10-2 含笑転落
日時
【四月二十六日 日曜日 十五時五十六分】
場所
【社日夕支部三階】
人物
【麻希】
最悪だ。
マジで最悪だ。
なんだよこれ、聞いてない。
俺は真っ当な死に方をする人間じゃないってことはわかってる。
だからって、こんなのは聞いてない。
ガキの頃から俺はどうしようもないバカだった。
中学の頃にはタバコと酒を覚えて、同じようなバカどもとつるんで悪い事はなんでもやってきた。
補導された回数も両手じゃ足りない。
高校にも行かずに、かといって悪にもなりきれずに半グレみたいな生き方をしてきた。
その時からいつかクソみたいな日にクソみたいな死に方をするんだろうと思ってた。
今日なんて打って付けだと思ってた。
だからって、こんなのは聞いてない。
階段の先を降りていた仲間は一瞬の内に大きなペットボトルの化け物に変わった。
覚醒体になった。
俺たちは人間として死ぬ事さえできないのか?
さっきから震えが止まらない。
部屋の隅で膝を抱えてる。
涙を流したのなんて、いつぶりだろう。
二十年近く前に出て行ったきりの実家がとてつもなく恋しく思えた。
お袋は、親父は元気でいるだろうか。
兄貴は妹は真っ当に生きているだろうか。
俺のように道を踏み外して、こんな誰も知りようのないクソみたいな所で、俺が俺だった証すら残さずに死ぬような事にはならないで欲しい。
あの頃、殺したいほど憎かったアイツらが何故かとても愛おしく思えた。
ようやく気付いた。俺は真っ当に努力して真っ当に生きられるアイツらが羨ましかったんだ。
俺に残された時間はあとどれくらいだ?
こんな事になるなら宗教になんか入らなければよかった。
クソみたいな俺の人生でたった一つのマシな事だと思ってたのに。
ダチに誘われて「あたらしい日」に入ったのは十五年前だった。
それまで宗教なんか信じてなかったし「あたらしい日」についてもそうだった。
俺たちは信徒としてじゃなく、端から信徒を導く側として雇われた。
俺たちみたいな人間の方が役者だってわかってたんだろう。
宗教なんて信じるヤツはバカだと思ってたし、まともじゃないとも思ってた。
俺たちみたいな人間とはまた別のバカたちだって思ってた。
ある意味、その考えは今も変わらない。
ただ、段々と信徒たちの考えも理解できるようになっていった。
要は居場所だったんだ。
あたらしい日に来るヤツはみんな何かしらを失ったり、何かしらが足りなくって、それを埋める何かを探していた。
つまり俺と同じだった。
いつの間にか俺にとってあたらしい日は居場所になっていた。
あの頃はまだよかった。
俺が幹部になんかなる前の事だ。
そして、俺は世界の真実を知った。
異品という奇蹟、夕鶏という組織、社という敵。
あそこから狂い始めたんだ。
いや、あの時ですら俺はそれを深刻に考えてはいなかった。
むしろ真っ当に生きてる親父たちが知る事のできない世界の真実を知れて、得意気ですらあった。
どうしようもないバカだ。
そして今日。
作戦は途中までは順調だった。
社に侵入してそれぞれのチームがそれぞれに任務をこなす。
潜入場所、撤退場所を確保するチーム、社を足止めするチーム、異品を奪い地上に持ち帰るチーム。
俺が率いたチームは異品や覚醒体のロックを壊す役目だった。
何人も犠牲になったが、それでも俺たちは俺たちの仕事を成し遂げた。
あとは撤収するだけのはずだったが、社の抵抗が思ったよりも強くて俺たちは下に逃げた。
いつの間にか殆どのチームと連絡が取れなくなっていた。
「ここで死ぬのか。」
そう思った。
そして放送が流れた。
「獏以外の職員は五分以内に社を退去。獏は現在作戦を即刻中止し作戦本部に集合。事案『朝』が発生した。」
放送の内容はわからなかったが、九難がなにかやったのだと直感で思った。
あいつの目は最初から俺たちを見ていなかったから。
社の抵抗はその放送の後、全くなくなった。
代わりに地獄がはじまった。
俺の前を降りていたヤツの最期の言葉は「なんだ、この音?」だった。
ヤツがデカいペットボトルになった瞬間、俺たちは階段を駆け上った。
音から逃げる為に。
廊下は化け物で溢れていた。
生き残ってた仲間は三人。
他の二人は化け物たちに殺された。
そして、俺は奴らに見付からないように、音が聞こえないように、部屋の隅で両耳を塞いで震えている。
心臓の音が手から恐ろしい程大きく聞こえる。
その音を透過して廊下でうごめく化け物の音が聞こえる。
喉がつっかえて鳴る。
肌が震えた。
なんだ、この音?
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