第2話 変わるものと変わらないもの


金森と南と話していると


「おはよー!」

小さい女の子が俺に飛びついてきた。驚いて反射的に受け止めたが、すぐに身体を離す。



すぐに離したのは嫌だったからではない。

大人の男が見ず知らずの女の子を抱きしめているなんて、社会的に悪いレッテルを貼られるのではないか。という自身の防衛本能が働いたのだ。



「えー!?ひどーい!彼女を拒絶するなんてー!」


そう言って女の子は、ぷぅっと頬を膨らませる。



『彼女…?』

状況が飲み込めずキョトンとしていると


「ウチの部署では皆に可愛いって言われてきたのに!洋服だって姪っ子のやつ借りていたの!似合ってるでしょ?」


そう言って目の前でクルクル回っている。

ここで彼女のいう『可愛い』という言葉に引っかかる。可愛くないと思ったわけではない。



確かに可愛い。しかし今まで彼女に感じていた可愛いとは、どことなく違うのだ。この姿の春に感じる感情は、幼い子という可愛いであって、女性としての可愛いではない。





「彼女…ということは、春…なのか?」

「え!分からないの!?もしかして可愛くなり過ぎて分からない!?」


そう言ってぴょんぴょん飛び跳ねている。

信じがたい光景だ。自分の彼女が小学生になっている。



信じきれていない自分がいるにも関わらず、目の前の女の子から放たれるグレープフルーツの香りは、何よりも現実を受け入れさせようとしてくる。

『この匂いは、いつも隣にいた春と同じだ。』




「春も朝起きたら小さくなってたのか?」

「そうだよ!中身はそのままで子供の頃に戻れるなんて嬉しい!」

本人はご機嫌でなによりだ。




なるほど。今朝人が少なかった理由も分かった。

春は姪っ子の服があったから出社出来たものの、他の人は急に自分にあう物を揃えられるわけもなく、外出出来なかったというわけか。




そうこうしている間に始業のベルが鳴る。

社員がいつもの半分程しか集まっていないが、何事もなかったかのように仕事が始まった。







「飯野課長、先日ご提案させていただいた案件についてですが…」

そう言いながら課長の方へ近づく。



「あっ…」

思わず声に出てしまった。

40代の課長はまるで80代くらいの腰が曲がったおじいちゃんになっていた。


歯もぬけているのだろう。シミが増え、顔が痩せこけていた。このくらいの年齢の方はまずサラリーマンとして働いてることは無く思わず驚く。



「か、課長…?」

「なんだエリートで堅物な五條ともあろう奴が、俺のこの姿に驚いたか?」

俺の驚いた顔を見て満足そうだ。




「俺も朝起きた時は驚いたんだが、なんとこんな姿なのに、目はしっかり見えるし耳も遠くない。身体の機能は全く変わらないんだ。不思議だろ?」

そう言って腰が曲がっているにも関わらず、その場に立ってジャンプしたりスクワットしたりして元気ぶりを見せつける。




「妻や娘も久しぶりに俺に声かけてくれてさ!今までなんて、居るか居ないか分からん扱いだったのにな!」

そう言って課長は嬉しそうに笑う。




そうだった。飯野課長は特別何か行動を起こすような人ではなかった為か、いつも変わらず平凡な毎日。ご家族にもつまらないと言われ、あまり相手にしてもらえないとよく嘆いていた。それが今朝は相手にしてもらえて、余程嬉しかったのだろう。




「そうですか、それは良かったです。ところで先日の改定案についてですが…」

と俺は話を進める。



「いいのいいの!そんなことはいいの!ただでさえ、皆の姿も変わって世間が変わってるのに、現時点で会社のことまで変えなくていいの!」




そう言ってまた先延ばしにしようとする。

その時点で俺は見えてしまった。先日自分が提出した資料は机の上にある、大量の資料の山の下の方に埋もれているのを。




『はぁ…言い訳してるけど、結局まだなにもしてないんじゃん。』

呆れつつ、はいはいと相槌をうつ。



「ところで、このままで良いんですか?その外見。色々不便でしょう。」

「いいのいいの。これだけ色々な人に起こってるんだから、どこかで誰かが何とかしてくれるよ!それまではこれでいいの!不便そうな事があった時は頼むよ!」




なるほど、清々しいくらいに他力本願だ。

そう思いつつ、その場を去ろうとすると、


「また今度取引先と会議があるでしょ。明日。君一人でも良いんだけど、せっかくだから僕も行こうと思う。」

課長は嬉しそうにそう話す。




『きっと、他の人にも自分の姿が変わった事を知ってほしいのだろう。普段は取引先にもあまり相手にしてもらえてないからな。』

そんな下心が手に取るように分かった。



「分かりました。先方にもその旨、伝えます。姿が変わってる事など事前にお伝えしましょうか?あちらも急に変わったんじゃ驚くでしょう。」

と取引先を気遣って提案するものの、



「いいの!そのまま行くからいいの!中身は変わってないんだし。君はなんでも自分でやろうとするのが良くないよ。昔の僕は…」

そう言ってまた昔話を始めようとする。




「分かりました。それではお伝えしませんので、明日遅れずに参りましょう。」

そう伝えると、さっさとその場を立ち去った。

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