配信事故……こうしてぼくは、全てを失った

「え……?」


「おっ! 見つけたぞ~っ! 絶対に逃がさないからな、ガラシャ!」


 ばったり遭遇してしまったワタルの姿を見たガラシャの口から間抜けな声が漏れる。

 どさくさに紛れて彼が自分を呼び捨てにしたことにも気が付かないほどに、今の彼女は動揺していた。


 見つかってはいけないキラーに早々に発見されてしまったからではない。ワタルの気持ち悪さに引いているわけでもない。

 ガラシャが硬直している理由、それは……今、彼女の目の前に、自身が大の苦手としているピエロが立っているからだ。


 ヴァサスタにはピエロの姿をしたキラーがいることは知っていた。

 だが、事前に自分がピエロが苦手であることは【ぷりんすっ!】側にも伝えていたし、使わないようにするという話になっていたはずだ。


 それなのにどうして、今、自分の目の前にピエロが……と困惑し、動揺し、呼吸を荒くしていたガラシャの視界が、PC画面が、振動と共に真っ赤に染まる。

 ワタルからの攻撃を受けたのだと、そのことを考えるのではなく直感で理解した彼女は、普段の飄々とした態度が嘘であるかのような恐怖に怯えた姿を見せながら、逃亡を始めた。


「やだっ! やだぁっ! 来ないでっ! 来ないでぇっ!!」


「あははははははっ! いいリアクションじゃん! 絶対に逃がさないぞ~! ぶっ殺してやるからな~、ガラシャ~!!」


 金切り声に近しい悲鳴を上げながら、半泣きの状態になりながら、必死に迫るワタルから、ピエロから逃げるガラシャ。

 事前の取り決めを破ったワタルはというと、そんな彼女の必死さをまるで理解していないような態度で追跡を続けている。


「やだ、やだっ、やだっっ! 嫌だっ! 嫌だよぉっ!!」


「そんな悲しいこと言わないでよ~! 楽しくて怖いピエロさんだよ~! 俺と遊んでくれよ、ガラシャ~!」


「うっ、ぐうっ! はっ、はっ、は~っ! ひっぐぅ……!」


 上手く呼吸ができない。抑えていた何かが込み上げてくる。涙で滲んだ視界がぼやけてきて、頭の中が黒く淀んだ何かで塗り潰されていく。

 面白半分で追い詰められている恐怖と絶望に本気の悲鳴を上げるガラシャは、必死に逃走しながら抱えていた後悔と罪悪感を爆発させていた。


 これは罰なのだろうか? 登録者に、この後の仕事の斡旋に釣られて、ワタルたちを選んだ自分への罰なのか?

 琥太郎を裏切って、彼を悲しませて、我がまま放題してきた自分をフォローしてくれた優しい彼を捨てて安易にバズりに走った自分に対して、神が罰を与えているのかもしれない。


 もしかしたら……琥太郎も自分とコラボする時、こんな気持ちだったのだろうか?

 本当は自分なんかと絡みたくなくって、我がままに振り回されるのが嫌で嫌で仕方がなくって、それでも数字が欲しかったり事務所からの命令だったりで我慢して自分とコラボしていたのだろうか?


 そんなはずがないという確信がある。あの優しい彼が、そんなことを考えているはずがない。一緒に過ごした時間の中で、彼が見せてくれたあの笑顔が嘘であるわけがない。

 だけど……自分はそんな彼のことを裏切った。そして、加害者の分際で彼に対してこんな疑念を抱いている。


 最低だ。最悪だ。非道だ。下劣だ。

 許されない。許されていいはずがない。この苦しみは、琥太郎を裏切った醜い自分への罰なのだ。


「わ、ワタルさん? ちょっとやり過ぎじゃないですかね? ガラシャちゃん、結構怯えてますし……」


「おいガラシャ、大丈夫か!? あんた、もう止めろって! ガラシャがビビってんだろ!」


「このくらいがちょうどいいんだよ! さっきまで黙ってたし、配信を盛り上げるためにも泣き叫んでもらわなきゃ!」


「ガラシャ! こっち来て、回復するから! 落ち着いて! ねっ? ねっ!?」


 配信の空気が淀んでいくのがわかる。頭の中が、心が、ぐちゃぐちゃに掻き回されている自分には聞こえている声が何を言っているのかが理解できないが、それだけは理解できた。

 

 もうどうすればいいのかなんてわからない。自分が何をしているのかもわかっていない。

 ただ怯え、逃げ、後悔と罪悪感に突き動かされるがままに動いているガラシャの頭の中に、何度も自分を助けてくれた優しい笑顔が浮かび上がる。


(こたりょ~、琥太郎、明影……ぼくは、ぼくは……っ!)


 縋りたかった。泣き付きたかった。きっと彼なら、自分を守ってくれると信じていた。

 だけど、そんな彼を切り捨てた自分に救いを求める権利なんてないと、そんな絶望的な事実が重々しくガラシャの……環の胸に圧し掛かってくる。


 唇を震わせながら、涙をあふれさせながら、荒い呼吸を繰り返し、喉を震わせる。

 その口から救いを求めるたった四文字の言葉が出ることはなく、代わりに苦しみに押しつぶされた胸の内に溜まっていた、必死に抑え込んでいた負の感情が、確かな質量を持って込み上げてきた。


「うぐっ、ぐっ、げっ、ぐっ……」


「ガラシャ……? ガラシャ! しっかりして! ガラ――!」


 もう抑えられなかった。我慢できなかった。堪えられなかった。

 口を閉ざすこともできず、昇ってきたそれを環が吐き出す音が、合計五枠の配信に集まった一万人を超えるリスナーたちの前で響き渡ってしまう。


 すあまも、クレアも、トーリも、この事態を引き起こしたワタルも言葉を失う中、これまでとは打って変わって加速したコメント欄には、一様に同じ文字が打ち込まれている。

 配信事故……誰もが頭にその単語を思い浮かべる中、環の弱々しい吐息だけが延々と繰り返され続けていたのであった。




――――――――――

本当にすいません。なんかここから陰鬱な展開が続いて自分でも読んでて苦しかったので、本日中にある程度解決の兆しが見えるところまで一気に公開させていただきます。


こういう展開が嫌だって人は読み飛ばして、解決編の始まりから読んでやってください。負担をお掛けして申し訳ないです。

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