犯人
最初にたどり着いたのは旅館の厨房だった。
大旅館をささえるだけあって広く設備も充実しているようだが、今やほとんど燃えており立ち入る隙間を見つけるのも苦労するほどだ。
「実際の熱さには程遠いとはいえ、これだけ火の量が多いとキツイな」
時間が止まっているおかげで火傷するような熱さでは無いのだが、何というかサウナで蒸されているような感覚だ。
「ねえ賢太、手を離さない? 汗をかいてるから……その……」
レイが言った。
互いにはぐれないよう手を繋いでいるのだが、確かに手のひらも汗だくになってきた……。十代の女の子からすればオッサンの汗なんて気持ち悪くてしょうがないだろう。
「ご、ごめん。じゃあ俺の服を掴んどいてもらえるか?」
「あ、別に賢太の汗がってわけじゃなくて……まあ……うん」
気を使わせてしまったか。申し訳ない。
さて、地図を見ると点滅しているのはこの先だ。厨房の奥の特に火の勢いが強い場所を指し示している。
地図に従い進み、火の壁をくぐり抜ける。
「なっ……!」 レイが声をあげた。
「これは……」
俺たちの目の前には、半分黒焦げになっているオッサンが横たわっていた。服装からしてこの厨房の料理人のようだが、背中からなぜか大量の血を流している。近くには血の付いた包丁が置かれ、さらに先には赤い灯油タンクが転がっている。……まるで誰かが殺害現場を隠蔽するために火をつけたような、そんなドラマみたいな光景だった。
「ただの事故じゃない?」 レイがつぶやく。
「たぶんな。少なくともこのオッサンは火事が原因で倒れているわけじゃないみたいだ」
「あなたたちのいう置き換えってのは、すでに死んじゃっててもいいんだ?」
どうなんだろう。これまでに無いパターンだが、地図の赤い点滅は黄色に変わっている。
「とりあえず触れてみるよ」
オッサンがあまりに酷い状態なので触れるのは抵抗があったが……しかたない。
肩のあたりに軽く手を置くと、例の機械音が響いた。
「置キ換エマシタ」
それと同時にオッサンの体がパシュっと消える。
「……今、何かしゃべった?」
レイが不思議そうな顔で尋ねた。
「何も。対象者に触れるといつもさっきの音声が流れるんだ」
トラックにいたレイの仲間を消したときにも流れたはずだが、近くにいなかったんで聞こえなかったらしい。
「変なの」
だよな。俺もそう思う。
「これでOKなのね? ここは終わり?」
「いや……まだ近くに点滅がある。こっちだ」
普段の場合なら対象者をすべて視認してから点滅が黄色に変わるが、今回はイレギュラーなケースらしい。それぞれの位置が離れているからか、一人ひとりを置き換えていくようだ。
点滅している場所に向かってさらに進むと先程のオッサンと同じ服装をした人が数人倒れていた。こちらも全員が背中や顔から血を流している。
「凶暴なのがどこかに潜んでるみたいね。こんなにたくさんの人間を殺すなんてまともな神経じゃない」
レイの言う通りまともな神経じゃない。というかよく冷静でいられるな……俺なんて他殺死体を初めて見るおかげで吐きそうなんだが。
「賢太、大丈夫?」
心配そうにレイが背中をさする。
「うん……ちょっと……ダメかも、おえっ」
とっさに近くにあったポリバケツに胃の中のものを吐き出す。かっこわるぅ。
「無理しない方がいい。あたしが誘導するから目を閉じて触ったら?」
「ああ……すまん。レイは平気なのか?」
「平気じゃないけど、もっと酷い死体も見てるからね。慣れってやつ?」
どんな生き方をしてきたんだ一体。
「もう大丈夫……ふう……うっ」
ちょっと、これじゃ進まんではないか。俺もいい加減レイのように冷静にならないと。
「ほら、目を閉じて」
そう言ってレイが俺の腕を掴む。
言われた通り目を閉じると、レイに誘導されるまま死体に手が触れた。
見えない状態で触るのも結構気持ち悪いね……。
「置キ換エマシタ」という音声が流れ、そこにいた数人が次々と消えていった。
「もう目を開けてもいいよ」
「……ありがとう。ごめん、情けない姿を見せた」
「普通はそうなる。あたしが異常なだけ」
なんとも悲しげな目でレイが言った。このまま黙っていたらレイの言葉を肯定することになりそうだが……なんて言えばいいのか分からん。
「ほら、次もあるんでしょ? さっさと行こうよ」
かける言葉を考えているうちにレイが気をとり直したように俺の袖を掴んだ。
まあそうだな。さっさと終わらせないと暑くてしょうがないし。
厨房はこれで全部のようだ。次は階段をのぼった先だ。
廊下に出て火の中をくぐり抜けながら階段の方へ進む。いよいよ煙が濃くなって視界が塞がれる。こうなると完全に地図だよりだ。自分たちの現在地を頼りに慎重に歩く。
「レイ、この先階段が崩れてるかもしれない」
「分かった」
レイは掴んでいた袖口を離し、再び俺の手をしっかりと握った。階段から落ちればただじゃ済まないからな。そうしてくれたほうが安全かもしれない。
「壁に沿って歩こう」
体を横向きにしながらゆっくり階段を登り、どうにか二階にたどり着いく。
ここから先の点滅はほとんど客室のようだ。おそらく火災で逃げ遅れた人たちだろう。
近くの客室に入ると案の定、逃げ遅れた2人の男女が横たわっていた。
「煙を吸ったんだね」 レイが言った。
「火事の死因はだいたいそれだしな」
そう言いながら地図の点滅が黄色に変わるのを確認し、2人の体に触れる。
いつもの音声が流れ2人が消える。
それからしばらくは同じパターンの繰り返しだ。客室に入り倒れている人を見つけては消していく。
煙が充満しているせいでとにかく進みづらいが、時間をかけて何とか対象者を探していった。
「カノンは一人で大丈夫かな?」
レイがつぶやく。言われてみれば確かに心配だ。2人いれば安心ということでもないが、ひとりでこの作業はなかなかキツイものがあるだろう。
地図でカノンの現在地を確認すると、順調にフロアを移動しているようだ。
外から見た様子ではカノンのいる建物はこちらに比べれば火の回りが少ないようだった。このまま無事に合流できれば良いが。
そうこうしながらも着実に点滅を消し続けていった結果、こちら側の点滅は残り一つとなった。
「ようやく終わり? 最後はどこ?」
「えーっと……この先の連絡通路だな。カノンとも合流できるかも」
ちょうどカノンも点滅をあらかた消し終わっているようだ。おそらく俺たちと同じで西側と東側をつなぐ連絡通路を目指しているだろう。
フロアを進むと、連絡通路付近は比較的煙が少なく火の回りも遅いようだ。
点滅の場所に近づくと人影が窓に寄りかかっているのが見えた。
「あの人で最後だな。……けど何だ? 様子が……」
近づいて気がついたのは、ほかの対象者と違って意識を失っていないということだ。
それどころか、満面の笑みを浮かべながら燃え盛る旅館を楽しそうに見ているのだ。
「き、気持ちわるっ!」
思わず叫んでしまった。ひょっとしたらパニックのあまりそんな表情を浮かべているだけかもしれないのだが……。
「ねえ、コイツ。厨房の人たちを殺した犯人じゃない?」
レイが男を観察しながら言った。
「へっ? な、なんで?」
「ほら。服に返り血がついてる」
暗くて分からなかったが、よく見れば本当だ。しかも腰のあたりにはアーミーナイフも忍ばせているようだ。これは間違いないかも……。
「たぶん火をつけたのもコイツだね。上着のポケットに使い捨てライターが何本も入ってるし、向こうに灯油タンクも落ちてる」
なるほど……。どんな動機か知らないが、この男が厨房の人たちを刺殺し、火をつけて回ったのか。
地図を見ると赤い点滅が黄色に変わっている。
「まあ、こいつが犯人だとしてもやることは変わらないな」
男の体に手を触れて、いつもの機械音が鳴るのを待つ。
……と、ここでも予想外の出来事が。……いや実を言えば何となく予感はあった。考えないようにしていたけど……。
「ふふふふ……」
突如、犯人らしき男の声が響く。
ざわっとした寒気が背中を襲った。
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