44.天に帰るとき

「準備は整った。我が愛しき知性グノーシスの娘、ソフィアよ。なんじが天に帰る時が来た――」


 暗い、どこかの空間で一人の男が何やら唱えている。

 男はかなりの長身だ。黒衣に身を包み、灰白色をした仮面でもって、顔面全体を覆い隠している。ぷんと磯臭い香りが空間内に充満していた。


 篝火かがりびによって照らし出されたそこは、どこか古代王族の墳墓を思わせるつくりの、玄室のような空間である。壁には無数の、呪符と思しき札が貼られていた。


 男は、グノーシアの導師だった。

 黒い聖者――そう呼ぶべきなのだろうか。無数の信徒たちを控えさせ、ただ一心に文言を唱えている。


 時折、吹き込んでくる風によって篝火は大きく燃え盛る。

 その光に照らしだされるのは、金属骨格を持つ巨大な構造体だ。

 どこかいびつな人型をしており、無数の鎖でもって天井から吊り下げられていた。御神体……にしてはあまりにも禍々しいその物体は、かつて天満美影が同調した、あの実験体に他ならなかった。


「我々はアダムを作ろう。彼が世界の王となるように――」


 そう言って呪符をまき散らす。彼の周囲に立っているのは十二人の乙女たちだ。篝火の炎が照らしだす彼女たちは真白き肌を露出した状態であった。


「我々はこう言おう。アダムとエヴァーを創造したいと。アダムはすでに我らの手中にあるのだから。我々はアダムとエヴァー、全種族の頭を創造する。天に上りき我が愛しき知性の娘よ、天のアダムと地のエヴァー、結び付ける道筋を辿らん。この不完全なる地上世界を救うには、光の世界との隔たりを取り払うことだ。第二の者、ヘルマスが現世の創造を思い立ったときに、この計画はすでに動き出していたのだ。ならば今こそその望み、叶える時であろう。至高神の元に還元され、真なる知へと旅立つ時が来た――」


 導師がそう言ったそのときだった。

 時を同じくして使者はおのが姿を隠した。光り輝く神々からの光と、それに混じっていた罪とを互いに分離した。


 滴り落ちてきていた罪は、再び信徒たちの上に落ちかかる。

 彼らはにえだ。

 しかし彼らはそれを受け取らなかった。ちょうど、自分が吐いたものを見て吐き気を催す人間のように。だから罪は地に落ちた。地のエヴァーは穢れているのである。


 ある人はそれを黄泉よみと名づけ、またある時代ではヨモツオオカミとして伊邪那美いざなみを当てはめる。


 湿り気を帯びたそれはまさしく闇の世界の王だ。見るもおぞましい獣となって世界に解き放たれる。そして、それに向かって光のアダマスが遣わされる。かれらが御神体と崇めるものに向かって下りてくるのだ。


 それをつかさどるのが愛しき知性グノーシス

 汝の名は、ソフィア=ピスティスなり……。



 導師の言う通り、使者たる祖母はその姿を消していた。

 すべては〈教団〉の計画だった。

 戸惑う美影の前に、ゲシュヴィッツはそれでも宇宙を目指すのかと問う。


 そうするしかないではないか。

 そのためだけにこうして召命を繰り返してきたのだから。

 何度となく頭の中に視えたあの声は、やはり導師のものだったのだ。

 何だこれは――と問う美影。

 電波が私を蝕んでゆくのか。視えているのは本当に宇宙の声なのか……。

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