…実家が許してくれる?」

「許すも何も私に甘いから。何でも許してくれるよ」

「そう。じゃあ受けようかな」

「えぇ〜導からは言ってくれないの?」

「あぁ〜…結婚しよう」

「是非♡」

ということで僕らは奇妙な出会いから始まり一瞬の内に結婚までこぎつける。

僕と叶海の幸せな結婚生活はこれから始まるのであった。

                完

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