ノックの音(達)がした:第2集

小石原淳

第1話 ノックの音がした>非常

 ノックの音がした。

 浅い眠りにあった僕は、暗がりの中、目をぱちりと開け、「助かった」と思った。

 ありきたりのドアではなく、巨大な一枚岩を叩く音だから分かりにくかったが、眠りながらも耳だけは研ぎ澄ましていたから、すぐさま感じ取れた。

 夏休みのある日、探検家気取りで一人、洞窟に入ってみたはいいが、突然、崩落が起こり、内部に閉じ込められてしまったのだ。そのときの衝撃で、明かりの類が全てお釈迦になったのもきつかった。

 酸素を無駄づかいしないよう、真っ暗闇を手探りで、そろりそろりと、歩けるだけ歩き、どうにもならない岩壁に行く手を阻まれたのだ。

 僕の入った洞窟は、探検という名に値するような迷宮ではない。人の手の入った、至極安全な自然のトンネルに近い物である。

 だから、日曜祝日なら、他にも人が訪れていたに違いない。が、今日は平日。僕はたった一人、洞窟内に閉じ込められた。

 事故が起こったとき、心細くもあったが、限られた空気を自分一人で使えるのは、幸運だったのかもしれない。

 再度、ノックの音。

 僕は大声で叫ぶ前に、ノックで応えてみた。

 手近の石というか小岩を掴むと、立ちふさがる岩肌に叩き付ける。

 ごん、ごんと、二度。

 静かに待つと、やがて三回目のノックがあった。

 同時に、人の声。しかと聞き取れないが、高い音量からして、女性のようだ。ちょっと意外だ。

 救助を求め、僕は声を張り上げた。それだけでは心許なかったので、先ほどと同じ要領で、岩を叩く。


 ――数時間後、僕を閉じ込めていた岩は崩れ去った。


 洞窟の外は、真っ暗だった。時間の感覚がなくなっていたが、真夜中らしい。

 僕を救出してくれたのは、声から予想した通り、女の人だった。それも、とても見目麗しい美女で、救助隊員とは思えないレオタードに似た、身体にぴったりフィットした服を着ている。

 照明灯の下、僕は食べ物や飲み物を貪りながらも、彼女の両手を取って礼を述べた。いくら礼を言っても、尽きぬぐらいだ。

「助けてくれて、ありがとうっ」

「いえ……」

 謙遜しているのか、彼女は目を伏せがちに短く答えた。

「あの、あなたは救助の方ではありませんよね? 他に、誰もいないんでしょうか? 一人で助けてくれた?」

「ええ。三つの質問に対する答は、全てイエスです」

 今度は顔を上げ、きっぱりと言った。その二つの目が、作り物のようにきれいな色をしていると分かった。

「どうして、あなたが……? レスキューへの連絡は?」

 洞窟の外に、レスキューや警察の人は全くいなかった。それどころか、他に誰もいないのだ。

「……私は」

 答えにくそうに顔をしかめ、口を開く彼女。そして手を胸ポケットに入れ、一枚の電子手帳のような物を取り出した。

「これを見て、助けに来ました」

「これ、何です?」

 覗き込むと、そのカード状の電子機器は、長方形のスクリーンといくつもの小さなボタンを備えており、片隅で赤いランプが点滅している。

「人命探知機」

 彼女の言葉を、僕はおうむ返しした。

「温度や排出する二酸化炭素量等を手がかりに、生きている人を探索する機械です」

「へえー、そんな物があるんですか? 知らなかった。それに、洞窟にいた僕を見つけるなんて、大した感度だ!」

 感心して、その機械を見つめる。

「でも、変だな。あなたがそういう機械を持っているからには、救助隊の人のように思うのだけれど」

「私は……宇宙飛行士です」

「は?」

 あまりの意外さに、口を大きく開けて聞き返す。

 相手は、実に冷静な口調のまま、続ける。

「本当です。惑星探査を終えて、帰って来たばかりです。そして、この状況を見て、生き残っている人を捜しました……」

「この状況って……。生き残り?」

 理解不能。僕は激しくかぶりを振った。

「分かるように、説明してください。お願いしますよ」

「……直に目撃した訳ではありませんから、私の想像を交えて話すことになります。恐らく……地球規模の大地震が起こり、それを端緒に火山活動が活発になる等して、気温が上昇。南極の氷が溶けて――」

「嘘でしょ」

 大笑いしたい気分だ。

 次の瞬間、僕は本当に笑い出していた。

「信じられないのなら、照明で、辺りを照らせばいいわ」

 彼女は、照明の向きを換えた。

 僕は……真実を知った。

 世界中が滅んだかどうかまでは判断できない。とにかく、巨大な地震があったことと、空の雲が変な色で、渦巻いている様子が分かった。

「……何てことだ」

 自分の視線が下がったなと感じた。いつの間にか、僕は膝をついて、地面にへたり込んでいた。

「あなたは頑丈な洞窟の中に、私は地球の外にいて助かった」

 彼女の淡々とした声が告げる。

「私達は、人類最後の女と男になったのよ」


 僕は、昔聞いたショートショートを思い出していた。

 こんな感じだったろうか。

『人類最後の男が、部屋の中で遺書をしたためていた。と、そのとき突然、ドアをノックする音が……』


――了

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