二人ぼっちのブーケプルズ

M.S.

二人ぼっちのブーケプルズ

 私だけが知っていた。

 なずむ空に滲んだ夕陽が、四棟校舎の廊下をあばいた。


 図書室からの帰り道、連絡通路で鳩が死んでいるのを見掛けて足を止めた。

 近付いて見下ろすと潰れていて、生命のともしびは完全に消失した後だった。

 夢占いにいて鳩の死骸は良い出来事を暗示するものではないと、本で読んだのを思い出す。

 私は占いが好きだ。

 悪い事が起こったら占いの所為せいに出来るから。

 私が失敗を犯すのは運勢の所為で、私が自由を侵されるのは星の巡りの所為。学校が嫌いな社会不適合者になったのは仏滅に私が産まれたから。受験に失敗して動物園みたいな高校にしか入れなかったのは受験会場近くの公園で彼岸花ひがんばなが咲いていたから。学校という此岸しがんから彼岸に悲願した私の気持ちは起龕きがんされた。

 得てして切望する程の願いというのは叶わないもので、悲願という言葉の成り立ちは、本当は成就しなかった願いから来ていると思う。

 もし私が不甲斐無ふがいない所為で、占いの辻褄合わせに鳩がここで死んでいるのなら、私はこの鳩に深謝したい気分だった。

 屈んで鳩に触れようとした所、鳩の嘴の先から──まるで喀血かっけつに見立てられるように散った赤い斑点を見る。

 鳩の羽根に付着している方の血はすっかり乾いているようだが、嘴の先に落ちている斑点は上履きでこすると容易に引き延びて汚い虹を描いた。

 鳩の喀血は渡り廊下の向こう、この時間誰も使用していないはずの四棟校舎に伸びていた。


 この学校は廊下のリノリウムが赤いので気に掛けないと恐らく誰も気付かないが、私には血というものが廊下の赤いリノリウムに、実際はあまり親和しない事を知っていた。

 わか

 注視して初めて気付ける血痕をさながらヘンゼルとグレーテルの童話のように辿っていく。

 そしてそれは四階の視聴覚室の扉で途切れていた。

 誘われるように開ける──と言うと、言い訳がましい。

 完全にこの奥に、同種が居るという確信が有った。最早この学校という組織の中で少数派にすら属せない程凋落ちょうらくした私に、同じ思想と価値観と切り傷その他諸々もろもろの符牒を持っている誰かがこの向こう側に居るのだと思うと、何だか期待に胸が膨らんでしまった。


 開けた教室内は鉄の匂いが充満していた。

 並べられた長机の一つ、その机上に血の主は腰掛けていて、天板と床を自身の血で汚していた。

 私が教室に入ると彼は肩をびくりと震わせ、恐る恐る面を上げた。

「あ......、先生には、言わないでね」

 血の主はうち捨てられた人形のような風体でそう言った。

「どうして、切ってるの?」

 私が訊くと、彼はその虚空こくうを見つめる虚空のような瞳を伏せ、思惟しいを巡らすような仕草をする。

「......鳩が、死んでた」

 そしてぽつり、呟いた。

「鳩も学校じゃ、ノアの元に帰れないよなって。代わりに僕が死んでたら、あの鳩は橄欖オリーブを見つける事が出来ていたのかも......そう思って──って、意味解らないよね、ごめん」

「......」

 いや──もうその口吻こうふんで、解ってしまった。

 痛い程に、解ってしまった。

 細やかなものにでも良いから、何かにじゅんじてさっさと自分を終わらせてしまいたいという身勝手つ悲しい願望。

 非難やそしりを受ける事無く速やかにこの世を退場出来る大義名分の背負い方を探している──

 その返答を聞いただけで──私は彼を好ましく思った。

 血塗ちまみれの机の上、自身の血の海で溺死できししそうになっている彼の血色の薄い瞼と流れる睫毛まつげは奇異にも煽情せんじょう的で、色白の肌は聖なるものか永遠の象徴に見えた。

 そんなやましくも奇麗で愀然しゅうぜんな彼の表情に、恋をした。

 私は長くしてあるスカートの裾をまくってももの自傷癖を彼に見てもらった。

 彼は、私が腿に彼の手首と似たような零落者れいらくしゃの烙印を持っていると知るや、腿と私の顔を交互に見て、最後にくすっと小さく笑った。

 そんな笑顔も泣き顔も似合いそうなあどけない顔の下で、彼──雲仙叶他うんぜんかなた君は前腕からしか落涙しないのを。

 私だけが知っている。


†††


 高校三年生になり、私は叶他君と同じ学級になる事が出来た。フェンスにはりつけにされた名簿を見た時は正に夢現ゆめうつつだった。一番嫌いな夢は欲しいものが手に入る夢だったから、教室でよく知る睫毛を見た時は歓喜に打ち震えた。産まれてから初めて、存在するか疑わしかった神様に感謝した日かもしれない。

 斜め後ろの座席に座る叶他君を見遣みやると彼は口唇の前に白木の小枝のような人差し指を立てて「目立たないようにしよう」と微笑と共に目で合図をくれた。

 この一年はあの瞳の深さを、自傷した切り傷を定規にして私だけが測れるのだと思うと、もう胸が切なくて切なくてどうにかなりそうだった。

 鳥の死骸を目にする夢というのは必ずしも凶夢ではなく、物事が好転する吉夢でもあると、先日図書室で学んだ。

 であればやはり、私はあの日渡り廊下で死んでいた鳩に感謝するべきなのだ。

 ......え? 鳩が死んでいたのは夢でなく現実じゃないのかって? もう今の私にとっては夢もうつつもそう大差ないのですが......。


†††


 私達は業後もっぱら、図書室の隅っこを愛の巣にして楽しんでいた。

 本棚を背に肩を寄り添えば、理不尽な打撲痕も破かれたスカートの裾も忘れられた。

 活字に触れた事の無い生徒達の記憶からは失われている図書室の、誰も訪れない社会・経済・歴史コーナーの本棚裏が私達の聖域だった。

 叶他君は本を読むのが好きで、私は本を読んでいる叶他君の横顔が好き。佶屈聱牙きっくつごうが晦渋かいじゅうな文章の紙背に彼が見ているものと、同じものが見たいといつも思う。

 だから毎回縋るように、叶他君の肩に頭を乗せた。すると叶他君は書見を中断し、手にしている本の内容を噛み砕いて縷々るる、流麗に説明してくれた。

「......そして七日待って、ノアが放した鳩が橄欖の小枝を咥えて戻って来たのが、鳩と橄欖が平和の象徴とされる所以ゆえんらしいよ」

「じゃあもしその鳩がしきみを咥えて来ていたら、樒が平和の象徴になっていたのかな」

 私の言葉に叶他君は失笑する。

「はは、その頃欧州に樒は無かったんじゃないかな」

「ふぅん。欧州にもあったけど隠されてたんじゃない? 樒って木にひそかって書くから」

「確かに、もし鳩が樒の毒で死んでいたらそもそもノアの元まで帰れないしね」

 勿論神代じんだいより、樒という字の成り立ちの方が後になるから言い分はきっと可笑おかしいだろう。さかしらにしようと馬鹿な事を言ってしまったが、優しい叶他君は肯定とも取れるような諧謔かいぎゃくを言った。

「にしても樒だなんて、雨束あまつからしいね」

「じゃあ叶他君がノアだったら、鳩にどんな花を持って来て欲しい? その答えで、占いをしてあげる」

 叶他君は手にしていた創世記をぱたんと閉じて、本の小口を見詰めながら──

「そうだね......、僕が放した鳩は──真っ白な紫羅欄花あらせいとうを咥えて帰って来たよ。これを雨束はどう取る?」

 花の名を口にする流れに誘導すると、叶他君はそんな返答で花に言葉をことづけた。

 白い紫羅欄花の花言葉は──密かな愛。

 樒とこぼした私にそれを重ねた叶他君の真意を、臆病な私は遠回しに確認していく──胸の高鳴りを抑えながら。

「......紫羅欄花と答えた貴方あなた。こんな花の名前を出す貴方はきっと花が好きで、けれど自分の事が嫌いな優しい人でしょう。けれどその優しさは損をするばかりで誰にも褒めてはもらえません。見えない所で頑張りがちな貴方はもっと陽が差す明るい場所で自分の現在位置を誇示、証明するべきです。もしそれが出来なければ、せめて頭か頬を撫ぜてくれる人が側に居るのなら、こんな世界でもきっと生きていけるでしょう」

「......」

「特に赤でも紫でもなく、と答えた貴方。胸の内に秘めた想いを秘め続けるのなら、世界どころか一人だって気付けません。ですが、自白しても秘匿ひとくしても、それはきっと有意なものでしょう──だ、そうです」

 と、あくまで占いの結果だというていを崩さずに名うての占い師よろしく、綽々しゃくしゃくと語って見せる私。勿論その内容は十割でっちあげの嘘っぱちなのだが、叶他君の内にるものを引き出すためには口八丁にも手八丁にもなるし──

「さぁ、当たってたかな? ちなみに──何で白、なのかな」

 意地悪にも、なる。

「......花が好きなら、解るでしょ」

「解っちゃって、良いんだ」

 顔を向けると叶他君は不自然に目をそむけたけど、処女雪に落とした紅花翁草アネモネのような、赤らびた頬を私は見逃さなかった。

「じゃあ私がもし──『君の頬に九重葛ブーゲンビリアが咲いてる』って言ったら、叶他君はどう取る?」

「──、取る」

 私は、叶他君のらしくない不意打ちに一瞬理解が及ばなかったが、彼の白皙はくせきに対して柘榴ざくろを割ったような唇だけは、ずっと覚えている。


†††


 叶他君は虐められていても尚、孤高だった。

 傷を隠す為に一年中着ている学ランを剥がされて腕を嘲笑された時も、昼食に出処不明の汚い調味料を追加された時も、上履きを化学の時間に燃やされた時も、ただ厳かに項垂れていた。

 机の上に花束を置かれた時は、花瓶を持参して教室の隅で育ててさえいた。

 叶他君は確かに項垂れてはいたけれど、そこにしおらしさは何故か微塵も感じられなくて、むしろ傷付けられる度にその横顔の神秘を増していたような気がする。

 虐めは段々エスカレートしていった。

 最近のくず達の間では虐めに性と羞恥を絡めるのが最近の趣向のようで、その手法は下劣なものもあればつい嘆息を漏らすようなっているものもあった。

 ある日体育の更衣から教室に戻って来ると、叶他君は他の男子に背後から両腕を捕まれて正座させられ、背中に足を掛けられている所だった。両腕と背中、三点を固定されて微動だに出来ず、白の体操服は所々血が滲んでいた。

 叶他君が、拘束をしているのとは別の男子から無防備な所を攻撃されている事は容易に想像出来た。

 ──またか。

 直後に訪れるだろう日常を止観しかんしていると、廊下側から誰かにどんと背中を乱暴に押されて、私は転びながら強制的に入室させられた。

 私を押した女子は嫌らしい笑みを浮かべて、転んだ際に落とした私の体操着入れをぶん取った。

 私物を取られた上に退路を断たれて、進退きわまってしまう。

「おお、雨束。丁度良い所に来たな」

 叶他君を拘束していた男子が下卑た加虐心に満ちた声を出す。気持ちが悪い。叶他君以外が私の名前を口にしないで欲しい。

 突き飛ばされた女子にセーラーカラーを掴まれ引きられて、私は叶他君の前に転がされる。

 今日は一体何をさせられるのだろうと──

「俺、良い事思い付いちゃってさー。これ、取っといたんだよね」

 叶他君を殴っていた男子が制服のポケットから取り出したのは──食パンに塗るような個包装のジャムだった。

 意味がよく解らず、私は当惑する。

 その男子は包装を破き、空手の方で叶他君の髪を掴んで無理矢理面を上げさせた後、ジャムを叶他君の口元に塗りたくった。

「おい雨束。これ、全部舐めろよ」

 ......大丈夫。

 ──

 だってもう私と雲仙君はとっくに──こんな場所ではなく、高度な次元で繋がった恋人同士なのだから。

 私達にとってはそのような事、思春期の男女を狭い籠に閉じ込めるような程度の低い青臭さがあって、逆にその所為で羞恥を感じる。

 そこまでこいつらが計算してのこの所業なら脱帽もするのだが。

 けれど何の心的負荷も無いからと言って嫌がる素振りも見せずに事を速やかに終わらせると、この下衆げす共にいぶかしまれてしまう。

 だから、ゆっくり時間を掛けて私は叶他君を奇麗にしていく。まるで健気な犬が飼い主を慰めるみたいに。

 肩で息をしていた叶他君はその呼気に、徐々に湿り気を帯びさせてきた。初めの頃はそんな事無かったのに、この頃はそうしてくれて嬉しい。

 私達の頭上で、野卑で耳障りな笑い声が響いている。

 でも何の痛痒つうようも無い。

 ただ、幸せ。

 

†††


 図書室だろうと虐めの教室だろうと愛し合って来た私達ははっきり言って無敵だった。敵自体は居たのだがそれをいちいち敵と認知しない程、私達はすっかり爛熟らんじゅくしてしまっていた──のだが、それで正解で、それが正解で、私達が世界だった。

 卒業式の前日深夜に二人で校舎に忍び込み、私達の机にそれぞれ叶他君が教室で育てていた白百合を新しい花瓶に生けて、一部はコサージュにして添えておいた。

 当日の式は休んで叶他君の運転するレンタカーに乗り、那須の旅館へ温泉に入りに行った。


†††


 高校を卒業後、在るべきものが在るべき形になるよう自然、同棲する事になった。確か一緒に新宿御苑を歩いている時に、叶他君がおもむろに「家を探そう」と言い出したんだったと思う。

 私としては同行二人、不離一体の私達の心はお互いの胸の内に居候いそうろうしていた心持ちだったので今更いまさらのように感じたが、心だけじゃなく体だって一緒に居た方が幸せに決まっているとも確かに思った。

 その足で物件を決めに行った。

 木造アパート一階の1DKが、私達の新しい居場所になった。

 叶他君は昼間に仕事へ行き、私は歓楽街でバイトを始めた。


†††


 朝方、バイトから家に戻るとリサイクルショップから引っ張ってきたソファに叶他君は小さく腰掛けて、舟を漕ぐようにうつらうつらしていた。その舟が、昔図書室で話したノアの方舟だったら嬉しい。

 私と叶他君だけが乗ってる舟にお花だけを乗せて、この星を出てしまうのだ。

「叶他君、おはよう」

 私がそう声を掛けるといつも叶他君は瞼の下におぼろな瞳を飼っていて、私を認めるとその瞳が徐々に清明を帯びるのが堪らなく愛しい。

「おはよう。もう朝なんだね」

「布団で横になってて良いって、いつも言ってるのに」

「低血圧だから、ソファでこうしてるのが丁度良いんだ」

「血圧、低そうな寝顔だもんね」

「それ、どんな寝顔?」

 気恥ずかしそうに掻いている頬は少し染まったものの、それでもやっぱり白亜はくあの床に溢した血液みたいな危なっかしい美々しさで私は心配になる──昔はそんな頬にも恋をしたものだが、最近では魅せられる事と同時に喪失を考えさせられる事も増えてきた。

「じゃあ、行ってくる。おやすみ、此処乃」

「うん、行ってらっしゃい。気を付けてね、叶他君」

 だって、奇麗なものを拾った時は、失くした時の事も考えてしまうから。

 ──私、こんなに幸せで良いのかしら。

 ソファのヘッドレストに染み付いた叶他君の匂いに、そんな事を思う。


 そしてある日、そんな私の憂いをさげすむかのように、一通の葉書が届いた。


 夕方、ソファで微睡まどろんでいると叶他君が私を起こした。いつもより起こしてくれる時間が早かったのだが、彼が高校時代によくしていた無表情で私に触れるので、どうしたのだろうと不安を掻き立てられた。

「これを」

 そう言い叶他君は集合ポストに入っていたのだろう、それを私の目の前に差し出した。

 どうやらその葉書が彼の表情の答えらしく、私は不穏当なものを感じながらもそれを受け取る。

「......」

 その葉書はどうやら結婚式の招待状のようで、差出人は高校の頃私達を嗜虐しぎゃくしていた主犯格、二名の男女の名が記載されていた。


「どうしてここの住所が分かったんだろうね」

態々わざわざ僕達に当てこすりしたいが為に調べ上げたのだとしたら、連中は大分暇を持て余してるよ」

「......どうしよう」

 私達の世界にかげりが差したのを感じる。

 何故なぜ行く先々で私はこうも何かに居場所を脅かされているのだろう。折角二人で決めた居場所で、今後も私達は彼らの玩具にされるのを気に掛けながら生活しなければならないというのは──全く花に嵐だ。

「......うん」

 腕を組んで思案顔をしていた叶他君が、何かを決意するようなうなりを上げる。

「良い考え......いや、悪い考えがあるんだけど、聞いてくれる?」

 そう続けた叶他君は至純な幼い少年のように、悪戯な顔でんで見せた。


 聞き終えたその考えは実際良い考えであったし、確かに悪い考えでもあった──笑ってしまうくらいに。

「ふふっ。それ、すごく面白そう」

「だろ?」

 もしその考えが上手く行けばそれ程痛快な事も無いし、今後彼らの爪牙そうがに掛かる事をびくびく後ろ向きに心配しながら生きる事も無くなりそうだった。

「やってみようよ」

「そうこなくちゃね──あいつらの結婚式、めちゃくちゃにしに行こう」

 叶他君は葉書の『御出席』の〝御〟に二重線を引き、〝出席〟に丸を付けた。

 それからは二人で顔を寄せ合ってスマートフォンをいじり、葉書に記載された式の会場について調べ上げ、どのようなプランニングと演出があるかを想定し、どのように彼らの結婚式を邪魔立てするか二人で悪巧みした。

 〝計画〟を上手く運ぶ為、実際に式を挙げるのは私達でもないのに、式場の見学まで申し込んで事前に現地視察もした。

 学校の勉強はしなかった癖にこういう事は面白い程にはかどった。

 先生に見つからないよう教室の隅で、校舎を木端微塵こっぱみじんに出来る爆弾を文化祭の準備みたいに作っているようで、ついにやけてしまうようなたのしい緊張感があった。

 叶他君もいつも以上に鹿爪しかつめらしい顔をして、彼らの結婚式の壊し方を真剣に考えているものだから私は吹き出してしまった。吹き出した私を見て叶他君も笑った。

 綿密に練った〝計画〟はこれ以上無い程に馬鹿馬鹿しくて、しょうもなくて、大真面目な舞台をしらけさすのに最適なものになった。


†††


 式のある当日、朝のワイドショーでやっている星占いを見ていた。私の星座である水瓶座は最下位でその上ラッキーアイテムはブロンズという、どう捉えれば良いのか解らない結果内容だった。

 けれど、私はかえって安心する。

 今日を笑って越えられたのならそれは私達の成果だけれど、失敗したらそれはこのワイドショーの罪科ざいかだから。

「準備出来たよ。行こうか」

「うん」

 叶他君が顔を出して、私はテレビの電源を切り立ち上がった。

 まるでふらっとスーパーの買い出しへ行くような足取りで、玄関を出る。


 渋谷駅から徒歩十五分程度の立地にあるその専門式場はヴィクトリア調のチャペルで、厳かな雰囲気がコンセプトの大聖堂を模したものだ。

 会場の入り口には人だかりが出来て〝ここでこれから成功者が式を挙げます〟と言いたげな人間のマーブリングが形成されていた。

 その中へ私達はいかにも新郎新婦の数居る友人の内の一組ですという顔で受付を済ませ入場し、聖堂の身廊、その両脇に無数に配置された端の方のチャーチベンチに腰を下ろした。

 控え目な灯のシャンデリアも相俟あいまって、身廊と翼廊のだだっ広い交差部でこれから名のある史劇でも開幕する雰囲気だったが、実際に始まるのは何の苦悩と葛藤の錯綜さくそうも無い中庸ちゅうようなロミオとジュリエットだというのだから退屈この上無い。

 人垣の向こうで大仰おおぎょうにも、身廊が始まる入り口辺りにリムジンが乗り入れたのが見えた。降車した新郎新婦の顔は、何ともまぁ自分達が幸せの絶頂にある事を幾許いくばくも疑っていないそれだった。

「すごいよね。自分達がやった事を棚上げにして、あんな顔が出来るなんてさ」

 叶他君は起立したものの拍手はせず輒然ちょうぜんとして、まるで自身の憤りを綏撫すいぶするような声音で、そう口にした。


 介添人かいぞえにんが、お色直しの為に新郎新婦が一時退場する事を参列者に伝えると、それを受け糸を切ったような喧騒が徐々に大きくなる。

「よし、行こうか」

「うん」

 叶他君に先導され本来関係者以外立ち入り禁止のバックヤードへ這入はいり、着用していた無難なドレスコードからブラックジョークとしてのブラックフォーマルに身を包む。

 そのまま事前に見学の時〝調べた〟通りの順路を使って私達はバックヤードから参列者を見下ろせる二階部分──すなわち主祭壇の奥に設けられた内陣桟敷さじきの高座へ二人、喪服で登り立った。観衆は各々に歓談しているようで、まだ私達には気付いていない。

 左手には冷やかしの小道具マクガフィンとしてのブーケを胸の前で持ち、右手では叶他君の手をぎゅっと握った。叶他君は目を細めて安心するのに適した微笑を向けてくれた。それから前方を向き、すぅ、と息を吸気した──その手には拡声器。

「皆さん、こんにちは。......ご紹介にあずかってはいませんが、私達は新郎新婦とはかつての学友、雲仙叶他と雨束此処乃と申します。......御歓談の最中、誠に恐縮ではありますが、私達──雲仙と雨束の結婚の宣誓をこの場ですると共に、新郎新婦への祝辞を述べさせていただきたく思います」

 参列者達の顔が磁石に作用する砂鉄のよう一斉にこちらを向く。その顔達に驚きと動揺が滲んでいるのが良く分かる。

 叶他君から拡声器を受け取り、私は友人代表としてスピーチをする体で話し始める。

 話す内容は考えていない。いな、あいつらの式で頭を使って言祝ことほぎなど紡ぎたくはない。

 元々口だけは回る方だし、今までされてきた事の汚いエッセンスを抽出し、それを皮肉に乗せるだけで良い。

 要は、で、話すだけだ。

「この度はご結婚おめでとう御座います。......とは言っても新郎新婦はお色直しでこの場をおられますが。二人の前で話すには少々面映おもはゆく、彼ら無しで始める無礼を承知でお話させていただきます。確かお二人と初めて会ったのは桜の花びらが月だったでしょうか? それとも銀杏いちょう月だったでしょうか? まぁ、思い程の事でも無いのですが。けれど級友となって間も無い頃に『お前のな顔が気に食わない』と制服の裾を事を、今でも覚えています。それはもう新学期の張り詰めた空気を感じさせないような接し方で、私はのを覚えています──」

 

 忌み言葉を駆使した私の長広舌に聴衆は次第に不快感を露わにしていく。私が新郎新婦のお幸せを心から願うと口にした頃、桟敷に立つ私達に向かって聞くに堪えない罵詈雑言を投げる人がちらほら現れ始めた。

 私は拡声器を階下に放り、叶他君は桟敷の隅に設置された聖歌隊の像、その像が手にしている細く長い十字架を乱暴に外し──それを聖堂の天井から下がっているシャンデリア目掛けて思い切りぎ、叩きつけた。すると瀟洒しょうしゃ意匠いしょうのか細い支柱は容易たやすく折れた。

 腕木と装飾をばら撒きながら落ちるシャンデリアを避けるよう蜘蛛の子を散らした参列者達は、光源すら失った闇の中で阿鼻叫喚となった。

 そんな暗がりに乗じて私達は罰当たりにも主祭壇の壇上を足場にして階下に飛び降り、新郎新婦が入場に使ったリムジンに転がり込んだ。叶他君がハンドルを握ってエンジンを掛け、身廊を疾駆してそのまま式場を脱出した。

 

 宮益坂みやますざかでリムジンを乗り捨て、駅の東口から渋谷スクランブルスクエアに入る。エスカレーターを駆け昇って何の路線かも確認せずに改札のバーを手を繋いだまま高跳びし二人、喪服のまま駅の構内を駆け抜ける──含み笑いを顔に貼り付けて。

 丁度ホームに停まっていた列車に駆け込み乗車して、閉扉のアナウンスを耳に肩で息をし膝に手を付いた。

 扉が閉まり列車が動き出す頃、私達二人は──

「......はは、はははは」

「......ふふ、ふふふふ」

「あっはっはっはっ」

「うふふふふふふっ」

 この世界を嘲笑あざわうかのように。

 この世界でやっと産声うぶごえを上げたみたいに。

 人生で初めて心の底から笑った。

 

 終点で停まり、改札横の駅員室で切符を落としたと伝え通してもらった。もっと大事なものを落としたような気もするが、思い出せないという事はそれ程大したものではないのだろう。

 八番出口から地上に出て、目の前の横断歩道を通って吾妻橋あずまばしを渡る。

 橋の中程で欄干らんかんに腕を預けようとすると、左手に握ったままだったブーケが邪魔な事に気付いた。

「えいっ」

 投げたブーケは放物線を描いて隅田川の川面に着水する。きらきら揺れる大きな水鏡の上で揺蕩たゆたうそれはる辺睡蓮すいれんのようだったけれど。

 私達の過去を水葬すいそうして決別しているのだと思うと妙に奇麗に見えた。

 そのまま東京湾の向こうまで流れて、あの夕日で火葬もされれば良いと思う。

「さぁ、これからどうしようね」

 たかぶりが冷めやらぬというような面持ちで、叶他君はおどけたように言う。

「あのブーケを見届けたら、何処どこか遠い所に行きたいよ」

「良いね、賛成。......北と南、どっちが良い?」

「寒いのは苦手だから、南が良いかも」

「じゃあ、青ヶ島なんてどう?」

「ふふ。本当に、南だね」

偶々たまたまネットで見たんだけれど、すごい居心地良さそうな所だったから。それに奴らがに来るかもしれないからね。とことん、とんずらをかましてやろうよ」

「うん。こんなにわくわくする逃避行は人類史上で初めてかも。青ヶ島、楽しみ」

 とんでもない不行状ふぎょうじょうをしでかした割には、夕陽が奇麗過ぎて、川風は気持ちが良過ぎた。

 欄干でたわむれていた大勢の鳩達が飛び立って、それぞれが夕陽に身を投げていく。東京湾の向こうに橄欖があるかは知らないけれど、見つけられたらどうか一報いっぽう欲しい。

 私達が出逢ったあの日に渡り廊下で死んでいた鳩の喪に服した後、私達は東京を出た。

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