第14話 『あーん』は背徳の味?


念のため、美夜が仕掛けてこないか警戒しながら俺は弁当の包みを開ける。


蓋を開いてみると、中には彩り豊かなおかずだ。野菜の量も、肉の量も、加えるなら白米の量も、そのバランスはほぼ完ぺきといえる。


これが完全バランス栄養食なのでは、と思いたくなるような弁当が姿を表した。


横で菓子パンをかじる美少女から注がれるは、羨望の目だ。


「うわ、なにそれすごすぎ。山名のお母さん……じゃなかった、これももしかしてあの子の?」


俺は、端的にこくりと頷いて見せる。


現在、我が家に母親はいない。


ただそれは存在がないわけではなくて、親父とともに東京に住んでいたりする。

俺が高校に入ってすぐ転勤が決まったこともあり、姉とともに、俺はここ兵庫県に残ることとなったのだ。


姉弟ともにお世辞にも生活力があるとは言えない俺たちを支えてくれているのは、出来のよすぎる幼馴染である。


「そう、梨々子が作ってくれてるんだ。材料費は負担してるけど、それだけじゃ到底足りないくらい、クオリティ高いよな、これ。俺としてはもっと肉があっても嬉しいけど、こうやって強制的に取れるのも助かるし」


あぁ、ありがたや、梨々子さま。


半ば本当に拝む気持ちで手をすり合わせていると、ひょいと。

弁当箱が持っていかれてしまった。上にのせて置いたお箸ごとだ。


代わりに、イチゴジャムパンがぽいっと俺の膝上には置かれる。


「交換しよっか、等価交換」

「いや、どこが等価なんだよ、これ! なに、大貧民と大富豪のトレードかよ」


しかも、食べかけだし……!


いや、待てよ。待つんだ、山名日向。


新品ならばたかが100円そこらだが、この稀代の美人の食べさしとなれば、もしくはこっちのほうが価値があったりして――


ふと思うが、あくまで魔がさしたにすぎない。



俺は首を振って、弁当を取り返さんとする。

が、彼女は高く掲げてみせたり、腰の裏に隠してみたりと、素直には返してくれない。


「あはは、ちょっと、もうくすぐったいよ山名、あははっ」

「あのなぁ! 弁当くらい静かに食べさせてくれよ、まったく」


ちょっとだけ語気を強めて言えば、「あ、怒った怒った~」とくすくす楽しげに笑う。


「返すよ、返しますったら。でもさー、これから恋人の練習しようってのに、他の女の子の作ったお手製弁当を食べるのっていかがなものかと思ったからさ。あーん、とかしてあげたいのに、本当は」


たしかに、いわゆる『あーん』は恋人らしいイベントだが、他の女子のお手製弁当でやるのは聞いたことがない。


「……でも、そういうことなら、別にいいんじゃないの。要は練習できればいいんだから」

「まぁそうなんだけどさ、気持ちが入っていかないというかさ。まー特別に? 山名が私に『あーん』してほしいって言うなら、やってもいいかな」

「……言わないぞ、断固として」

「ありゃ強情だねー、私の彼氏カッコ仮さんは」


なんだかんだと言いながら、彼女は箸を手にすると、玉子焼きを一切れ掬い上げる。それを、にゅっと俺の口元に差し出して、


「あーん」


と自分も口を開けてみせる。


正直、躊躇いしかなかった。

カメラが回っている状況下ならいざ知らず、回っていない場面において、こんな甘いやり取りをしたことは一度だってこれまでなかった。


ええい、日向。これはあくまで恋人らしい演技をするのための練習だ! 練習からこんなことで、どうする! これは練習、練習……。


そう自分を叱咤していたら、美夜が言い募る。


「ちょ、ちょっともう限界! 腕つる~、玉子落としちゃうから早く」


降参だった。箸を掴んだ右手首を震わせる彼女の箸から、玉子焼きを食べさせてもらう。


……練習とはいえ、少しはどきどきするかと思った。


カメラの外、それも人目につかない別館の渡り廊下で二人きりというシチュエーションで、しかも誰もが羨望の目を注ぐような弩級の美人から料理を食べさせてもらうなんてこと、これまでの人生で経験したこともなかった。



だが、現実としては微妙な気分になった。


落としたら、作ってくれた梨々子に申し訳が立たない。

なんてことを考えたため、目の前の美夜のことが少し頭から飛んでしまったためだ。



そして、そんな風に何とも言えない感情になったのは、俺だけじゃなかったらしい。


美夜はそっと俺にお弁当箱を返すと菓子パンを回収して、小さくちぎって一口食べる。



「…………ねぇ今度お弁当作りの企画、撮影しよっか。私、こう猛烈に悔しくなってきたよ、今になって」

「……俺も。どうともたとえようのない気分だよ」


「ぐわー、もうなにこれ複雑すぎる~。あーん、できたのはいいけど、それは日野さんの手料理で、『美味しい』って聞いたところで返ってくるのは日野さんの料理への感想だよ? 悔しい~、悔しすぎるっ。絶対いつかリベンジする!」

「……そこまで本気にすることあるか? ビジネスカップルなんだからそこまでしなくても――――」


と、俺が言いかけてやめたのは、もう美夜がいっさい聞いていなかったからだ。


美しく光をはじき返す唇の端にイチゴジャムをすこしつけたまま、彼女は拳を握り決意を固めていた。


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