第2話 基礎体力編
心の中でガッツポーズをキメたイメージ上の二の腕は、ムキムキとは言わないまでもスマートだったのだが、実際の我が二の腕はプルンプルンである。グッと力を入れてみても、プルンプリン。
何が言いたいかというと、今まで帰宅部を貫いてきたあたしがいきなり学校から山まで休みなしでダッシュなんてことは、できっこないってことだ。でもそれが、『基礎』体力トレーニングなのだった。
「体力って、そんなすぐに付くものですかねぇ?」
「若いんやから、大丈夫やろ」
卓美先輩とあたしは一歳の年の差という認識なのだが?
「街中、アスファルトの上を走るのは、コーチもクソもあらへんから、とにかく気合や」
卓美先輩はそう言う。
「論理的ではない説明ですが、まぁ走るしかないということですね」
燐先輩は眼鏡をくいっと上げる。
「がんばろなー」
基礎体力編のコーチをしてくれるらしい風子先輩は、相変わらずニコニコ笑っている。
「おっしゃ、行くでー」
校門前の道に出て、直近のコンビニ横を右折。あとはひたすら山に向かって走る。あたしも通学に使うJRの線路が横たわっていて、踏切がある。そこまではいい。
そこからゆるやかに坂道になっていって、あたしのスピードはみるみる落ちていく。でも先輩たちは何事もないかのように同じペースで走っていく。というか、卓美先輩に関しては、エンジンがかかってきたのか、スピードはむしろ上がっているように見える。
はじめて会った時の、美しい走り――
などと感慨深くなる余裕はない。そもそも、見えない。あっという間に先輩たちの背中は小さくなっていく。
たしかに、あたしは元々マラソンとか持久走が苦手だった。運動神経はそこそこいいし、どんなスポーツも恥をかかない程度にはできるつもりだ。球技でも器械体操でもダンスでも……。
だが、体力だけはなかった。
たぶん根性もなかった。
そういうわけで、校内マラソン大会の順位下から数えた方が早い系女子の実力を遺憾なく発揮していた。
「え、でも、マジで……こんな……?」
というつぶやきも己のゼェハァという呼吸音にかき消されて結局何言ったのかよくわからないことになる。
何度も立ち止まりたい欲求に駆られた。
信号変われ~と呪いをかけたが信号は無慈悲に青信号のままだった。急いでいる時は赤信号にひっかかるのに、ひっかけてほしいときは青信号。信号機ってやつは……。
先輩たちはもう遥か彼方。あたしのことを監視しているわけでもないのだから、ちょっとくらい、バレないように立ち止まって休憩したってよかった。
でもそうはしなかった。
「頑張ります!」とビックリマーク付きで言った手前、後ろめたいというのがあった。ていうか、こんな序盤で一休みしてたら、頑張ってないじゃん。
もはや歩いたほうが速いのでは……というスピードになっても、あたしはランニングのフォームをやめなかった。踏み出す脚を、止めなかった。
最後のひと踏ん張り、グイッと急な坂を上がって、御机神社に到着する。石段に腰を下ろして、先輩たちが待っている。
「おー、おつかれさん」
先輩らが優しく迎えてくれるが、かえって申し訳ない。足を引っ張っている気がした。
「す、すいません……お待たせしました……」
「べつに謝らんでええよ~」
ぽんぽんとあたしの背中をたたくのは風子先輩。
「そうです。まずは自分のペースを守ってください」
首にかけたタオルで眼鏡を拭きながら、燐先輩。
「せやせや。オレは中学ん時陸上部やったからええけど、風子なんか最初はめっちゃ遅かったで?」
「たしかにそうやけど、後輩の前でそんなん言わんとって」
「たぶんこの二つのおもりが邪魔なんやろな~」
「ちょっ、やめて~」
卓美先輩が風子先輩の『二つのおもり』をつっつく。確かに立派なお乳さまだった。制服の上からではわからなかったが、体操服を着ると布地を押し上げる確かな弾力が見て取れる。
あたしはへたりこんで、先輩二人のいちゃつきを眺める。一刻も早くいちゃいちゃに混ざりたかったが、いかんせん足が動かない。
「さて、後半行くか」
すっくと卓美先輩が立ち上がる。何やら恐ろしい単語とともに。
「こ、後半? ここがゴールじゃないんですか?」
「ちゃうちゃう。昨日はこっからすぐ山入ったやろ? ランニングコースはまた別やねん」
卓美先輩は屈伸運動を始める。
「このまま川沿いに、しばらくアスファルトの道が続きます。その道の途切れたところから谷筋の山道に入って、しばらく進むと水飲み場に出ます。そこがランニングコースのゴールですね」
燐先輩が川沿いの道を示しながら説明をする。
「ちなみに、学校からここまでは二キロくらい。ここからゴールまでは五〇〇メートルくらいやし、「後半」ってゆうても、ほんまに半分あるわけじゃないんよ」
風子先輩がフォローらしきことを言ってくれる。そっか、すでに二キロ走ってきたのか……中学の体育でやった持久走くらいだっけか?
「でも、坂道になるんじゃないですか?」
あたしは遠い目をしながら尋ねる。地図上での直線距離では同じでも、リアルには高低差というものがあるのだ。そのくらいわかる。
「う、うーん。せやね」
風子先輩が目をそらす。
「山の水はうまいでぇ~」
卓美先輩は空気を読まず、眩しすぎる笑顔でそう言い、走っていってしまう。燐先輩もクールにその後を追う。
「ま、ここまで来たんやし、がんばろな!」
風子先輩があたしの肩を叩く。
「ふぇえええ」
情けない声を上げながらも、仕方なく走る。うえええんつかれたおうちかえるぅうううううと言えば帰れたかもしれないが、それは高校生としてどうなの? と思う。今や女子高生としてのプライドだけがあたしの身体を動かしていた。
とりあえず、いちばん近くを走っている風子先輩の背中を追う。風子先輩は他の二人と比べて格段運動神経がよいというわけでもないらしく、マイペースを貫いていた。
だが、どんどんその背は遠くなる。あたしのペースが落ちているからだ。風子先輩はまったく変わらず、姿勢もぶれず、同じフォームで走り続けている。
川沿いには畑がちらほらとあって、午後の畑仕事にいそしむおじいさんおばあさんの姿が視界の端に映る。このあたりに住む人たちの生活って、どんなものなのだろう。何を育てているんだろう。山から出てきたばかりの川の水で育ったお野菜はさぞおいしかろう……なんて、本当はさほど興味のないことにも思いを馳せて、つらさを忘れようと努める。現実逃避している間に終わんないかなぁ……。
やがて家々も少なくなり、山って感じが前面に押し出されてくる。谷筋は少し暗かった。木々も一様にまっすぐのものばかり。おそらく針葉樹だ。杉だかヒノキだか、そんなのは知らないが、理科か社会で習った気がする。
アスファルトの道が終わり、いよいよ山に入る。薄暗くなり、川の湿った空気をより近く感じる。すると、なぜだか足が軽くなる。マイナスイオンがどーたらではなく、おそらくアドレナリンだ。クライマーズハイってやつか? そんなにクライムしてないはずだけど……。
余計なことを考えて気を紛らしているうちに、水飲み場とやらに着いた。湧水が竹製の管を通ってバケツに勢いよく流れ落ちている。その周りに作られた木のベンチに、先輩たちが座って待っていた。
「よう頑張ったな。飲め飲め」
卓美先輩がキャンプ用のマグカップに湧水をそそぎ、あたしに手渡してくれる。
火照った体に、冷たい水が流れていく。
「くぅ~うまい!」
ビールのCMみたいなリアクションをしてしまう。
それを見て笑う卓美先輩。
「ハハハ、おっさんやないか」
「お、お恥ずかしい……」
「まぁ、少々ワイルドな方がオレは好きやで」
「マ……マジですか」
決めた。あたし、ワイルドな女子になる!
「ほな、走って帰ろか」
「ふぇええええ」
前言撤回までわずか一秒。ここまで走ってきた道のりを、また走って帰るのかと思うと、やっぱり情けない声が出た。
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