続・ああ、かぐわしき「ふんにょーらぼ」
沢田和早
第一話 糞の上にも七カ月
延長された試用期間
一日の終わりを告げる夕陽がボクらの街並みを茜色に染めていた。
作業終了の解放感が体の疲れを癒やしてくれる。
前方に見えるのは王都の北門。その前には数台の荷馬車が列を作っている。全てふんにょーらぼ所属の糞尿収集荷馬車だ。
町に入る時刻はバラバラだけど作業を切り上げる時刻はほぼ同じなのでどうしても混雑する。ボクとニィアォさんを乗せた荷馬車はゆるゆると速度を落とし最後尾で止まった。
「今日までご苦労だったな、メルド。いつもそうなんだが、始める時は『やれやれまたか』と思っても、終わる頃には『もう少し続けていたかった』と感じてしまう。特におまえはいろいろあったからな。これまで受け持った実習生の中では一番印象深い。おまえと組めてよかったよ」
ニィアォさんのしみじみした口調が心に染みる。
今日は実地研修の最終日。この五カ月でニィアォさんのイメージは百八十度転回した。怖いだけだったドワーフのおじさんは優しく情の深い頼れる先達に様変わりしている。できればこのままずっと一緒に働いていたい、そんな思いさえ抱き始めている。
「それはボクも同じですよ。ニィアォさんのような方に指導を担当していただけて本当に運が良かったと思っています。しかも本来なら九月で終わるのに十月まで指導してもらえたんです。こんなに幸運な実習生はボクだけでしょう、たぶん」
「幸運かどうかは何とも言えんが型破りなヤツだったことだけは間違いないだろう。先月は肝を冷やしっ放しだったからな」
「それについては深く反省しています。ずいぶん心配かけましたね」
思い出しただけで尻穴があったら入りたくなるほど恥ずかしくなる。「人生山あり谷あり」って言葉があるけど、もっと大げさに「人生剣俊あり峡谷あり」って言ってもいいくらい、今年の九月は激動の一カ月だった。
「本当に波乱万丈だったなあ」
夕焼け空を眺めながら思い返す。
九月一日、妹にそっくりな少女フェイに出会い、毎日心ウキウキで実習に励んでいたら、事もあろうに従二位の華族である
「でもそのおかげでおまえとはひと月長く付き合えたんだ。オレは楽しかったぜ」
「そう言ってもらえると気が軽くなります」
本来なら試用期間は九月末で終了する。しかしボクは十月末まで延長された。「実地研修は最低九十日以上行うものとする」という規則があるからだ。六月の夏期休暇、週に一度の休日、たまにある祝日などを考慮しても、四カ月あれば余裕でクリアできる日数である。
しかしボクは九月の訓練期間中に懲罰房と
追加の実習は今月の七日から始まった。そして今日は二六日。本採用一次試験は二日後の二八日で筆記試験が行われる。一次をパスすれば二次の適性検査と面接に進み、めでたく合格すれば十一月一日から正式にらぼで働くことになる。
「そう言えばあの華族様の推薦状、断ったんだって。たいした自信じゃないか」
「自信があるから断ったんじゃありません。自分の力で合格したかっただけです」
だが、ボクは断った。他人の力を借りて合格したって嬉しくはない。たとえ不合格になったとしても自分の尻穴はちゃんと自分で拭くつもりだ。
「もったいないな。今回の騒動の発端はあの華族様だ。有難くもらっときゃよかったのに」
「もったいないから断ったんです。もし合格してらぼの正職員になれば、先月の出来事なんか比較にならないくらいたくさんの難問にぶち当たると思うんです。だったら
隣で手綱を取っているニィアォさんの横顔がにやりと笑った。相変らずインパクトが凄い。髭面で強面のドワーフの笑顔は優しさよりも恐怖が先に立つ。実習が始まったばかりの時は怖くて心臓が止まりそうだったなあ。今はもうだいぶ慣れたけど。
「なるほどな。華族様のコネは持ち続けておいた方が何かと便利ってわけか。しかしおまえもずいぶんと計算高くなったもんだ。初めてあった時の世間知らずな坊ちゃんとはまるで別人だ」
「そりゃそうですよ。ボクの師匠はニィアォさんなんですから。弟子が師匠に似るには当たり前でしょう」
「これは一本取られたな、ははは」
「よう、何か面白いことでもあったのかい」
雑談しているうちにボクらの順番が回ってきたようだ。北門の門番が声を掛けてきた。
「なあに、尻の青い若造も社会の荒波に半年も揉まれれば平気で尻毛を抜くような狡猾な野郎になっちまうって話さ。そうだろメルド」
「狡猾とはひどいですね。お世辞でも『聡明な』とか『頭が切れる』とか言ってくれませんか。それよりも門番さん、五カ月の間ありがとうございました。今日は実地研修の最終日なんです」
「おっ、そうかい。でも正式に採用されればまた荷馬車に乗ってやってくるんだろう」
「はい。その時はまたお世話になります」
「まあ頑張るんだな。おっと、もっと喋っていたいが後がつかえている。さあ、行った行った」
いつの間にかボクらの後ろには荷馬車の列ができていた。夕方は本当に混雑するんだよな。
門番に急かされて城壁の外に出ると遠くに見えるふんにょーらぼも夕陽を浴びて茜色に染まっている。
「メルド、おまえ本気で収集課に来るつもりなのか」
「もちろんですよ。今頃何を言っているんですか」
ボクの希望は王都の糞尿を集めてらぼに運ぶ製造事業部収集課、ニィアォさんが所属している部署だ。毎日王都の住民と触れ合い、毎日新しい糞尿と触れ合い、毎日様々な細菌と触れ合える。こんなに楽しく遣り甲斐のある仕事はそうそうないだろう。
「まあ、本人の意思を重んじるのがらぼの基本方針だし、オレとしてもおまえと一緒に働けるようになれば嬉しいよ。だがな、自分の思った通りに事が進まないのが世の中ってもんだ。その点だけはしっかり心に留めておいてくれ」
「えっ、でもほとんどが第一希望の部署に配属されるって聞きましたよ」
「そうだな。だがそれが本当に正解なのかどうか、オレたちにはわからない……」
ニィアォさんらしからぬぼんやりとした口調だ。何か知っているのだろうか。もしかしたらすでにボクの配属先が決まっているのだろうか。
いやいや、そんな心配よりもまずは二日後の本採用試験だ。最初の筆記試験で合格点が取れなければ配属先を考えるまでもなくそこで終了なんだから。
「とにかくここまで来たらベストを尽くすだけです。担当指導官であるニィアォさんに恥をかかせないよう、絶対に合格してみせますよ」
「ああ、そうしてくれ。これまでオレが担当した実習生は全て不合格だったからな」
最後の最後で聞きたくない情報を耳に入れてしまった。やっぱり
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