第四話 思いの流れと水の流れ

 大小様々な運河が張り巡らされ橋と船でつながる水網都市の二つ名を持つネツィアの街にとって、水路とは文字通り水の流れを導く路であると同時に、陸の上の道同様に人や物の行き交う為の道でもある。

 それが証拠に、街のいたるところには小舟やゴンドラから荷や人を移し変えるための簡易的な船着場が設けられており、場合によっては蒸気の力で荷物を移動する荷揚げ機が設置されている場所や、べンチなどが据え付けられちょっとした公園になっている場所もあった。

 そんな日常の生活に於いても意外と重要な役割を果たす小舟着場の中でも住宅街に程近い船着き場で、段差に腰を下ろしたファルが特に何をするでもなく空を見上げていた。

 数ある水路の中でも比較的大きな水路の船着場であるその場所は、本来ならば積み荷を上げ下ろしする荷揚げ人足や小舟を操る船頭、商家の使い走り等何かと人が集まるであろうことが予想されるが、実際はネツィアの海の玄関である港からも絶えず人で賑わう商業地区や職人街からも離れているため利用頻度も低く、近所の住民であってもその存在は忘れられがちなものとなっていた。

 もっとも、ファルにとってはありがたい場所であると言える。自宅のすぐ近くであることから移動する手間も道に迷う心配もなく、そこそこ開けた空間でありながらも人が訪れることが少ないこの場所は機械いじりや実験に打ってつけである。

 ましてや、今のように考え事をするにはこの上なくふさわしい場所と言えるであろう。


「さてと、これからどうしようかな」

 やや傾いた太陽の光と程よい強さで吹き付けてくる海風にあたりながら、膝の上で頬杖をついてファルが呟いた。

「まさか、最初から障害に当たるとは思わなかったしなぁ。本当は少し確認したいことがあったんだけどね。でも、下手に姉ちゃんの言いつけに逆らうと後が怖いしな」

 少なくとも、今のところは逆らう理由もないし時期じゃないしね、と傍らの顔馴染みの日向ぼっこ仲間の猫に話しかけるが、相手は我関せずの態度で毛づくろいにいそしんでいた。

 そんな猫の様子にわずかに肩を竦めてその背中を撫でると、そのままひょいと持ち上げて膝の上に抱え上げる。抱え上げられた方は少しだけ迷惑そうに尻尾を動かして抗議するが、特に逃げるでもなく自分の居心地の良いように位置を調整する。

 指で喉を撫でると気持ちよさそうに目を細める様に小さく笑うと、視線を上げて見るともなく空を眺める。

「そこに居るの、ファルか? 家に居ないと思ったら、そんな所で何をしてるんだ、お前は」

 少し早めに流れ行く雲を見ながら再び思考に沈みかけるが、背後からの多少の呆れを含んだ聞き慣れた声に遮られた。

 猫を抱えたまま首だけ後ろに向けて声の主を確認してみると、案の定腰に片手を当てた相棒の姿があった。もう片手に何かの包みが抱えられていることから考えると、おそらくは市場からの帰りであろう。

 わずかに持ち上がった眉の角度からは、こんな所で迷子などと言わないだろうなと思っているのが見てとれるが、敢えて気付かない振りでやり過ごす。

「部屋に行ったら居ないしエイル兄に聞いたら出かけたって言われたから、何してるんだろうなと思ったら、こんな所で日向ぼっこしてたのか」

「んー、日向ぼっこともちょっと違うけどね」

 つかつかと歩み寄り隣に腰を下ろしながら言う親友に、ファルが軽く苦笑しながら応じる。

 猫を抱えながら言っても説得力はないぞとの返しに、確かにと頷く。

「それよりラズ、もしかしてぼくに何か用でもあった?それで探してたとか?」

 もしそうなら悪いことをしたなと眉を寄せるファルに、別に大した事じゃないから気にするなとラズが手を振る。

「ただ単に父さんに頼まれて注文してた香辛料を受け取りに行くから、一緒に行くかなと思って寄っただけだ。ほら、お前結構市場行くの好きだろ?もっとも、おれとしては一人の方が好都合だったけどな」

「何でぼくが居ないほうが好都合なんだよ?」

「ん?だってお前、目離すとすぐ居なくなるしな」

 相棒の言葉に、ファルが少し面白くなさそうに仏頂面で文句を言うが、これ以上なく的確な答えが一言で返ってきた。

 ファルとしては面白くなさ割り増しだが、並べてある品物に興味を持ってみているうちに一人取り残されたり、人の波に飲まれてはぐれたりは日常茶飯事なのは紛れもない事実である。反論の余地がない以上、口を噤むより他ない。

 膝の上の猫が不貞腐れるファルの顔を見上げるが、すぐに飽きたのか丸く姿勢を戻す。

 薄情な奴だなと苦笑しつつ日向ぼっこ仲間の耳の後ろをくすぐるファルにラズが声を上げてひとしきり笑った後、そんなことよりと話題を変えた。

「こんな所で日向ぼっこしながら、一体何を考えてたんだ」

「んー、どうやってリー姉ちゃん達を出し抜くか、かな?」

 単刀直入の問いかけに対して互いに遠回しは無駄と理解している辺りは、さすがに付き合いの長さは伊達ではないと言えよう。

「今回は、妙に手ごわそうだしな、リー姉達」

 いつになく早い段階でぶつかったターク家の上三人は揃って構いたがりであるため、騒動と友達付き合いをする末弟にあれこれと口と手を出してくる。先日の、幽霊屋敷の探索騒動後の説教大会とおやつ抜き及び家の手伝いの大量追加が良い例である。

 しかし、根本的な部分は放任主義であるため、明らかに危険な場合は別として自分で責任を取れる範囲で多少のことであれば行動に対して過度な干渉をすることは、実はあまりしない。

 ましてや今回のような何も進展しない内から制止が入るなど、ほとんどなかったことである。

「それとなく姉ちゃん達に探りを入れてみても良いけど、下手したら余計な薮蛇になりかねないしね」

 困ったものだと腕を組む相棒に、日頃が日頃だからなと多少の苦笑を交えて返す。

「でもまぁ、確かに探りを入れるのは得策じゃないかな。三人とも、余計な事程敏感だったりするしな」

 本当に余計な所ばかりよく似た姉弟だからなと溜め息混じりに呟くラズに、ファルが物言いたげな視線を向けるが、気づかない振りで受け流す。

 そのまま思案すること数瞬、色々と考えてはみるが現時点で辿り着く結論はひとつである。

「やっぱり今のところは、下手に探らない方が利口だと思うな、ぼくは」

 同じ事を考えていたのか、ラズが辿り着いた結論と同じ事をファルが口にした。

「自分があまり気づかれたくないことがあるときに相手を探っても、逆に感づかれるだけだ」

 何よりも面倒臭いしと眉間にしわを寄せるファルに、ラズが脱力して肩を落とす。

 一言何か言ってやろうかと口を開きかけるが、すぐに思い直して口を閉ざした。

 この妙なところで物事を面倒臭がる点は、作業途中でそのまま寝てしまうのと同様いくら注意しても改善する様子の欠片もないファルの昔からの癖である。

 いつもなら小言を口にするところだが、今日は疲労感が勝ったのか溜め息を吐いただけで終わらせるラズであった。

「それはそうとしてファル、お前今回の事はどれくらい本気だ?」

 髪をかき上げながら唐突に話題を転じる相棒に、意味を図りかねたファルが小さく首を傾げて見返す。

「どれくらい本気かって、どういう意味だ?」

「そのままの言葉通りの意味だ。今回は、お前も少しいつもと違うような気がするからな、どれ位本気なのかと思ってな」

 普段はあまり自分から他の人間を巻き込んでかかるような事はしないだろうとのラズの言葉に、そうかなとファルが反対側に首を倒す。

 ラズの言葉の通り、ファルは周囲の人間を自分の起こす騒動に自分から巻き込むような真似はあまりしない。傍らから見ているといつも集団で騒いでいるように見えるのは、放っておけば何処までも突っ走るファルを放置することに不安を覚えるラズのような人間が参加するから、と言うのが本当のところである。

 そんな妙な所で面倒臭がり屋な面のあるファルが、説明という大事な手間を省いていると言う問題点はあるものの本人が最初から周囲を巻き込もうとしているのである。これはラズでなくとも、いつもと少し違うなと思っても不思議ではないだろう。

 さぁ早く白状しろとばかりに段に腰を下ろしたまま笑顔で圧力をかけてくる相棒に、ファルが困ったなと呟いて頬をかいた。

「探検も機械いじりも、ぼくはいつも本気でやってるんだけどな」

 だからどれ位本気かと聞かれても、今回も今回なりに目一杯本気としか言えないよなぁ、と腕を組んで唸る。

 そんな相棒にラズがそれもそうかと肩を竦める。ターク家の年長組以前にファル本人にも色々と問いただしたいところではあるが、したいことに手を抜けるほど器用な性格ではないのはラズが一番知っている。

 まぁ、根本的な事は確認できたので良しとするかと小声で呟く。

「ファルが本気かどうか知ってれば、それなりに覚悟もできるしな」

「ん?何か言ったか?」

「大した事じゃないから、気にするな」

 独り言を聞き止めたのか怪訝そうな視線を向けてくるファルに、なんでもないと手を振って適当に流す。

「それで、これからどうするつもりだ? まぁ、始まる前に振り出しでこけさせられた様なものだけどな」

 咳払いをひとつして、話を戻す。

 何か考えはあるんだろうと問う言葉に、ファルが彼にしてはいささか珍しく顔をしかめて頷いた。背を撫でる手に少し力を込めてしまい、猫が嫌がって膝の上から逃亡する。

「何か、随分と嫌そうな顔だな。そんなに面倒な方法なのか?」

「いや、そうじゃないけどさ、できればあまりやりたくないなーって。実行するのは簡単なんだけどさ」

 会うと絶対からかってくるだのあいつと関わるとろくなことにならないだのと、眉間にしわを寄せたしかめ面のまま文句を言う親友に、大方の事を察したラズが呆れて肩を竦めた。

「伯爵の所か。まぁ、あの人はどうやってもあの性格だしなぁ」

 ファルにとっての天敵と言う表現が相応しいか、どうにも苦手らしく極力近寄らないようにするか会ってもに逃げようとするファルだが、相手はそれが楽しいらしく遭遇する度にちょっかいをかけてくる。なんとも不毛な仲である。

「もっとも、文句を言ってる割には、傍から見てると仲良さそうに見えるんだけどな」

 遠くで見てる分には、中々面白い二人組みと言えるかもしれない。ラズもできることなら傍観者で居たい所だが、残念ながらどちらともしっかりと関わってしまっている。

「ま、諦めろ」

 半ば自分に言い聞かせながら呆れ交じりの笑顔を浮かべ慰めになっていない言葉を口にして相棒の肩を叩くと、思い切り何かを言いたげな視線を向けられた。

 口以上に物を言う大きな目に、人事だと思ってと言った所かと推察するが、伯爵の標的は基本的にファルだ。実際人事であるのは違いない。違いないが、そう簡単に割りきれるのであれば、誰も苦労はしないであろう。

「わかった。しつこかったら注意してやる」

 このまますねさせるのも面倒なのでそう約束するが、この点に関してはあまり信用がないのかファルのふくれ面は変わらない。

 しばらくにらめっこが続いたが、こうしていても埒が明かないと思ったかファルが大きく息を吐いた。

「約束だぞ、絶対だからな」

 念を押すと頭を振って立ち上がる。

 伯爵に会うのはあまり気が進まないが、それが一番確実だしこれからすぐ会うわけじゃないし、と自分に言い聞かせながら横に並ぶラズとともに家路に着くファルを猫が面倒臭そうに欠伸をしつつ見送った。

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