第4話 林の上昇気流

「今週は、山頂まで登ってみようと思う。基礎体力編ステップ2や」

 卓美先輩が宣言する。


「それは、あたしが成長したからでしょうか」

「ま、時間もあんまりあらへんしな」

「あれぇ?」


 どうやらあたしの成長に合わせてステップが上がったわけではないらしい。オリエンに関しては結構シビアな先輩だった。


「とりあえず、いつも通り走って御机みつくえ神社まで行く。そっから山頂アタックや」

「はいッ!」


 元気よく返事はしたものの、やはり神社までダッシュするだけで、あたしはヘロヘロだった。


 しかし、多少なりとも成長していなくもないのではなかろうかと思われる点もある。まず、脇腹が痛まなくなった。運動不足な人が急にマラソンとかすると襲ってくるアレだ。アレがなくなった。あとは、ヘロヘロになっても、すぐに立ち直れるというところだ。


 努力すれば何でもできるようになる、なんてのは暑苦しいだけの精神論だけれど、ちょっとしたポジティブな働きかけはちょっとしたポジティブな効果をもたらす。そんな当たり前なことを実感している今日この頃。


「ほな、オレらは先に行くし、風子コーチと後からぃや」

「では、気を付けて」


 あたしが神社前の石段に腰掛けて息を整えていると、卓美先輩と燐先輩が先に行ってしまう。いつもこの二人には置いていかれてしまう。


 あの二人、実は仲良しか? 羨ましい……追い付きたい!


「天ちゃん、行ける?」

「はいッ! 行きましょう、風子コーチ!」

「おぉ、元気えぇなぁ」


 愛しの卓美先輩に追いつきたい恋心と、卓美先輩と燐先輩があたしの見えない高いところでいちゃこらしているのではないかという焦燥感(これはあんまり無いか……)と、ここまで走ってきて沸きあがったアドレナリンとがほどよくミックスされて、いざ山へ挑む。


 ルートははじめてここに来た時と同じ。神社の奥から尾根道に乗っかってひたすら頂上をめざすコース。


 だが、意気揚々足に力をこめ、己の身体を引っ張りあげていくこと五分。最初の勢いはどこへやら、我が肉体は休憩したさと帰りたさに支配されていた。


「す、すいません、コーチ……ここらで休憩しませぬか……?」

「まだ五分しか歩いてないで~」

「ぐぬぬ……」

「そんな最初から飛ばすからやん。道は長いねんから、ペース配分考えな」


 コーチは優しい口調でダメ出しをしつつ、結局は休ませてくれる。


「しんどいと、踏み出した脚に全体重をかけてしまいがちやけど、それじゃバランス崩すし、あんまりええトレーニングにはならんで」


 あたしが休んでいる間、風子先生が講義を始める。

「今の天ちゃんは、右、左、右、左……と、踏み出す脚にいちいち全体重をかけてるから、後ろから見てると上体がめっちゃフラフラしてるように見えるねん」


 風子先輩はあたしに背を向け、「上体がめっちゃフラフラしてる」歩き方をしてみせた。うん、映画に出てくるトロい草食恐竜みたい。


「なんとお恥ずかしい歩き方を……」

「でな、意識してほしいんは、上体を起こして、重心はあくまで体の芯にあるってこと」


 先輩の背筋がピンと伸びる。頭から背中を通って足先まで、ストンと一本の棒になる。


「それで、一歩を踏み出す」

 次の段に右脚を踏み出す。まだ上体は動かさず、トンと軽く、右脚だけを出す。


「体を持ち上げるときは、ふくらはぎやなくて、お尻から太腿の筋肉を意識すんねん。大殿筋ってゆうんかな」

 腰からヒップ、太腿にかけて、今は綺麗な「L」字を描いている。


 ふくらはぎは動かさず、太腿の筋肉で体を持ち上げ、再び一本の棒になる。


「おおう、美しい……」

「大げさやなぁ、天ちゃんは」

 あたしが拍手をすると、風子先輩は照れながらふわふわの髪を撫でつける。


「じゃ、今教えたとおりに歩いてみて? 姿勢綺麗な女の子の方が、卓美も好きやと思うよ?」


「はい! ……え?」


 風子先輩は意味深な笑みを浮かべ、あたしの背中を押す。先を歩けと言うことらしい。


 一週間ぶりに、飯盛山山頂にたどり着いた。


 ペースが落ちると風子先輩にお尻をつつかれるので、半泣きになりながら登ってきた。この先輩、にこにこしながら実はSっ気があるのかしら、などと思う。あたしが情けなさすぎるのかもしれないけれども……。


 山頂の広場にあたしがへたりこむ頃には、卓美先輩と燐先輩はストレッチなどしつつ、すでに下りる準備をしていた。卓美先輩にいたっては、今までここで筋トレをしていたらしい。腕立て、腹筋、なぜか山頂にある鉄棒で懸垂……。なんというマッチョ精神。


「ほなな、気ぃつけて下りて来いよー」

「お先です」


 またもや、卓美先輩と燐先輩は先を行ってしまう。気合でついていくことができればよいのだが、やはり体は休憩を欲していた。


「あの二人はすごいですね……」

 隣に腰掛けた風子先輩にぼやく。


「そやねー」

 彼女は別段焦った様子もなく、やっぱりのんびりしている。


「まぁでも……」

 そんな風子先輩が、言葉をつづけた。


「人間には、得手不得手、向き不向きってあるやん?」

「そ、それはあたしがスポーツ向いてないという……」

「ちゃうちゃう、そんなこと言わへん」

「はい……」

 どうやらとどめを刺すつもりではないらしい。


「あとは才能もある。あと体格とか。どんだけ頑張ったって追いつかれへんこともある」

「夢も希望もないですね」

「せやな。ウチは中学のとき家庭科部やってんけど……そんなウチがどんだけ頑張っても、五〇メートル走で元陸上部の卓美に勝つことはできひん」

「そんな……」


 この先輩は何が言いたいのだろう。努力なんて無駄だと言うアンチ少年マンガ論か? いや、違う。


「でもな、ウチらがやってるのはオリエンや。足が速いだけでは勝たれへんし、頭がいいだけでもダメ、体力だけ有り余っててもダメ」

「つまり、総合力を上げろということですか」

「だいたいそうやね。でも少しニュアンスがちゃうかな」

「というと?」

「まんべんなく平均点をあげるだけじゃ、まだ勝てへん。得意な分野を誰にも負けへんくらい伸ばして、得意やない分野も、自分の限界まで伸ばす。それがマックスの総合力やろ?」

「はい」

「ウチは走りで卓美には敵わんけど、長い登りなら負けへん」


 相変わらず先輩の表情は穏やかなままだが、その目には何か熱いものが垣間見えた。


「ウチは料理が好きやから、高校でも家庭科部とかそういうものに入ろうと思っとった。でも、山に詳しいのと、登りが強そうやからっていうのとで、卓美に誘われたんよ。学校の階段で」

「学校の怪談?」

 否、変換ミス。そのまんま、学校の階段だ。

 学校の階段を登る同級生を、山で登りが強そうかどうかという視点で見ている人間っているの? と、卓美先輩の目の付け所に驚く。


「天ちゃんはたぶん、登りが苦手や」

「うっ……そうだと思います」

「そして下りが得意や。これは才能と言ってもいい。でも、だからって登りをないがしろにしたらあかんよ。山なんやから、登らんことには下りもない。苦手な登りも、基礎体力つけて、ちょっとしたテクニックを身に着けて、天ちゃんの身体で、天ちゃんの能力で、最大限できるとこまでもってかな」

「はい!」


 風子先輩の目の奥で燃えていたものが、あたしの目にも飛び火した。


 重力に引っ張られるがまま下山し、そのままの勢いで学校までダッシュで帰り、下駄箱で靴を履きかえる。


 その時、事件は起きた。


 靴を脱ごうと片足立ちになった瞬間、右脚に激痛が走る。


「ひえええええええええええええええええ!」


 痛すぎて間抜けな悲鳴が出た。痛いを通り越して恐怖だった。


 突如右脚のふくらはぎが収縮して固まったまま動かなくなり、得体のしれない痛みに襲われる。


「どうしたん、天ちゃん⁉」

 風子先輩が二年生の靴箱の方から飛んでくる。


「あ、脚がぁあああ……」

 ぶっ倒れたあたしは己の動かない右脚を示す。


「あらー、脚がつったみたいやね。だから太腿の筋肉使うようにってゆうたのに……」

 いわゆるこむら返りというやつらしかった。こんな激しいのは初めてだったので驚いてしまった。慎重にマッサージしていると、痛みは徐々に消えていった。


 こんな感じで、あたしの修業編はまだはじまったばかり……ということらしい。

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