第33話 神様の副業

 いつの間にか、シャルたちも椿ちゃんたちに打ち解けていた。

 主に姉ちゃんとオルガさんが上手く立ち回ってくれたおかげだ。

 今では、神託の間は女子会のようになっていて、僕が会話に入る余地はなくなっていた。

 ただ、一つ気がかりなのは、エルさんが少し孤立気味だったことだ。

 やっぱり、音羽姉ちゃんが原因なのだろうか?


 僕は音羽姉ちゃんに、エルさんと何があったのかを聞きたかったが、直接は聞きづらいので、遠回しに聞く方法を考えていた。

 すると、音羽姉ちゃんと目が合ってしまう。


 「フーちゃんは、私に何か聞きたいことでもあるの?」


 僕はとっさにある質問してしまった。


 「こっちで音羽姉ちゃんは、呼人よびびとの住所を聞いてたんでしょ。何で?」


 「あー。それはね、ファルマティスでフルボッコにされてから殺されるか、日本に戻ってから、私のいたチームにフルボッコにされるかを選ばせてあげたくて、私って、優しいから!」


 そんな優しさいらないし、フルボッコは確定なんだ……。


 「それで、呼人はどうしたの?」


 「日本でのフルボッコを選んだわ。ただ、フルボッコにして動けなくしてから、椿ちゃんに頼んで日本に送還したから、二回もフルボッコを味わうことになって、悪いことをしたと思ってるの」


 音羽姉ちゃんは満面の笑顔で答えた。

 あの顔は悪いことをしたなんて、絶対に思っていない……。


 「本音は?」


 「逃れられない恐怖の二択を、怯えながら選ぶあの様は、とても楽しくてゾクゾク……もー、フーちゃんはなんてことを言わせるのよ! 恥ずかしいじゃない!」


 彼女は顔を赤らめ、手で顔を覆った。

 いや、何か違うから……。

 椿ちゃんたちはドン引きし、シャルたちは怯えていた。

 さすがにアンさんたち武闘派は大丈夫かと思ったら、彼女を筆頭にレイリア、オルガさん、ハンネさんが顔を青くして、冷や汗を拭うほどに怯えてというよりも恐れていた。

 彼女たちにその理由を聞くと、騎士にとって、音羽姉ちゃんのとった行為は、冷酷無比、残虐非道にうつるのだそうだ。


 「それだと、呼人でもないエルさんが音羽姉ちゃんに怯えている理由は?」


 僕はずっと気になっていたことを聞いた。


 「それは、天狗になっていたエルちゃんの鼻っ柱を私がへし折ってあげたからかな?」


 彼女は答えてくれたが、何故、疑問形? それに、彼女の話しからは要領を得ない。


 「私が話してあげる」


 姉ちゃんが割って入ってきた。

 こっちではエルさんが硬直してしまって、彼女に聞くことは無理だったので助かる。


 「当時のエルちゃんは、女王に就任したばかりで怖いもの知らずだったらしくて、まあ、調子にのってたのね。そこに、音羽ちゃんが現れて、好き勝手をしていた呼人を倒し、それを支援する国々も滅ぼしまくっていたから、エルちゃんは音羽ちゃんを利用して、自分の女王としての威厳をさらに高めようと悪だくみを考えたの」


 僕は思わずエルさんを見てしまう。

 彼女は硬直したまま、頬をひくつかせていた。


 「エルちゃんは音羽ちゃんのことを自分の傀儡かいらいにしようと、周りに相談もせずに招き入れたものだから、国内は大混乱! そして、音羽ちゃんを排除しようとする組織が結成され、音羽ちゃんに仕掛けちゃったの。当然、組織は返り討ちにされて全滅。今度は、それを知った軍が音羽ちゃん討伐に出てしまって、音羽ちゃんは招待されたのに酷い目にあわされたことに激怒しちゃったのよ」


 「まさか、プレスディア王朝も滅ぼしたの?」


 音羽姉ちゃんは大きく首を振って否定した。


 「フーちゃん、そうじゃないの。音羽ちゃんは軍を全滅させてから、王宮に乗り込んで、エルちゃんと対立。二人が戦ったことで、音羽ちゃんに加護があることをエルちゃんたちが知ることになり、音羽ちゃんについて調査不足に説明不足と失態を重ねたエルちゃんは、エルフの重鎮たちからお説教の嵐を食らうことになったのよ」


 「それって、自業自得だよね」


 僕がエルさんを見ると、彼女は正気を取り戻してはいたが、顔は引くつかせたままだ。


 「まあ、その後は、玉座に音羽ちゃんが座り、エルちゃんはその横で正座させられ、その頭を音羽ちゃんの守り刀の紅寧あかねちゃんが扇子でペチペチ叩くという晒し者状態がしばらく続いたから、トラウマになったんだと思うの。そして、いつしか音羽ちゃんの存在が、恥辱と恐怖の象徴になったんじゃないかな」


 姉ちゃんは苦笑してエルさんを見る。

 僕と皆も彼女に視線を向けると、彼女は耳を下げてシュンとしていたが、自業自得であるため、誰も声をかけることができなかった。


 「それだと、音羽姉ちゃんがプレスディア王朝を乗っ取って、女王になったみたいだね」


 何故か、音羽姉ちゃんが僕の言葉に顔を引きつらせる。


 「まあ、その時につけられた音羽ちゃんの二つ名が、『殲滅せんめつの女王』だからね」


 姉ちゃんがニンマリとしながら暴露する。


 「なっ! 音羽姉ちゃんが『殲滅の女王』で、姉ちゃんが『撃滅げきめつの魔皇帝』って、二人ともこっちに来て、何をしてるの? それに、殲滅と撃滅って、厨二病っぽくて、弟の立場として恥ずかしいんだけど……」


 さっきまでニンマリしていた姉ちゃんも顔を引きつらせて、顔を真っ赤にする。

 その横では、椿ちゃんと雫姉ちゃんが必死で笑いを堪えていた。


 「だけど、音羽姉ちゃんが国に入っただけで、そんな状況になるなんて物騒だね」


 「それは、呼人のせいよ。あいつらは、フーちゃんが隠し持っている薄い本みたいに、エルフ女性にいやらしいことをするために、誘拐したり、プレスディア王朝に戦争を仕掛けて捕虜にしたりと、色々とやらかしてたみたいだから、音羽ちゃんを呼人だと思って偏見を持ってしまったのよ」


 姉ちゃんはニンマリすると、ドヤ顔で僕を見つめてくる。

 何故、僕の本のことが彼女にバレているのかが気になったが、シャルたちの疑問を抱いた顔が目に飛び込むと、この話を早く流したくて堪らなかった。


 「ん? それだと、エルさんは、音羽ちゃんがこっちに来ても怯えることはないのでは?」


 「フーちゃん、それが無理だからトラウマって言うのよ」


 確かに姉ちゃんの言うとおりだ。

 自分で言っておいて恥ずかしい。


 「それにしても、エルさんは音羽姉ちゃんと紅寧姉ちゃんを敵に回すなんて無謀なことをしたね。……。ん? 紅寧姉ちゃんも神使だったの!?」


 「そうだぞ!」


 椿ちゃんがドヤ顔をする。


 「紅寧姉ちゃんって、海外の大学に留学してなかったっけ?」


 「ええ、でも、今年卒業して帰国するわよ。フーちゃんのことを伝えたら、卒業したら直ぐに帰ってくるって言ってたわよ!」


 音羽姉ちゃんがそう言うと、僕は驚きを隠せず、エルさんは身体を震わせ、恐怖を隠せないでいた。


 「何で、神使なのに留学しているの? っていうか、していいの? 何だか頭が混乱してくる」


 僕は額に手を当て、そんなことが許されるのかと悩んでしまう。


 「潤守神社のためだから仕方ないのだ」


 「はっ?」


 椿ちゃんの言葉に疑問の声が出てしまった。


 「国際化が進んだ今のご時世、神社も外国人観光客に対応できるようにならないと生き残れないんだ」


 「そ、そうなんだ」


 彼女の話しがリアルすぎて返事に困ってしまう。


 「紅寧には、留学してもらって、外国語と国際文化を身に着けてもらうことにしたんだ。私はいつだって、神社の経営を考えているからな。それに、風和だって、建国することを考えているなら、経営を学ばないとダメだぞ!」


 「はい、頑張ります」


 彼女に諭されて、素直に返事をしてしまったことが悔しい。




 ふと、経営と聞いて、頭をよぎることがあった。


 「椿ちゃん、『ファルマティスの騎士』の制作関連の欄に潤守神社が載っていたんだけど、どういうこと?」


 「そ、それは……『ファルマティスの騎士』の企画を出したのが私だったりしなかったり?」


 椿ちゃんの態度が怪しい。


 「で、どういうことなの?」


 「ごめんなさい! ファルマティスの情報を売って、金もうけをしていました。しかし、これには理由があるんだ」


 「理由って?」


 「神様だけだと、食っていけないんだ。だから、副業を考えていたんだが、私が得意なことといったら、ゲームやIT関係とかしかないから、そっち系で収入になることを考えたんだ」


 何で、豊穣の神様の得意な事がゲームやIT関係なんだ……。

 それに、神様って職業なの? 


 「そこで、ソフト制作会社に、ファルマティスを参考にした『ファルマティスの騎士』の企画案を持ち込んだら採用されたのだ。今では、その収益のおかげで新しいことにも手を出せるようになったんだぞ!」


 彼女は褒めてと言いたげな顔で、こちらを見つめてくる。


 「す、凄いね。ん? 新しいこと?」


 何だかとっても嫌な予感がする。


 「そうだ! 新しく始めた副業のデイトレードも順調だし、音羽の冒険譚ぼうけんたんを参考にしたシミュレーションロールプレイングゲームの『ファルマティスの騎士Ⅱ』と、風音の冒険譚を参考にしたアドベンチャーゲームの『ファルマティスの騎士Ⅲ』の企画案も通ったんだぞ」


 神様の副業がデイトレードやゲームの企画って……僕は開いた口がふさがらなかった。 

 ちょっと待て、姉ちゃんと音羽姉ちゃんの冒険譚が使われたということは、僕も使われるのか? 何となく、ハーレム系の恋愛シミュレーションゲームにされそうで怖い。

 それに、神社や神殿の設備を考えると、副業の収益が神社の収益を超えてそうだ……。

 ん? ちゃんと法人税を納めているよね?

 椿ちゃんだと、課税対象とか知らないで全部免除されると思ってそうで怖い。


 「風和、何だか変な顔をしているが、大丈夫か? 便所なら行ってきていいぞ!」


 「違う! 椿ちゃんが法人税のこととか知ってるのかが心配だったんだよ!」


 「「「ブフッ」」」


 隣にいた姉ちゃんたち三人が、一斉に吹いた。

 椿ちゃんだけは顔を真っ赤にしている。


 「き、貴様! 風和の分際でよくも言ってくれたな! 法人税の課税と非課税の区別ぐらいできるわ! それにな、潤守神社の経理の類は音羽が牛耳っているから大丈夫なのだ!」


 「えっ? 音羽姉ちゃんで大丈夫なの?」


 僕の質問に、音羽姉ちゃんは顔を引きつらせて睨みつけてきたが、他の三人は横を向くと、口を押えてフルフルと身体を震わせる。


 「ねえ、フーちゃんは私のことを馬鹿だと思っていたの?」


 「いえ、そんなことはありません。ただ、音羽姉ちゃんって高校も行かずに、紅寧姉ちゃんと暴れまくってたなーと……」


 凄い怖いです。

 音羽姉ちゃんは笑顔なのに、怖くてたまらない。

 その横では、三人が両手で顔を覆いながら悶えている。


 「フーちゃんは、私が法学部卒って知らなかったの?」


 「えっ?」


 僕は愕然として椿ちゃんたちを見ると、三人は笑いを堪えながら、縦に首を振る。


 「フーちゃんは高校も行かずに、ファルマティスで時間を費やしていて大丈夫なの? フーちゃんが大学に行けるのかが楽しみね!」


 「……」


 僕は魂が抜けていくのを感じた。


 「音羽、言い過ぎだ! 風和の魂が抜けてしまったじゃないか!」


 「そうです。フーちゃんは、姉さんがしでかしたことに巻き込まれただけなのですよ」


 椿ちゃんと雫姉ちゃんが僕を心配している。


 「フーちゃん、ごめんね。ちょっと悔しくてムキになっちゃった。でも、安心して、私が面倒を見てあげるからね」


 「音羽ちゃん! 何を言ってるの! フーちゃんの面倒を見るのは私だからね!」


 音羽姉ちゃんと姉ちゃんが的外れなことを恥ずかしげもなく言いだす。

 僕は彼女たちの言葉は理解できるのに、起きたまま夢を見ている感覚で黙っていることしかできない。

 そして、僕のそばでは、シャルたちがオドオドしているのも分かった。


 「そうだ! オルガちゃん、フーちゃんにおっぱい見せなさい!」


 「はい! ……えっ? えぇぇぇー! カザネ様の頼みでも、それは無理です!」


 姉ちゃんは何を言い出しているんだ? オルガさんが戸惑うのも当たり前だ。

 シャルたちが仰天してしまっているじゃないか。


 「えっと、オルガちゃんは胸にサラシを巻いてるでしょ! それをフーちゃんに見せてあげて欲しいの。そうすれば、フーちゃんが正気に戻るから!」


 「はっ? ……嫌です。無理です。出来ません」


 姉ちゃんが暴走しだしている気がする。

 そして、オルガさんが顔を真っ赤にして拒否している。

 当たり前だ。


 僕は音羽姉ちゃん言われたことがショックで呆けていたが、会話は聞こえていた。

 オルガさんのサラシ姿は見たいが、早く正気を戻さないととんでもないことになる気がする。

 しかし、どうしたらこの変な感覚から、覚めることができるのかが分からない。


 「フーカ様、いつまで呆けているんですか!」


 業を煮やしたレイリアが僕の前に立つ。


 パシーン。


 彼女は両手で僕の顔を挟むように叩いた。


 「痛っ!」


 彼女のおかげで変な感覚からは覚める事は出来たが、もう少し優しく叩いて欲しかった。

 今なお、頬にヒリヒリとした痛みが走っている。


 「風和、大丈夫か?」


 「うん、大丈夫!」


 椿ちゃんの安堵した顔は、僕の顔を見て苦笑いへと変化していく。

 おそらく、レイリアの手の痕が、顔に残っているのだろう。


 「音羽姉ちゃんが経理をしていて、優秀なのはわかったよ」


 音羽姉ちゃんが満足そうな笑顔をする。


 「もしかして、そこの設備とかは経費で落としているの?」


 「まあ、大体は経費で落としてもらってるかな」


 「エアコンとか照明は必要だから分かるけど、リモコンで巻き上がる簾も経費で落とせるの?」


 椿ちゃんの頬が引きつり、音羽姉ちゃんが眉間にしわを寄せる。


 「必要ないといったのに、泣きつかれて仕方なく経費で落としたのよ」


 音羽姉ちゃんは溜息をつき、落胆した。


 「ハハハ……。そうなんだ。音羽姉ちゃんも大変なんだね。尻尾のエクステなんかも高そうだもんね」


 椿ちゃんがビクッとして青ざめていき、音羽姉ちゃんの目が引きつると、彼女の形相が怖くなっていく。

 二人の表情から、僕は余計なことを言ってしまったと気付く。


 「尻尾のエクステ? 椿ちゃん、私は初耳なんだけど、どういうこと?」


 彼女の視線は椿ちゃんの九本の尻尾に釘付けだった。

 そして、雫姉ちゃんは椿ちゃんに背を向けて、我関せずを通しだす。


 「そういえば、毛並みの良い尻尾が五本ばかり増えてるわね」


 「音羽、これは必要なものなんだ! 九尾の天狐と称しているのに四本では格好がつかないだろ」


 「天狐の姿で人前に出ないのだから関係ないわよね。それに、雫ちゃんは四本のままよ」


 彼女はそう言うと、椿ちゃんの尾を握り、引っこ抜いた。

 その光景を見たシャルたち一同は卒倒しそうになっていた。

 さすがにエクステを知らないこちらの人たちには衝撃が強すぎる気がする。


 「椿ちゃん、これ、いくらしたの?」


 「これくらい」


 音羽姉ちゃんの質問に椿ちゃんは指を三本立てた。


 「えっ? 三万で済んだの?」


 椿ちゃんは首を大きく横に振る。


 「一本、六万で、三〇万です」


 「このバカ狐がぁぁー!!!」


 ゴツン。


 「ぐへっ!」


 椿ちゃんの頭に彼女のげんこつが勢いよく落ちる。


 「ちょっと、こっちに来なさい!」


 椿ちゃんは彼女に顔をつかまれ、アイアンクローの状態で奥の方へと引きずられていった。


 「イタタタタ。音羽、痛い! 許して。もう、しません! いーやぁー!」


 椿ちゃんの悲鳴がこちらの神託の間でもこだましていた。


 鏡には姉ちゃんと雫姉ちゃんが苦笑いを浮かべ、気まずそうにしている姿が映されているだけだった。

 たまに、奥の方から椿ちゃんの悲鳴のような声が聞こえてくる。

 こちらでは、皆が硬直していた。

 しかし、エルさんだけは何やらブツブツと言っていて、硬直は免れたようだ。

 僕は、彼女の言葉に耳を澄ませると、驚いた。


 「オトハちゃんごめんなさい。オトハちゃんごめんなさい。オトハちゃんごめんなさい――」


 彼女は永遠とその言葉を繰り返していたのだ。

 ここまで重症だとは思いもよらなかった……。




 少し目を充血させ、耳が垂れ下がっている椿ちゃんと、疲れが見える音羽姉ちゃんが戻ってくる。

 しかし、その場は気まずい雰囲気に包まれていて、話しを切り出せない。


 「まあ、椿ちゃんの無駄遣いは問題だけど、椿ちゃんの副業で神社が潤っているのも事実だから、これくらいのお仕置きで済んでるのよ!」


 姉ちゃんが話を切り出してくれたのはいいけど、その内容が……。


 「そうなんだ。でも、これくらいのお仕置きって?」


 「アイアンクロー付きお説教。その上のお仕置きは、病院に強制入院させての検査と予防接種よ。まあ、椿ちゃんって、毎年一度はやらかしてくれるから、年に一度の狂犬病の予防接種に無理やり連れていけるから楽なんだけどね」


 「狂犬病って……。ペット扱いなんだ……」


 「いや、動物病院じゃなくて、総合病院に連れて行ってるから、一応、人扱いしてるわよ。雫ちゃんや神使たちは健康診断も予防接種も受けてくれるんだけど、椿ちゃんだけはいつも逃げるのよ……」


 「子供か!」


 姉ちゃんの言葉に思わずツッコんでしまった。


 「逃げてるんじゃない! ただ、注射が嫌いなだけだ!」


 彼女は言い訳をしてくるのだが、その理由が子供だということに気付いていないのだろうか?

 そして、姉ちゃんたちは、そんな彼女をやれやれといった表情で見つめていた。




 「そうだ! フーちゃん、言い忘れてたけど、ヒーちゃんに色々持たせて、そっちへ送るから!」


 「ヒーちゃん?」


 姉ちゃんは唐突に言い出したが、僕は誰だか分らなかった。


 「ん? ああ、氷雨ちゃんのことよ。それと、家族会議でヒーちゃんをフーちゃんの婚約者に決めたけど、就職するまでは恋人って条件だから!」


 「えっ? えぇぇぇー!」


 勝手に決められていることに驚きと戸惑いが隠せない。

 そして、さっきまで沈んでいた椿ちゃんがニンマリしてこちらを見ている。

 一方で、シャルたちは、新しく現れた僕の婚約者に戸惑っているようだった。


 何で、僕がいない間に、そんなことになってしまったのかは気になるが、家族会議で決まったということは、母さんたちも一枚かんでいるに決まっている。

 僕が意見しても無駄だろう。

 それに、椿ちゃんにコオリアメさん……氷雨さんを紹介してもらえると言われて喜んでいただけに断れない。

 でも、氷雨さんは、婚約のことを受け入れたのだろうか?


 「姉ちゃん、氷雨さんは、納得しているの?」


 「ブフッ。氷雨さんって……。ごめん、ごめん。ヒーちゃんのことをヒー君って呼んでいたのに、氷雨さんなんて呼ぶから、ブフッ。えーと、ヒーちゃんは納得しているわよ!」

 

 姉ちゃんの態度に、何故か不満が残る。


 「それと、フーちゃんのほうで補充したい物資はある? ヒーちゃんに持って行ってもらうから!」


 「シャンプーの類と調味料、特に醤油。あと、ハリセン!」


 「「「「はっ?」」」」


 姉ちゃんだけでなく、椿ちゃんたちも困惑している。


 「ハリセンが欲しいの?」


 「そう! こっちにも、椿ちゃんみたいな微妙な人がいるから、大変なんだよ」 


 「「「なるほど」」」


 姉ちゃんは聞き返してきたが、僕の言葉で納得してくれた。

 ただ、返事は、椿ちゃん以外が声をそろえていた。

 もちろん、彼女だけは顔をひくつかせて、怒るのを堪えている。


 「わかったわ。ヒーちゃんに渡しておくから、受け取ってね! あら。そろそろ、頃合いみたいね。オルガちゃん、フーちゃんのことを頼むね! それと、オルガちゃんとフーちゃんの婚姻は認めてあげるから、ガンバレ!」


 「はい! お任せください。そして、頑張ります!」


 姉ちゃんが親指を立てると、オルガさんは敬礼をする。


 「エルちゃん、フーちゃんのことを頼んでもいいかしら?」


 「オ、オトハちゃん、任せて! 我が国の総力を挙げて、フーカ君を護るわ!」


 「ありがとう」


 音羽姉ちゃんに頼まれたことがよほど嬉しかったのか、エルさんは、目に涙をためて感極まっている。

 ただ、彼女の発言にハンネさんが顔を引くつかせていた。


 「フーちゃん、氷雨のことを頼むわね。皆さん、フーちゃんと、これからそちらに送る氷雨のことをよろしくお願いいたします」


 「シズク様、かしこまりました。お二人の事は私たちにお任せ下さい」


 雫姉ちゃんが深く頭を下げると、シャルたちは跪く。

 そして、シャルが代表して、返事をした。


 「教皇、シャル、奥宮の件を頼むぞ。風和、また、すぐに会えるから気落ちするなよ。それに、こちらでもファルマティスの現状を調べてやるから、無理はするなよ。では、皆も再び会う日まで息災でいるように!」


 椿ちゃんの言葉を最後に、鏡は曇りだし、僕たちを映すだけになってしまった。

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