第72話 生配信開始!




「そろそろ生配信の時間だな」


うん、と。


「その、いろいろと大丈夫なのか」


またしても、うん、と。


美夜は三角座りで身体を丸めたまま、首を小さく振るだけで応じる。


もう長いこと、この調子だった。

まるで眠っているアルマジロみたいに、彼女はずっとこの姿勢を取っている。


なので、


「えっと、延期とかするか……?」


攻め手を変えてみたら、これにはぶんぶんと思いっきり首を横に振った。


すぐに元通り丸まってはしまったが、きちんとやる気はあるらしい。



脱衣室で起きた事故は、あれ以降も尾を引いていた。


『余裕』という名のドレスを翻して、最強無敵の笑みをたたえるいつもの彼女はそこにいない。

今は、細川美夜らしさが完全に鳴りを潜めていた。


よほど、ショックは大きかったようだ。


そりゃあまぁ、本物の彼氏でもない俺に、ほんの一瞬とはいえ全てを晒したのだ。


恥ずかしくもなるだろうし、落ち込みもするだろう。


「……本物の彼氏だったら、こうはなってなかったよな。相手が俺で悪かったよ」


不可抗力とはいえ、見たものは見た。それに、もしかすると触れてもしまった。


俺は彼女の正面に座って、あらためて詫びを入れるが、またふるふると首が振られる。


少しして、美夜は膝を抱え直し、すだれみたく垂れた前髪の奥から俺を見つめた。


その瞳の下、瞼から頬にかけてはいまだに赤い。


「ほんと。山名相手じゃなかったら、こんなことになってない」

「…….それ、どう捉えたらいいの? 俺だから嫌すぎるってこと?」


「ばか。山名だから恥ずかしいんだって。他の男だったらそもそも脱衣所に入れてないし。

 だから、山名のせいじゃない。全面的に悪いのは私だよ」


一段深く、再び青色の吐息をついてから美夜は続ける。


「それに、見られたのは恥ずかしいけど、一番恥ずかしいのはそこじゃないの」

「……じゃあなに。触ったこと?」

「やっぱり山名は、ばか。

 そうじゃなくて、さ。私は自分の空回りが一番恥ずかしいの。日野さんとのことがあったからかな、ちょっと焦ってたみたい。

 あんなことになってさ、ごめん」


以後に起きた事件のせい、すっかり記憶から飛んでいたが、脱衣所で聞かされた話がやっと頭に蘇る。


梨々子よりも彼女らしくなるため、無理した結果が、あれだったらしい。


心なしかいつもよりへたって見える美夜の髪に、俺は手を伸ばす。頭をくしゃっと一回だけ撫でた。


「なんだ、落ち込んでたと思ったらそんなことかよ」

「……そんなことじゃないから落ち込んでるんだしっ! 私、最近やらかしすぎてるし…………」

「俺だって空回りして、細川さんに迷惑かけることくらいあったろ? そんなのお互い様だし、これから何回でもあるだろ。

 パートナーなんだからさ。あんまり思い詰めんなよ」


俺は彼女の頭から手を離す。

意図せずキザっぽい台詞になったことに後から気づくと、猛烈に恥ずかしくなってきた。


……今のセリフ、陰キャに許されないんじゃね?

大富豪の子息のイケメンにしか許されなくない?


一人、悶えていたら、美夜ははっとしたみたく顔を上げた。


一瞬、薄い笑みを浮かべたと思ったら、それをまた膝の間に埋めて丸まる。


そして、そこからが想定外。


「じゃあさ、責任とってくれる?」


まるで、静かな湖に一滴、水を落としたみたいな、ひそやかな声だった。


「……なんの?」

「その……見たことと触ったことの。私、そういうのは大事な人にだけって決めてるの。だから、責任取って?」


言葉の意味を理解するまで数秒、分かった途端、身体中を一気に血が巡りだす。


美夜は身を起こすと、こちらに手を伸ばしてくる。

思わず尻歩きで後退したら、四つん這いの姿勢、背中をそらして、そのしなやかな手を伸ばしてきた。


相変わらず彼女の頬は赤い。いいや、それどころか耳まで赤い。

それにその態勢は、健全な男子高校生には毒すぎる。


こぼれそうな胸元、いや、やけに色っぽく見える彼女の肢体から目を逸らし、俺は唾を飲み込み、煩悩を抹殺する。


そこで、ぴーんと直感が告げた。

ここ最近、伊達に彼女に揶揄われてきたわけじゃないのだ。


迫ってくる彼女の手を握って、俺は目を瞑る。


「もう大丈夫なんだろ? 細川さん」

「…………あは、お見通し?」


ほら、的中していた。

細川美夜はこんな艶やかな演技だって、お手のものなのだ。


「それくらい一緒にいる時間も増えたしな。学習するんだよ、俺も」

「えっ、驚いた。学校の授業は聞いてないのに?」

「英語で1桁取るやつにだけは言われたくねぇ。…………で、いつから?」


それ次第では、気の利いたことを言おうとした末、思いがけず気取ったセリフを放ってしまった俺だけが恥をかいたことになる。


が、それは杞憂だったらしい。


「本当にさっきだよ。山名の言葉で、本当に気が楽になったの。

 うん。パートナーだもんね、私たち。彼氏と彼女だもんね。ちょっとの迷惑くらいかけてもいいよね、ってしっくりきた」


「彼氏彼女は、あくまで動画内の話な」

「余計な補足だよ、それ。どっちでもいいの。今大事なのは、私が救われたことだよ。私にとっての魔法だよ、山名の言葉は」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る