第1章 帰蝶×胡蝶

101 匿名×名無し=

 インスタンス北中学二年、斎藤さいとう帰蝶きちょうとなりのクラスに転入てんにゅうしてきた胡蝶こちょうと名前がているため、姉妹しまいといううわさが広まっている。

 実際じっさいのところ、えん所縁ゆかりもない赤の他人たにん苗字みょうじちがうし、みな根拠こんきょの無いデマだとすぐにわかるはず。だから放置ほうちしても大丈夫とたかくくっていた。


 数日後すうじつご

 『腹違はらちがい』の修飾語しゅうしょくご付与ふよした物語ものがたりが、まことしやかにかたられ始めた。

 とはいえ、人のうわさ七十五日しちじゅうごにちという。いつまでも、話題わだいのぼり続けることはないはず。引き続き放置ほうちすることにした。


 その翌日よくじつ

 胡蝶がかみをピンク色にめた上、猫耳パーカーねこみみパーカーとデニムパンツのコーディネートで登校とうこうした。これは帰蝶きちょうと同じスタイル。『姉妹しまいであることをかく必要ひつよううなったで』『同い年の姉妹しまいやで』といった想像そうぞう根拠こんきょに、双子説ふたごせつ有力ゆうりょくとなる。

 その上『気付かんでごめん』『仲良しの双子姉妹、憧れるわ』と声を掛けられる始末しまつ

 帰蝶きちょう真似まねをしてくる目的が気になって仕方しかたない。考えてもわかることではないから、胡蝶に直接ちょくせつたずねるためにとなりのクラスへおもむく。


  * * *


 帰蝶きちょうは、一際ひときわ目を引く胡蝶に目をる。

 パーカーはプルオーバーではなく、ジップアップ。

 デニムパンツはスキニーではなく、ストレート。


 カジュアルの定番ていばんである、パーカーとデニムパンツのコーデをしている人はごまんといる。組み合わせのみが一致いっちすることをって、類似性るいじせいが高いとは言えない。

 文句もんくを言うためにどれだけこまかく見比みくらべても、形状けいじょう一致いっちするアイテムを見付けられない――各アイテムの形状けいじょう片手かたてで数えきれるほど少ないにもかかわらず、『双子』や『真似』と表現するにる、類似点るいじてん存在そんざいしていない。

 数多くのアイテムをもちいコーディネートしているのだから、何かの形状けいじょう偶然ぐうぜんかぶっているのが自然しぜん状態じょうたい

 違和感いわかんを覚える程に、一致いっちする点が無い状況からさっするに、帰蝶きちょうかぶらないよう関心かんしんを持って観察かんさつしていたことは、自明じめい

 それに引きえ、帰蝶きちょうは胡蝶の存在そんざいが気になっていたにもかかわらず無関心だった。見ようともせず、見たつもりになっていたと自覚じかくじる。


 帰蝶きちょう視線しせんに気付いたのか、胡蝶がってくる。

 類似点るいじてんを見付けることはかなわなかったけれど、胡蝶に『双子』と言われ始めた原因げんいんがあり、胡蝶が扇動せんどうしていることは事実じじつ

「その恰好かっこうのせいで、双子ってうわさされとるの知っとる?」

「なんでやろうね……雰囲気ふんいきを合わせるシミラールックコーデ。このへんではまだ流行はやってへん? 友達同士ともだちどうし仲間内なかまうちでするもんなんやけど」

「知らん。なんで、そんなことするん?」

 返ってきたのは予想外よそうがい回答かいとう

帰蝶きちょうになろうと思って」

 理解りかいくるしむ――今眼前がんぜんに居る胡蝶は、本人を前にして、屈託くったくなく堂々どうどうとなりすましたいと言う。胡蝶に罪悪感ざいあくかんいだいている素振そぶりは、微塵みじんも無く、むしろ揚々ようようとしているように見える。

 きわめつきの一言。

「これからは帰蝶きちょうって名乗なのるわ」

 帰蝶きちょうと同じ特徴とくちょう外見がいけんで、帰蝶きちょうの名をかたられたら、第三者だいさんしゃ帰蝶きちょう認識にんしきされかねない。

「やめろっ!」

 今この場で、はっきりと拒否きょひしなければ、胡蝶に私が乗っ取られ、私の存在が抹消まっしょうされてしまう。

 とはいえ胡蝶は許可きょかもとめておらず、帰蝶きちょう決定事項けっていじこうつたえているにぎない。帰蝶きちょう拒否きょひしたところで、好転こうてんする可能性かのうせいちいさい。

 どう足掻あがこうと、手のひらでころがされるだけ。っ取られる側が、屈服くっぷくさせられる理不尽りふじんがあって良いはずがない。


 さがせ。不利ふり状況じょうきょう一転いってんさせられる何かを――。


 現時点げんじてん喪失そうしつしているのは、帰蝶きちょう特徴とくちょうせている胡蝶。別名べつめいを名乗ると宣言せんげんした時点では、何者なにものでもなく、名が無い状態じょうたいであることを意味いみする。

名無ななしなんやで、John Doeななしのごんべえ名乗なのればええ」

 この仮名かめい身元不明者みもとふめいしゃほう用語ようご。女性の場合はJane Doeジェーン・ドウを用いる。帰蝶きちょう性別せいべつにより使い分けると知っているけれどえて男性用を提示ていじした。性別せいべつ概念がいねん適用てきようするにあたいしないという帰蝶きちょうからのささやかな意思表示いしひょうじ

 胡蝶がいかりに身をまかせ、有形力ゆうけいりょく行使こうしするよう仕向しむけた。第三者だいさんしゃがこの不毛ふもうなやりとりを中断ちゅうだんしてくれることをねがった。


 しかし胡蝶の反応は、帰蝶きちょう想像そうぞうぜっする。


「おぉっ! コードネームええね! 秘匿名ひとくめい匿名とくめい……帰蝶きちょうAnonymous匿名! 略して、アノンとドウやね!」

 胡蝶は名無ななしであることを嬉々ききとして受け入れ、帰蝶きちょうの名を、害意がいい無くうばった。

 コードネームが通名つうめいを指す単語たんごであることは知っている。でも、学内がくないで名前と無関係な通名つうめいで呼び合う光景こうけいを想像すると痛々いたいたしく感じる。

 ただ名を呼び合うだけの目的なら、本名ほんみょう帰蝶きちょうと胡蝶で十分じゅうぶん。けれど『John Doeななしのごんべえと名乗ればええ』とすすめたのは帰蝶きちょう。だから、使う行為こうい自体じたい否定ひていするのは気が引ける。

「そんなん、何に使うん?」

「ユニットを組もうよ。匿名アノンには名が存在するけど、名無しドウには存在せえへん。やで、名前は……有と無の間のmē on非有! 由来ゆらいは、古代ギリシアの哲学者てつがくしゃParmenidēsパルメニデス存在論そんざいろん。<あるものはあり、あらぬものはあらぬ。あらぬものは認識され得ず、探究不可能>てゆう思想しそうで有名」

 ユニットとは、二人以上で活動かつどうする集団しゅうだんのこと。ダンスや音楽活動をするのは、やぶさかではない。

 一先ひとま通名つうめいが学内で呼び合う目的のものでないとわかり、安堵あんどする。

 個人名を消失しょうしつさせ、ユニット名で両者りょうしゃの存在をまとめて否定するか――一貫性いっかんせいがあって嫌いではない。無ではなく、有にあらずで『非有ひう』という表現も好み。

面白おもしろいやん」

 思わず口をいて出た。

「決定やね!」

 活動内容を確認する前に決まってしまった。

「どんな活動かつどうするん?」

戦争せんそうやよ! アノンが防衛ぼうえいして、うちが攻撃こうげきする。今夜九時、むかえに行くで家におって」

 胡蝶は上機嫌じょうきげんで席にもどる。


 ――。


「はぁっ!?」

 何故攻撃されなければならないの?

 思い出せ。胡蝶は何を言っていた?

『これからは帰蝶きちょうって名乗る』

 何故そんな話になった? もっと前に言われたことは――。

帰蝶きちょうになろうと思って』

 これが胡蝶の最初さいしょの発言。それ以前いぜんには、会話どころか面識めんしきすら無い。

 わけがわからない――ほんの数分前が初対面しょたいめん出会であって数分で宣戦布告せんせんふこくされるような、秩序ちつじょからはみ出した、アウトローな人生をあゆんではいない。

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