第63話 俺にだから話せること?
美夜は少し顔を上向けると、夜空に目をやって口を開く。
その様子だけならいつもの美夜だが、彼女は取り繕うのに失敗していた。
少しだけ声が震えている。
それでも彼女はそうと悟らせまいと、気丈にも緩いトーンで続けた。
「なんとなく分かってるかもしれないけど、私の家、片親なんだよねぇ。って亡くなったわけじゃなくて、父親は私が小さい頃に浮気して、他所で子供作ってそっちに行ったの。
だから母だけ」
ひどい話だと思っていたら、それでは済まないらしい。
「でもね、父だけが悪いわけじゃないの。だってママも浮気してたんだ。
笑えるよね、これ。それどころか自由になったのをいいことに、今もいい歳して男遊びばっか。だから、今日は家にいないの。
たぶん、どっか男の家かホテルに泊まりに行ってる。こう言う時、連絡したら怒るんだ。今はママじゃなくて、女だから。娘が邪魔なんだろうね」
「……だから、親に連絡はいらないなんて言ってたんだな」
「そんなとこ。あの人、私がなにしてるかなんて気にしてないから。って、それは山名も?」
たしかに、うちの両親は超放任主義だ。
生活力皆無の姉と二人暮らしさせたうえ、月に一度連絡を寄越せばいいほう。
勉強についても将来についても、何も言ってこない。
だがそれでも、細川家の状況とは決定的に異なる。
俺や姉が本当にピンチになったら、うちの親はきっと助けてくれる。
だが、美夜の母親はそうじゃないのだろう。
「まだマシになった方なんだよ、これでも。前は家に男連れ込んで、肩身狭いったらなかったし。
お金渡してきて、その……誘ってくるヤツもいた。もちろん、股の間蹴っ飛ばして断ったたけどね。私のママ、マジで男見る目なさすぎ」
「……ひどいな、それは」
こういう時、たかが10数年生きたにすぎない自分の経験不足を実感する。
かける言葉は浮かんでは消え、やがてまったく何も出てこなくなる。
俺は唇を噛みながら、美夜に目をやった。
やっぱり彼女はまだ少し震えていて、俺はひとつ深呼吸をする。
聞くだけしかできない俺が、こんな事ではいけない。
美夜は怖くても、俺にだから、と話そうとしてくれているのだ。
言葉がダメなら、行動だ。
俺は彼女が不安げに握りしめた両手の甲を包むように、右手を添える。
今は動画撮影中でも、恋人の練習中でもないが、それでも力になりたかった。
美夜はチラリとそれを見ると、拳をほどいて左手だけを俺の手の上へ乗せる。
夜風みたいにひんやりとした感触が、徐々に温まっていく。
「……でもさ、まぁ私にしてみたら普通なんだよ、これが」
「普通じゃないよ、そんなの。普通、そんな状況なら逃げたくなるもんだって」
「思ったよ、そりゃあね。でも、家だよ? 結局逃げ場ないじゃん。でもね、諦めようとは思わなかったの。だって、ムカつくじゃん?」
ムカつく。
話の流れにそぐわないくらい端的な一言が、静かな空気に一瞬響いて消える。
それは意外すぎる言葉だった。
「ムカつく、ってなに?」
「全部ムカつくじゃん。父親もママも、あと一番ムカつくのはママの元カレ。
ちょっと貧乏そうだから、家庭環境が複雑そうってだけで、お金で買えると思われたんだよ、私。超ムカつくよ、ムカつく、ムカつくってなったの」
俺の手が強く握りしめられる。
今日彼女がネイルをしていないことは、校外学習のときにきかされていた。
食い込む心配をする必要もないので、俺は固く握り返してやる。
その怒りを半分貰い受けるくらいのつもりだったが、彼女はすぐに力を緩めた。
憂いの乗せたまつ毛を伏せる。
「でも、その苛立ちがね、動画を始めるきっかけになったんだ。そんな風に下に見られたくない、自分の手で今を変えなきゃ、ってそんな理由。まぁもちろん、普通に気になってたのもあるんだけどね」
美夜は身体を動かして、気持ちこちらに身体を向けると、にこり笑って見せた。
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