忍者、姫を救う

 その日、明影はとある企業が主導する大型コラボ案件企画の打ち合わせに参加するためにその会場へと向かっていた。

 本来、こういった打ち合わせはネット上の会議で行われることが大半なのだが、今回はクライアントの要望で一度参加者全員が顔を合わせることになっていたのである。


 数十名にも及ぶVtuberたちの魂が一堂に会すると考えると若干恐ろしいものがあるが、これは全員にとって大きなチャンスだった。

 単純に同業者同士で顔を合わせれば、そこでいい関係を築いた相手とコラボ配信のような次の企画が行えるかもしれない。

 企業様にいい印象を与えられれば別の案件を任せてもらえる可能性だってあるし、その両方が一気に手に入るかもしれないのだ。


 未だにいまいち伸びず、躍進のきっかけを欲しているVtuberは界隈に山ほどいる。

 Vtuberと呼ばれる存在が誕生してから早数年、様々なトラブルを起こしながらも成長を続けてきたこの業界は、華やかで楽しそうな印象と違って実に厳しい生存競争が繰り広げられていた。


 明影こと嵐魔琥太郎が所属する【戦極Voyz】は、その競争になんとか食らいつけているといった状況。

 だが、このままギリギリの活動を続けていても未来なんてないだろう。


 明影は事務所の仲間が好きだった。スタッフも社長も、全員のことを大切に思っていた。

 今は知られていないが、きっかけさえあれば必ずや同僚たちはバズる。自分はともかく、それだけの実力が仲間たちにはあると確信している。


 もしかしたらこの仕事がそのきっかけになってくれるかもしれない。そうでなかったとしても、目の前の仕事を一つ一つ丁寧に、全力で取り組んでいくのは大事なことだ。

 言われたことをしっかりとやることも才能の一つ……自分をそう褒めてくれた社長の言葉を思い返しながら、打ち合わせ会場に続く歩道橋を歩いていた彼は、そこで気になるものを目にした。


「あ~……? こっちで合ってんのぉ? 地図の見方なんてわかんないって……」


 スマートフォンと必死ににらめっこしながら、そんなことをぼやく少女。

 愛らしいその顔をしかめっ面にしている彼女の横顔を見つめた明影は、その少女がこちらへと体を向ける様を目にして咄嗟に知らん顔をした。


「こっちかぁ? ったく、真澄ちゃんもぼくの引きこもり力をなめんなよなぁ……」


 どうやら、地図を読み取ることに一生懸命になっている彼女は、明影からの視線に気が付かなかったようだ。

 ぶつくさと文句を垂れながら自分と反対方向へと歩いていった彼女のことを心配する明影は、声をかけてあげた方が良かったかもしれないと若干後悔していた。


(いや、でも、ナンパとかと勘違いされて警戒される可能性もあるし、余計なお世話かもしれないし……そもそも僕が案内できるかどうかもわからないんだから、声をかけない方が良かった……よね?)


 後悔をごまかすように心の中で言い訳を繰り返す、そんな自分に嫌気がさす。

 いつもそうだ。自分はこうやって、一歩踏み出すことを恐れ、躊躇しては、やらなかった言い訳ばかりを繰り返している。


 明影が自覚している自分の美点。それは、言われたことは一生懸命にこなせるよう努力すること。

 そして、欠点は……言われたこと以外は絶対にやろうとしないことだ。


 本当は声をかけてあげた方が良かったなんてことはわかっていた。困っている人に手を差し伸べた方が気持ちのいい人生になることもわかっていた。

 それでも、実際にそういう場面に遭遇した時に行動に移せない自分が嫌になるなと思いながら、明影が歩道橋の階段を降りていると……?


「やっべ~! 目的地、反対側じゃん! もうホント、どうなってるんだよ~!?」


 ドタドタドタ、という足音と共に響く悲鳴に近しい声。

 それを耳にして振り向いた明影の目が、先ほどの少女が大慌てでこちらへと走ってくる姿を捉える。


 やっぱりさっき声をかけてあげるべきだった。そうすれば、彼女も自分のミスに気が付けたかもしれないのに。

 そんなことを考えながら、大急ぎで階段を降りる彼女の大きな胸がたぷんっ、たぷんっ、と揺れる様を目にしてしまった明影が、気まずさに視線を逸らそうとした時だった。


「あっ……!?」


 不意に、唐突に……走っていた少女の体が前のめりになる。

 小さな声だけを漏らした彼女は、そのままバランスを崩して半ばジャンプするかのように転び、明影のすぐ近くから階段の下へと落下し始めた。


「危ないっ!!」


 このままでは大怪我どころじゃ済まない。あの子の命が危ない。

 そう思った瞬間、明影は自分でも気が付かない内に体を動かしていた。


 咄嗟に両腕を伸ばし、今まさに地面と体が水平になりかけている少女の体をキャッチした明影は、その下に自分の体を潜り込ませる。

 彼女を抱き締めたまま大きく横っ飛びした彼は、歩道橋の壁に自分の体をぶつけて落下の勢いを殺すと共に、自らをクッションとして衝撃から腕の中の彼女を守ってみせた。


「あぐっ、あっ……」


 ただ、当然それで明影が無事でいられるはずもない。

 少女が勢いよく階段から落下し、顔面から地面に激突するという悲劇は防ぐことができたが、その代償として彼は背中から後頭部を歩道橋に強かにぶつける羽目になってしまった。


 特に頭をぶつけた際の衝撃はすさまじく、真っ白な光が弾けた次の瞬間には視界がぐわんぐわんと揺れ始め、体に力が入らなくなってしまった明影はそのまま壁を背にへたり込んでしまう。


「あっ、あ……っ!? だ、大丈夫、ですか? し、しっかりして! ねえ、ねえっ!!」


「う、あ、う……」


 自分が明影に庇われたことを悟った少女が必死に彼へと叫びかける。

 真っ青な顔で泣きそうになっている彼女へと、大丈夫だと言葉をかけようとした明影であったが……口からは僅かな呻き声が漏れるだけだ。


「きゅ、救急車! すぐに病院に連れていってあげるから! だから死なないで! 頑張って!」


 そう叫んでから震える指でスマートフォンの画面をタップし始めた彼女の姿が、明影が意識を失う前に見た最後の光景だった。

 そのまま、抗うことができない眠気に負けた彼はがくりと顔を沈めると両目を閉じ、暗い海へと意識を飛ばしていった……。

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