7-2 極星学宇
「無機物に精神が存在すると思う?」
意外にもすんなりと百目木は話し始める。
「えっ?」
予想外の切り口に咄嗟に答えられない。
「次に回答以外の言葉を発したら講義は終了と思いなさい。暇だけど無能に合わせてあげる程ではないの。」
宿題を一人が忘れただけで授業が一時間の説教に変わる万年ヒステリックの英語教師村田の方が圧倒的にマシに思える気難しさだ。
「存在しないと思います。」
いや、人によっては身近な物に愛着を感じたりするのかもしれない。
日本だと付喪神なんて言葉もあるくらいだ。
「では、植物には?」
「ないと思います。」
「昆虫。」
「あ、る?」
「魚類。」
「たぶん、ある。」
「両生類。」
「あるんじゃないかと。」
「は虫類。」
「ありそう。」
「鳥類。」
「あります。」
「哺乳類。」
「あります。」
「酷く偏見に満ちた認識ね。自立的に動く生命体について精神を認める傾向がある。」
「そう、ですね。」
「因みに、九割方不正解よ。」
不正解って。
無機物は置いておくにしても、精神があるかないかなんて、その生き物自体じゃないとわからないだろう。
「それじゃ、正解はなんですか?」
「地球上では人類以外の全ての生物に精神は存在しないわ。」
「人間中心主義とかそういうアレですか?」
「無知にしては難しい言葉を知ってるわね。褒めてあげる。」
全く嬉しくない。
「全然違うけど。」
そうだろうと思った。
「別次元の宇宙の一つに精神生命体が存在する。」
SFがはじまった?
「その宇宙にはあらゆる物質が存在せず、群にして個、個にして群、宇宙そのものにして一つの現象である精神生命体のみがただ存在していたわ。三次元に縛られた生物では想像し難い事実だけど。」
茶々を入れると話を止めてしまいそうなので、黙って聞く。
「それらを我々はイドと呼ぶわ。」
「フロイトですか?」
「無駄な知識だけは持っているのね。むしろ彼の理論の語源になった方よ。彼が提唱する遙か以前からその存在は知られていたから。」
「そのイドが覚醒体とどう関係してるんですか?」
「無能は結論を急ぎすぎるから嫌い。真理が誰にでも理解できる言葉で存在すると信じて疑わない愚者が知識の扉を閉ざすと何故わからないのかしら?」
「すみません。」
「次はないわよ。」
二度目の「次」にもしかすると百目木さんは口は悪いけど存外優しい人なのではないかと誤解してしまいそうになる。
「ある時、といっても彼らには四次元的な感覚は本来存在しなかったから比喩だけど、イドは別次元の物理的宇宙に精神を持つ存在を観測したわ。それがこの宇宙で、この地球で、人類の元になった生命体よ。」
「サヘラントロプス・チャデンシス。」
「違うけど、学名なんてどうでもいいわ。イドの感情を人類が正確に推し量る事なんて不可能だけど、彼らの言葉を借りれば、イドが自分たち以外の精神を持つ存在を知った瞬間宇宙が喜びで震えたそうよ。」
宇宙が震えるほどの喜び、それは確かによくわからない。
精神生命体ってのもよくわからないから無理もない。
「しかし違った。彼らが精神だと思ったものは、精神ではなかった。進化の過程で生物が生存の為に獲得した、精神に似た機能。疑似精神とでも言う代物。」
疑似精神?
「動物を飼ったことは?」
「猫を飼ってます。」
「ここに来てしまったなら過去形にするべきね。」
猫を飼ってました。
もう二度と愛しの愛猫スフレに会うことは叶わないらしい。
「それに精神を感じた事はある?」
「あります。」
猫に限った話じゃないだろう。どんなペットだって、長く飼えばわかるようになってくるものだ。
嬉しそうな時、悲しそうな時、後ろめたそうな時、遊んで欲しそうな時、人類以外の生き物だって色んな感情を持っている。
「それを精神と感じるのは我々が精神を持っているからよ。だからこそ生理的な作用に過ぎない記号、疑似精神を本物の精神として受け取ることができる。」
百目木はなにを言っているんだろう?
「動物が持つ精神や感情が偽物なんて誰にもわからないじゃないですか。」
「我々にはわからない。でもイドにはわかる。純粋な精神生命体である彼らには。私たちが生物と生物的挙動をプログラムされた機械との違いを、一瞬騙されたとしても直ぐに見分けられるように。」
疑似精神を本物の精神として受け取ることができる。
だから、人類は他の生物に精神を見いだす。
いや、他の生物だけじゃない。
無機物にすら人類は精神を見いだす事ができる。
機械はもとより、動く事がない石にすら精神を見いだす事ができる。
それは人類が本物の精神を所持しているから。
「待ってください。なんで人類が本物の精神を持ってるんですか。イドが見た人類の祖先が持っていたのは疑似精神だったんですよね?」
「無能にしてはいい指摘ね。」
いい指摘ができてるなら、無能のレッテルを外してくれてもいいと思う。
「地球上の生物が持っているものが疑似精神だと知ったイドは深く絶望した。宇宙が固まったような絶望だったらしいわ。」
そりゃまぁ凄い絶望らしい。
「だからイドは精神を持つ生物を作ろうと考えた。イドの全てがそれに同意し協力したわけではなかったらしいけど、強く反対するイドもあまり存在しなかった。」
「それで作られたのが人類ですか?」
「無知な愚者を見る度に、拙速は巧遅に劣ると私は考えるのだけど違う?」
「あー、えっと、ごめんなさい。」
「半分だけ正解よ。」
半分合ってるのかよ。謝って損した。
「イドはそれを成し遂げる事はできなかった。そもそも、疑似精神は肉体を持つ生物が生存する為に獲得した脳機能の一部でしかなく、肉体を持たず時間を持たず死を持たず個と群が同居するイドの精神とはかけ離れたものだった。」
それじゃ結局人類は精神を持っていないって話にならないか?
「でもイドはどうしても人類に精神を持たせてみたかったらしいわ。もしくは、イドたちが肉体を得てみたいと考えたのかもしれない。いえ、どちらでもないのかもしれない。精神生命体の思考なんて人類が理解出来るわけもないから。あらゆる行動のその全てに意味を有しない。もしくはその逆であらゆる行動のその全てが意味そのものである。結局、人類が観測できるのは現在そうなっている、という結果のみ。」
現在、どうなっている。
「我々人類が精神を持つのは、全ての人類がイドと紐付けられているからよ。」
「えっと、それって、どういう意味です?」
「人類という物質世界の有機生命体を造り上げたイドたちは、そこに自分たちの精神を次元を超えて接続する事で精神を持たせたの。」
「それって、つまり、俺たちの精神はイドのものって事ですか?」
「さっきからそう言ってるんだけど?」
いやいやいやいや、それはない。
「俺、自分がイドだって思った事ないんですけど。」
「当然でしょ? 白痴なの?」
「でも、さっきイドだって。」
「イドは人類に精神を持たせたかったのよ。」
ごめん、理解できない。
彼女が散々罵倒したように俺が馬鹿だから理解できないのか?
「イドがイドの精神を保持したまま人類と紐付けされても、それは大して意味のある事ではないって話よ。」
「イドはなにかをして、人類と紐付けられている?」
「眠っている。と表現されるわ。」
……眠っている。
……覚醒体。
唐突に話が繋がった気がした。
いや、わからない。正確にそれがどういう意味を持つのかはわからないけど、確信はあった。
「イドが目覚めると人類は覚醒体になるんですか?」
「驚いたわ。見事な理論の跳躍を見せたわね。正解よ。あなたが知りたがっていた理由と原因はそれ。」
ユズのイドが目覚めたから、彼女は覚醒体になった。
俺たちが自分のものと思っている精神は実はイドのもの。
それじゃ、俺たちってなんだよ。
人間ってなんだよ。
「人類はイドの見ている夢に過ぎないわ。」
絶望的な言葉に世界が揺れた気がした。
自分という信じて止まない存在がぐらりと歪んだ気がした。
胡蝶の夢かよ。
そんなの中二の頃に通り過ぎた。
少し強がってみたところで、足下は揺れたままだった。
「夢が覚めれば、イドとの紐付けは切れる。その際に残った精神の残滓、残滓といっても物質世界では抱えきれない程の圧倒的エネルギー、それが物質世界の処理上の都合で形を得た物が覚醒体。」
どうして百目木はそんなことをこんな平然とした顔で、なんともないという風に言えるんだ。
「なんで平気なんですか? なんでこんな事を知った上で、平気な顔で生きていられるんですか?」
「社の教義は『覚めない夢はない』よ。その程度が絶望になるような職員は社になってない。それでも我々は人類だと虚勢を張り、誰に知られずとも人類を守り続ける唯一の盾になると、最良の夢守になると、子守歌を挽歌に集うのが我々社よ。」
百目木の言葉にほんの僅かに熱が入った気がした。
どれだけ口が悪かろうと、彼女もまた人類を守る為に人知れず戦う一員なのだろう。
同時に詩刀祢さんがなぜあれほど怒ったのかもわかった気がした。
「因みに、この事実を知ると統計的にイドが目覚めやすくなるわ。正確な理由は不明だけど、類推は可能ね。」
なんて事を教えてくれたんだ。
いや、教えてくれと頼んだのは俺だった。
できれば知らないままでいたかった真実。
社に来てしまった時点で時間の問題だっただろうか。
俺は社の職員のようにそれを受け入れて生きられるのかわからなかった。
「両抵抗がまだ人類かはわからないけど、それこそが社と覚醒体の存在を公にできない最大の理由よ。知れば調べたくなるのが人間だから。」
社は知ってしまった。調べてしまった。そして辿り着いてしまった。
「一つ安心していい事があるとすれば、イドが目覚めるまでの平均地球時間は約二百年。大抵の場合、イドが目覚める前に寿命が来て肉体が死ぬわ。その場合、覚醒体は発生しない。尤も、平均にするのはアンフェアな統計ではあるけど。」
百目木が足を止める。
話の内容が酷すぎてどこをどう歩いたのか全く覚えていない。
「私がこんなに懇切丁寧に説明してあげる事なんて奇蹟みたいなものだから感謝なさい。」
確かにそんな気がする。
「両抵抗なんて厄介じゃなければ、説明する必要もなかったけど、その分働いて貰うわ。」
そう言って百目木は近くの扉を開いた。
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