第38話 炭酸水を求めて

 首都ユナハに戻って三日目。

 今日は炭酸泉の調査に向かう。

 シャルとアンさんは、昨日、アルセ城塞都市に行ってしまった。

 予定外だったのは、どうしても、リネットさんとも各省について話しをする必要が出来たため、急遽、イーリスさんもシャルたちと一緒に行くこととなったことだ。

 彼女たちがアルセに向かうことには不満はないのだが、問題が一つあった。

 それは、僕の身の回りの世話をしていたアンさんも行ってしまったため、彼女の代わりにオルガさんが僕の身の回りの世話をすることになったのだ。

 これが、思いの外に恥ずかしい。

 僕自身も、アンさんにしてもらっていたことを、他の人にしてもらうということがこんなに恥ずかしいのだとは思わなかった。


 今朝もオルガさんが起こしに来て、着替えをさせてくれたのだが、どうにも慣れない。

 彼女の仕事ぶりは、アンさんに負けず劣らず優秀だ。

 しかし、僕が順応できていないために、彼女との距離感がぎくしゃくしているように感じてしまう。


 「フーカ様、そろそろ行きますか?」


 「うん。そうしようか」


 僕はメイド服姿のオルガさんを追いかけるように、ワイバーンの厩舎きゅうしゃへと向かう。

 彼女は僕に仕えることを決めてからは、ほとんどメイド服姿だった。

 ダークエルフのメイド服姿はレアな感じでいいのだが、ダークエルフならではのカッコいい衣装を着た姿も見てみたい。

 僕は彼女の後姿を見つめながら、そんなことを思ってしまう。




 厩舎へ着くと、既に皆が待っていた。


 「ケイト、仕事の方は大丈夫そう?」


 「はい、大丈夫です。私が居ない間の指示も済ませてあります」


 彼女は、いつもふざけてばかりなのに、頼りになるところが小憎らしい。

 僕とケイトが話しているところに、爽やかな青年といった感じの飛竜兵が近付き挨拶をしてくる。

 僕も彼に「よろしくお願いします」と返す。

 今回は、ジーナさんとペスが率いる部隊はシャルたちに同行したため、僕たちにはユナハ所属の飛竜部隊が同行する。


 出発の時間が近付くと、マイさんとヨン君が見送りに来てくれた。


 「「シュワシュワを見つけてきてね!」」


 「「「「「……」」」」」


 二人の掛けてくれた言葉に、やるせない気持ちが僕たちを襲う。

 二人は、僕たちの安否よりシュワシュワを優先したらしい。

 二人を見ていて、炭酸飲料の商品名は『シュワシュワ』がいいかもしれない。

 こちらの人たちには、炭酸飲料よりもシュワシュワの方がイメージしやすいかもしれない。


 出発の時間になり、僕とレイリア、ヒーちゃんとケイト、ミリヤさんとオルガさん、二人のメイドさんの組に分かれて、ワイバーンに乗った。

 ミリヤさんとオルガさんが乗ると、周りにいた兵士や使用人がざわつく。


 「レイリア、何だかざわついてるけど、何事?」


 「ああ。ハイエルフとダークエルフが仲良く乗っている姿は、とても珍しい光景なんです」


 「そうなの?」


 「はい。思い込みというか勝手な解釈で、ハイエルフは光属性、ダークエルフは闇属性だと勘違いしている者が多いんです」


 「それって、噂話を信じちゃってるって感じ?」


 「ええ。ただ、言い出したのは呼人らしいです」


 「……」


 ゲームとかの設定を持ち込んで、広めた奴がいるのね。

 こっちに来た連中は、そんなのばかりだ……。


 僕たちは飛び立つ。

 マイさんとヨン君が大きく手を振りだす。

 しかし、すぐにやめてしまい、何かを取り出していた。

 再び振り出した二人の手には、白いハンカチが持たれていて、それをヒラヒラと振りながら泣くふりを始める。

 そんな演出、いらんわ!




 上空に上がり、ウル湖の方へ向かい始めると、二人は城の陰に隠れて、すぐに見えなくなってしまった。

 前方にはウル湖が見えている。

 あまり時間を掛けずに到着できそうだ。


 「フーカ様、ウル湖の北側にあるウル村までワイバーンを使い、その後は馬車で南下し、馬車が通れなくなったら馬で行くことになります」


 レイリアは、僕に今回のスケジュールを報せてくる。

 ワイバーンで直接行けると思っていたので、少し気落ちしてしまう。


 「うん。分かった」


 「場所が場所なので、最後には徒歩になると思いますが、大丈夫ですか?」


 「たぶん、大丈夫だと思う……」


 そうは言ったものの、潤守神社の石段で息を切らしたことを思い出し、不安になる。


 「本当に大丈夫ですか?」


 「頑張るよ」


 「……」


 彼女は後方から僕の顔を覗き込むと、黙ってしまう。

 ダメかもしれないことを見透かされたかもしれない……。




 下に見えている街道に沿って飛び続けていると、前方に集落が見えだす。

 すると、ワイバーンの速度が落ち始め、徐々に降下していく。


 「ウル村です。ここで馬車に乗り換えます」


 レイリアがそう告げた途端、ワイバーンは村の手前に広がる牧草地へ向かって、着陸態勢をとった。

 ジーナさんとペスのコンビに比べて動きが雑なので、同乗しているだけなのに疲れる。


 牧草地へ降り立つと、飛竜兵の一人が村へ向かって走り出す。

 彼は僕たちのために馬車と馬の手配をしに行ったそうだ。

 少しの間、待っていると、村の入り口から二頭で引く馬車が二台と、その馬車の後ろに数頭の馬がつながれて、こちらへと向かってくる。

 僕は馬車を見て思った。

 ボロい……と。

 その馬車は、幌が張られただけの荷馬車だった。

 今までリムジンの様な馬車しか知らなかっただけに、軽トラの様な馬車を用意されて不安が募る。


 僕たちは一台目に乗り、二台目には二人のメイドさんが乗り、多くの荷物も積まれた。

 そして、飛竜兵の二人が御者兼護衛として、僕たちにつきそう。

 残った飛竜兵たちは、この場に宿営しながらワイバーンの世話をするそうだ。


 僕たちの馬車が動き出すと、ウル村へと入っていく。

 村には、船着き場と漁船らしき小さな船があり、その近くには、網などの漁具が並べられていたので、この村が漁村だということが分かる。   

 村の女性たちが魚をさばいたり、干したりしている横を通ると、馬車の中にまで生臭さが漂ってきた。

 この臭いを嗅ぎながら、乗り心地の悪い馬車に揺られていると酔いそう……。


 僕は車内に残った臭いから逃れるために、幌の隙間から顔を出して外を眺めると、右側に海の様なウル湖、前方には高い山々が連なっていた。

 進む道は山へと向かって続いてはいたが、どこまで馬車で行けるかは不安だ。


 「あのー。この先、メイド服でいるのはつらいので、着替えてもいいですか?」


 オルガさんは僕を見つめて、返事を待つ。


 「うん、いいよ。さすがにメイド服で登山はきついよね」


 僕はメイドさんたちも着替えたほうがいいと思って、後方の馬車を見ると、黒いズボンにメイド服をイメージしたようなフリルのついた軍服を着たメイドさんが御者台に座っていた。

 彼女たちは、すでに着替えを済ませていたのだ。


 ヒーちゃんは迷彩服なんだし、僕も日本から着てきた服に着替えてもいいよね。

 僕が着替えるために、前を向こうとすると、両手で目をふさがれた。


 「フー君、今、振り返ってはダメです。オルガさんが着替え終わるまで待って下さい」

 

 ヒーちゃんに言われて、僕は黙って頷く。


 スルスル。バサッ。


 服の擦れる音が聞こえ、いい匂いが漂ってきて、僕の鼻をくすぐる。

 すぐそばで、オルガさんが着替えていると思うと、少し緊張する。


 ヒーちゃんが手を離したので、オルガさんを見ると、彼女はメイドさんたちと同じ軍服っぽいメイド服に着替えていた。

 その衣装を近くで見ると、黒を基調にして、白いフリルや襟のついたジャケットは、裾が長めでスカートを履いている様に見えるデザインをしている。

 下は黒のスキニーパンツで、生地が足に密着していて、オルガさんの長く奇麗なラインを描く脚を強調していた。

 そのメイド服を着た彼女を見ていると、ファッションショーを連想するほど、服も彼女もカッコいい。


 「僕も着替えていいかな?」


 「メイド服にですか?」


 「断じて違う!」


 レイリアの天然が炸裂する。

 車内はケイトを中心に爆笑が起こり、ミリヤさんなんか、幌を両手で鷲掴みにして、もたれかかると、苦しそうに笑っていた。

 唯一、何も知らないヒーちゃんだけが、キョトンと不思議そうに首を傾げている。


 「この先、僕が着てきた私服に着替えた方が動くのに楽だと思ったから、着替えたいんだよ」


 「フー。苦しい。フーカ様の動きやすい服装でいいですよ」


 ミリヤさんが笑いを堪えながら認めてくれる。


 「では、フーカ様。こちらに来て下さい」


 オルガさんが僕の荷物から服を取り出して揃えると、僕を呼ぶ。


 「靴は……スニーカーでよろしいですか?」


 「うん、スニーカーでお願い」


 「分かりました」


 彼女は僕の服を脱がし始めた。


 「えっ? フー君もオルガさんも、な、何をしているんですか?」


 ヒーちゃんが驚きの声を上げる。


 「着替えるんだけど?」


 僕とオルガさんは不思議そうに彼女を見る。


 「着替えさせてもらうんですか?」


 「あっ! こっちだとこれが常識だったから……」


 彼女に言われるまで忘れていたが、日本の感覚からすれば、これは異様な光景だった。

 ん? あれ? 


 「ヒーちゃんは、こっちに来てからも自分で着替えているの?」


 「当たり前です!」


 「えっ? 僕は自分で着替えると、アンさんに叱られるんだけど……」


 僕はオルガさんたちを見る。


 「ヒサメ様は、こちらに来たばかりなのと、ご身分が、その……アレでして……担当の侍女が見つかっていないのです」


 ミリヤさんが困った表情でぎこちなく告げた。


 「あのー。私の身分がアレって、どういうことですか?」


 「失礼しました。ヒサメ様は女神さまの眷属ですので、侍女ではなく巫女をつけるべきではないかと、私たちも困惑している状態でして……」


 「えっ?」


 ヒーちゃんが困惑する。


 「シャル様が手伝うのであれば問題ないと思い、ヒサメ様の着替えはシャル様が手伝っていたはずですが?」


 「あっ! 確かにシャルちゃんが手伝ってくれていましたが、この服に興味があるのだとばかり思っていました」


 彼女は自分の迷彩服をつまんでみせる。

 皇女殿下に着替えを手伝わせるなんて、僕よりも扱いが凄い。


 「フーカ様、ヒサメ様も納得してくれたようですし、早く着替えてしまいましょう」


 納得したわけではないと思うが、オルガさんは僕を着替えさせるために、脱がし始めた。

 ミリヤさんとヒーちゃんは、すぐに後ろを向く。

 だが、レイリアとケイトは、なんで、こちらをガン見しているんだ。


 「レイリア、ケイト、恥ずかしいんだけど」


 「私は軍人なんで、見慣れていますから大丈夫です」


 「私は医師でもあるので、見慣れていますから大丈夫です」


 こ、こいつらは……。


 「僕が恥ずかしいんだけど」


 「「お構いなく」」


 うっ、こんな時に限って、オルガさんに装備を取られてしまって、手元にハリセンがない……。

 オルガさんは、僕とレイリアたちの会話を無視して、着替えを進めていく。


 「フーカ様、あんよを上げて下さい」


 「あっ、ごめん」


 僕は片足ずつ上げる。


 「「「「ブハッ!」」」」


 皆が吹き出す。


 「あんよって……。ブフッ! フ、フーカ様、あ、あんよって……アハハハハ」


 ケイトにツッコまれて、僕もそのことに気が付いた。

 恥ずかしさで、顔だけでなく、身体全体が熱を帯びてくる。


 オルガさんを除いた皆が、お腹を抱えて笑いだす。

 ヒーちゃんも大爆笑だ。

 それも、目に涙まで溜めて笑っている。


 「も、申し訳ありません! 村では、子供たちの世話をするこが多かったもので……」


 「そ、そうだったんだ。く、口癖って怖いね……」


 オルガさんは、耳をシュンとさせて落ち込んでしまった。


 「オルガさん、大丈夫だから! 今のは仕方ないよ。それよりも、早く着替えを済ませよう!」


 「そ、そうですね」


 彼女は気を取り直して、僕の着替えを済ませていく。

 そして、彼女の手が止まる。


 「あのー。これ、カザネ様の時も苦手だったんです。開けっ放しでいいですか?」


 彼女はフィールドジャケットのファスナーに難色を示していた。


 「それは自分でやるからいいよ!」


 「申し訳ありません」


 「いや、こっちにはファスナーのついている服が無いから、仕方ないよ」


 彼女は、再び耳をシュンとさせて落ち込む。


 「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ! 特に、人の着ている服のファスナーを上げるのは、難しいから!」


 「そ、そうなんですか?」


 「そうなんだよ。ねっ、ヒーちゃん」


 「そ、そうです。向きが変わると、私もやりづらいです」


 僕にいきなり振られたヒーちゃんは、慌てて答えた。

 彼女のフォローもあって、オルガさんは、すぐに復活してくれた。


 「ねえ、ケイト。ファスナーのついた服は売れると思う?」


 「うーん……」


 ケイトは僕のファスナーに顔を近付けてうなる。


 「便利な物ですが、真新しすぎるので、最初は軍服とかに採用してから、少しずつ市場しじょうに浸透させていくべきですね」


 「なるほど……。ファスナーの開発もしておいてくれるかな?」


 「はい、喜んで!」


 僕とケイトは悪そうな笑みを浮かべて見つめ合い、その後も僕たちの悪だくみは続くのだった。

 ミリヤさんがこちらを見て苦笑していたが、気付かなかったことにした。




 しばらくして、馬車が停まると、そこは河畔沿いの開けた場所だった。


 「今日はここで宿営します」


 飛竜兵は僕たちに報告をすると、敬礼をして戻っていく。

 外は、まだ明るかったので、泊まる準備を始めることに少し納得がいかなかった。


 「納得のいかない顔をしてますね。ここは街道ではなく山あいを通る道ですから、明るいうちに準備をしておかないと、危険なんです」


 レイリアは、僕の顔に浮かんだ不満を察して、説明した。


 「そうなんだ。って、危険なの?」


 「それはそうですよ! 人が通らない山道ですよ。獣や魔獣がわんさかです!」


 彼女は嬉しそうに語る。


 「……う、嬉しそうだね」


 「それは暴れられますから……。コホン。いえ、フーカ様に私の実力を見てもらえるチャンスですから。まあ、見てて下さい。フーカ様たちを完璧に護衛してみせます」


 彼女はいい感じに締めくくったつもりだろうが、本音が暴れたいだけというのは、よく伝わった。


 飛竜兵とメイドさんたちが宿営地を完成させた時には、辺りはすでに真っ暗となり、広場の中心に炊いた焚火と周辺に置かれた獣除けのかがり火だけが明るさを保っていた。

 山側を見ると、木々の緑が真っ黒に映り、暗闇だけが強調されて少し怖い。

 それに対して湖はというと、半月ではあったが、その月あかりを反射してうっすらと明るく、幻想的であった。

 もし、満月の時だったら、もっと美しい光景が見れたのだろうと思うと、残念だった。


 僕たちは食事を簡単に済ませると、山側に対して馬車を盾にするように張られているテントの中へと入る。

 その中は六人が寝るのにギリギリの広さで、地面に敷かれたシートのような布の上に毛布が六枚用意されていた。

 寝袋を持ってきてよかった。


 僕とヒーちゃんが寝袋を広げると、皆の視線は僕たちと寝袋に注がれる。

 この視線の中で寝袋へ入ることに、罪悪感の様なものを感じる。

 それは、ヒーちゃんも同じようだ。


 「えーと……ミリヤさんが僕の寝袋を使って寝る?」


 「何で、そこでミリヤ様なんですか!?」


 ケイトが反発すると、オルガさんとレイリアも頷いている。


 「えーと、オルガさんと……特にレイリアは使っちゃダメでしょ! 護衛が寝袋で寝てたら、すぐに動きが取れないよね!」


 二人はシュンとしてしまう。

 その姿を見ると、二人をいじめている様で心が痛い。


 「それなら、私は護衛ではないですよ! 何故、このメンバーで一番か弱い私が除外されたんですか?」


 ケイトが食い下がってくる。


 「……ケイトだから?」


 「……」


 彼女が固まってしまった。

 かなりショックだったようだ……。

 僕も自分で言っておいてなんだが、酷いと思う。


 「あのー。この寝袋のサイズなら、女性や子供なら二人は入れるかもしれません」


 ヒーちゃんの言葉に、ケイトの目が輝く。

 何故か、オルガさんとレイリアの目も輝いている。

 だから、君たちは護衛もあるから入れないんだって……。


 そして、入る組み合わせを試してみた結果、僕とミリヤさん、ヒーちゃんとケイトで使うことになった。

 参加できなかった二人は拗ねて、先に寝てしまっていた。

 おい、護衛の二人が先に寝入ってどうする! 一人は起きているものじゃないなの?


 僕はミリヤさんが先に入っている寝袋に入る。

 二人は入れたが、さすがにきつめで身体が常に密着していた。

 彼女の香りが僕の鼻をくすぐり、彼女と接しているところからは温もりと柔らかさが伝わってきて緊張する。

 僕はこの時になって、一緒に入る必要はなかったのではないかと気付いたが、後の祭りだ。


 「ケイトさん、胸を揉まないで下さい!」


 「いやー。こういう時のお約束かと思ったんですけど……。私のを触ります?」


 「触りません!」


 ケイトとヒーちゃんは、なんだか楽しそうだ。


 「私のを揉んでもいいですよ!」


 「ミリヤさん、ケイトたちに合わせなくていいですから……」


 「そうですか……」


 ミリヤさんが少し残念そうにした。

 この状況での彼女の言葉は、悪魔のささやきでしかない……。



 ◇◇◇◇◇



 僕は息苦しさで目が覚める。

 顔に柔らかく温かいものに包まれた感覚があり、とてもいい匂いがする。

 自分の状況を把握すると、ミリヤさんの胸に顔をうずめて、彼女と抱き合っていた。

 早くこの状況を何とかしないと。

 僕は彼女を起こさないように静かに寝袋から出ようとする。

 しかし、彼女から離れようとすると、彼女が強くしがみついてくる。

 これって、抱き枕替わりなのではないだろうか……。


 「ミリヤ様。ミリヤ様。そんなに強くフーカ様を抱きしめていると、フーカ様が窒息しちゃいますよ!」


 ケイトは覗き込むと、僕を見てニンマリしながら、ミリヤさんを揺すって起こす。


 「ケイトー。あなたは減俸です」


 「……」


 彼女は寝ぼけているようだが、ケイトは頬をヒクヒクさせる。


 「ミリヤ様ー。起きて下さーい。ケイトちゃんは優秀なので昇給しましょー」


 「そーねー。むにゃむにゃ……」


 渾身のガッツポーズをするケイト。


 「ケイトにはもっと強くなって欲しい……。辺境軍に出向させ……ます」


 ピキーン。


 彼女の寝言に、ケイトは驚いて背筋を伸ばすと、顔を真っ青にして固まった。


 「あら?」


 ミリヤさんと目が合う。


 「フーカ様は本当におっぱいが好きなんですね。ふぁー。んー」


 「……」


 彼女は、まだ寝ぼけているのだろうか? それとも、僕は彼女におっぱい好きだと思われているのだろうか?

 彼女があくびをしながら伸びをするので、彼女の胸は、僕の顔に強く押し付けられる。

 苦しいけど嬉しくもあり、とても恥ずかしいといった複雑な感情が僕を襲う。


 「あっ! ごめんなさい」


 彼女は僕との隙間を開けてから、寝袋のファスナーを下げた。

 新鮮な空気が入ってきて、さっきまでの息苦しさは嘘の様に感じなくなった。


 僕とミリヤさんが寝袋から出ると、ヒーちゃんがこちらをジト目で見ている。


 「ヒ、ヒーちゃん、おはよう!」


 「おはようございます。フー君はいつもこんな調子で過ごしてきたんですか?」


 「違うよ。こんなふうに野宿するのも初めてだし、いつもはアンさんがいるから、ここまで酷くならないよ」


 「……まあ、そういうことにしておきます」


 信じてもらえていない……。


 「んー。フーカ様、うるさいですよ」


 「そうです。まだ眠いので、静かにして下さい」


 レイリアとオルガさんが、順に文句を言ってきた。


 「ごめんなさい……ん?」


 こいつらは……護衛はどうした!

 ずっと、爆睡していたとしか思えない二人の姿に憤りを感じる。

 僕の横でメラメラと炎をあげて、憤りを感じている人がもう一人いた。


 「レイリア! オルガ! 護衛はどうしたんですか!?」


 ミリヤさんの大きく鋭さを感じる声色に、二人が身体をビクッとさせると、飛び起きて直立した。


 「「ぐっすり眠れたので、問題ありません……たぶん」」


 二人の息はピッタリと合っていた。

 その後、テントの中では、メイドさんが朝食の報せを伝えに来るまで、ミリヤさんのお説教が二人を襲っていた。




 僕たちは朝食を終えて、これから出発をするのだが、お説教を受けた二人は完全に萎えてしまっている。

 そして、ケイトも元気がない。

 この先は、今までよりも危険になると、飛竜兵の青年に言われたばかりなのに、こんな状態の三人を連れて行って大丈夫なのだろうか……。


 馬車は僕たちのことなどは無視して、山道を奥へ奥へと進んでいく。

 車内は、当然、静まり返っている。

 普段、騒がしいメンバーが落ち込んでいるだけで、こんなにも静かになるものなのかと関心してしまう。

 そんなことを思っていると、馬車の速度が落ちたようだ。

 僕は御者台に顔を出して、外の様子を見た。

 すると、前方に湯気が上がっていて、山道の周辺に岩場が多く見られる。


 「マイ様の話しでは、このあたりの山中で見つけたそうです」


 レイリアがヒョコっと僕の横から顔を出して教えてくれたのだが、言葉に元気がなくて、こっちの調子がくるう。


 「まだ、へこんでるの?」


 「いえ、そう言うわけではないのですが、フーカ様と知り合ってからはたるんでいたのではないかと……」


 ん? 僕のせいになってないか……?

 僕は他の人たちに気付かれないように、彼女の頬にキスをした。


 「これで、元気出た?」


 「な、な、何を……」


 彼女は顔を真っ赤にして、頬を押さえる。


 「いつものレイリアらしくないから元気を出してほしいのと、僕と知り合ってからとか言って、僕のせいにするから仕返し! それで、元気出た?」


 「はい、出ました!」


 最初は戸惑っていたが、さっきまでの落ち込みが嘘のように、彼女は満面の笑みを作って復活する。

 御者をしている飛竜兵が気まずそうにしていたが、見なかったことにしよう。




 しばらくして、馬車が停まると、ミリヤさんとレイリアが地図を確認する。

 僕も横からその地図を覗き込む。

 レイリアが、僕たちの現在地は、ウル湖の死の領域と呼ばれる範囲の境界線あたりだと、指で示してくれる。

 地図では、マイさんが見つけた炭酸水の湧水がこのすぐ先なのだが、彼女の示した場所は、山一つを円く囲み、この辺と書いてあった。

 マイさん、大雑把すぎるよ……。

 見つけられるのか、不安が押し寄せてくる。


 「馬車をここに置いて、拠点にします。そして、この先は馬と徒歩で探索しましょう」

 

 レイリアの意見に皆が同意し、準備を始める。

 オルガさんとケイトは相変わらず、元気がない。

 レイリアの時みたいに、キスをすれば復活するかもと思ったが、レイリアは僕の婚約者だから出来ることであって、二人は違う。 

 二人を元気にする方法はないだろうか……。


 「では、フーカ様も馬に乗ってください!」


 レイリアから声を掛けられて周りを見ると、準備は終わっていた。

 僕は馬に跨ろうとしたのだが、馬には蔵がつけられているだけで、足を掛けるあぶみがない。

 ヒーちゃんは乗れたのかと思って彼女を見ると、彼女も困惑していた。


 「乗れない……」


 「「「「「はっ?」」」」」


 レイリアたちだけなく、メイドさんたちまで声を揃えて困惑する。


 「鐙が無い時って、どうやって乗るの?」


 僕の横に来たヒーちゃんも、コクコクと頷く。


 「あぶみ? それって何ですか?」


 「「……」」


 レイリアの言葉に、僕とヒーちゃんは絶句する。


 「普通、鞍から足を掛ける金具が下がっているよね?」


 「普通、足を掛ける金具なんて、ついていませんよ」


 レイリアのそばにいたミリヤさんたちがコクコクと頷く。


 「日本とこちらでは、鞍の作りが違うんですよ! その証拠に、ヒサメ様も乗れないで困っています!」


 ケイトはそう言うと、目を爛々とさせていた。

 彼女はこんなことで元気を取り戻すのか。何とも現金な……。


 「そういうことなら、フーカ様たちには誰かの馬に同乗してもらいましょう」


 ミリヤさんの提案で、僕たちは誰かの馬に同乗することとなった。

 ケイトはヒーちゃんの近くによって、彼女を自分の馬に乗せる。

 後は僕だけだ。

 誰の馬に乗るべきかと悩んでいると、背中に注がれる視線を感じる。

 振り向くと、耳を萎えさせているオルガさんが、こちらを悲しそうな目でジッと見ていた。

 僕は仕方がないと思って、彼女のそばに行くと、耳がピンとたち、凄く嬉しそうな表情を浮かべる。

 オルガさんの手を借りて、僕はその馬に同乗する。

 彼女もこんな些細なことで元気を取り戻してくれたのは良かったのだが、何かが吹っ切れたように、「落ちたらいけないので」とか、何かと理由をつけてはやたらと身体を押し付けてくる。

 その度に、僕の背中には、柔らかい膨らみの感触が伝わってきて、嬉しいような困るような……。




 僕たちはレイリアの先導で、まずは湖畔周辺と山道沿いを探索する。

 しばらくして、レイリアが何かを見つけたらしく、後ろからついてくる僕たちに向かって、手で静止の合図を送ってきた。

 彼女はジッとしていて、何かを考えているようだ。

 少しして、こちらを振り向く彼女の顔は、眉間にしわを寄せて困惑している様に見えた。


 そして、レイリアは山側にあたる森を指差してから、手で着いてくるように合図をすると、森の中に入っていく。

 その後をケイトとヒーちゃん、ミリヤさん、僕とオルガさんの順に、列をなして追う。

 僕たちの後ろには、メイドさんと飛竜兵が一人ずつ着いてくる。

 他の二人は馬車のところで待機をしていた。


 レイリアの後に続いて皆が森の入り口へ近ずくと、その辺りで首をかしげてから森の中へと姿を消していく。

 僕たちの順番になり、その場所へ近付くと、馬一頭が通れる獣道にも見える脇道があった。

 レイリアはここから入ったようだが、彼女や皆が何に困惑していたのかが気になる。

 僕は辺りを調べる……までもなく、脇道の入り口から見える位置に看板があり、『変わった湧水。こっち!』と書かれていた。

 マイさんが看板を建てていたようだ。

 何故か嫌な予感がしてならない。


 森の中を進んでいるのだが、前方は二~三メートル先にミリヤさんの後姿が見えるだけで、その先にいるレイリアやケイトとヒーちゃんの姿は全く見えない。

 前の状況が良く分からないことに不安を感じ、オルガさんに、距離が離れすぎていないかと尋ねると、こういった狭い場所では馬同士の距離を離した方が動きが取りやすいのだと教えてくれた。

 それにしても、さっきから進んだり停まったりを繰り返している。


 「なかなか進まないね」


 僕はオルガさんに尋ねてみる。


 「これを見て下さい」


 彼女が、頭のそばにある枝を引き寄せて僕に見せると、枝の先端には刃物で斬られた痕があった。


 「レイリアが頭にあたる位置の枝を斬って、後方が通りやすいようにしながら進んでいるからですよ」


 「なるほど。後でレイリアにお礼を言わないとね」


 「そうですね」


 レイリアが後方が通りやすいようにしてくれているのなら、待たされても仕方がないと思った。


 前にいるミリヤさんがこちらを振り返ると、何かを指差してから進んでいく。

 僕たちがその場所に来ると、また、看板があった。

 『不思議な水。あっち!』と書かれているだけで、矢印も方向を示すものも書かれていない。

 あっちって、どっちだよ!? もっと、親切な看板を建てて欲しかった……。


 その後も、道なりに進んでいると、シュバ、シュバといった音が近くで聞こえる。 

 僕は音のする方向を注視すると、数本の木々の先に人影が見える。

 どう見てもレイリアだった。


 「あれって、レイリアだよね?」


 「そ、そうですね。ちょっと、このままでいて下さい」


 彼女はそう言うと、鞍の上に立ち上がり、頭上にある太い枝に飛び移る。

 そして、木から木へ枝伝いに移ると、何処かへと行ってしまった。

 彼女が木伝こづたう姿を見ると、やっぱり、くノ一にしか見えない。

 もしかして、オルガさんに森の探索を頼めば、すぐに見つかったのでは……?




 数分経ち、彼女が戻ってくると、僕の後ろに座る。


 「この道は、うねるようにして続いていました」


 「それで、道の先には何かあったの?」


 「あっ! そこまで気にしていませんでした。ですが、途中に開けた場所と岩場が見えました」


 「道なりに行けば、湧水のありそうなところには着けそうだね。ありがとう」


 彼女は僕にお礼を言われて、満面の笑みで喜ぶ。

 出来れば、炭酸泉があったかまで調べて欲しかったけど、岩場があるなら湧いている可能性は高い。

 後は現場で状況を確認するだけだ。


 オルガさんが調べに行ったことで、前を進むミリヤさんと、差が開いてしまった。

 僕たちは差を縮めるために、馬を早足にして進む。

 しばらくすると、ミリヤさんの後姿が視界に入ってきた。

 彼女は後ろを振り返り、僕たちを待っていたようだ。

 こちらが追いついたことを確認すると、また、何かを指差してから、先に進んでしまう。

 もう、分かってはいるのだが、その場所を一応確認する。

 やっぱり、看板があった。

 『驚きの水。そっち!』とだけ書かれていた。

 これ、絶対に遊んでるよね。それに、水の名称が、毎回変わっているじゃないか……。


 オルガさんが見た岩場までは、思っていたよりも時間がかかっている気がする。

 時計を見ると、一四時を示していた。

 何処かで休憩を取りたいが、辺りを見回してもそんな場所は何処にもない。

 一本道が続くだけだった。

 こんな場所に炭酸水の生産工場を建てるとしたら、かなりの費用と時間を費やすのではないかと、ちょっと、不安になる。


 ミリヤさんが停まった。

 また、看板があるのだろう。

 しかし、こちらを振り返った彼女の顔はひくついていた。

 彼女は看板を指差すこともなく、頭に手を当ててから先に進んでしまった。

 何があったのだろうか?

 でも、気にはなるが、知りたくはない……。


 彼女が停まった場所にとたどり着くと、その理由が分かった。

 『おかしな水。どっち?』と書かれた看板が、叩き割られていた。

 そして、その傷痕は真新しい。

 これを見て、レイリアがブチ切れたようだ。

 ここまで来させておいて『どっち?』と書かれていれば、それは怒るだろう……。

 看板の様子から数年前から一〇年以上前に建てられたものだと分かる。

 マイさんは、昔からふざけたことしか、してこなかったのではと思ってしまう。




 僕の後ろでオルガさんがキョロキョロとする。


 「どうしたの?」


 「えーと、辺りの様子から、私が見た岩場まではもう少しだと思います」


 「何で分かるの?」


 「えっ? 普通、木々の生え方や枝の生い茂り方を見れば分かりますよね?」


 「それは、一部の特化した人たちだけだと思うよ。僕には同じ木々が無作為に生えているようにしか見えないから」


 「そうなんですか……?」


 僕は、エルフ領プレスディア王朝が大森林にあったことを思い出し、エルフは森の中でも木々を目印に出来るのかもしれないと思った。

 きっと、僕が街中でビルなどの建造物を目印にしているのと同じ感覚なのだろう。 

 そうすると、ミリヤさんもオルガさんと同じ感覚を持っているのかもしれない。

 森に入る時は、二人のそばを離れないようにしよう。


 オルガさんが言った通り、あのふざけた看板から数分進むと、開けた場所へと着いた。

 そこには、オルガさんが言っていた岩場もある。

 僕は馬を降りると、岩場へと駆け寄った。

 近付くと、周辺が湿っていることが、濡れて黒く見える岩、少しぬかるむ土から判断できる。

 後は、湧水量と炭酸泉であるかを確認するだけだ。


 「ケイト、こっちに来て!」


 「はい、今行きます!」


 彼女は鞄を抱えてこちらへと走ってくる。


 僕とケイトで、岩場から湧き出ていそうな個所を確認する。

 チョロチョロと流れている水をたどっていくと、岩の割れ目から水が流れ出ていた。

 手でその水に触れてみると、少し冷たいかなと感じる温度で、手に気泡がついているかまでは確認できない。

 ケイトは、鞄から小さな瓶を取り出すと、その水を汲んで、太陽光にかざした。

 色は無色透明で、瓶の内側に小さな気泡が無数についているのが見える。

 僕と彼女は目を合わせて頷きあった。


 「見つけたね!」


 「はい、見つけました。後は試薬を入れて無害な物かを確認します」


 彼女は瓶を軽く振ると、気泡の粒が浮かんでくるの確認してから、試薬を数滴たらす。

 そして、再び瓶を軽く振ると、太陽光にかざして確認をする。

 僕はその様子を緊張して見守っていると、皆も集まってきた。


 「大丈夫です! 飲料水として、問題ありません!」


 ケイトは興奮気味に言うと、瓶に蓋をして鞄にしまう。


 僕は、岩の割れ目から湧き出ている水を両手ですくって匂いを嗅いでから口に含んでみた。

 匂いは無臭で問題なく、口の中ではピリピリ、シュワシュワと炭酸水ならではの刺激が襲ってくる。

 炭酸泉は鉄臭いと聞いていたが、口に含んでも臭みはなく炭酸の刺激も十分、これなら、このまま使える。

 それに、この口当たりは軟水だ。

 僕は皆に親指を立ててみせると、その瞬間、拍手喝采が沸き起こった。


 皆も順番に湧水を飲むと、ジュースのように味がなかったせいか、口に入れた時の刺激が際立って驚いていたが、すぐに満足していた。

 ヒーちゃんは、天然炭酸水をネット通販で買った経験があるということで、評価を頼んだところ、この炭酸水も同じくらい美味しいと評価してくれた。


 残るは湧水量なのだが、そろそろ拠点に戻らないと暗くなってしまう。

 僕たちは残っている調査を断念して戻ることにした。

 ケイトが拠点との位置関係を調べるために、上空に向かって火魔法を放つ。

 彼女の手のひらから大きな火の玉が現れて、上空まで飛んでいくと花火のように散った。

 僕から見れば『ファイアーボール』なのだが、こっちの世界では、そう言った呼び名がつけられておらず、火魔法と大まかに別けられて呼ばれているだけだった。

 ケイトに『ファイアーボール』という名称を教えると、次からその名前を叫んでから放ちそうなので、教えていない。


 こちらが放った火魔法に返事をするように、拠点からも火魔法が放たれた。

 ここで一つ問題が起きる。

 拠点から放たれた火魔法が、僕たちが通ってきた道の反対側にある森の奥から見えたのだ。

 それも、距離的にはさほど離れていない位置だった。

 僕たち一行は、その場に崩れ落ちる。

 マイさんが記した地図と看板のせいで、こんな目と鼻の先にある場所を探すのに一日も費やしたのだ……。


 その後、レイリアとオルガさんで拠点の方角にある森を調査したところ、拠点の裏側に出る道を発見。

 馬に乗ってはいけないほどの細い道だったが、拠点まで歩いて一〇分から二〇分くらいで着いてしまった。

 拠点に着いた僕たちは、探索とは別の理由で疲労困憊だった。

 僕たちは、ゆっくりと休んで、明日への英気を養うことにする。

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