儚きは夢そして人

落葉沙夢

1-1 白昼堂塔

覚めない夢はない



日時

【四月十七日金曜日 十六時四十七分】

場所

【某県立高校普通科二年二組】

人物

【中園司季】


 ホームルームが終わって十分くらいが経っていた。

 教室には俺を含めて十人くらいの帰宅部。

 だらだらと特に実のない話をしながら、青春の貴重な時間を浪費してる。

 いや、青春って、そもそもこういう浪費の為にある時間なのかもしれない。

 とか言うと少し青春っぽい雰囲気がする。

 ……雰囲気だけ。

 実状は青春からはほど遠い平凡な日常があるだけ。

 取るに足らない、面白味もない、物語になんかならない、大切な日常ってやつだ。


「中園って彼女とかいる?」


 目の前の男子、伊藤が基本事項の確認の為かそんな話題を振る。

 二年のクラス替えで仲のいいグループと離れた者同士のぎこちない会話だ。

 その話題にこれを選ぶのもまた青春って気がする。


「いないよ、伊藤は?」

「いたらこんな質問しないって。」


 そう言って伊藤は短く切りそろえられた髪をわしわしと掻いて笑った。

 どうやらそれが彼の癖らしい。

 将来の頭皮が心配になる癖だが、それに慣れる頃には下らない冗談の一つも言い合えるようになっているだろうか。

 少なくとも今は彼の言葉に同意して茶化す程の関係性まで辿り着いてない。

 だから、悩む振りをして首肯だけした。


「あー、彼女欲しい。」


 俺の動作を額面通り受け取ったらしい伊藤は誰にでもなく、虚空に呟く。

 青春に置いてきぼりにされた高校生らしい呟きだ。

 つまり、俺だってそう呟きたい。

 交わらない視線をねじれの位置に置いた、それほど気の置けるわけでもない男子二人がその一点だけではシンパシーを感じていた。

 いや、より正確に言うなら彼女という概念上の存在が欲しいわけじゃないって所が悩ましいんだ。

 それを話題に上げると、この儚いシンパシーが壊れてしまいそうで、やはり首肯だけをする。

 この世で最も無為か、もしくは有意な時間が一分ほど経過しようとしていた。


司季しき、明日暇?」


 その時間に終止符を打ったのは、儚いシンパシーをたたき割る声だった。

 生まれそうになっていたぎこちない友情の始まりを蹴飛ばしたことなど気付かない、いつもの顔で別の日常が立っていた。

 ふわふわとしたセミロングの猫っ毛は本人の顔と相まって柔らかそうな印象を与えるし、実際柔らかい。スレンダーではない(本人的には微妙にコンプレックスらしい)体つきもまた柔らかそうで、彼女の周りだけ特殊効果が付いたように明るく見える。

 いや、そう見えるのは俺の気のせいか。

 突然現れた新キャラクターに驚いた顔の伊藤。

 勿論彼の下の名前は司季じゃない。

 確か、健司とか健太とかそういうのだった。

 だから当然、司季というのは俺の名前だ。


「ああ、暇だよ。」

「そんじゃ映画行こ。」

「今度はどんなZ級映画だよ。」

「B級ね、間違えないで。『不死身伯爵VSゾンビ軍団』だよ面白そうでしょ?」

「地雷臭しかしないんだが。」

「大丈夫だよ、監督はあの『ハルマゲドンイン不死身婦人』を撮ったアル・フォレストだから。」

「知らねーよ、つかその監督、不死身好きだな。」

「そう、不死身六部作の最新作がハクゾンなんだよ。」

「略すな、その略称誰も使わないだろ。」

「そういうわけで、明日九時四十分くらいにね。」

「紀伊(きい)は?」

「今回はパスだって。」

「迎えに行くか?」

「ううん、頑張って自分で起きる。」

「遅れたら昼飯奢りな。」


 会話を終え、彼女を見送って伊藤の方を振り返る。

 その目が裏切り者を見るそれだったのは、予想通りだった。


「彼女いないって言ったよな?」

「あれはただの幼馴染みだよ。」


 全く釈明になっていない事を理解しながら言う。

 仮に俺の物語が恋愛モノなら彼女はメインヒロインになっていたのだろう

 しかし、残念ながら俺の物語は恋愛モノではない。


「なにか勘違いしてるなら言うけど、俺とユズはそういうのじゃないんだ。」


 よくある、当人同士が意識していない鈍感系ラブコメでもない。

 少なくとも俺の方はめちゃくちゃに意識してた。

 実質的にフラれるまでは。


「そういうのじゃない女子と映画行かないだろ、あーーーー羨ましい。」


 心の声を聞いた気がする。


「違うんだって、ユズからすれば俺はそういうのの対象外なんだよ。」


 調月つかつきゆずりは

 両親の仲が良く、同い年で、物心着いた頃からの幼馴染み。

 家も近く、そういう関係によくある、小さい頃お風呂に一緒に入った等々のイベントも消化済み。

 やがて成長して、思春期に入り、意識するようになった、のは俺だけ。


「好きな人が出来た時の為に練習付き合ってよ。」


 中二の夏、今ではすっかり定番になった映画館(練習)デートの初回、真っ直ぐに目を見てそう誘われた俺は、完全に脈が無い事を理解した。


「それって、どう考えても建前ってやつだろ。」


 俺とユズの関係を説明する時に一億回は聞いた台詞だ。


「それはない。」


 その度に俺はキッパリと否定する。

 ユズは嘘や本心以外の言葉を言う時には目を逸らす癖がある。

 それが意味するところは、俺は彼女の「好きな人」じゃないって事だ。

 だから俺の物語は恋愛モノじゃない。


日時

【四月十八日土曜日 九時五十五分】

場所

【某県某市ミニシアター前】

人物

【中園司季】


 上映まであと二十分。

 遅刻の常習犯であるユズは、案の定まだ来ていない。

 だから、迎えに行こうかって聞いたんだ。


「また彼女遅れてんのか。」


 すっかり顔なじみの劇場主がいつの間にか俺の横に立っていた。

 知名度の低い映画ばかりを好んで上映する変なミニシアターは彼の趣味らしい。


「座席大丈夫ですか?」

「いつも通り、スカスカだよ。」


 それはよかった。

 劇場的には全然よくないだろうけど、少なくとも座席の心配をする必要は今日もなさそうだ。


「ハクゾンはZ級にしては面白いんだけどなぁ。」


 外れの中でも当たりの方みたいな評価だ。

 そうなんですね、と無難な相槌を打ちながらスマホを確認するがユズに送ったメッセージに既読は付いていない。

 大方、まだ寝ているか、今頃目覚めてスマホすら見ずに焦って準備しているのだろう。


「迎えに行って来ますね。」

「彼氏も大変だな。」

「前にも言いましたけど、彼氏じゃないですよ。」

「そうだった、幼馴染みだったな。」


 劇場主はアクセントを置いてシニカルに笑う。


「んじゃ、幼馴染みを迎えに行ってやれ、五分くらいなら待ってやるからよ。」

「いつもすみません。」

「いいってことよ。」

 

 駆け足で一時間前に歩いた道を戻る。

 練習でこれだといつか来るはずの本番が思いやられる。

 本番で家まで迎えに来てくれる俺は居ないんだぞ。

 ってか、クラスの誰も知らないようなZ級映画に付き合ってくれるような奴が俺以外居るのかよ。

 俺と付き合えよ。

 駆ける足に連動するように、何度も口に出そうかと思った言葉が頭の中を駆け巡る。

 それを言った時にユズとの関係が終わるようで、言えないままの意気地なしが息を切らす。

 腕時計を見る。

 十時五分。

 上映まであと十分。

 劇場的が待ってくれるならあと十五分。

 ユズの家まで行って戻るなら完全に間に合わない。

 ユズが起きてこっちに向かっているなら、ギリギリ間に合う。

 そんな時間。

 駆け足に疲れて歩を緩める。

 角を曲がると平坦な直線、左手側には日に日に高くなるマンションの建築現場。

 建築現場に吸われた視線を前に戻すと、その先にユズがいた。

 何度か見た桜色のワンピースに白のスニーカー、春らしい装いの彼女は俺に気付いたのか手を挙げる。

 どうやら今回はギリギリ間に合うパターンだったらしい。

 自分が遅れている事など忘れたような呑気な笑顔に、俺は呆れつつ手を挙げ返す。


「ほら、走らないと間に合わないぞ。」


 ドスン。

 俺の声がユズに届く前に、それは重い音にかき消された。

 なにが起きたのか理解出来なかった。

 現実と言うにはあまりに非現実的。

 夢だったとしても脈絡がなさ過ぎる。

 さっきまでユズがいた場所に、黒色の巨大な墓石があった。

 灰色のアスファルトを砕き、地面がそこだけ陥没している。


「ユズ?」


 自分のものとは思えない、喉を締め付けられてるような音がこぼれる。

 陥没した地面と墓石の隙間になにかが揺れていた。

 桜色の布。

 今度は瞬時に理解してしまう。

 墓石にユズが潰された!


「ユズ!」


 前に倒れるように駆け出す。

 ユズ! ユズ! ユズ! ユズ! ユズ! ユズ! ユズ! ユズ! ユズ! ユズ!

 心臓が壊れそうだ、呼吸の仕方がわからない。

 一歩が無限に思えるほど遠く、それでいて宙に浮いているように不確かだった。


「ユズ!」


 墓石に触れた瞬間、世界が暗闇に包まれた。

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