第62話 深夜のカップ麺は罪の味



といって、我が家にもまともなご飯はなかった。


いつも梨々子の用意してくれる作り置きはちょうど切らしていたし、冷凍パスタさえ、タイミング悪くなにもない。


というか冷蔵庫にまともなものは、ほとんど入っていなかった。

ハイボールやら梅酒やらといった酒類とおつまみが9割、見せるだけで身内(姉)の恥が晒されるような代物ばかり。


……少なくとも、食べかけのイカの一夜干しは冷蔵するべきではないと思う。


こんなふうに冷蔵庫が壊滅的となれば、我が家に残る食糧など一つだけだ。


「……悪い、こんな時間に、これで」

「いいよ。たまにはさ。ってか、私、普段からもっとえぐい食生活だし」


たしかに、美夜の普段のパンやチョコ尽くしの食生活を考えれば、これでもマシなのかもしれないが……


「それに、深夜に食べるカップ麺っていうのも悪くないしね」


なし崩し的とはいえ、泊まりに来た女子に振る舞う代物としてはいかがなものか。

しかも、『BIG!』とか、『背脂たっぷり!』『にんにくパウダー入り』とか、パッケージにコテコテに書かれた代物だ。


せめて、カロリーオフとかあっさりしたものであってほしかった。


申し訳ない程度に残っていた小口ネギを乗せ、姉のつまみである煮卵を乗せてはみたものの、やっぱりガッツリ系インスタント麺には違いない。


汁をこぼさないよう、二階への階段をゆっくり上っているこの瞬間が、我ながら情けない。

先を行く美夜の尻……ではなくて、背中を見上げてもう一度尋ねる。


「本当にいいのかよ、こんなの」

「えー、全然いいよ。むしろ二重丸! 正直、かなり楽しみだよ、背徳感が私の食欲を盛り上げる、っていうか! 今、わくわくゾクゾクしてるもん」


部屋に戻ってくる。美夜がくるり反転してから指さしたのは、ベランダの外だ。


「ね、そこで食べない? 今の時期、絶対気持ちいいよ」


その誘いは、なんとも魅力的なものだった。

たかがベランダとはいえ、夜空の下で食べれば、なんだって美味く感じるものかもしれない。


このカップ麺が少しでも立派な料理に昇華される期待をこめて、俺はすぐにその誘いに乗る。

折り畳み椅子を二つ引っ張り出すと、ベランダに設置した。


座ってみるだけで、なんとなく心が浮足立つ。

ここ西宮は、住宅地だけあってそれなりに栄えている。すっかり夜のとばりが降りた空、またたく星は頼りない数だが、それでも夜中に外にいるというのはそれだけで特別な感じがする。


そして、ここへきて改めて意識せざるをえなくなった。

こんな時間に、自宅で美夜と二人なのだ。


気にしているのは俺だけなのか、単に新鮮だからなのか。美夜はカップ麺を膝上に抱え、なんてことない住宅地を見つめる。


「やっぱり、ここからじゃ海、見えないかぁ」

「ううん、ほら、あのビルの横手。あれ、鳴尾浜だよ、たしか」

「おー、ほんとちょっとだけ見えるね」


こんな会話で持たせているうち、ぽっけの中でスマホのアラームが鳴る。


もう湯を注いでから5分経ったらしい。蓋をぺりぺりはがし、手を合わせる。悪いことをするときみたいに、なぜかタイミングを調整して、同時に麺をすすりだす。


「うーん! うまいっ!! やっぱ、思ったとおりだ。これだよ、ここに世界があったんだ! っていうか、罪の味だ〜。大罪だよ、これは」

「あぁ、うまいなこれ。めちゃくちゃ染みわたってくる……罪深ぇ」


思わず、次々と食べ進めてしまうほどであった。

二人、無言で麺を啜り続ける。捨てに行くのが面倒だから、という言い訳を作った上で、スープまで完飲してしまった。


一応、動画投稿者としてある程度、美には気を遣っている身だ。

いつも頼む出前も、ファストフードなどの油ものは避けている。

ここまで振り切ったのは、かなり久しぶりだった。


あっという間に空になったカップを美夜のそれと重ねる。


「これで、私たち完全に共犯だね。黙ってようね、このこと」

「誰にだよ。そもそも誰かに言うつもりはないよ」


深夜のカップ麺の偉大さは、たしかに誰かに触れ回りたいレベルだ。


だが、あいにく、ぼっちな俺にそんな相手はいない。


それから、美夜と今こうしてベランダにいることも、梨々子にも言えない。言ってはいけない理由を考えても浮かばないのだけど、きっとそうだ。


そんな複雑な心境含めて、実に罪深い味だった。


「そっか、じゃあ秘密ね。さすが私の恋人兼共犯者さんだ」

「……肩書きモリモリだな、おい。企業のお偉いさんかよ。しかも、どっちも人に話したら誤解されるし」

「あは、ほんとだね。でも、うん、安心した。やっぱり山名になら話せるよ。信じたいって思えるし、信じる。これからするお話も他言はなし。お願いね?」

「おう、任せてくれよ」

「って、なんか畏まっちゃったけど、そんな大した話でもないんだよ。だって、私には普通のことだしね」

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