むかしむかし
かも
怪獣と花
これはむかしむかし……それはもう気が遠くなるほどのむかしの……とある世界でのお話です。
その世界はもう随分ながい間暗やみに包まれていました。
ながすぎて、暗い事が当たり前になるくらいに。
そんな暗い世界に、山くらいの大きさの身体を持つ、一匹の怪獣がいました。
怪獣はこの世界の王さまでした。
……しかし王さまと言っても、誰も彼を崇める者はいませんでしたが。
それは彼を強さだけでまわりが勝手に王に祭り上げて恐れていたからだけではなく、もう1つ決定的な理由がありました。
この暗やみの世界になって、まずはじめに植物がいなくなりました。
次はそれを食べていた生き物がいなくなりました。そうするとまたそれを食べていた生き物もいなくなりました。またまたそれを食べていた強い生き物も……やがていなくなりました。
……そういった連鎖の果てに、今この世界で生きているのは、強すぎて、死にたくても死ねないこの怪獣だけになってしまいました。
そんな墓場のような世界で、今日も怪獣は独り世界を歩きます。
別にどこかに行きたい訳ではありません。
ただやることがないから、歩いているだけ。
歩いて、歩いて、歩き疲れたら寝る。そして寝飽きたらまた歩く。
その繰り返し。
因みに怪獣が前に寝たのは、かれこれ百年ほど前。
怪獣にとって百年は、あっという間なのです。
しかしいくら怪獣でも、独りきりになった時間は永遠とも呼べるほどに長い時間でした。
怪獣は死にません。
そう簡単に死ねません。
しかしその心は……もういつ死んでもおかしくないくらいに枯れきっていました。
身体は不死身のように頑丈でも、心は不死身ではなかったのです。
ほどなくして、怪獣は巨大な谷に遭遇します。
その谷は、自分の大きな身体よりも大きく、そして底が見えませんでした。
しかし怪獣は迷わずそのまま突き進みます。
当然の如く、怪獣は谷の底へと落ちていきました。
果たして怪獣は、その程度の事では死なないと思ったから落ちたのでしょうか?
いいえ違います。死ねるかもしれないと思ったから落ちたのです。
怪獣が谷に落ちてから数年たったある日、大きな大きな音が谷底から響き渡りました。
どうやら、やっと谷底に怪獣は到達したようです。
しかしそれほどの深さの谷へ落ちても、怪獣はまだ死んではいませんでした。
死ぬことができませんでした。
…………けれどその時、ついに心が断末魔を上げたようです。
もう怪獣は起き上がることも、ましてや歩くことすらできなくなりました。
怪獣はここで、終わろうと思いました。例え死ぬことができなくとも、この深い深い谷の底で、何もかも投げ出してしまおうと……。
しかしその時、鼻を擽るかすかな匂いを感じました。
それは壊れた心を慰めてくれるような、甘い匂いでした。
怪獣はそれが気になり、そっと目を開けます。
すると目の前には、小さな……とても小さな蕾を備えた植物が一本だけ生えていました。
それはこの何もかも終わった世界で真っ先にいなくなってしまったはずの生き物……植物。
……その蕾でした。
その蕾は枯れることなく、懸命にその命を繋いでいたのです。
蕾の心は、未だ死んではいませんでした。
いつか咲く事を信じて、世界に光が戻るのをじっと待ち続けていたのです。
その姿に、怪獣は心をめざめさせました。
自分よりはるかに弱いはずの生き物が、今なお心を枯らさせずに、必死に耐えているその姿はまさしく、怪獣にとって太陽と呼べるほど強く美しい光でした。
その時一滴の雨が、谷底に零れました。
怪獣は独りではなかったのです。
そして産まれて初めて、自分より強い生き物に出会う事ができた瞬間でもありました。
それは怪獣の心に新たな日を灯すのには、充分すぎる奇跡でした。
怪獣は思いました。
このたったひとりの仲間に、情けない姿は見せられないと。
それから怪獣は凡そ一億年ぶりに、世界を震わすほどの咆哮をあげました。
それは闇夜に染まりきったこの世界にとって、朝を告げる狼煙のようでした。
叫び終わると、怪獣は蕾に背を向け、崖に手をかけ登りはじめました。
そしてただひたすら、登り続けました。
その間、怪獣は一度として蕾にふりかえる事はしませんでした。
そうして谷を登りきった怪獣は、今度は果てなき地平線へ向けて走りはじめました。
走って走って、どこまでも走り続けます。
もうただ無意味に歩く事はしません。何故なら怪獣には、やるべき事ができたのですから。
それはあの蕾の為に、この世界に太陽を取り戻す事。
蕾が元気に咲けるように、怪獣は闘うと決めたのです。
闘う相手は、この世界そのもの。
太陽を奪い、この地上を暗く閉ざした世界という存在に、怪獣は闘いを挑んだのです。
怪獣はまずはじめに、地面を力いっぱい踏みしめ、大地に闘いを挑みました。
闘い方は実に単純で、ただ怪獣が力の限り大地を走り続けるだけ。
怪獣が走る時に生じる衝撃で、大地を倒そうとしたのです。
しかし中々上手くいきませんでした。
いくら怪獣が大きくとも、相手は大地。
大地に比べれば、怪獣などチリのように小さくひ弱な存在でしかありません。
怪獣の足踏みなど、蚊が止まったようなものです。
けれど怪獣は諦めませんでした。
諦める事など、考えもしませんでした。
怪獣はただ必死に走り続けたのです。
そうして一度も立ち止まる事なく走り続けて一万年、怪獣の足は擦り切れ、血で染まっていました。
その血は大地にも染み渡り、地下深くへと届きました。
そして驚いた事に、その血は大地に小さな鼓動を脈拍させるほどの熱を大地に与えました。
ドクン、ドクンと……熱の音を大地に響かせたのです。
脈動する大地は、新たな命を育む力を取り戻しました。
怪獣はその熱を、静かに噛み締めました。
次に怪獣は、この世界を満たす空気に闘いを挑みました。
怪獣はめいいっぱい空気を吸い込み、そして勢いよく吐き出しました。
怪獣は自分の呼吸で、世界の空気を支配しようと考えたのです。
しかしこれも最初は全く無意味なただの呼吸にすぎませんでした。
吸って吐いて、吸って吐いて、その繰り返しを百万年を迎えた時、とうとう喉から血が噴き出ました。
それでも怪獣は吸って吐く事をやめませんでした。
吸って吐いて……吸って吐いて。
ぴゅうごろろ、ぴゅうごろろ。
びゅうびゅう、しゅーん、びゅうびゅうしゅーん。
あれからまた百万年。とうとう怪獣の肺が破裂しました。
しかしその甲斐あってか、世界には風が力強く吹きすさっていました。
循環する空気は、新たな命の伊吹を運ぶ力を取り戻したのです。
怪獣は一度だけ目を瞑り、風を全身で感じました。
そうして怪獣は、最後の闘いに挑みます。
太陽を奪った、この闇そのものとの闘いへ。
まず怪獣は足に力を入れ、それから天高く飛び上がりました。
どこまでもどこまでも、高く高く、空を超えて遥か彼方の虚空へ。
たどり着いたそこは、ただ何もない、闇が広がる寂しい孤独があるだけでした。
まるで……少し前までの怪獣の心そのもの。
寂しく孤独で、ただ永遠に続く地獄。
少し前なら、きっと怪獣は何もできずにこの闇に押しつぶされていたに違いありません。
しかし今の怪獣の心には、何よりも頼もしい太陽が光輝いています。
……だからこの闇を恐れる事はありませんでした。
そして怪獣の最後の闘いが、はじまりました。
怪獣はまず虚空を走り回ろうとしました。
しかしここには、踏みしめる大地も……そもそも怪獣の足は、先程のジャンプで最早使い物にならなくなっていました。
仕方なく怪獣は、虚空に風を産み出そうとしました。
しかしここには吸い込む空気がありません。しかも怪獣の肺は、空気との闘いで潰れてしまっています。
怪獣は微風一つおこすことができませんでした。
……もう怪獣に、闘う力は残されていなかったのです。
怪獣はこの世界の王さま、世界で一番強い生き物です。
しかしこの世界そのものに敵うはずがありません。
何故なら所詮王さまは、この世界に住まう一匹の小さな一つの命でしかないのですから。
そんな簡単な事、大地と闘った時にわかったはずなのに……。
怪獣は、大バカだったのです。
……けれど怪獣は闘いを挑みました。
それは自分よりはるかに弱く小さな蕾が、今も必死に独り闘っていたから。
……ではなく、きっと本当は、ただあの蕾に元気よく咲いて欲しかっただけなのです。
元気に朝を迎えて、『おはよう。』と微笑み輝いて欲しかっただけなのです。
自分を救ってくれた、あの自分だけの太陽に。
だからがむしゃらに、闘ったのです。
けれど怪獣の力は世界に届きませんでした。
怪獣は無力でした。
怪獣はちっぽけでした。
怪獣は……所詮怪獣でしかありませんでした。
けれど……けれど怪獣は最後まで諦めませんでした。
例え身体が動かなくても、例え肺が潰れていても、心だけは枯らすことはありませんでした。
怪獣は己の心の太陽を……信じていましたから。
怪獣はゆっくりと、己の胸に手を伸ばします。
そしてそのままずぶりと、自分の命の源を抜き取ります。
それは怪獣に永遠の命を与えていた心臓。
怪獣はその輝きをもって、太陽の代わりにする事を思いついたのです。
怪獣は闘うのではなく、世界に手を差し伸べる事にしたのです。
あの崖の下で、自分を照らしてくれた蕾のように。
怪獣の手から離れた心臓は、虚空の闇にも負けず光り輝き続け、世界を照らし出しました。
怪獣は世界に負けましたが、世界を救う事はできました。
それはきっと……本来なら勝つ事より難しいことのはずですが、怪獣は大バカなので知る由もありません。
何はともあれ、世界には光が戻りました。
これからは新しい太陽が世界を照らし、朝を運んでくることでしょう。
そして世界は再生し、きっとまた命豊かな世界へと産まれ変わっていく。
めでたし、めでたし。
……………………
………………
…………
……
さて、むかし話はここでお仕舞いですが、あの大バカの話にはまだ続きがあります。
勝手に救われて、勝手に蕾なんかの為に世界を救ったあの怪獣は、一つ見落としていた事がありました。
それは……蕾がいるあの谷底には、そもそも日の光など届かないという事をです。
怪獣が何年もかけて落ちるような深さの谷底に、日の光なんて届くはずがありません。
だから怪獣がせっかく世界に光を取り戻しても、蕾はその光を浴びる事はありませんでした。
……もともと、あそこで蕾が生き続けてこられたのは、怪獣が感じたような美しい心の強さの力などではなく、ただの痩せ我慢と強がりでした。
あんな場所で芽を出してしまった自分の運命に、ただ抗いたかっただけ。
それなのに……あの怪獣は……勝手に勘違いして、私の事を……美しい……なんて。
なんの事はありません。
あの時救われたのは、怪獣だけではなかったのです。
あの時……蕾も救われていたのです。
自分のようなみすぼらしい蕾を美しいと……愛しいと思ってくれた怪獣に……。
蕾にとっても、怪獣は強く美しい太陽だったのです。
だから蕾は待ち続けました。
怪獣がこの場にくるまで、意地でも枯れず、咲くこともしてやらないと。
もし蕾が咲く事があるとすればそれは…………自分にとっての本当の太陽が訪れた時以外にあり得ません。
だから、早く帰ってこい。
大バカの王さま。
世界に光が戻ってから、ながいながい時が経ちました。
世界が暗やみに包まれていたながさを越えるほどの時間が。
しかし怪獣が現れる事はありません。
だから蕾は待ち続けます。
枯れる事もなく、咲く事もなく。
ただ蕾のまま、じっと……。
世界に光が戻って幾年の年月が経ったのか、もう蕾にはわかりません。
ただ、ながい……ながい時間が経った事だけはわかります。
しかしまだ怪獣は現れません。
だから蕾はまだ待ちます。
待ってみせる。
それだけが……私があの怪獣に返せるただひとつの事だから。
ながい時が経ちました。
…………ああ、いつの間にか寝ていたらしい。
最近、意識を保つのが難しい。
それにしても、いい加減そろそろ現れてもいい頃…だろうに。
一体いつまで、待たせる……のでしょうか。
ながい時が経ちました。
そもそも私は、一体何を待っているんだっけ?
ながい時が経ちました。
……えっと確か……太陽を……待っていたはず……。
…………ああ、そうだ。
私は、太陽を待っているんだ。
早く、早く帰ってこないかな。
かっこよくて大きな……私の太陽。
ながいときがたちました。
…………ねむい。
ながいときがたちました。
…………朝がくるまで……めむろう。
ながいときがたちました。
……。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
ながいときがたちました。
大きな音がした。
小さな音がした。
それは何かが落下した音
それは何かが開く音。
…………ああ。
やっと、かえってこれた。
…………ああ。
やっと、かえってきてくれた。
『おはよう。』私の太陽。
日の光の届かない谷底で、ひとつの美しい花が咲きました。
おしまい
むかしむかし かも @kamo-ken
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます