第五話 天敵の天敵は

 あまり周囲には知られていない事実ではあるが、ネツィアの街は意外にも近隣地域と比べかなり教育に力を注いでいる街である。

 他所の街の住人にネツィアの街の印象を聞いてみると十中八九、海運都市あるいは商都と言う答えが返ってくるだろう。

 異称の示す通り他の都市より商人の比率が多いと思われがちなのは、自然な思考の流れと言える。

 実際何がしかの商売に関わる住人の割合は他の街より多いが、それも仕方が無い話だ。何しろ街が浮かぶ潟は資源に乏しい。いきおい漁業か通商に特化するより他に選択肢がない。

 が、それはあくまで外から見ることのできる範囲の話であって、外から窺える印象と内部に入り込んで始めて知る現実がまるで違うと言うことも珍しくはない。

 では、街の内部の現実を知る者である当の住人達本人がどう思っているのかと言うと、ことこの件に関しては実は外の人間達が抱く印象と概ね同じである。ただし、両者の印象の間には大きな温度差が存在するので、共通の話題として取り上げるには、多少の注意を払う方が無難であろう。

 実のところネツィアの街の住人は、他所の人間の思う以上に自らが商人であることを強く意識していたりする。しかも、実際に商売に携わっているいないに関わらず、である。

 つまりは、この潟に根付いた人達が自らを養う術が漁業と通商であると思い定めてよりこの方、先祖代々言い聞かせられてきた結果が今のネツィアであると言っても決して過言ではない。単に船乗りと商人がネツィアの住人達の気性にあっていたと言う点が大きいのも、否定できない事実であるが。

 祖父母の代より孫子の代へと語り継がれてきた心得は、最早潟に暮らす人達の一部になっているとも言える。

 要するに、ネツィアに住む者は老若男女の別なく自らが商人であると思え、と言う訳である。

 永年にわたって深層意識に刻み込まれてきた商人としての心得と興味のあることに関しては手間暇を惜しまぬネツィアの住人達の性分の結果、教育に於いても周辺地域とは比較にならぬ水準を維持するに至ったのは、これまた当然の帰結といえるだろう。読み書きが出来なくては他国どころか自国の人間とも交渉することも出来ず、計算が出来なくては自分の利益を得ることも出来ないからだ。さらには、地理や歴史や科学と言った分野も、わずかと言えど知識があればそこに商機を見出だすことも難しくはない。

 また、早い内から近い年齢の子供達を集めて触れ合わせることで、子供の頃から社会性を身につけさせることも出来る。早期の投資により長期の利益を得る様子はまさに先行投資と言う表現に相応しい。

 ではなぜ、住人達の教育に対する熱意が、それ程周辺地域に知られていないのかと言うと、情報を制限することで利益を得る商人の性質が影響していなくもないが、どちらかと言う妙な所で発揮される結束力の高さと図太い割りには内向的と言う住人達の性質に起因する部分の方が大きいだろう。

 つまりは、「少し考えればわかることを大袈裟に宣伝するまでもない」と言う事である。


 様々な要因により外部にはあまり知られてこそいないものの、ネツィアの教育制度は充実しており、街の各所に初等教育から高等教育までの学校を始めとする様々な教育施設が設けられていた。

 その中のひとつに数えられる住宅街より少し離れた場所にある学園も、常に子供達の声で溢れかえっていた。

 ネツィアにある学校の中でも比較的伝統のあるこの学園は穏やかな校風で知られているものの、大勢の人間が集まる以上揉め事が全く無いと言う状況はあるはずもない。

 そもそもが、人間は何かと理由をつけては群れるのが好きな生き物である。その上、群れたがる割には何かと理由をつけて対立するのが好きな生き物でもある。よって、大人たちの世界で繰り広げられる様々な出来事が子供たちの世界でも縮小されて展開され得ると言うのは、考えるまでもない自明の理、と言えるかもしれない。そして、その対立が双方の見解の相違によって微妙にすれ違っているのもよくある話だ。

 例えば、今この時のように。


「よぉ、ファル、なんだか最近また妙な事を企んでいるんだってな」

 その日の授業も終わり、後は帰宅するだけと言う気の緩みもあり、教室内はざわめきに包まれていた。

 そんな中でそれぞれの用事で席を外している仲間達を待つ傍ら、まだ教室に残っていた他の級友達と雑談していたファルに、鞄片手に歩み寄ってきた少年が横からそう声をかける。

 少年の浮かべる笑みに雑談していた友人達は「またか」と言った表情を浮かべるが、笑みを向けられたファルは相手を見返して軽く首を傾げた。

「リド、まだ帰ってなかったのか?」

 意外そうな表情でそんなことを言うファルに、友人一同が顔を見合わせて小さく息を吐く。

「確か、今日は店を手伝う日だったよね?」

「そんなこと、今はどうだって良いだろう」

「リドの所はいつも良いものを仕入れてくれるから助かるってエイル兄ちゃんが言ってたぞ」

「あー、そうかよ。それよりな」

「そういえば、エイル兄ちゃんがおばさんに頼みたい物があるっていってたんだけどさ」

「あのな、少しはおれの話を聞けよ、お前は」

 先程の意地の悪そうな笑みなど物ともせずに話題を振ってくるファルの頭を、軽い疲労感を覚えながらリドが抑える。

 まるで噛み合わない言葉の応酬を、周囲の級友達が同情一割呆れ九割と言った表情で見守っているような気がするのは、決して気のせいだけではないだろう。

 まったく、とリドが頭を振りながら相手の調子に引き込まれぬようにと気を引き締める。

 因みに、ファルの方は見当外れの話を振って相手を煙に巻こうなどと言う心積もりなどはまるでない。ただ、いつもの事だからと気にもしていないだけと言うのが現実である。

「リドも良い加減、懲りれば良いのに」

 見物客と化していた友人達の内の一人がポツリと呟くと、その言葉に当事者二名以外が一斉に頷いた。

 事あるごとに繰り返されるずれた会話は丁度良い娯楽でもあるが、反面時間の無駄でもあると言うのが級友一同の共通見解である。

「そもそも、リド本来の性格と目指す方向性が噛み合っていないのよね」

「張り合う相手も悪いよな。ファルの方は気にも留めていないし。せめてラズかウィスにすれば良いものを」

 最初の一人の呟きを皮切りに、残りの友人達も連鎖反応的に好き放題言い募る。

 付き合いが長い上に毎度のことなだけに遠慮がない友人達に、リドとしては返す言葉もない。そんな少年の肩を元凶が軽く叩いた。

「仕方ないよな、リド、天邪鬼だし」

 空回りの原因であるくせにそんなことは我関せずと言ったファルに、リドが片方の眉を上げると大きく息を吸い込んだ。

「あのなぁ、ファル、そもそもお前が毎度毎度適当にはぐらかすからだろうが」

「でもさ、ぼくには張り合う理由がないし」

「何だと、こら。今日こそは白黒つけるぞ」

「だから、その理由がないんだってば」

 相手の両肩を掴んで詰め寄るリドに、ファルが揺さぶられながら慣れた様子で応じる。

 結局はいつもと同じ展開を繰り広げる二人組に、級友達はその内気が済むだろうとばかりに放置して別の話題に花を咲かせる。これ位ならば放っておいてもまったく問題なしと言う、彼らの日常がよくわかる光景である。第一、

「あのな、二人とも。大きな声でつまらない言い争いするなっていつも言ってるだろ。廊下にまで声が響いてるぞ、みっともない」

 大体において当事者の身近にいる人物たちが適当なところで止めに入ってくれるので、わざわざ余分な体力を使って仲裁する必要がないというのが彼らの共通の認識だったりする。

「みんなも、見てないで少しは止めろよな」

 見物人を決め込む級友達に諦めが半分程入った非難を向けてみるが、口を揃えての面倒くさいの一言で終わってしまった。

 予想通りの級友達の反応にラズが疲労をにじませて息を吐くと、とりあえずファルとリドに拳骨をお見舞いして帰宅の準備をするために自分の席に戻った。


「で、結局何企んでるんだ、今回は」

「企んでるって、人聞き悪いなぁ。他に表現の仕方があるだろう?」

「どう表現しても同じことだろ。それより、さっさと白状しろよ」

「うーん、説明が面倒だしな、もう少し内緒で」

 お茶の時間には少し遅く夕食の支度にはまだ早い影が伸び始める午後のひと時の、主婦たちが世間話に花を咲かせる平和な路地裏で、自分を挟んで繰り広げられる不毛な会話にラズが軽い頭痛を覚えて眉間を抑えた。

 ウィスとセリエがまだ帰れそうにないので先に帰宅することにしたのだが、その代わりにとばかりにリドが加わる羽目になるとは思いもしなかった展開である。

「悪いやつじゃないけど、悪のりでファルと張り合うからなぁ」

 今のように不毛な会話を繰り広げているうちはまだ良いが、一端方向性が一致するとそれを抑えるのに苦労させられるので、ラズにとってはファルに次いで大人しくしていてもらいたい人物である。残念ながら、その願いが通じたことは数えるほどしかないのだが。

「そんなことより、リド、こいつが何か企んでいるらしいって誰から聞いたんだ?」

「クイさんだよ。エイルさんの使いでうちの店にきた時に母さんにぼやいてた」

 リドの言葉に、ファルとラズがなるほどと納得して頷く。お得意の客である上に息子の友人であるとなれば世間話で振られるのも当然と言えるだろう。

「クイ兄ちゃん伝いなら、まぁ仕方ないか」

「そう言えば、伯爵も一緒に来てたみたいだけどな」

 頭をかきながら呟くファルの言葉にかぶせるように、リドが何気ない様子で続ける。

「伯爵もいたのか?」

「ああ、外にいたからおれは直接話してないけどな」

 あの人もお貴族様なのに変わった人だよな、笑う部外者に対して、当事者の二人はなんとも表現しがたい表情を浮かべる。

「何で無駄なときばかり勘が良いかな、あの伯爵は」

「まぁ、近いうちに会いに行くつもりだったし、余分な説明の手間が省けたと思えば良いんじゃないか?」

 頬を膨らませてむくれる相棒にラズが苦笑を浮かべたままなだめるが、結果はあまり芳しくない。そんなファルとラズの様子を眺めていたリドだが、「ああ、そっか」と何かに納得したように手を打つ。

「そう言えば伯爵が苦手だったっけか、ファルは」

「苦手なわけじゃないよ。単に折り合いが悪いだけだ」

 そうだったそうだったと一人で納得するリドに、面白くなさそうな表情のままそっぽを向くファルとその横でラズが呆れたように頭を振る。

 そんな子供たちから少し距離を置いてついてくる人物がいるが、三人が気づいた様子は微塵もない。

「でもさ、伯爵ってエイルさんの友達だろ?」

「伯爵とエイル兄ちゃんが友達だから、何?」

「いや、それなりにかわいがられているんじゃないのか?」

「そんなことはない。断然ない」

 リドが素朴な疑問を口にしてみるも、間髪おかずに否定されて終わった。ラズに視線を転じてみるも、ただ首を横に振るばかり。

「伯爵はファルにとって天敵だからな。ファルの嫌がることをするのが趣味みたいなところがあるし」

「それは、ずいぶん厄介な人に気に入られたな」

 遠くを見ながらそんなことを言うラズと、そっぽを向いたままのファルの様子を見ては、そう答えるより他ない。

「全体的に悪趣味なんだよ、あの人は」

「それはまた、ずいぶんな評価だね」

 鼻を鳴らして悪態をつくファルに、背後から楽しそうな声が返ってくる。

 突如割り込んできた声に三人揃って固まること数瞬。同時に振り返った先には、にこやかな表情で佇む話題の主の姿があった。

「伯爵? いつから其処に?」

「少し前だがね、声をかける機会が中々なくて」

 半眼で問うラズに対して、いっそう清々しいまでの白々しさで青年が答える。それを見てファルが苦手になるのも仕方ないと納得するより他ない光景である。

「それより、ファル。僕は友人の弟は大事にしていると自分でも思うのだがね?」

「余計なお世話だ。ぼくは頼んでいないよ」

 言い終えるが早いか逃走しようとするファルだが、残念なことに相手の方が場を制するのが上手だったらしくあっさりと阻まれてしまった。

 まぁまぁと言いながらファルの逃走を邪魔しつつ、同時にラズも逃げられないようにする手際は見事というより他ない。

「それより、せっかくこうして顔をあわせたんだから、お茶でもご馳走してあげよう」

「いらない。ぼく家に帰る」

「そう遠慮しないで。子供は素直が一番だよ」

「ぼくは、素直に帰りたいんだっ」

 何とか逃れようとファルがもがくが、まるで効をなさない。

 もちろん君も一緒にとリドも誘われるが、帰って親の手伝いをしなくてはならないからとやや早口に辞退する。

 再度誘われる前に、それじゃぁと早口で言い残して踵を返す。背後から薄情者と言うファルの声が追いかけてきたが、人間自分の身がかわいいしと呟いて聞こえなかったことにしたのは言うまでもないことである。

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